20070507

コルゲートパイプに棲む人

幻庵を訪ねたのは一年ほど前。 
しとしと雨降る森の中ですごした幻のような時間。 

「初めてここに来る人にはやさしいの。二回目以降来る人には意地悪だからね」 
目の奥をキラリと鋭く光らせながら、そう言ったご主人の訃報を聞いたのは秋のこと。 
再訪の夢は叶わなかった。 


そして昨日 
奇しくも あの日と同じ雨空の下 
幻庵の原点となるコルゲートパイプの家を訪ねた。 

川合健二邸 

豊橋市内 自宅から車で30分ほど走った 
森に抱かれたその家には 
今はなき健二さんの面影を多分に残しつつ 
花子さんが一人で暮らしている。 
住むというより棲んでいるといった方がしっくりくる。 

ぎょっとする外観 
強い存在感と、漂う毒々しさ 
と 
薫る新緑に咲き乱れる草花 

コテコテ人工的なコルゲートパイプの家は 
何故だか森がよく似合う。 



中に通され 
花子さんの旅行のお土産のお菓子を頂きながら 
お茶を飲む。 
川合邸の強烈な第一印象とは対照的に 
ゆるりとくつろげる落ち着く家の中。 
幻庵は別荘として、日常とはかけ離れた時が流れているが 
ここは生活の場だ。 

顔をくしゃっとさせてたのしそうに笑う花子さんの 
さまざまな物事を自然にうけいれてきた 
その人となりが、 
この居心地の良い雰囲気をつくり出しているのかもしれない。 

それにしても、 
90歳を目前にしているとは思えないほど 
頭の回転がはやく、鋭く、テンポのよい花子さんに驚かされる。 
健二さんの話、この家の構造、工法、エネルギーと自然の話、生き方の話、コルゲートパイプを通して繋がってゆく人の話、幻庵のご主人と奥さんの話、…。 
ぽんぽん繰り出される話と、 
こちらの言う事に対してのすばやい切りかえし。 
飽きない。 
そしてほんとによく笑う。 

そしてやっぱり、笑うその目の奥がときどき鋭く光る。 
幻庵のご主人を思い出す。 


最後に、この家の未来について聞いてみる。 
失礼かとも思うのだけれど、 
自分のなき後の幻案の行く先を語っていた 
幻庵のご主人を思い出すと、聞かずにはいられない。 

「ずっとこの家をこのまま残しておこうなんて考えてないよ。 
だってモノだから、いつか壊れていくものだから。伊勢神宮じゃあるまいし」 
と花子さんは笑う。 
そして、鋭い目つきに変わった花子さんは、こう付け足した。 
「カタチをこのまま残しておきたいとは思わない。ただ、こんなモノを建てて、こんな生き方をした人がいたんだ ということを残すことで、後の人になにか伝えられたらいいなと そんな風には思ってる」 

この家も、幻庵も、 
考え方、生き方 のあらわれであるように感じる。 
コルゲートパイプの家の魅力は 
そこに棲む人、つかう人自体の魅力と切り離して考えることは出来ない。 
コルゲートパイプの家は、単なる素材や構造、形態だけでは語れない、思想の家だ。 


気が付くと、ずいぶん長いこと時間が経っていた。 
「今日は楽しかったわ」 
と花子さんは笑い 
「次はみかんの時期においでんね」 
と言った。 


花子さんに別れをつげ川合邸を後にする。 

ワーゲン 
ポルシェ 
ベンツのトラック 
庭先に、綺麗に錆びて、朽ちかけている車が並ぶ。 
しっとり雨にぬれたその姿は美しい。 

朽ちかけた白いポルシェの周りには 
白い花が咲いていた。 
雨の日は色が鮮やかでこまる。 
まぶたに焼きついた その光景がいつまでも離れない。 


花子さんのみかん畑が豊かに実る頃、また訪れようと思った。 
私の家の柿畑に実るはずの柿をもいで、を手土産に持っていこうかな。