20231021

「スケッチのすすめ」


 【スケッチのすすめ(長い文章ですが、熱いやつなので、この投稿ぜひ読んでください)】


「こどもとって魅力的な学校を伝えるドキュメンタリー映画」が、大人たちの声がメインで組み立てられていることに、「変だなおかしいな」って感じてるこどもも、いるだろうなぁと、思います。「何を大人たちは観てるんだ?どこをみてるんだ?こっち(こども)の方ちゃんと向いてよ」少なくとも、小さかった頃の私はそう思うでしょう。


”学校、教育の場、家、こどもの居場所…。こどもまわりの環境について考える場で、意見を述べ物事を決めているのは、主に大人たちであることに違和感を感じ続けています。当事者のこどもの声を聞かないまま、「こどもにとってこれがよいだろうと決めつけた物事」を押し付けるのは、いかがなものでしょうか?


その分野の専門家、権威ある人、業界や地域の有力者、声の大きい人、全て大人たちが語る「こどもにとってよいこと」を、別の大人たちが熱心にふんふんと聞き入る様子があちこちでみられます。同じくらいの熱心さで、さまざまなこども達の声にも耳をかたむける必要があります。なぜ大人たちは「大人は正しいことを全て知っていて、こどもは何もわかっていない」ように振る舞うのでしょうか、大人も度々間違えるのに!”


と憤っていたのは、こどもの頃の私です。


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小学生のころから、中学生のころくらいでしょうか、さまざまな大人のキョーイク論コソダテ論が嫌いでなりませんでした。本屋に平置きされている「天才を育てた母!」的な本を実に冷ややかな目で眺めていたのを覚えています。冷ややか…?いや、熱くぷりぷりしていました。「こんな本を書く大人には絶対なってはいけない!」と。


小さなころから抱えていた大人への不満、は大人になって心の中に燻り続けてきました。でも、ふと気がつけば、私も大人の1人です。こどもから、大人に立場が変わりました。いつまでも大人に対して不満をもって反発しているこどもの気分ではいけません。こどもたちから、冷ややかで厳しいジャッヂを下される側にきているのです!むかしの小さな私が、眉をひそめてこちらをみています。


動かねば…!という気持ちになっています。


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大人の世界を、少しでも変えていかなければなりません。こどもの声を、真摯に聴く大人たちが、あっちこっちにたくさん必要です。聴くだけでおわりではありません。ちゃんと、ひろった声を、こどもの環境づくりの決定権を持つ人に渡すところまで、または物事が決まる場まで直接持ち込まなければいけない。それが、大人になった私の責任で、そうしてやらないことには、怒れるこどもだったむかしの私が成仏しないように思います。


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大人がつくった、こどもの物語を美談にして、大人たちが悦にいるような

そういうプロジェクト/事業を行ってはいけない。

冷静に、じっと、探るような

聴くこと、観察すること、受け止めること、そういった段階(ステップ)がとても重要だと感じています。


たぶん突拍子もなく聞こえるかもしれないんですけども、怖がらずにいうと、

話を聴くこと、

スケッチをすること、

あるいは詩を書くこと

そういった行為が社会に必要だと感じているのです。


社会というとふわっとしてしまいますね、具体的には、

学校づくりの現場で、

公共施設を設計する場所で、

学校や公共施設を運営していく場で、

政策を決めていく場で、

地方自治体の一年の予算を決めていく場で

国の予算を決めていく場面で。


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ただし、残念ながら、大人になった私の声だって、ほかの大人たちに届きません。「専門家、権威ある人、業界や地域の有力者、声の大きい人」そういった存在に反感を覚えて続けてきた私は、そう言った立場から縁遠いところで、一匹狼然として飄々と暮らしてきました。そんな私の声は、ちっとも影響力がありません。こどもの頃から変わらず、「私の声は誰にも聴いてもらえない…だいじに取り扱ってもらえない…」と嘆きたくなりますが、もうそうして嘆いているばっかりではいられないのです。


スケッチジャーナリスト大角真子として、10年のソロ活動を経て、次の10年に取り組むべきだと感じている課題が目の前にごろごろあり、それらは1人では太刀打ちできなそうな課題です。協力してくれる人や、賛同してくれる人を見つけていかなければいけない。そして、経済的にも活動を持続していけるようなかたちを整えていかなくてはいけない。


私がこの10年間スケッチジャーナリストとして、あちこちを観察し、スケッチを続けてきたこと、「空想スケッチ®︎」として、1人の目の前の人の話を丁寧に聴き続けてきたこと。「スケッチジャーナル」または「スケッチドキュメンテーション」と「空想スケッチ®︎」を少しレベルアップしなければならないな…


とそのような時期に今ありまして、それで、いろんな人に相談をしはじめたのが今年2023年です。10周年の節目の年です。コンサルをうけたり、アドバイスをうけたり…企画書を提出したり、もぞもぞ、もがいています。ありったけの思いをこめた企画書をつくり、いろんな大人たちに相談をしています。私よりも、専門家で、声が大きい(大きくきいてもらえる)方や、団体の方に。そして2024年からは、徐々に声を拾い集める動きを実際にしていきたいと考えています。


(今回は、「こども」にフォーカスして書きましたが、「こども」以外にも、「無視されていると感じているだろう当事者」はあちこちにいろんな分野でいて、実際にその声は届いていないのではないか、と思っています。課題はたくさんあるのです)


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そんなわけで、私、これからは、すこし「喋る人」にもなろうと思っています。

これまでわりと「黙っている人」だったけれど、黙って1人でスケッチをしているだけは、とどかない問題に取り組んでいきたいからです。


私が何を思い、スケッチをして、スケッチを通してどのように感じているのか、そういったことを話していきたいと思っています。まずは、第1回目


2023年11月11日。

富山県の氷見市にありますHOUSEHOLDさんで話します。

(なぜ最初の場所にここを選んだのか、とかも語り出すといろいろ長くなるのでそれは割愛しますが、もう今の段階で、この場所をはじまりに選んでよかったな、と思っている次第です。)


トークイベントのテーマは「スケッチのすすめ」。軽やかなタイトルですが、かなり熱い話になるともいます。ぜひ、私のお喋りの場最初の第1回に、立ち会ってくださいませ。聞きにきてくれる方、大募集中です。