20191123

壁画制作現場より 2019年の100日記

壁画制作それ自体は、いたって順調(過去最高にいい感じにいい調子)なのだが、どうにもこうにも、建築工事現場のスケジュールが乱れていて、かき回され、ちょっと疲弊する。大工さん達は、話してみると感じの良い人が多く、お茶休憩ついでに、どうして今回遅れているのかしら、と素直な疑問を口にしてみた。というのもその前に、大工さんが「普段は絶対、雨の日の外作業なんてやらせないんだけどなぁ。今回もう時間ないからなぁ…。普段はこんなキツイスケジュールにならないんだけどなぁ…。」と


そもそも11月1日から10日間ほど壁画制作に入る予定で準備をしていたのが、大幅に遅れて11月18日からに予定変更。(この時点でまず色々な調整をやり直さなきゃいけない。11月前半、北海道行きか東京かで、北海道行きを諦めたのに…と根に持っている・笑)


11月19日に東京入りしたものの、壁画に着手できる状況ではなかった。(私が絵を描く予定の壁には木の腰壁が回っている。その辺りの工事をしていた。)20日夜の段階で、まだ木の工事の作業が終わっておらず、翌日塗装作業するという。その間私は待ちぼうけ?それでは困ってしまうわぁ。大工さんとお話してみたところ、結果「まず先に壁画を描かせてもらい、絵が完成した後で大工さんに壁の現場を引き渡し、木の塗装に入ってもらう」ことで話が落ち着いた。私は、最初の想定より1日早く絵を描きあげなければならない。

そもそも開始日もだいぶ押している。当初10日間と考えていた作業日は正味、5日間とずいぶん短縮された。1日の作業量を増やし、制作ペースをあげねばならない。とはいえ、当初の構想全てを半分の日程でこなすのはちょっと無理がある。もう一度改めて来て、仕上げ作業したいところなんだけども。でもでも、お店のオープン時に未完の絵じゃカッコつかいないから、できるだけ頑張る。ちょっと焦るのを、手と筆に伝えないようにして作業する。


大工さん達いい人で、私が壁画作業をしやすいように、足場を整えてくださった。ササッと、仮の支柱を入れてくれ足場を作ってくれた…えぇっと「脚立で三段分くらいの高さのところを、横移動できる」ようになった。いちいち脚立を登り降りしなくていいから、私の作業がスッゴい早くなる。「二本の脚立の間に足場板をかける」という方法と似てるけど、「床からキッチリ木で組んで支えられている」足場、安定感が全然違う。とても助かる。「こっちの方が、作業しやすいだろう」と言ってくれた。自分の分の木の工事もある中、私に足場のために時間を割いてくれた。感謝感謝である。でもそのおかげで私は作業を早く進めることができ、現場をまた大工さんにお渡しできる。チームワーク感!


作業スピードをアップさせるための工夫ができ、壁画と木の塗装の工程順番を変更してくれる臨機応変さもある大工さん達が、こんなにも工事遅れているのはなぜだろう?「普段はこんな事態にならない。」と言っていた。大工さん達の働きっぷりを横目に見てると、たしかにそうだろうなぁ…と思う。「今日は雨の中みんなに無理させちゃった、明日は日曜、作業はお休み。」というスタンスも良いなぁと思って横で、聞いていた。ストレスや疲れをため過ぎちゃいい仕事できないし、それに危ない。


大工さん集団の帰られた後でも、まだ別の業者さんが作業していた。「おいおいおいおい、コレすごい難しいじゃないか!」「こりゃ11時12時じゃキカナイゾ」という切迫つまった会話が聞こえる。深夜12時を超えそうな見込みだそうだ。。それはツライなぁ。と気持ちが持っていかれて、私の壁画の手も止まる。ピリピリ感増してきていて、じわじわと私にも伝わってくる。叱る声も、急かす声も聞こえる中で、時折優しい声で「大丈夫か、気をつけろよ、よしオッケー」と言う声が聞こえるとホッとする。雨の中、濡れながらの寒い屋外作業で夜まで…本当にお疲れ様です。


誰かを告発したくて書いているわけではない。誰かに怒っているわけでもない(誰に怒ったらいいか分からないし、怒っている時間とエネルギーの余裕がない。)ただ、
働き方改革が謳われる昨今で、下請けの下請けの末端の方で手を動かす人達は、結構キビシイ状況でまだ働いているということを、ちょっと書いておきたかったのだ。私は、下請けのつもりはないけれど、でも、こう、制作現場のリレーの最後のバトンを渡されるという意味で、末端だ。いろんなしわ寄せが一気にやってくる。(ある駅の壁画制作は、建築工事が押しに押して、私が作業に入れたのはオープン前日の深夜だった。)

なぜ、こんなにも工事が遅れるのか?というのは、本当に疑問で、ぜひとも解明して、そういうことが起こらないように、できる手立を考え、何かした方がいいと本当に心から思う。雨の屋外深夜の突貫作業も、やっぱり危ないと思う。働き方改革は、指示系統の末端まで、行き渡るといいなぁ


もし、作業日程に余裕があったら、東京の友人のおうちや、シェアハウスに滞在させてもらう案いいなぁ…でも今の感じだと移動時間も惜しいなぁ、作業時間に充てないと…。それに遅くに訪ねても困らせちゃうかなぁ。と、味気ないホテル暮らし、今夜はまさかの漫画喫茶泊。学生か?

20191122

Painting baby leafs。ベビーリーフ。 2019年の100日記,



painting in progress by makopenandpaper
制作途中風景

ガラスの口広小瓶(メイソンジャー)緑の植物にょきにょきにょきっと生えてくる。

幼いレタスの葉がむくっと頭をもたげた横に、くるくるっっとクレソンのベビーが踊りながら飛び出して。芽生えた命のエネルギーを、あますことなく身体に宿し、光に手を伸ばすようにくねる、踊るような葉っぱたち。 ‬

美味しいよ。「Farmers' Smoothie(ファーマーズ・スムージー)」

makopenandpaperの壁画制作 

20191118

喫茶レストラン「丘」の、スクラップブック。2019年の100日記

もし、愛知県民岡崎市の、東岡崎駅まわりのルポタージュを書くことになったら、そういう依頼が来たライターさんに、私は、喫茶レストラン「丘」でコーヒーを飲むことをオススメする。ギラギラ内装で有名なお店だが、意外なほど落ち着く空間で(ほんとだよ!)、実は本棚が渋くて、いい。店主さんのスクラップブックの数々は一見の価値あり。





岡崎のゆるキャラ、オカザえもん、についてのスクラップブックは何冊にも渡る!オカザえもん、に関する新聞記事や、町の広報誌、イベントのチラシ、市長さんのオカザえもん評(時系列で内容がかわる)と、様々な媒体を渡った資料が、時系列に揃えてくれてある。市長さんとオカザえもんが対立したひと騒動、などの出来事も。様々な媒体の記事を横断することで、いろんな目線でオカザえもんを追いかけていくと、物語が立体的に浮かびあがってくるようでワクワクする。


さて、私は、岡崎市の都市整備計画についての調べ物の町歩きをするために岡崎に来た。と、そう店主さんとお喋りしたら、「それならほら、これを」と次から次へとファイルを出してきてくれた。乙川リバーフロント地区の整備計画。橋の耐震改修、その予算など書かれた新聞記事の切り抜き。の小学生向けのコンクール、リバーフロントの未来の使い方を提案する絵の受賞作品のいくつか。まちづくりワークショップお知らせチラシ。プロジェクトに反対するチラシまで。構想、計画、推進派、反対派、行政の動き、民間の動き、大学の先生達や学生の動き、コンサルの方の提案と子ども達の提案。ファイルのページをザザザザザーーっと斜め読みしていくと、違う視線がいっしょくたに、時間の軸に絡みついて脳内に入り込んでくる。2014年間からの6年間に渡る資料。サッと目を通しただけでも壮大な物語を読んだ気分だ。(大河ドラマを一年分見たような満足感)。実に、面白い。
丘さんにお礼を言って町に出た。
先程のスクラップブックの情報が頭の中に詰まっておる状態での町歩きだと、それまでとはまた違った風景が見えてくる。1人でぷらっと歩いて、お店に入り、それぞれの店主さんと挨拶をして、隣の席のお客さんとお喋りをしたりして。(岡崎の町にはフレンドリーな人が多い!話しかけてくれる方がたくさんいて、あたたかいきもちになる。)
肌感覚とお喋り情報と、何層にも重なっていくまちの情報。それから、市役所の方からいただいた整備計画の資料に再度目を落とす。ドライに見えていた地図の向こうに、色鮮やかなドラマの数々が透けてみえるような…。
面白いな。面白いね。面白い。「情報処理」という作業から得られるワクワク感と面白さ、AIに全部取らせちゃうにはもったいないよね。せっかくこんなに楽しいのに!
ギラギラ楽しい喫茶店での、スクラップブック読書(読書?)と、町歩きのススメでした。 
パワフルな店内に感動ー。リーズナブルでボリュームある喫茶店ごはんも嬉しい。看板メニューのエッグカレー、美味しくいただきました。おなかいっぱい!ごちそうさまでした!




*「丘」について知ったのは数年前…「あいちトリエンナーレ2013」スタッフ同士として知り合った、大竹敏之さんがお話ししてくださったのがはじまり。大竹さんは地元愛知への愛溢れるライターさん。名古屋の喫茶店や居酒屋のことならこの人!という方。(2枚目の写真「名古屋の喫茶店」は大竹さんの著書) 数年間があいてしまいましたが、ようやく来ることができましたよーー!

20191111

パオ 2019年の100日記



11月第1週目。
よく移動した1週間でした。パオとの蜜月ハニームーン。見てくださいこの冒険感、ワクワク感、旅人感、WANDERLUST(放浪癖)感。

まるで旅のトランクを大きくして、中に乗り込んで、ハンドル差し込んだみたいな感じ!

キャンバストップになっていて、天窓があくの。これが最高に気持ちいよくて。空が見え、光が落ち風がふくと、ほんと、頭がふわっと軽くなる感じがします。それまで考え事や悩み事や問題解決の方法などで頭を悩ませて重ーくなっていても、天井あいた車でドライブしたら、スコーーンと一旦頭がリセットされます。「あぁ脳天気(能天気)」とよく口に出しています。

能天気という言葉が好きになりました。(ネガティブな言葉だと思っていたし、そう使われがちだけど)脳内が晴れるような実感を経験した今は、「能天気」という言葉にとてもいい印象を持っています。頭(脳みそ)の上に、よいお天気の空が広がると、頭の中まで晴れていくような気がします。ぱぁぁっと明るい気持ちになります。寒くなるまで、(まだ寒くない!)は、このまま、空を感じながらドライブしたい。

「問わず語り」のお稽古 2019年の100日記,

【「問わず語り」のお稽古】

または《私、真子の「空想スケッチ」の聞く力をアップする為のトレーニング》


「初対面の人の話を聞いて、その人が思い描く夢やイメージなどを絵に書き出します」という「空想スケッチ」という絵のサービスをしています。細々と続け5年ほどになります。来年2020年は、この「空想スケッチ」に磨きをかけて、グンとレベルアップさせたいと思っています。参加してくれた方、依頼してくれた方が、より高い満足感を得てくれるようにしたい…ということもあり、「話をきく」トレーニングをしてきました。これが実におもしろい体験でしたので、紹介させてください。


大学の先輩の紹介で「聞く」お稽古の場に行ってきました。そこには10人ほどが集まり、講師の方も一緒に輪になって、「問わず語り」と呼ばれている手法のお稽古をしていました。心理カウンセラーさんによるミニカウンセリングの手法をベースにしているようです。

2人でペアになり、1人が話し手、もう1人は聞き手に徹します。15分間と時間を区切り、その間は「聞き手の時間を話し手にプレゼント」するイメージで、ただただ耳を傾けます。そして15分経ったら交代。(役割を交代するというのも、とても重要で有効なことだなー!いい仕組みだ!とウンウンウンウンうなづいていました。)

話の内容に分からないことがあっても、聞き返してはいけません。それは相手の流れを止めるからです。ウンウン、など相槌もダメです。ウンの言葉ひとつでも、肯定だけでなく、疑問、否定の意味も表現されてしまうからです。分かるーなっとくするーという時は「ウンウンウンウン」と素早く何度もうなづきたくなるし、ちょっと納得できないときは「うーーーん?」ってイントネーションが変わってしまう。それだけでも話し手は敏感に察知し、話そうとした言葉を引っ込めてしまうかもしれない。聞く側は、とにかく話し手が萎縮することないように、ただただ受け止めるのです。(ただし内容があまりに聞くに耐えない場合は途中で辞めたいと、聞き手側から申し出ることもあるそうです。)

話を聞いた後で、文字起こしをして、お話の内容を丁寧に辿り、分析をするところまでで、一区切りです。

初対面の人の話を徹底的に聞く、聞き込んで分析をする、という滅多にない不思議な経験です。

たった一回、少し体験しただけですが、想像していたよりも「いいもの」でした。カウンセリングの手法ということに納得。全く初対面の人同士だとしても、「15分という時間を贈り合う」行為により、どちらも心が休まりそう、です。聞き手に無理がかかりすぎないところも、実践的でいいなぁと思いました。



「問わず語り」のお稽古を、具体的に私の空想スケッチに生かすとしたら、やはり聞く時の私の姿勢。いつもは、質疑応答の中から相手の想い出を聞き出そうとして、ついつい質問ぜめにしがちです。次のレベルアップ版空想スケッチでは、今より少し、余裕を持った聞き取り時間を設けたいなと思います。「相手/話し手/依頼者が自分で自分の言葉を探す間」を待つようにしたら、もう一段深いところまで、心の中のイメージを探しにいけるような気がします。それは結果的に、より具体的な絵を描くことにつながるだけでなく。話した側も、話を聞いてもらえたことで、少しあたたかい気持ちを感じることができるかもしれない。



 「私の話を聞いてもらえた」と感じることって、日常生活でほとんどナイなぁ…と感じているのですが、みなさんはいかがですか?話をする前に、目の前の人に遮られ、聞いてもらえないだけじゃなく、押し付けられたイメージを元にダメ出しをされる…。世の中そんなもの、と受け流しているつもりでも、あまりに回数を重ねていくと、気づかないうちに心がくたくたに疲弊してしまいます。

「あぁ、今、わたしの話を聞いてくれているなぁ」と実感することができた時に、「あぁそうか、聞いてもらえるっていうことは、存在を認めてもらえると感じることなんだ」と心がふっと温かくなりますた。そんな経験をしたことが私にはあります。同時に「聞いてもらえなくても気にしないなんて、これまで強がっていただけなんだわ。ずいぶん傷ができてしまっていたわ。」とも気がつきました。

話を聞いてもらい、私も聞く、という心の一部の交換ができた方とは、長くご縁の続く大切な友人となっています。あたたかい貴重な聞き合う交流は人生の節目ふしめにちょこちょこあらわれます。有難いことです。

「話を聞いてくれる人=存在をそのまま認めてくれる人」は私も大事にしたい。その人の話を私も、丁寧に聞けるようになりたい。との想いがキッカケで「聞く」または「聴く」ということは、私にとっての一つの大きなテーマになりました。「聞く」っていったいどうしたらいいのだろう?どうしたら丁寧に話を聞けるのか、または、相手に「話を聞いてもらえた」と安心感を持ってもらう為の聞き方って何だろう?

初対面の方から、その人が想像している風景について聞き出して絵に描く
「 #makopenandpaperの空想スケッチ 」の脱皮にむけて 。

初対面のその場かぎりの人だとしても、少しの時間、心ひらいてお話する時間が持てることで、救われることもあるだろうな。と思うわけです。
今後のお付き合いのない方や、事情を知らない方の方が気楽な場合もあるかもしれない。

「空想スケッチ」を通して私が贈ることができるものは「絵」とともに「話を聞く時間」。「話を聞いてもらえた=否定されず受け止めてもらった」というあたたかい体験かもしれません。

そういう、ほんのちょっとの時間をね、贈りたいなと、思うわけです。

20191103

八ヶ岳倶楽部 2019年の100日記



八ヶ岳倶楽部、前回訪問時に描いて手渡してきたスケッチが、玄関口で出迎えてくれた。飾っていてくれたなんて、とても嬉しい。


「八ヶ岳デイズ」という雑誌の連載で、柳生博さんの書かれるエッセイに絵を描いています。というお仕事をさせてもらっています。