20190718

「伝統工芸の壁」 2019年の100日記,

伝統工芸師
草木染友禅の林部さん に 
草木染友禅 を習う 
2019.7.18.

わたし #makopenandpaper の絵で作った手ぬぐいを師匠に見てもらった。レトロメトロバックパッカーズの為の緑の手ぬぐい(ラウンジに人が集うようす)をたいそう気に入ってくれた。

「これだよ、真子ちゃん!真子ちゃんの描くこういうね、奥行きがあって広がりを感じさせる風景の中で、人が生き生きとしている絵。これはなかなかいいものだよ。なかなかないからね。何回も言っているけどね、完全な草木染友禅や伝統に、こだわりすぎなくていいんだよ。この細い線はなかなか草木では出せない。糸目にこだわりすぎなくていい。この線の地に草木をつかうとか、一部だけに草木の色を刺すとか…色々やりようはある。合わせたらいい。持っているものを生かさないと」

出会った時から何度も言ってもらっていること。建物や町や植物のおくゆきある空間に、人々。そこに草木の色を刺したもの、そんな友禅、そんな着物。きっと見たことないものになる…!おもしろいものになるよ、作ってみたら?そうやって師匠が色々構ってくれるようになった。

なかなか踏み出せないのは、私の心の中に自分で作ってしまった「伝統工芸の壁」。やっぱり憧れがあるのだ。伝統技術、草木染友禅に。やるからには、全て天然の材料を用い、伝統的な技法にのっとって作ってみたい。その、自分で上げすぎたハードルがあまりに高すぎて二の足を踏む。


伝統って言ったって、そこに絶対揺るがない正解があるわけでなく、革新を重ね変化しながら受け継がれたものだ。と、いうことももっとも。よく分かる。伝統工芸師
である林部さんも、そのお父様の時代の友禅の作り方を変えた人だ。分業制の工房から一人で全行程作るスタイルに、変えたから今も続いているとも言える。(細分化された職人技だと、1つの分野の職人さんがいなくなったらもう出来なくなってしまう。)さらにその上の代、また前の時代と遡ると技法も素材も違ってきて当然。

では私が求めている「伝統的な技術」とは何を指すんだろう。あやふやなものに確かな姿を期待して、強く憧れている。「天然のものだけで作ってみたい」の天然とは、果たして何のことを言うのか。自問自答をするも、答えがわからない。「こだわる」と言うと聞こえがいいが、「とらわれている」と言われてしまったら、立ち止まらざるを得ない。実際、とらわれ過ぎて、なかなか前へ一歩踏み出せないでいる。何故そんなに憧れるのか。自分が何につまづいて何故足踏みしているのか


これまでの間に師匠から教わったものだけでももう「できることは色々あるよ。真子ちゃん、おもしろいもの作ってみてよ」と言ってくれる。 ・

分業のひとつに図案を描く人がいる。構図を考え、実際に絵を描く人。その人の図案を別の何人もの職人達が生地に描きつけていた。絵を描く為の修行にずいぶん時間を費やす。「真子ちゃんは、もうすでに、描けるから」と言ってくれる。そんなそんな、まだまだだと謙虚になる気持でいっぱいだけど…でも、ちょっとずつ気づいていることもある。


友禅の展示などを見たときに、引っかかるようになってきている。「あれこの図のこの線、あとほんの少し伸ばしたらもっとずっとしまるのに」とか、この色の取り合わせ微妙に惜しい、とか。偉そうに上から目線になっちゃダメだと思いつつ、展示見ながら「自分だったらこうするのに!」がモゾモゾする。ただし、「絵」「線」としては意見できるけど、実際にその絵を布に綺麗に浮き上がらせる技術に関しては何も言えない。何の植物の色をどう刺したのか、工程が出来上がりから全然想像できない。だから、自分なんて全然ダメだ、と感じてしまう。一方で線に関しては、わたしわりと、扱えるようになっていてよっぽど負けてない気もしちゃったりする

遠くない将来、師匠が気に入ってくれている「人が生き生きとしている風景」で一枚着物を作ってみよう。とは思っている。どういう方法でたどり着くかは、まだ気持が定まらないけれど。

学生向け染色体験ワークショップの助手として、泊まり込みのお手伝い。自分の制作についても、色々考えさせられて、実り多い二泊三日でした。いくら感謝しても足りないです。感謝感謝感謝




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