20070609

フリーマガジンQUATRO との出会い

0円で手に入る雑誌 
フリーペーパー、フリーマガジンの類には 
正直あまり期待をしていない。 

発行初期の頃こそ面白かったりするのだけれども、 
刊行回数を重ねるごとに 
「広告」の色が濃くなってくる。 
アツイなぁと思っていたフリーペーパーが 
いつのまにか「生討論 学生のイマ」というような感じのコーナーで 
「携帯はド○モが一番」なんてことを言い出したときには興ざめした。 
座談会に参加している現役大学生達が 
某携帯会社が他社に比べて何が良いか口々に話していくのだ。 
おいおい。 
フリーペーパーのスポンサーに 
記事の内容までいじられてしまう。 
スポンサーに食われてしまっている。 

0円でやっていくのはむずかしいことなんだろうなー 
大変なんだろーな となんとなく思う。 
大変なんだろうけれど 
広告色が濃くなり 
特徴やメッセージ性が薄れたペーパーは 
0円だとしても食指が動かない。 

とは言うものの一応いろいろ目を通してみる。 
スポンサーにおどらされているようなフリーペーパーでも 
なにかおもしろい情報が落ちてたりする。 
フリーペーパーはローカルなものが多いから 
ひょっこり見つけたおもしろい記事が身近なものだったりもする。 

豊橋に戻ってみれば 
名古屋ほどフリーマガジン、ペーパーが多くはないので 
手当たり次第一通り、分かる限り全てをチェックすることができる。 
そのほとんどが、特集ページと 
飲食店を中心としたショップの紹介に 
読者からのお便りをつかったページで構成されている。 
飲食店、美容、習い事…。 
ターゲットはお金を自分で使える大人の女性 
それも20代から中年まで幅広くといった感じだろうか。 
若い子向けのセレクトショップから 
おばさま向けのお洋服、アンチエイジングにカルチャー教室。 
豊橋はお店の絶対数も名古屋ほど多くはないので 
紹介されるお店もかぶってくる。 
4月から毎月見ていれば、そろそろ見覚えのあるお店ばかりだ。 
ショップ紹介にも飽きてくる。 

さて、長々とフリーマガジンの説明をしてきた理由はひとつ。 



そんな豊橋にて 

そんな数少ないフリーペーパー、フリーマガジンに 

あまり期待もせず次々と手を伸ばしていたら 



出会ってしまいました。 

ちょっとイイ感じの0円に。 



『QUATRO 
−東三河をもっと面白くするメンズライクなフリーマガジン』 


まず、数々の地元情報誌が女性向けなのに対し、これは男性をターゲットにしているのが第一の特徴。かな。さてさて。 

実ははじめて出会ったのは二ヶ月前なんだけれども。 
一回見ただけじゃぁなんとも言えないなと 
この雑誌の二冊目を心待ちにしていたんです。 
とはいえ、「おもしろ。次も読みたい。」 
って思わせてくれるフリーマガジンに出会ったのは久しぶり。 

二冊目。 
表紙。 
「そろそろ秋モード」と小さな文字のはいった表紙は秋色。 
ジャングルをおもわせる、うっそうと茂る植物に埋もれるようにして男が一人立っている。 
ゴツイシルバーの指輪をはめて 
デカイ凝ったメガネをかけたドレッド頭でひげづらの、 
おにぃさん。 
問題は次。 
そのうしろに少しだけみえる 

赤褐色のハニカム 

見覚えがある。全貌は見えないけど、間違いない、私がハマッテしまった建築、コルゲートパイプでできた家、川合邸だ。 

ものすごくドキドキしてソワソワしてページをめくる。 
目次ページの背景の写真 
表紙の男がカッコつけて座っている。 
それはどうだっていい。 
男の左にはベンツ社のトラック。 
右手には白いポルシェ。 
いずれも所々赤く錆び落ちている。 
かっこいい… 

「あ わぁ」 
公衆の面前で間抜けな声をあげてしまう。 

コレ、川合邸だぁ 


小さな文字で添えてある COVER STORY には 
「撮影場所はどこかって?個人住宅なので秘密です…。(中略)屋久杉を見て生命力を感じるように、ここには原始の強さを感じます。自然と共存する、というかどのように付き合っていくのが幸せか。『スローライフな暮らしがしたいね』なんて言っている全ての人のヒントがここあります」 

か、川合邸でしょ??? 
と、まぁ、私の興奮っぷりをお見せしたいくらい 
すごく興奮しています。 



この興奮をどう抑えようか、悩ましいところです。 
このフリーマガジンとの出会いにドキドキしてしまって寝られそうにありません。

20070608

水越武





畏敬 おそれうやまうこと 


自然環境破壊問題が一般常識として浸透しつつある昨今、 
「うんそうだね。自然を大切にしよう。」と簡単に口に出す人の中には、どうも、自然を単純に「癒し」の対象としてしか捉えていない人が多くいるように思う。 

自然環境とは、やさしく、あたたかく、大きなもので、私達を包んでくれるもの?私達に安らぎを与えてくれる為だけのもの?それはちょっと甘いんじゃないだろうか。 
自然はとても厳しいものだ。厳しくて、時にとてもしんどくて、全てのものがなんかもう必死なんです(うまくいえない)。強い強い命の力。だからこそ、美しいし、たまらなく魅力的。そして時にたのしく、かわいらしく、愛おしい。もちろん癒してもくれる。 

自然に癒しだけを求めて、街を捨てて森で生きる、なんてユメ物語だと思う。自然環境も、ひとのつくってきたものも、バカにしちゃぁいけない。厳しい環境の中を生き抜くために、人はシェルターをつくり、そこに棲みはじめたのだろうと思っている。建物も、街も、そもそも”生き抜く”ための必死な人間の知恵だったはず。自然環境も、ひとのつくってきた環境も、どちらも真剣勝負。 

よく耳にする「環境保護」「地球を守ろう」という言葉。 
引っかかりませんか? 
人間が「地球を保護しよう」だなんて、おこがましい。 
地球に生かされているのに。 
自分は地球の一部なんだよ。 


地球に足をついて仕事する人 
地球で遊ぶことのできる人 
そんな人同士で、わりとよくこんな話をする。 
まぁ、なんのことはない、とりとめのない話だ。 
なんのかんの言ったって、 
そんな自然の世界につなっがているのが好きだ というだけの私達。 

それで、そうやって自然の中に居る人は 
命懸けの正念場にでくわしたり、 
命の交代するシーンを目にしたりして、 
自然の厳しさなんかを知ると同時に 
どうしようもない愛情が沸きあがってきちゃったりするもの。 
単純に「好き」というのとはちょっと違う。 
畏敬の念。 

おそれうやまう気持ち。 


そんな気持ちをおもい起こさせてくれる人の一人が 
水越さん。 
高校時代、私の所属していた山岳部の先輩にあたる。 
大先輩だ。彼は写真家として自然の写真を撮り続けている。 

初めて彼の写真を見たとき、私は高校生だったのだが、正直に言うと「キレイ」とは思わなかった。世の中にもっとキレイで、(すてきな色や構図で)、人をひきつける魅力的な風景写真はたくさんあると思った。我ながら嫌な後輩だ。 

水越さんの写真は、泥臭いかんじがする。垢抜けない。カッコイイ、綺麗な自然ではなくて。もっとこう、生々しいかんじ。 



ところで、高校山岳部の同窓会(?)なるものが、実にマメに活動をしているのです。月に一回届く”山の会通信”では、誰かがなにかコトをおこすたびに、それを取り上げて、応援している。「○○が自費出版で本を出した、みなさん読みましょう」とか「○○が個展をひらくようなので、ちかくの方はぜひ行きましょう」とか。どんな小さなことでも。 

そして今月の通信で、私は、水越さんがTVに取り上げられることを知った。今日はその放映日だった。「すごいねぇ。こんなちゃんと長い時間取り上げられるなんてねぇ。途中たいへんだったかもしれないし、今も大変かもしれないけど、でも、こう、ずっとすきなことを貫いてきたっていうのはすごい、つよいなぁ…」としゃべりつづける母と一緒に見た。 

水越さんは「僕は風景をとっているんじゃない」と言っていた。森の中で「今、僕は森を風景としては捉えていない。風景ではなく森を撮っている」と。少しわかりづらかったけど、彼の写真は「森という命」を被写体としているようだ。「生態系ごと森をとらえる写真家」と紹介されていた。 


そうか。野暮ったくて、泥臭くて、どこかぐちゃぐちゃっとした水越さんの写真は、でも生々しい命がつまっているんだな。 

「必死にみんな生きている。この世界どんどん減ってきている。なくなる前に僕は記録として残しておく」やさしい口調だったけれど、強い意思を感じた。 

何かを忘れそうになったら、水越さんの写真を見ようと思った。 



そんな水越さんの写真展が7月1日まで東京の写真美術館で開かれています。 

こんな長い日記をかいておいて、結局宣伝でした(笑) 
読んでくださった方、ありがとう。 
いちお、後輩として。 
尊敬できる考え方の持ち主である先輩の、 
最大の(!?)写真展ですから。 
もしよかったら一度行ってみて下さい。黙々と撮り続けた40年の中から選びぬかれた写真だそうです。よ。 

写真展 http://mizukoshi.manipicture.com/exhibition/ 
写真美術館 http://www.syabi.com/details/daichi.html 

*日記に添えてある写真は、水越さんの一番新しい写真集の表紙です。どうぞよろしく