20080718

産卵







月がきれいな夜は  

ただ月がきれいだというそれだけで 
のどの奥の方をきゅうっと掴まれたように少し苦しく切なくなり 
胸がざわざわざわめいて落ち着かなくなる。 

I Love You.  
を「今夜の月は綺麗ですね」と訳した困った男(夏目漱石)のせいで 
月がきれいだね って人に言われるとドキドキしちゃうようになった困った私は 
この頃では、月がきれいに輝いているただそれだけで愛を囁かれてる気になり 
脳内には、月の光が I Love You. と変換されて私の身体に降り注ぐイメージがひろがり 
そんなこんなで、ただ一人で月を眺めるだけで以上にソワソワしている 
センチメンタル漱石病の末期患者。 



雷雨と予報されていたにも関わらず 
ひとつぶの雨もこぼれず 
月がゆらゆら輝いていた昨晩 
私は海に出ました。 
太平洋に面するロングなビーチ。 



21時。 
表浜。月明かりが明るいので懐中電灯は必要ない。海風を感じながら波打ち際を歩く。 



22時。 
海に向かってすっと真っ直ぐに伸びるタートルトラック(ウミガメの足跡)を発見する。 
ぞわっと鳥肌が立つ。 

そうか、こんなにか。こんなにきれいなのか。 
最近見たどんな絵画よりも、ダントツに美しいと思った。 
ごめん、モディリアーニ、ごめんオキーフ。 
ちょっとかなわいないよ。 

ぬらぬら輝く海面にむかってのびる足跡。 
一匹のアカウミガメが月の麓、海の懐へ帰っていったあと。 



23時。 
砂浜を歩くのはけっこう疲れる。 
ウミガメちゃんに会えないかな〜と思って歩き回っていたのだけど、疲れた。 
途中、カニの大群に出会った。名前を教えてもらったのに忘れてしまった。 



0時。 
耐え切れない眠気に襲われる。 
人肌と同じかいや少しひんやりとしているのか、なめらかな肌触りの砂に触れ 
繰り返される波音を聞き瞼を落す。 
じっとりと湿った空気なのに、風がきもちよくてそのまま少し、まどろむ。 



02時。 
もそもそ動く黒いかげに出会う。 
アカウミガメだ。 

息をひそめて近づく。 
驚かせないように、音を立てないように、姿勢を低くして、そっと。 


02時30分。 
アカウミガメはまだ砂浜に穴を掘っている。 
ぴっぴっっと器用に砂をはじく。 
一定のスピードで。 

どれほど時間がたったのかよく分からない。 
ドラマチックなことはおこらない。ただ、たんたんと、アカウミガメは穴を掘る。 
それにしても、なんてゆっくりとしているんだろう。 



アカウミガメの動きが変わった。 
上下にゆっくり身体が動いている。 
アカウミガメの息づかいが荒い。生臭い息。 

「産卵にはいったところだ」と隣にいたTさんが小さな声で囁いた。 

ウミガメの産卵シーンをテレビで見たことがある。 
テレビの画面上で、カメは涙を流しながら必死にがんばっていた。 
感動的で涙をさそう映像だった。 
でも実際は違った。いや、違わないのかも。…違って見えた。 
ウミガメが涙をながしているのか否か、私には分からなかった。見えなかった。 
「通常の、あのテレビの撮影では光を煌々とたく。カメには大きなストレスだ」 
とTさんは言った。 
光をたかずに、月明かりだけで、カメのシルエットと息遣いだけを感じた。身体を研ぎ澄まして。 



アカウミガメはまた手足を動かし始めた。 
ぴっぴっと砂をはじく。 
こんどはたまごに砂をかけて埋め戻しているのだ。 
たんたんと繰り返されるうごき、音、飛び散る砂。波の音。 

するっと素早くアカウミガメはからだの向きを変え、海を向いた。 
砂の丘をするりと滑り落ちるように進んだ。 
先ほどとは打って変わって素早い動きに戸惑いつつもその姿を目で追う。 
ペタペタパタパタ 砂浜にトラックを残しながら一直線に海へ向かう。 



そしてアカウミガメは解けるように夜の海へとかえっていった。 



空が白み始めていた。 

04時。 
アカウミガメを見送って時間を確認した。 
もうじき夜明けだ。 
砂浜をあるいて車に戻る頃には、朝焼けが見られた。 
「こんな朝焼け…きょうはこれから雨が降るね」とTさんは言った。 

04時30分。 
なんだかおなかがすいてきた。 
車に戻ったわたしは持参していたおにぎりをもちだしてもぐもぐ頬張った。 
ビーチにはサーファー達がぞくぞくと集まってきている。 
まだ夜は明けきってはいないというのに。 

05時。 
私はビーチにサヨナラを言う。 

月が新円に近づくと、すべての生き物がソワソワしだすのだそうだ。 
様々な生き物がつがい、新しいいのちが生まれるのだ。 
と、いうことは、私が月の綺麗な夜にドキドキするのは 
ロマンチスト漱石の夢見がち病にかかったから、というわけではなく 
単に、野生化した、とも言えるのかもしれない。 
そんなことを考えながら車に乗り込む。 

いや、もしかしたら、漱石はそういう意味で 
I Love You. を「月が綺麗ですね」と言ったのかもしれない。 
なんて、深読みしすぎだろうか、 
まぁ、兎にも角にも、 
海と空と砂浜と、隠れてしまった月に、砂の下の新しい命達に I Love You.だ。 

20080709

フリーペーパーの戦略とデザイン

「フリーペーパーの戦略とデザイン」というタイトルの本が 
PIEBOOKS(http://www.piebooks.com/)から出版されました。 

QUATRO〜東三河を面白くするフリーマガジン〜 
も紹介してもらえました。 

20080706

海辺の話/否定しないこと、否定できること02

焚火の数日前、ふと気になって電話をかけた。 

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか? 
あの。夜に表浜で焚火をするんですけど、その場合、どんな影響が考えられます? 
気をつけた方がいいことって何かあります?」 
Tさんは、電話口の向こうで 
「焚火!いいねぇ!」 
と少し笑った後、 
「深夜過ぎの不自然な音と光。 
…ロケット花火の音とか、波音を掻き消すような騒がしい音楽。 
車のライトを連続してつけるとか…」 
といい、こう付け加えた。 
「海辺に集まっちゃいけないとか、遊んじゃいけないとか 
そういうことを言うつもりはないし、ひとの楽しみを奪う権限なんてないからね。 
ただ、そうだねぇ、表浜全体が煌々と明るくなって騒がしくて 
それが一晩中朝まで、しかも毎晩続くっていうんなら止めに入るね。」 
と。 


                     


Tさん達は毎朝、表浜を見て回っている。 
表浜には毎年アカウミガメが上陸している。 
今は海亀の産卵シーズンだ。 
深夜過ぎから明け方浜に上陸した母亀は慎重になる。 
光や音を警戒する。 
どこもかしこも明るくて騒々しかったら上陸できない。 

「でもさ。アレしちゃいけないコレしちゃいけないって糾弾するのは 
どうもスマートなやり方じゃないよね。 
ここは保護するから立ち入るな!って 
完全に人と海を隔てることが良い方法だとは思えない。長い目で考えるととくに。 
関わり合いのなかで、どうバランスをとっていくかだと思う。 

…で、守田さんさ、もし雑誌で特集できるんなら 
禁止事項を前面に押し出して否定的に伝えるんじゃなくって、 
海辺での愉しみ方、とか海辺と関わる生活スタイルを魅せるのってどう? 
ま。バカ騒ぎするんじゃなくってさ。 
街でしているような、クラブで踊ってカラオケで歌って 
大音量で朝まで騒ぎ倒して楽しむってのを海辺に持ち込もうとしないで。 
そういうのは夜も前半で切り上げて。 
深夜過ぎたら明かりを小さくしてさ。 
音楽も小さくしてさ。 
月影や星影をたのしんで、波音に耳を傾けて… 
海辺では、そういう愉しみ方をね。 
学生とか若い人にも覚えて欲しいんだよね。 
こうまったりゆったりと時間を過ごすこと。 
この魅力でもって、変えて生きたいよね」 


                     


せっかくの素敵な提案だけど、 
どうも雑誌では当面のところ特集を組めそうに無いことを伝え、詫びつつ 
でも、私のライフワークにしたいことだから、というと 
「はっはっはっ」と笑いながら根気よく話しに付き合ってくださった。忙しい方だからと、出来るだけ短くするよう心がけながら 
その後もアレコレ聞いて意見を乞う。 

Tさん達は本当に毎日毎日、海へでているのだ。 
現場を見て感じている。 
その地道な積み重ねからうまれる言葉に私は多くの信頼を寄せている。 
100%ではないにしても 
(「99.9%は仮説」という本を読んで以来、どうも「100%正しいとは言い切れない」と考えずにはいられなくなった) 
それでも、研究室のなかからほとんど出てこない研究者や 
たまの視察だけで後は、報告書の数字を追っている人の言葉よりも 
信頼できると思う。 
なぜならそれが、 
細部ではなく全体を、頭だけではなく身体全体で、見て感じて考えてうまれた 
実感を伴う仮説だからだ。 

私がTさんにあれこれ相談しよう、聞いてみようと思う理由は 
彼が地道で真面目なリサーチャーだから、というだけではない。 
これだけ真摯に問題に向き合うTさんという人そのものにも、 
すっかり惚れ込んでしまったからだ。 
初めてお会いした日、 
Tさんはとても興味深い話をしてくれた。それは小さな講演会だった。 
砂浜という環境について、アカウミガメの生態について 
環境保護活動の現状について、表浜の実態について 
ナチュラルなグラデーションをつくる浜と、構造物、人工物について。 
特にこの「グラデーション」と「自然と人工物のバランス」について 
ほんとに想いをめぐらせていたことだから 
興味をひかれないハズはなかった。 
すっかり夢中になってふむふむと聞いていたのだけど 
話を聞きながら同時に、なんとなく人としての器の大きさをかんじて。 
この人なら私の抱えてるモヤモヤをぶつけても受け止めてくれそうだと 
思い切って、いままで抱えてた疑問をあれこれ聞いてみた。 
そしたら、全ての質問に、真面目に丁寧に応えてくれまして。 
以来、100%正しいと信用するつもりはないけれど…なんて生意気言いつつ 
「あなたはどう思いますか?」を聞いてみるのが、とても面白いのだ。 


                     



「あ。そうそう。で。焚火をするんですけど… 
深夜過ぎ〜明け方は騒ぎすぎないこと、 
花火や、大音量の音楽とか不自然な音は控えて 
まったりゆったりたのしめば…?」 
「うん。そうそう。まったりゆったり。海の音と風の音に耳を澄ませて」 
「はい。たぶん。だいじょうぶだと思います。きっと。」 
「いや、別に、一晩ぐらいいいと思うけどね。 
ただ、その行動がどんな影響を与えるのかも知った上で行動して欲しい。」 
「はい。…ところで、音も光も控えめにまったりしてたら、 
もしかしてアカウミガメに会えるかもしれないですか?」 
「かもね。まぁ、楽しんでおいでよ。…でも、雨降りそうだね。」 

  



       否定をするんじゃなくて、押し付けるんじゃなくって 

       より魅力的な提案をすることで、しぜんに人を動かせないか。 


       Tさんの提言はクリエイティブだと思った。 

       否定と批判だけじゃ何も生まれない。 

20080705

海辺の話/否定しないこと、否定できること01

Tさんという人物を知ったキッカケは一枚の写真だった。 







砂の上に描かれたタートルトラック。
産卵の為上陸した、アカウミガメの足跡。


この写真を見て、しばし放心した後、ラブコール。


なんて強い写真なんだろう。
いい写真。
フィルムがどうとか、空気感が、とか、ピンをどこに合わせてどこぼかすとか
レンズがどうとか、こうとか、そういうのじゃなくて。
ただ強い。


砂浜の上の足跡は風に流されてすぐに消えてしまう。
毎朝毎朝欠かさずに海に出ている人だからこそ撮れる写真。
そして強いメッセージをもった人だからこそ。
この写真を撮ったのはカメラを生業としているカメラマンではなく
表浜、砂浜の魅力の虜になってしまった海の男。
それがTさんだ。




(*写真は表浜ネットワークさんのもの。に、ちょこっとだけ手を加えました。 )














さて。写真について少し説明をしたいとおもう。


愛知県の太平洋岸、表浜の砂浜沿いに並んでいる
「消波ブロック」「波消しブロック」あるいは「テトラポッド」。
(テトラポッド (tetrapod)」は本来4本足のもののことだけど。
商標登録されてる「テトラポッド」という言葉の方が消波ブロックよりも聞き覚えがあるのでは?)
この消波ブロックが、産卵したいアカウミガメの行く手を阻んでいる。
進んではブロックにぶつかり向きを変え、また挑戦しては…
この母ガメは産卵することなく海へもどった。
子ガメが孵化する時期になると、
この消波ブロックに阻まれて海にたどり着けずに息絶えた 
たくさんの死骸をみつけることができるという。














ところで、太平洋を回遊するアカウミガメの産卵地が
日本の砂浜だけだと知っていますか?
日本の砂浜で孵化した赤ちゃんカメは太平洋に泳ぎ出て
まずは黒潮にのって日本沿岸部を北上し
太平洋を渡ってアメリカ西海岸へ。その後南下。
ぐるっと太平洋を一一周する。
大きく育ったアカウミガメは自分の産まれた日本の海岸へ戻ってきて
砂浜に上陸し、産卵をする。
もし、日本の海岸の環境がアカウミガメの産卵を拒んだら
地球上のアカウミガメが命を繋ぐことはほぼ不可能になる。
ある種の生き物が完全に地球上からいなくなるかもしれない。
日本の海岸の責任は重大だ。
それを踏まえた上で、日本の沿岸部を眺める。
私はどうにも疑問を持たずにはいられない。
果たしてその消波ブロックは本当に私達にとって必要なものなんだろうか?


日本では海岸を大開発していた時期があるようだ。バブリーな時代。
あちこちの海岸が美しく整備された。商業施設、遊園地、ホテル、オフィスビル…
大学の建築学科では
「卒業設計のテーマーに“ウォーターフロント”を選んでおけばまず間違いない」
と言われていた時代。
その時代に計画されて、最近できあがった施設もいくつか思い浮かぶ。
時代においてけぼりにされて、採算があわなくて悲鳴をあげているあのエリア、あのテーマパーク…
キラキラ輝く灯りは、観覧車は、道は、巨大な娯楽施設は
ひとつの種類の生き物を根絶やしにしてまでも
するべき必要な開発なのだろうかか?




何もアカウミガメが特別かわいいから言っているのではない。
アカウミガメは、分かりやすく説明するためのひとつのアイコン過ぎない。
















今、消波ブロックの存在意義が揺らいでいる。


そもそも、消波ブロックは自然の驚異へ備えるためにつくられた。
防災効果を期待されてのことだ。
伊勢湾台風の記憶ののこる人も多いこのエリア
台風等自による水の災害への恐怖に慄きながら暮らしたくは無い。
では、私達が安心して暮らすためには
消波ブロックは必要不可欠なのか?




不思議な景色がある。
愛知県と静岡県の県境の海岸だ。(しまった!この写真も貰っとけばよかった)
消波ブロックは愛知県側にのみ存在する。ブロックの列は県境でぷっつりと途切れているのだ。


表浜海岸は、西は伊良湖岬から東は浜名湖今切口までの海岸までつづく
一続きの白い砂浜なのに…
http://www.omotehama.org/omotehamanw/contents/omotehamakaigan/index.html
西は危険だから消波ブロックが置いてある?東は安全だから置いてない?
砂浜は、海底は、この県境でぷっつり分かれ別の性質を持っているの?
ザラリとした違和感を感じる。


そんな景色になった一番の理由は、海岸整備の管轄が違うから。
日本は国中の海岸を一斉に消波ブロックで埋め尽くそうとした時期があった。
愛知県はその方針に乗り、静岡県は(表浜周辺では)乗らなかった。
考え方の違いかもしれない、経済的な事情かもしれない、何か黒い事情があるかもしれない
消波ブロックに守られた愛知県民は幸せで、
危険に晒されている静岡県民(表浜周辺の)は不運なのだと言い切ることができるのか?
消波ブロックは絶対に必要なのか?


水害や水難事故の減少にどの程度役立ったのだろうか?
調べれば、愛知県はデータを持っているかもしれない。
(たぶん持っているはず。でなきゃそんな整備おかしい。)
でも、そのデータはどのようにして取られたものだろうか?
誰が書いた報告書なのか?どの程度、信頼したらいいのか?


そう考えたとき、
必ず毎日
毎日欠かさず海へ出ている表浜ネットワークさんは際立つ。
その報告書には重みがある、と私は思う。
もっともっと何年も続けていけばなおさらだ。
利益も絡んでいないはず。(だと思う。この辺見抜く自信は、まだない。)
100%正しいんじゃないとしても(笑)表浜に関しては
いちばん信用のおける情報じゃないだろうか。














さて、その表浜ネットワークさんは、消波ブロックの危険性を訴え
存在意義を問いかけている。
1 砂浜の減少、喪失
2 生態系の崩壊
の二点。この原因に消波ブロックがあるのではないか。
ということだ。(仮定ね。)


今、日本の砂浜の面積が年々小さくなってきている。
このままでは消えちゃうかもしれない。
これは消波ブロックが、砂を運ぶ海の力を弱めてしまったからじゃないのか。


確かに消波ブロックは波を小さく弱くさせた。
しかしそのことで、弊害が生じている。
これが表浜ネットワークさんの意見だ。
http://www.omotehama.org/omotehamanw/contents/coast/index.html


消波ブロックの業者さんは、消波ブロックこそが砂浜の交代を食い止めていると言っている。
ウィキペディアの意見は、消波ブロック協会寄りのようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF




生態系について。
Tさんは海と陸をつなぐ、あいまいな領域、砂浜のグラデーションについて説明してくれた。
背が低く砂浜最前線に這う弘法麦から、照葉樹林まで
植物はなめらかなグラデーションをつくる。
草木はその根で砂や土をしっかりと支える。
砂浜はゆるやかに傾斜し、波の勢いを弱める。
詳細はこちらの図で
http://www.omotehama.org/pdf/omotehamacoast.pdf


このグラデーションのなかに、構造物が挿入されている。
コンクリートの塊である消波ブロックは植物のグラデーションをぷっつり分ける。
はしょるけど結果、地形にも影響を与える。
もともとなめらかな斜面だった地面には、階段状になる。
大きな段ができる。
フラットな地面では勢いを殺されずに水はすすみ、
ブロックと地形の段差の部分で大きなインパクトを生む。
植物のグラデーションは崩れた。地面のグラデーションもだ。
するとそこに生きる昆虫や動物などにも影響を与える。
アカウミガメにも。


自然界で重要なのは、バランスとグラデーションだという。
数々の生物は相互に影響を及ぼし合いながら、非常に微妙なバランスを保っている。
その全体を考えて手を出すべきだ、というのだ。
その繋がりや流れを断ち切るような消波ブロックは撤去すべきだと。


一方消波ブロック協会は、「バランス」や「つながり」ではなく
それぞれの生物に注目している。
消波ブロックという人工物を自然界に挿入することで、海は豊かになると考えているようだ。
http://www.shouha.jp/


さて、どちらの意見が正しいのか。
その判断はとても難しい。












さて、
行政は、「過ちをおこした」とは、容易には認めない。(…傾向にあるといわれている。)
ちょっと想像してみればいい
巨額の税金を使っての公共事業。
「やってみました、失敗でした。間違ってました」なんてそう簡単に言えるわけが無い。
信用問題に関わる。


消波ブロックを積み上げる。
それが、県民の為だと信じての行為だった筈だ。
自分に置き換えて想像してみればいい。
自分が信じて、何かの役に立つとがんばってきたことが
マイナスに作用していたと。間違っていたと、言われたら。
「あ。ほんとだ。わたし、まちがってたわ。今まで頑張ってこと、ぜーんぶ間違い」
って、すぐに納得できるはずがない。
自分の信じてきたもの、が、崩れるのだ。


自分が母だと信じてきた人が実は男だった。信じて乙女な相談もしてきた。違った。
そりゃ大変だ。でしょ?まずは混乱する。
その上、自分がよかれと思って「お母さん」と呼んでいたことで
その母(父?)を苦しめていたとしたら…
うーーん。ショックだ。知らず知らずのうちに誰かを苦しめていた。


そう、「間違いを認める」って難しい。
だから「消波ブロック肯定派」「消波ブロック否定派」の二派があった場合
最初から「消波ブロック肯定派」の方が優位なのだ。
だって、もう、実際、消波ブロックは、そこに、ある。






今まで自分が信じ続けてきたものが間違いだと分かったとき


もしくは、間違いかもしれないという疑惑がわいたとき


過去の自分を否定できる強さを持って欲しい。


君に。これからの、若い子たちに。






正しいこと、と、間違ってることは、ひっくりかえることがある。


真実は絶対じゃないし、ひとつでもない。




もしそんな場面に出くわしたら


自分が信じ続けてきたことも、じぶんの努力も全て


否定できること。それが大切。




Tさんの言葉は重くまっすぐ落ちてくる。
























2006年春。
豊橋市は、一部の消波ブロックの撤去に踏み切った。
撤去にかかった費用、およそ600万円。
豊橋市民による行政への信頼は落ちたか?
いや、その逆。


消波ブロックはまだたくさん残っている。
表浜にも。日本じゅうの海岸にも。






否定しないこと。否定できること。
そんな柔らかさと、強さを兼ね備えた人になりたいと、思う。
というか、ならなきゃ、いかん。だろう。
「自然環境に手を加え、人工物をつくる人」になって、作る側にまわるんだから。




否定しないこと。否定できること。