20170402

数学の演奏会 at WANDERLUST.

数学の時間に感動したことがあります。図形を用いて証明にとりくみながら「あぁ、そうか、永遠って存在するんだ!」と、ぱっと気持ちが晴れやかになった瞬間。それがどんな証明問題だったのか、あまり覚えていないのですが…あのときの気持ちは時々ふっと蘇ります。

独立数学研究者森田真生さんによる「数学の演奏会」をひらきます。

「数学の情(こころ)に直接触れられる」ような場。

「小さな私」が「大きな世界」のなかで生きることについて。
「待つ」ことの創造性について。
「情緒」について。

数学を通して考えてみませんか?
「数学を通して考える」という体験をしてみませんか?

森田真生|MASAO MORITA
1985年、東京都生まれ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。現在は京都に拠点を構え、研究活動を行う傍ら全国各地で「数学の演奏会」や「大人のための数学講座」といったライブを行っている。2015年『数学する身体』〈新潮社〉上梓。小林秀雄賞受賞。
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<日時>
2017年4月15日 14:00 – 17:00
<場所>
WANDERLUST(ワンダラスト)長野市東町146-3
<チケット>
大人  4000円
中高生 3500円
*小学生以下のお子さん同伴の場合、お子さん無料
<予約・お問合せ>
 mako.penandpaper(アットマーク)gmail.com
真子



森田真生|MASAO MORITA
1985年、東京都生まれ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。現在は京都に拠点を構え、研究活動を行う傍ら全国各地で「数学の演奏会」や「大人のための数学講座」といったライブを行っている。2015年『数学する身体』〈新潮社〉上梓。小林秀雄賞受賞。
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「音楽の世界でも、楽譜というのは情的な世界の知的表現ですが、たとえ楽譜が読めなくても演奏会を聴いたら音楽を感じることができますよね。それと同じように数学の世界にも「演奏」がありえるんじゃないかと考え、論文や数式が読めなくても、数学の情(こころ)に直接触れられる場をつくれないかと模索しています。
芸術の世界に鑑賞や評論があるのと同じように、数学の世界にも論文を書く以外にさまざまなかかわり方があるはずです。自分自身でも実験をしながら、数学的な感動の経験を知的に分かち合う方法を探っていきたいと思っています。
(WIRED記事より抜粋 原文http://wired.jp/2016/07/12/interview-masao-morita/)」
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私、真子にとって、「数学」は苦手な教科のひとつでした。
受験勉強の為にどうしても勉強しないといけないもので、役に立たないもの、そう思っていた時期があります。だけど今では、数学はエンターテイメントのひとつだな、なんて思うようになりました。森田さんの数学の演奏会に足を運ぶたびに新たな発見があり胸が高まるのです。数学って「ロマンあふれるもの」「おもしろいもの」「感動すさせてくれるもの」です。

そして、「自分の凝り固まった考え方をかきまわすもの」でもあります。数学というのは、ひょっとしたら「ものの見方」「考え方」の「方法」なのかもしれないなぁ、と思っています。疑いもしなかった常識、身の回りの世界が、「数学」というフィルターを通してみると、いままでと違った世界となって立ち上がってくるような気がしています。

音楽を聴くように、映画を観るように、数学の物語を楽しむ時間になるといいなと思っています。

さて、長野市ではじめての開催となる今回。森田さんにどんな内容になりそうか聴いてみましたところ、こんなキーワードをいただきました。


「小さな私」が「大きな世界」のなかで生きることについて。
「待つ」ことの創造性について。
そして岡潔さんのお話をしてくださるそうです。

どういうことかしら?
しかもそれを「数学」で語るって…
なんだかうまく想像ができないところが、ワクワクします。


まずは「数学の演奏会」そのものについて、「数学」と「情緒」という、おそらく遠く離れて見える二つの言葉をつなぐところから。参加者のみなさんと一緒に、わたしも考えてみたいと想います。


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これまで何度か森田さんの催しに参加してきました。いろんなスタイルのものがありました。例えば「ゆったりリラックスして聴いてたのしめる」イベント。それはまるで朗読会や落語や一人芝居を見にいく(ききにいく)ときと似た、受け身で楽しめるもの、でした。
「ユークリット言論を読み込む」という回もありました。そこでは「グループに分かれ証明問題にとりくみ、意見を言い合う。その証明について発表し、またみんなで意見を言い合う」という能動的な時間を過ごしました。なかなか難易度が高かったのですが、自分の頭を使い線を引いて考えること、なにより、「数学について人と話をしながら解いていく」という過程が面白かったです。

今回は初めてなこともあり「音楽の演奏会」を楽しむように「数学の演奏を聴いて楽しむ」リラックスした会になりそうです。
あまり身構えず、来ていただけたらうれしいです。


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あるとき古代のギリシアでは歌うように「ユークリット言論」を暗唱し、地面に図形を描きながらそれを眺めてみんなで意見を交わしていた…というような話をきいたことがあります。想像してみてください、木漏れ日の下、うたうように、おどるように、そしてお喋りに花咲く「数学をする風景」を。なんて楽しそうなんでしょう。

「なにも机の前にかじりついて一人で問題集を解き、テストの点をあげるため正答率をあげていく」だけが数学ではないようです。「学ぶことの本質的なおもしろさ」に一旦気がつくと、「勉強」は苦痛ではなく「楽しみ」に変わります。人生が豊かになるわ、と想います。

「こどもにもっと勉強させたい」って思ってる親ごさんに、お子さん連れで参加してもらえたら嬉しいなーなんて思っています。学校の先生や、先生になる人にも体験してもらいたい。

楽しくなったらラッキーなことにたぶんテストの成績もあがっていくんじゃないかしら。ちょっと無責任な言い方ですけど…。

私は今でも受験勉強や資格試験用の点をとるための勉強にはちっともそそられませんが、ちがうやり方で勉強をすることは大好きです。ちょっと話がずれますが、たとえば英語の話。TOEICやTOEFULの点をあげようって勉強してるとちっとも気が乗らないのですが、「英語という言語に向き合う」または「英語をつかったときのものの考え方の変化について」だとか「英語の起源、それぞれの言葉がどう生まれたか」「いろんな言葉を壊した人つくっちゃった人の詩のもつリズム」について夢中になって考えていたら、いつのまにか、ぐっと英語力があがりました。高校の英語のテストで10点とかとっていたわたしが、少なくとも、海外の大学院に入学して、卒業して、おまけにちょっと仕事するくらいの英語力になりました。点数のことより、英語という言語を学ぶことで、英語を母国語とする人間への理解が少し深まったり、言葉と社会について考えさせられたことが何よりの収穫です。

学ぶことの楽しさを。
もっと共有したいな。
私のおもいでもあります。

わたしの家でもあり、仕事場でもある長野WANDERLUSTで
楽しくてしかたない「数学する風景」を眺めたいな。

そんな思いで企画しました。

ご参加お待ちしています。

真子