20191225

紫キャベツと柿のサラダ 2019年の100日記

檸檬汁に漬けて赤味が増した紫キャベツと柿のサラダ。初めての組み合わせ(残っていた食材を合わせてみた。)色がとっても綺麗でテンション上がり、美味しくてまた感動。クリスマスに作ったお料理の一品です。




我が家、ツノハウスにサンタクロース(三択ロース)がやって来ました。パズルのようなクイズのような手紙が届き…「一本線を付け加えなさい…」と言った具合で、ちょこっと頭を使わせるサンタです。

2019年12月25日 家での二人の時間がこの上なく楽しい。

20191220

料理の盛りつけと、絵と、デザイン。 2019年の100日記

【料理の盛りつけと、絵と、デザイン。】
「あぁ、料理の盛りつけも、絵を描くの時と基本同じね!なるほどそりゃそうか!だって相手は人だもの!」と、テンションが上がっています。

「盛りつけの発想と組み立て ーデザインから考えるお皿の中の視覚効果」という本が、キッカケです。最高に面白い気づきをくれて、今、私、目がキラーーンとしています。

レシピを探して、図書館のお料理コーナーの本棚を眺めていたら見つけました。料理本に書かれていることですが、私が大学生院生のころ勉強した「デザインの基礎」と重なる内容だったのです。

「盛りつけの発想と組み立て」のお料理本は、基礎造形理論の流れに沿って展開されています。「点」「線」「面」さらに「立体」「色」「空間」と続きます。レシピ本の最終ページは色相環でしめくくられています。

19世紀初頭、バウハウスで教鞭をとっていたカンデンスキーが提唱した基礎造形理論がベースにあります。基本の要素を「点」「線」「面」に分けて検証し構成の再構築を促したカンデンスキー。構成要素の大きさ、位置、方向性、組み合わせ方などにより、それを見た人に与える心理的効果が変わります。安定感、あるいは緊張感、躍動感はたまた静寂…。
2019年の今となっては、古い理論、または、あまりに基礎的…と感じる方もいるかもしれませんが、いやいやこれがどうして、じゅうぶんじゅうぶん今も、とても参考になります。そして、じゅんぶん面白い課題です。面白い、というのは、追求しがいがある、という意味です。

私の絵の話をすると、「一色のペンの線画、何色かの水彩の色を落とす」というパターンでしあげたものが過去に何点があります。これがまさに、分かりやすい例として伝えられるでしょう。「点」をどこにどのサイズに落として、見る人にどんな「効果」を与えるのか…っていう、模索とその結果です。とても基本的なシンプルな作業。

「視覚的な効果」がどのように「人のきもち」に作用するのかを模索するという点が、料理と絵の共通項。ただし、料理はその効果が「食欲を刺激する」「美味しそうと思ってもらう」とある程度狭まい範囲に限定していますね。で、本を眺めながらふと、「料理の盛りつけが狙っている、狭い範囲の効果」ってわりと、そのまま「私の絵が狙いたい効果と近い」んじゃぁないかしら、ということ。


さらに、お料理の本の中にあった「盛りつけの意図を考える」章を読むと、グラフィックデザインや建築の授業のまとめを読んでいるかのよう。
①食べる人の目的、環境を把握する
②盛りつけの意図を考える(料理で伝えたいメッセージの決定)
③盛りつけの構成を組み立てる。表現方法のセレクト。 ・

design。デザイン。de-sign。方向性を指し示すこと。記号により計画の方向性を指し示すこと、または計画を記号で表すこと。解釈はいくつかでてきちゃいますけど、基本は、そう「指し示す」こと。お料理の盛りつけが「人のことを考え、その人のために」「目的意識を持って」「料理を構成していく」ことだと考えると、たしかにそこに、デザインの思考があるように感じます。

というわけで、私ウキウキしてしまって「じゃぁ、わたしに、お料理の盛りつけ、できないわけないじゃない!お皿の上で色面構成するとこからやってみよー!」と食材とお皿と向き合ってみたんです。

が、ここで問題発生。上記過程の③ですね。表現方法のセレクト…。そうです、手持ちの「食材をつかった表現方法、手法」がほぼない。構成案をあたまの中に思い浮かべたところで「案を具体化するための技術がない」要は「思い通りに手が動かない」んです。

そうです、たとえ理論の構築ができたとしても、美しいものを生み出せないなら、全然足りてないのです。ここでもまた、大学の先生との会話を思い出しました。

脳みそが手に宿る(ような感覚になる)まで
手を動かし続けること




岐阜のおうちの近所にて。もとフレンチのシェフだったという方に、上記の話をしたら、なんと、なんと、白いお皿とクランベリーソースを持ってきてくれて、盛りつけ方の一例を実演してくれました。見せながら説明してくれたのです。スプーンの動かし方、食材の、落とし方、さらに、その盛りつけに適しているのは、どんな食材であるべきなのか。なんといい人!(今はBBCというサンドイッチのお店を開かれています。お仕事の間に、技術指導!?ありがとうさんです。なんといい人、いいお店!ガッツリフレンチ修行をしたシェフの作るサンドイッチ絶品ですよ! ) ・
それが昨日の話。

そんなこんなで、ちょっと料理にはまってるここ三日間です。本業、絵描きの真子でした。


20191216

Radio。ラジオです。2019年の100日記

えー、ラジオです。コタツで年賀状でも書きながらいかがですか?ラジオ。仕事納めに向けて頑張ってるみなさんも、どうぞ




渋谷クロスFM 【ココカラビューティ】 MC は 松葉子さん 福田美瑛さん サワイアサコさん ゲスト 大角真子 (スケッチジャーナリスト)の回。2019.11.05放送分 (最近は、放送後にも、アーカイブから内容を聴くことができるようです。)
https://m.youtube.com/watch?v=CqRY2Xib9Lk






ココロとカラダの美について語るラジオ番組【ココカラビューティ】。「女性の健康美」をキーワードにしたゲストとトークライブや、健康美になるための豆知識を伝えてくれる番組だそうです。


「ビューティトーク」何をお話ししたらいいのかしら?この番組を聴いてらっしゃる方はどんな方達かしら?美容についての豆知識とか持ち合わせているわけでない私が、何かみなさんの役に立ちそうな情報お伝えできるとも思えないしどうしようかな…と逡巡したのち、行き着いたのは「絵を描くのって楽しいよ、きもちいいよ」って伝えること。役に立たないかもしれないけど、たのしい気分をおすそ分けです。

‪ラジオで会話につまって無言にならないために、とりあえずこれまで描いた絵をいろいろ持っていくことに。目の前の絵をみて喋れば会話に困ることもないだろうとアレもコレもと用意したら、なんとスーツケース一個分に!松さん、特に草木染友禅に興味を持ってくださったようで、嬉しかったです。‬



一ヶ月ほど間をおき、ようやく、おそるおそる自分できいてみました。(しばらくこわくてきけなかった)。きいてみたら…わたしのお喋りがあまりにカタくて、何かの解説員かのよう!MCの皆さんに助けてもらってなんとかなっている(本当にありがとうございます!)、けど、私ったらほんとへったぴね、と、自分でちょっと凹みました(笑 )つまりは、もっと喋れるかと思ってた!ラジオの収録終わった時、楽しかったんだものー。でも今思い返せば、自分は楽しかったんだけど、聞き手を楽しませようという意識はちっとも持ててなかったんだわ、と反省。ラジオのMCさんすごいなぁ。

普段、車を運転するときに、テキトーにチャンネル合わせてランダムにラジオを流しているんですがね。ラジオから流れてくる、くだらないなぁーって会話を、しょうもないなぁーっもうーってツッコミながら聞くのケッコウいいんですよね。ゆるっとして。たとえば、「リスナーからの質問です、えー雨の日に傘をさして歩いていると、どうしても身体のどこかが濡れてしまうんですけど、どうしたら濡れないで歩けますか?えーーー!難しいしつもんー。どうかなぁ。うーーーん。あ!そうだ!歩幅をちっちゃくしてチョコチョコ歩けばいいんじゃない!?そうだそうだー!それなら濡れないよ!」みたいなね。あと、「試合前は食事にすごく気をつけています。低糖質、高タンパクですね。」というラグビー選手が「アンパン食べます!」にはMCさんと一緒に「アンパン!?低糖質、高タンパクで?」って一緒に突っ込んじゃった。「はい。アンコはタンパク質ですから。クリームパンよりアンパンですね。」って真面目に説明するの聞くの、楽しかったなー。

っていう感じで、ラジオって、なんか聞いてて楽しいんですよね。ケラケラ笑かせてくれる。そういう目線でいうと、私、ちっとも面白いこと言えてません…質問にひとつづつ、ふつうに答えているだけで、精一杯でした。本当になんとも恐縮です。いつも、ラジオききながらくだらないとか、しょうもないとか言っててゴメンなさい。「くだらない」は難しいと知りました。ラジオのMCさんすごいなぁ(二回目)

という、真子の日本のラジオ・デビュー戦、あたたかく見守って下さいませ。

もしかしたら、もしかすると、何年か後に、流暢にリラックスして楽しくラジオでお喋りしてる真子が居るかもしれないじゃないですか、その時「あー、最初のラジオすごく固まってたのに、最近はまぁまぁ喋れるようになったじゃないの」って知った風にコメントする為にも、ぜひ、この第一回を聞いておいてくださいな。というのは半分冗談で…

私の喋りはカタイですが、3人の綺麗なお姉さん方のお喋りは慣れておられますから、安心してどうぞお聞き下さい。それから、私のリクエストでかけてもらった最近お気に入りの曲、「アルタイのカイ~ボロット・バイルシェフ」の「ウコック高原」おススメです。とてもいいので、ぜひ、聴いて下さい。これ好きだって言う人とは、きっと仲良くなれそう!






20191211

サグパニール 2019年の100日記

《自家製インドチーズとほうれん草のカレー: サグパニール》の作り方を習う at 「サム店の趣味趣味カレー講座」参加しました。たっぷり入ったほうれん草の美味しさと、手づくりパニール(チーズ)が良い相性ー!チャパティづくり、すっごく楽しかった! 

インド料理屋さんで見かける緑のカレー!夫が好きなカレー!だけど作り方をよく知らないまま…ネットで調べたレシピに沿って、過去に数回作ってみようとチャレンジしたけど、うまく作れなかったカレーです。その曰く付きの、ほうれん草カレー。松本のスパイス使いマスターの 「音楽喫茶 something tender (サムシングテンダー・通称サム店)」の店主さんのオリジナルレシピを教えてもらえるとあれば!メモ片手に前のめりで参加しました。
出張の多い不良妻、に出張先に際し入れを送ってくれる優しい夫です。今回、仕事道具がかさんだので、自分の服を減らして出張に臨んでいて、寒さ対策が甘くなっていたんです。でも、まつもと古市の二日間は寒空の下でず絵を描く(修行のような?)時間となります。そんな私に、遠方の夫から届いた救援物資。宅急便の中には「あったかパジャマ」だけでなく、「マフラー+腹巻+指出し手袋とホッカイロ」まで(なんだか、おかぁさん感ある詰め合わせ!)。手袋したままペンが握れるようにと指が出る手袋をチョイスしてくれました。有難や。
お礼に、ほうれん草カレーの作り方をお土産に帰りますからねー。
そうそう、サグって青菜全般を指す言葉らしいよ。菜花や小松菜でも作れるんだって。いろんな青い葉っぱでカレー作ってみようー!



20191210

Interview  英語のインタビュー 2019年の100日記

I have got video filming. You will see the movie/video on the Internet some day in 2020. It’s going to be short one, but filing take more than 4 hours! Wow! Did I speak too much? I enjoyed a lot answering questions from a film director as he is very nice! Even though, I was bit nervous to speak in English, ithe interview was so fun. I’m looking forward to watch it. I wish many people to watch it too. Thank you Will!


2020年公開予定、インターネット上で見られるインタビュー動画の撮影がありました。英語でインタビューに答える、っていう緊張感はありつつも、すごく楽しい時間でした。完成動画は数分の短いものですが、撮影時間はなんと4時間半!お喋りし過ぎたかしら?英語緊張するって言うわりには、とても楽しくのびのび喋っていて、あっという間に時間が過ぎました。どう編集されるのかな?どの部分が使われるのかしら?完成を見るのがとても楽しみです。ウィルさんの撮影&編集してくれる映像。どうぞお楽しみに。




Last 10 days -or more- was a “Happy English Speaking weeks”(I wish it doesn’t sound silly.. anyway,) I practiced speaking English a lot, and it was fun! ・

Yesterday was a big day. I had enjoyed interview in English, in front of camera.
I wanted to talk about my art works in English. I think that It is not necessary to speak perfectly with jokes like native speaker live in.U.K or Australia, but I really wanted to pronounce English words nice enough to tell stories.


Recently,I have been working with Japanese people for Japanese people in Japanese. So I needed some effort to maintain my English speaking.


Lucky me, I have friends visiting from Australia. It was nice to speak with friend:) aaand it is nice opportunity to get my English back. I went to a bar owners by Australian to do some speaking practice... but it doesn’t work well, -we are too different-.


 Finally I decide to take lessons from professionals teaching English. That was quite helpful! More over, i searched nice interview movie on the internet and listen and shadowing again and again. Anna Wintour’s Interview is my favorite one. She is so cool. At the end, I feel comfortable to answering interview in English.
Special thanks to Kyokosan, Laura, Stefan, Dice san aaaaaand Will!

10日間ほどの英語お喋り強化期間を経て、昨日は無事、英語でのインタビューを終えました。カメラの前で緊張しすぎず、むしろ楽しくお喋りできたのも、練習のおかげ、だと思ってます。


完璧にネイティブのように喋れないとしても(面白いジョークが言えないとしても(笑))、それでも、せめて伝わる英語で話したい。その為に、練習が必要でした。しばらく英語と離れていたから。


キョーコさんにすごくお世話になりました。オンラインでレッスンを受けさせてもらいました。日本語ばかり喋っていた唇が、たどたどしく英語を発音するところから始まり、だんだんに、伝えたい内容がブラッシュアップされていく感覚が気持ちよかったです。まだ何を話すかアイディアが固まってない状態から、ガッツリお付き合い下さりありがとうございます。


いいタイミングで、たまたまオーストラリアから遊びに来てくれたローラとステファンとのお喋り。自然に頭が英語モードに切り替わりました。運がいい私です。


自分で英語のインタビュー映像を探し、見て聞いて、シャドウイングして追いかけて、を繰り返し…(Anna Wintour の喋りがお気に入り。彼女、かっこいい)。脳内に英語をたくさん流し込むように。コーヒーのお供に、ニューヨークタイムズを読んで。


最後は、信号待ちの間にも、何をどう喋ろか口の中で考えて。喋りたい内容のメモ、原稿は、何度も書いて捨て、書いて捨て…。最後、イギリス帰国したばかり忙しそうな(時差ぼけは大丈夫かしらな)ダイスさんと話して、しあげました。ウィットに富んだジョーク混じりの会話が上手なダイスさん…(真似をしようとすると、実際ちょっと気恥ずかしくなったりして、難易度が高いけど(笑)いつかそんな風に喋りたい)、ダイスさんとの小一時間のおかげで、「楽しんで喋ろう!」という心構えができました。ありがとうございます!


そしてウィルさん、撮影とインタビュー、こんな素晴らしい機会をありがとう!


準備したとはいえ、結局、メモとは違う話にとんだりしましたが…(美味しいということがどれだけ人生を豊かにするかについて熱弁してしまった・笑)まぁ、なんだか、楽しかったな!





20191206

人生ずっと夏休み 2019年の100日記,



パオを地元の海へ連れて行きました。 
 #ほら吹きと放浪癖

キラキラ光る波、砂浜、12月になったというのにあたたかな陽射し!波の音と、違う国の言葉で話すサーファー達の笑い声。


パオがうちに来てから「人生をめいっぱい楽しもうモード」の時間がより長くなりました。 


え?前から人生楽しんでいるように見えてたって?

一応、私の自分自身の理解では、以前は「もっともっと頑張ろう!頑張れ自分モード」のヒリヒリした時間を生きていた…傾向が(!?)ありました。たぶん。どうかな?ま、自分としては頑張っているつもりでも、他の人から見たら遊んで見えていたかもしれないけどね。

「おまえはいつまでも、『人生ずっと夏休み』みたいな生き方してー」

と、これまで度々父が私に言ってきたセリフです。言われた本人(私)、けっこう気に入っています。これから先もずっとそう言われたい。

パオと夏休み、って似合う言葉だな…なんてことを冬の海でぼんやりおもってました。ポカポカ陽気できもちいい最高の気分。一人ドライブも、二人ドライブも、運転席も助手席も好きです。高速道路では登坂車線をキープしてノロノロ気味の走りですが、ゆっくり目でもパオで走るのはとても気持ちいい。

若者の車離れ と巷では言われておりますが、最近、車が好きになった私です。…って?あ!れ?ひょっとして私もう若者に分類されてないのかな?ま、いっか

20191204

‘The Nakagin Capsule Tower 中銀カプセルタワー’ 2019年の100日記


黒川 紀章さん設計の「中銀カプセルタワー 」を訪ねました。
How cool is this tiny room! Look at the window! I visit ‘The Nakagin Capsule Tower’ designed by architect Kisho Kurokawa. 

There are around 140 self-contained prefabricated capsules that connected to one of the two main concerts towers. The capsule is designed to be replaceable. It was build in 1972.

My friend Ishii- Chan is using one of the Capsules as her office and writing architectural essays on several magazine. In the tower, there are many people. Some are using counsel as an office, and some are using for dwelling even though it is extremely tiny space.

This incredible building a facing to a kind of ’endangere’. It was about to demolish the building and replace it with a much more modern tower in few years. How come? It is a very precious building that remaining ‘Metabolism’, an architectural movement emblematic of Japan's postwar cultural resurgence. Why not to preserving it? ・

I wish a super rich person bought this building and maintained, then the Capsule Tower would be survived. Anyone? Finger crossed.


タワーにはちっこいカプセルがいっぱいくっついています。私が中に入れてもらったこのカプセルは、オリジナルに近いかたちに戻してあるそうな。こちらは石井ちゃんのオフィス!建築についてのエッセイを書くライターさんのオフィスとして「中銀カプセルタワー」って最高にイイ。 やるなぁ(石井ちゃん/「スナックたみ子」/本業、建築ライターさん)

カプセルタワーは、もしかしたらもうじき壊されてしまうかもしれないんだそうだ!こんな貴重な建物なのに!なんてこと!是非とも、どこかのスーパリッチお金持ちさんにお買い上げいただいて、修繕など手を入れながら使い続けていってほしいものです。メタボリズムという建築の動きが好きでたまらないお金持ちさん…いらっしゃらないだろうか。どなたか、ぜひー


20191123

壁画制作現場より 2019年の100日記

壁画制作それ自体は、いたって順調(過去最高にいい感じにいい調子)なのだが、どうにもこうにも、建築工事現場のスケジュールが乱れていて、かき回され、ちょっと疲弊する。大工さん達は、話してみると感じの良い人が多く、お茶休憩ついでに、どうして今回遅れているのかしら、と素直な疑問を口にしてみた。というのもその前に、大工さんが「普段は絶対、雨の日の外作業なんてやらせないんだけどなぁ。今回もう時間ないからなぁ…。普段はこんなキツイスケジュールにならないんだけどなぁ…。」と


そもそも11月1日から10日間ほど壁画制作に入る予定で準備をしていたのが、大幅に遅れて11月18日からに予定変更。(この時点でまず色々な調整をやり直さなきゃいけない。11月前半、北海道行きか東京かで、北海道行きを諦めたのに…と根に持っている・笑)


11月19日に東京入りしたものの、壁画に着手できる状況ではなかった。(私が絵を描く予定の壁には木の腰壁が回っている。その辺りの工事をしていた。)20日夜の段階で、まだ木の工事の作業が終わっておらず、翌日塗装作業するという。その間私は待ちぼうけ?それでは困ってしまうわぁ。大工さんとお話してみたところ、結果「まず先に壁画を描かせてもらい、絵が完成した後で大工さんに壁の現場を引き渡し、木の塗装に入ってもらう」ことで話が落ち着いた。私は、最初の想定より1日早く絵を描きあげなければならない。

そもそも開始日もだいぶ押している。当初10日間と考えていた作業日は正味、5日間とずいぶん短縮された。1日の作業量を増やし、制作ペースをあげねばならない。とはいえ、当初の構想全てを半分の日程でこなすのはちょっと無理がある。もう一度改めて来て、仕上げ作業したいところなんだけども。でもでも、お店のオープン時に未完の絵じゃカッコつかいないから、できるだけ頑張る。ちょっと焦るのを、手と筆に伝えないようにして作業する。


大工さん達いい人で、私が壁画作業をしやすいように、足場を整えてくださった。ササッと、仮の支柱を入れてくれ足場を作ってくれた…えぇっと「脚立で三段分くらいの高さのところを、横移動できる」ようになった。いちいち脚立を登り降りしなくていいから、私の作業がスッゴい早くなる。「二本の脚立の間に足場板をかける」という方法と似てるけど、「床からキッチリ木で組んで支えられている」足場、安定感が全然違う。とても助かる。「こっちの方が、作業しやすいだろう」と言ってくれた。自分の分の木の工事もある中、私に足場のために時間を割いてくれた。感謝感謝である。でもそのおかげで私は作業を早く進めることができ、現場をまた大工さんにお渡しできる。チームワーク感!


作業スピードをアップさせるための工夫ができ、壁画と木の塗装の工程順番を変更してくれる臨機応変さもある大工さん達が、こんなにも工事遅れているのはなぜだろう?「普段はこんな事態にならない。」と言っていた。大工さん達の働きっぷりを横目に見てると、たしかにそうだろうなぁ…と思う。「今日は雨の中みんなに無理させちゃった、明日は日曜、作業はお休み。」というスタンスも良いなぁと思って横で、聞いていた。ストレスや疲れをため過ぎちゃいい仕事できないし、それに危ない。


大工さん集団の帰られた後でも、まだ別の業者さんが作業していた。「おいおいおいおい、コレすごい難しいじゃないか!」「こりゃ11時12時じゃキカナイゾ」という切迫つまった会話が聞こえる。深夜12時を超えそうな見込みだそうだ。。それはツライなぁ。と気持ちが持っていかれて、私の壁画の手も止まる。ピリピリ感増してきていて、じわじわと私にも伝わってくる。叱る声も、急かす声も聞こえる中で、時折優しい声で「大丈夫か、気をつけろよ、よしオッケー」と言う声が聞こえるとホッとする。雨の中、濡れながらの寒い屋外作業で夜まで…本当にお疲れ様です。


誰かを告発したくて書いているわけではない。誰かに怒っているわけでもない(誰に怒ったらいいか分からないし、怒っている時間とエネルギーの余裕がない。)ただ、
働き方改革が謳われる昨今で、下請けの下請けの末端の方で手を動かす人達は、結構キビシイ状況でまだ働いているということを、ちょっと書いておきたかったのだ。私は、下請けのつもりはないけれど、でも、こう、制作現場のリレーの最後のバトンを渡されるという意味で、末端だ。いろんなしわ寄せが一気にやってくる。(ある駅の壁画制作は、建築工事が押しに押して、私が作業に入れたのはオープン前日の深夜だった。)

なぜ、こんなにも工事が遅れるのか?というのは、本当に疑問で、ぜひとも解明して、そういうことが起こらないように、できる手立を考え、何かした方がいいと本当に心から思う。雨の屋外深夜の突貫作業も、やっぱり危ないと思う。働き方改革は、指示系統の末端まで、行き渡るといいなぁ


もし、作業日程に余裕があったら、東京の友人のおうちや、シェアハウスに滞在させてもらう案いいなぁ…でも今の感じだと移動時間も惜しいなぁ、作業時間に充てないと…。それに遅くに訪ねても困らせちゃうかなぁ。と、味気ないホテル暮らし、今夜はまさかの漫画喫茶泊。学生か?

20191122

Painting baby leafs。ベビーリーフ。 2019年の100日記,



painting in progress by makopenandpaper
制作途中風景

ガラスの口広小瓶(メイソンジャー)緑の植物にょきにょきにょきっと生えてくる。

幼いレタスの葉がむくっと頭をもたげた横に、くるくるっっとクレソンのベビーが踊りながら飛び出して。芽生えた命のエネルギーを、あますことなく身体に宿し、光に手を伸ばすようにくねる、踊るような葉っぱたち。 ‬

美味しいよ。「Farmers' Smoothie(ファーマーズ・スムージー)」

makopenandpaperの壁画制作 

20191118

喫茶レストラン「丘」の、スクラップブック。2019年の100日記

もし、愛知県民岡崎市の、東岡崎駅まわりのルポタージュを書くことになったら、そういう依頼が来たライターさんに、私は、喫茶レストラン「丘」でコーヒーを飲むことをオススメする。ギラギラ内装で有名なお店だが、意外なほど落ち着く空間で(ほんとだよ!)、実は本棚が渋くて、いい。店主さんのスクラップブックの数々は一見の価値あり。





岡崎のゆるキャラ、オカザえもん、についてのスクラップブックは何冊にも渡る!オカザえもん、に関する新聞記事や、町の広報誌、イベントのチラシ、市長さんのオカザえもん評(時系列で内容がかわる)と、様々な媒体を渡った資料が、時系列に揃えてくれてある。市長さんとオカザえもんが対立したひと騒動、などの出来事も。様々な媒体の記事を横断することで、いろんな目線でオカザえもんを追いかけていくと、物語が立体的に浮かびあがってくるようでワクワクする。


さて、私は、岡崎市の都市整備計画についての調べ物の町歩きをするために岡崎に来た。と、そう店主さんとお喋りしたら、「それならほら、これを」と次から次へとファイルを出してきてくれた。乙川リバーフロント地区の整備計画。橋の耐震改修、その予算など書かれた新聞記事の切り抜き。の小学生向けのコンクール、リバーフロントの未来の使い方を提案する絵の受賞作品のいくつか。まちづくりワークショップお知らせチラシ。プロジェクトに反対するチラシまで。構想、計画、推進派、反対派、行政の動き、民間の動き、大学の先生達や学生の動き、コンサルの方の提案と子ども達の提案。ファイルのページをザザザザザーーっと斜め読みしていくと、違う視線がいっしょくたに、時間の軸に絡みついて脳内に入り込んでくる。2014年間からの6年間に渡る資料。サッと目を通しただけでも壮大な物語を読んだ気分だ。(大河ドラマを一年分見たような満足感)。実に、面白い。
丘さんにお礼を言って町に出た。
先程のスクラップブックの情報が頭の中に詰まっておる状態での町歩きだと、それまでとはまた違った風景が見えてくる。1人でぷらっと歩いて、お店に入り、それぞれの店主さんと挨拶をして、隣の席のお客さんとお喋りをしたりして。(岡崎の町にはフレンドリーな人が多い!話しかけてくれる方がたくさんいて、あたたかいきもちになる。)
肌感覚とお喋り情報と、何層にも重なっていくまちの情報。それから、市役所の方からいただいた整備計画の資料に再度目を落とす。ドライに見えていた地図の向こうに、色鮮やかなドラマの数々が透けてみえるような…。
面白いな。面白いね。面白い。「情報処理」という作業から得られるワクワク感と面白さ、AIに全部取らせちゃうにはもったいないよね。せっかくこんなに楽しいのに!
ギラギラ楽しい喫茶店での、スクラップブック読書(読書?)と、町歩きのススメでした。 
パワフルな店内に感動ー。リーズナブルでボリュームある喫茶店ごはんも嬉しい。看板メニューのエッグカレー、美味しくいただきました。おなかいっぱい!ごちそうさまでした!




*「丘」について知ったのは数年前…「あいちトリエンナーレ2013」スタッフ同士として知り合った、大竹敏之さんがお話ししてくださったのがはじまり。大竹さんは地元愛知への愛溢れるライターさん。名古屋の喫茶店や居酒屋のことならこの人!という方。(2枚目の写真「名古屋の喫茶店」は大竹さんの著書) 数年間があいてしまいましたが、ようやく来ることができましたよーー!

20191111

パオ 2019年の100日記



11月第1週目。
よく移動した1週間でした。パオとの蜜月ハニームーン。見てくださいこの冒険感、ワクワク感、旅人感、WANDERLUST(放浪癖)感。

まるで旅のトランクを大きくして、中に乗り込んで、ハンドル差し込んだみたいな感じ!

キャンバストップになっていて、天窓があくの。これが最高に気持ちいよくて。空が見え、光が落ち風がふくと、ほんと、頭がふわっと軽くなる感じがします。それまで考え事や悩み事や問題解決の方法などで頭を悩ませて重ーくなっていても、天井あいた車でドライブしたら、スコーーンと一旦頭がリセットされます。「あぁ脳天気(能天気)」とよく口に出しています。

能天気という言葉が好きになりました。(ネガティブな言葉だと思っていたし、そう使われがちだけど)脳内が晴れるような実感を経験した今は、「能天気」という言葉にとてもいい印象を持っています。頭(脳みそ)の上に、よいお天気の空が広がると、頭の中まで晴れていくような気がします。ぱぁぁっと明るい気持ちになります。寒くなるまで、(まだ寒くない!)は、このまま、空を感じながらドライブしたい。

「問わず語り」のお稽古 2019年の100日記,

【「問わず語り」のお稽古】

または《私、真子の「空想スケッチ」の聞く力をアップする為のトレーニング》


「初対面の人の話を聞いて、その人が思い描く夢やイメージなどを絵に書き出します」という「空想スケッチ」という絵のサービスをしています。細々と続け5年ほどになります。来年2020年は、この「空想スケッチ」に磨きをかけて、グンとレベルアップさせたいと思っています。参加してくれた方、依頼してくれた方が、より高い満足感を得てくれるようにしたい…ということもあり、「話をきく」トレーニングをしてきました。これが実におもしろい体験でしたので、紹介させてください。


大学の先輩の紹介で「聞く」お稽古の場に行ってきました。そこには10人ほどが集まり、講師の方も一緒に輪になって、「問わず語り」と呼ばれている手法のお稽古をしていました。心理カウンセラーさんによるミニカウンセリングの手法をベースにしているようです。

2人でペアになり、1人が話し手、もう1人は聞き手に徹します。15分間と時間を区切り、その間は「聞き手の時間を話し手にプレゼント」するイメージで、ただただ耳を傾けます。そして15分経ったら交代。(役割を交代するというのも、とても重要で有効なことだなー!いい仕組みだ!とウンウンウンウンうなづいていました。)

話の内容に分からないことがあっても、聞き返してはいけません。それは相手の流れを止めるからです。ウンウン、など相槌もダメです。ウンの言葉ひとつでも、肯定だけでなく、疑問、否定の意味も表現されてしまうからです。分かるーなっとくするーという時は「ウンウンウンウン」と素早く何度もうなづきたくなるし、ちょっと納得できないときは「うーーーん?」ってイントネーションが変わってしまう。それだけでも話し手は敏感に察知し、話そうとした言葉を引っ込めてしまうかもしれない。聞く側は、とにかく話し手が萎縮することないように、ただただ受け止めるのです。(ただし内容があまりに聞くに耐えない場合は途中で辞めたいと、聞き手側から申し出ることもあるそうです。)

話を聞いた後で、文字起こしをして、お話の内容を丁寧に辿り、分析をするところまでで、一区切りです。

初対面の人の話を徹底的に聞く、聞き込んで分析をする、という滅多にない不思議な経験です。

たった一回、少し体験しただけですが、想像していたよりも「いいもの」でした。カウンセリングの手法ということに納得。全く初対面の人同士だとしても、「15分という時間を贈り合う」行為により、どちらも心が休まりそう、です。聞き手に無理がかかりすぎないところも、実践的でいいなぁと思いました。



「問わず語り」のお稽古を、具体的に私の空想スケッチに生かすとしたら、やはり聞く時の私の姿勢。いつもは、質疑応答の中から相手の想い出を聞き出そうとして、ついつい質問ぜめにしがちです。次のレベルアップ版空想スケッチでは、今より少し、余裕を持った聞き取り時間を設けたいなと思います。「相手/話し手/依頼者が自分で自分の言葉を探す間」を待つようにしたら、もう一段深いところまで、心の中のイメージを探しにいけるような気がします。それは結果的に、より具体的な絵を描くことにつながるだけでなく。話した側も、話を聞いてもらえたことで、少しあたたかい気持ちを感じることができるかもしれない。



 「私の話を聞いてもらえた」と感じることって、日常生活でほとんどナイなぁ…と感じているのですが、みなさんはいかがですか?話をする前に、目の前の人に遮られ、聞いてもらえないだけじゃなく、押し付けられたイメージを元にダメ出しをされる…。世の中そんなもの、と受け流しているつもりでも、あまりに回数を重ねていくと、気づかないうちに心がくたくたに疲弊してしまいます。

「あぁ、今、わたしの話を聞いてくれているなぁ」と実感することができた時に、「あぁそうか、聞いてもらえるっていうことは、存在を認めてもらえると感じることなんだ」と心がふっと温かくなりますた。そんな経験をしたことが私にはあります。同時に「聞いてもらえなくても気にしないなんて、これまで強がっていただけなんだわ。ずいぶん傷ができてしまっていたわ。」とも気がつきました。

話を聞いてもらい、私も聞く、という心の一部の交換ができた方とは、長くご縁の続く大切な友人となっています。あたたかい貴重な聞き合う交流は人生の節目ふしめにちょこちょこあらわれます。有難いことです。

「話を聞いてくれる人=存在をそのまま認めてくれる人」は私も大事にしたい。その人の話を私も、丁寧に聞けるようになりたい。との想いがキッカケで「聞く」または「聴く」ということは、私にとっての一つの大きなテーマになりました。「聞く」っていったいどうしたらいいのだろう?どうしたら丁寧に話を聞けるのか、または、相手に「話を聞いてもらえた」と安心感を持ってもらう為の聞き方って何だろう?

初対面の方から、その人が想像している風景について聞き出して絵に描く
「 #makopenandpaperの空想スケッチ 」の脱皮にむけて 。

初対面のその場かぎりの人だとしても、少しの時間、心ひらいてお話する時間が持てることで、救われることもあるだろうな。と思うわけです。
今後のお付き合いのない方や、事情を知らない方の方が気楽な場合もあるかもしれない。

「空想スケッチ」を通して私が贈ることができるものは「絵」とともに「話を聞く時間」。「話を聞いてもらえた=否定されず受け止めてもらった」というあたたかい体験かもしれません。

そういう、ほんのちょっとの時間をね、贈りたいなと、思うわけです。

20191103

八ヶ岳倶楽部 2019年の100日記



八ヶ岳倶楽部、前回訪問時に描いて手渡してきたスケッチが、玄関口で出迎えてくれた。飾っていてくれたなんて、とても嬉しい。


「八ヶ岳デイズ」という雑誌の連載で、柳生博さんの書かれるエッセイに絵を描いています。というお仕事をさせてもらっています。

20191031

2019年の100日記,



朝。洗濯物を干したついでに庭の植物の朝陽にきらめくのを眺める。虫に喰われた葉っぱを持ち、チョンと切り落とされた花の穂は一部私の身体に入った印で、それでもスウィートバジルは生きて成長を続け、花弁を落とし種をこぼしている。ものすごいことだと、なんだか胸がいっぱいになる。


秋である。毎年感傷に浸りやすいけれど、今年はとくに。このところ心が弱々で、些細なことにきずつきかなしみ、ついでに記憶のなかから「かなしい」とタグづけられた引き出しを片っ端からあけて追体験してはへこんでいる。ここ数年分溜め込んできた傷が全て、秋風のもとに晒されているかのようだ。我が身に起こったことのみにあらず、新聞の端のニュースに愕然とし、人間というものの業の深さや愚かさを嘆くと共に、あぁ自分もその人間だと胸が苦しくなる。災害や気候変動から、氷河期や、気候がかわり絶滅した動物のさいごを想像したりしてしまうともう頭の中がグルングルンと揺れ出す。しまいには、網戸とガラス窓に挟まったカメムシが出口ではない方へと進んでいく様にも、もどかしさを覚え、「どうしてそんな身動きが取れない方向へと進んでいくんの、広い空は逆方向よ」とかなしくなる始末。


実際に自分の身に起こったことは小さなことがはじまりだったのに、昔の出来事や地球の反対側のこと、虫の動きなど、時間と空間と種属を越えてかなしいをつなぎ、堪えきれなくなってしまう。我ながら非常に厄介だ。


昨夜夕食を食べながら、「どうも最近、なんだか心が弱々で、すぐかなしくなるのよ」と上の話をひと通り夫に話してみた。カメムシのくだりを話したあたりで夫は吹き出して笑った。そうかカメムシ見ててもかなしくなっちゃうのか。そうよぉ、おおごとなのよ。「カメムシといえば…」と夫が話し出す。


「今日ねパオ(車)の後ろの窓ガラスとドアの間の小さな溝のようなところにね、カメムシが潜りこんでいたよ。」「まぁ、どうしてそんなところに…あったかかったのかな。最近さむくなってきたしね。」と答えながら私はハッとした。「もしかしたら、網戸のカメムシも、あたたかいところへ潜りこみたくて、風が避けられる狭いところへと進んでいったのかも!空の方向が分からなくなったんじゃなくて!」「もしかしたら、そうかもねぇ」ぬくぬくとあたたかなところにいる虫を想像したら、なんだか少し心があたたかくなり、昨夜はぐっすりと眠った。


ここ数年は、些細なことに目をとめる余裕がなかったのだとふと思う。鈍感でなければ乗り越えれないような波に次々と向かっていた船。ほんとに傷がつかない頑丈な船なら良いけど、ただ見ないふりをしていただけの場合、そのままにしておくと難破してしまう。


‪今は、水が漏れようとしている傷を見つけてはひとつひとつ塞いでいく作業をしているのかもしれない、と想像する。小さな傷は小さな気づきでふさがったりもする。「カメムシが風を避けて温まろうとしていたのかもしれない」とふと想像するとか、そういったことだ。‬


このところ心がとても繊細だ。些細なことをキッカケに大きく哀しんでしまう一方で、植物ひとつ眺めているだけで大きく感動してしまう。スウィートバジルの朝陽を浴びる様が神々しかった。虫と私に命を少し分けてくれて、なおかつ自身に種を実らせている。まったくほんとうに、たまらなく素敵ね、

川辺散歩 2019年の100日記

長い釣竿をひゅんひゅんひゅーーーんと振った三回目、広い川幅の中ほどに水飛沫があがる。クーイクイクーイと三回左手川下側に動かした釣竿は大きくしなり、ほどなくピチピチと跳ねる銀色の光を釣り上げる。流れるような動きで。まるでなんでもないことのように。同じ調子で二度、三度…魚ってそんなに簡単に釣れるものなの?と目を丸くしている間に、もう五匹目の魚が釣り上がる。岸辺では、七輪に火をおこして、魚を待っている人がいて、炭の香りが立ち上ってくる。



20191026

20191023

だいじなのは小さな物語の集積 2019年の100日記,


とても嬉しいことがあったので、聞いてください!GREEN HOUSEさんのインスタグラムで、わたし真子のことを素敵に紹介して下さいました。「コンセプトを根っこから知ろうとして下さる方。」「とても勉強熱心。」本当に嬉しく光栄なことです。そして、今回ご依頼してくださっている「絵」、きっと魅力的な「物語を織り込んだ絵」にしあがることでしょう!


お仕事として絵を描く時は、ケースバイケースで様々な方法があるのですが…
直接わたしに、絵のご依頼をしてくださった方に対しては、なるべく多くの時間を「情報を集め整理する」作業にあてるようにしています。そして、

「物語を集めて組み直し、一枚の絵にしていく」という方法で絵を描き上げます。興味深く、すごく楽しんで、その作業にあたらせてもらっています。 

物語は、現場に落ちていたり、その土地の地層の中に埋まっていたり、書物の中にあることもあれば、神社に残された言い伝えに姿を潜ませて、湧き水と一緒に吹き出してきたりします。そして何よりも、対象としてる場所、またはプロジェクトに関わっている一人一人の内側にそっと眠っていたりします。


(お仕事としての絵のご依頼には、もちろん時間にも予算にも限りがありますが、限りがあるからこそできることも、生まれるものもあるような気がしています。集中して感覚をそば立たせるには、むしろ時間制限があった方がうまくいきます。)


私に絵をご依頼してくださったミスズアグリさんでは何十人もの方が働いています。わたしはそのうちの数人の方にお会いし、それぞれの方と少しづつお話をさせてもらいました。社長さんはじめ、総務として働いている方や、飲食店のスタッフとして働いている方、店長になられる方、農場で、または肥料づくりの現場で働いている方に、働いていた方…。一人一人の心の中にある、ご自身の仕事への想いや、思い出、楽しんでいること、大切にしていること…そういった個人の物語を聞かせてもらいました。ひとつづつ、拾い集めてつなぎ合わせて織り込んでいくことが、「ひとつの会社全体をあらわす絵」を描くわたしなりの方法です。


一文でコンセプトを説明し、ターゲットとするお客さんの胸に刺さる「キャッチコピー」のような鋭さや、折り込みチラシのような明快な紙面をつくるのは、わたしにはちょっと苦手です。でも、キャッチーな言葉やロゴマークのうしろに回り、一見ぼやっと霞む背景となりながらも、小さな物語たちを紡ぎ、大きなイメージを描くことは得意かもしれません。物語は繋がりながら、お互いをうつし合い、キラキラ輝く、光の網になります。ジュウジュウタイモウのイメージです。


私の絵は、(腕のいいコピーライターさんと組まない限り)広告/広報という意味での即効性には少しかけるかもしれませんが、スルっと人々の意識の中にすべりこみ、時間をかけて効果を出してくれるんじゃないかな、と自分なりに思っています。いつの間に側にいて、ながく寄り添う絵。物語全体の持つイメージを好きになってくれるファンを増やしていくような。そういうお手伝いをする絵です。見た目は素朴で柔らかい物腰の絵ですが、そこに描かれている物語は「リアル」だから、それは実はとても「つよい」のです。ニセモノの、雰囲気だけ今っぽく仕立てたイメージは時間が経てばメッキが剥がれていきますが、本物は味わいを増していきます。

そんな絵を描くにあたり、だいじなのは小さな物語の集積です。あるひとつの企業さんのことを知ろうとした時に、私が気にするのは、企画書の中の企業のコンセプトを示す一文というよりも、(もちろんそれもだいじですけども)、動いている実際の現場の風景だったり、ひとりひとりがどのように働いているかだったりします。そういった話を集めたいなぁという時に、相手側の方に、「コンセプトを根っこから知ろうとして下さる方。」だと言っていただけたのなら、それは良い追い風に乗っていることになります。 ・


だからもう、きっといい絵になることでしょう。

ミスズアグリ さんの新店舗の壁画。
心地よいエネルギーがふつふつと湧いてきます。

makopenandpaperの壁画制作
あるいは
本気の空想スケッチ


*
最近本をつくっています
自分の制作や仕事の取り組み方の、言語化を試みているところです

20191021

民法をかじる 2019年の100日記

自分のお仕事以外の時間:お休みのプライベート時間も、我が家ツノハウスは、何故かいつもわりと忙しい。家のことしたり、お料理したり、の他に、いつも何かしら「課題」または「テーマ」があり、その2人の共通の壁に2人で向き合うということが繰り返されている。それが、結構楽しい。車探しを終えた今、ここ1カ月くらい、法律(民法)まわりのことがテーマだ。

「法律というものは、弱い立場の声の小さい人を守るためにあるもの」らしいという大前提を、はじめて意識した。たとえ契約書に書かれていてサインした内容でも、不当なものは無効になったり、取り消されたりする。実は、私たち、法律に守られているのだ。世の中、よっぽどわるいことはできないようになっているらしい。契約で決めたことでも、法律は乗り越える場合があるのだと、知らなかったし想像したこともなかった。

契約<法律
だとしても、契約は大事。ただ書き留めて文字になった情報で内容を確認し合うことはすごく大事なコミュニケーションの補助ツールだ。

「人は他人の話をほとんど聞いてない」「人は相手が頭の中で考えていることを知っているつもりになって決めつける」ことがよくあるし、話して側も「相手は分かってくれているはずと思い込む」ことは珍しくなく「言ったつもり、説明したつもりで伝わってないこと」も頻繁にある。コミュニケーションの齟齬は、珍しいことではなく、むしろハナから起こるものとして準備し対応した方がいいらしい。だから文字があることは、双方にとって良いことで、安心。
書き出してみると当たり前のこと、この年になってようやく気がつきました。(気がつけてよかった!)

とはいえ。良識と倫理観に則っとることが基本…という判断基準のあやふやなこと!ちょいちょいオカシインじゃないかと首を捻りたくなる法律も判例もあるし…守られてるからきっと大丈夫!って安心しきっちゃうよりも、少しだけ前のめりに「法律を知りに行く」ようにした方がいいかもしれない。

民法は特に、日々の暮らし周りのことだから、教養として少しかじっておくのは、決してマイナスにはならないだろう。ツノハウスの2人はどちらも読書好きなところが幸い。調べ物して、それぞれ発見したことを報告しあい、コーヒーでも飲みながらお喋りをする。これビックリなんだけど、どう思う?ねぇこの部分ちょっと意味がわからないんだけど、もし分かったら解説お願い。とか。

法律の世界をちょっと覗き見しながら、自分のお仕事に置き換えて、想像が進む。関わる人がみんなお互いに気持ちよく心地よく任務を遂行できるには…と。2012年まだ20代の頃に絵の仕事をはじめて、これまで1人で、その場その場でシャニムニにプロジェクトにあたってきたわけだけれど…いったん大きく見直す時期みたいです。30代半ばになったし、ちょうどよい。

ツノハウスに暮らし始めてから(結婚してから)、ツールとして使える知識量が増え、パワーアップしてる感がある。ありがたい。

1人会社員ごっこ 2019年の100日記,

先週は、私の作業が平日昼間に収まりきらず、ちょっと溢れてしまった。夕飯の後や週末も、自分のお仕事の方の作業をすることになってしまった。ザンギョーである。

(ちなみに私は、サラリーマンっぽい言葉を使いたがる傾向がある。シュッチョーとかカイギとかも好きな言葉だ。1人で仕事してると使わないから妙に憧れるのだ。ドウキにも憧れるが、誰を指してそう呼べるのか分からず使えないままだ。)

結婚して二人でに暮らすようになってから、毎日の生活の中に「仕事の時間」と「仕事以外の時間」という区別が生まれた。会社勤めの夫の休みに合わせて、私も一緒に休めるように、平日昼間に自分のお仕事の作業をするようにしている。平日夫が帰宅した後に、自分の仕事をしない。とすると、時間が限られるので結構効率よく頑張らないといけない!

月曜日。今日はなんだか忙しそうな夫、朝は早く、帰りも遅いらしい。会社のみなさんとコンシンカイだそうだ。(ちょっと羨ましい)。私も先週からずっと忙しかったから、ちょうどいい、お料理も家事もすっかりお休みさせてもらう1日にした。「よし今日はザンギョーだ!」と口に出して言ってみたらテンションが上がった。珍しく家で1人で夕飯、いやここはオフィスだ、オフィスの給湯室でちゃちゃっと用意出来るような夕飯を少しお腹に入れるくらいにしよう(想像上のOL生活)。わざわざコンビニに出かけてカップラーメンとオニギリを買ってみた。カップラーメンだなんてすごく久しぶりに食べる。何年ぶりくらいか!なんだか不良な食事だわ。くふふ

1人会社員ごっこを堪能中である。



20191018

秋霖 2019年の100日記,

秋霖。今日は雑誌ウェブサイトの挿し絵など、いくつか描きあげる日。朝から、屋根にあたる雨の音を聞き、引きこもっている。旧暦では重陽の節供の時期、スーパーの切り花コーナー、菊の花ならぶ中にアリストロメリアを見つけた。タスマニアのカフェのテーブルによく飾られていて、何度もスケッチした花。懐かしい気持ちになり、食材と一緒にひと枝購入。お仕事用の絵に入る前に、手慣らし、さらさらさら、と。やっぱりきもちい。この植物は、描くととても気持ちがいい。

20191017

最近本を作っています。トゲトゲの文章と格闘中。 2019年の100日記

「最近本を作っています」
「from making a book to letting people read it, 本を作ってから読み手に届けるまで,」の記録


どうも私は、生真面目にしか文章を書けないようで、ユーモアが足りてないよなぁ…と、悩んでいたところです。

「ポジティブでユーモラスな太宰治(の世界)があってさ。人間失格、とか、斜陽、じゃない太宰治。それで、やっぱり言葉は、もう、とても美しくて…。」と聞いて、太宰治の文章を読みたい欲求が高まっている真子です。こんばんは。



八ヶ岳倶楽部を再訪。テラス席にイガグリが落ちていました。トゲトゲでチクチク。私の文章はまさに、こんな感じでトゲトゲしていたように思います。


「これまで自分が作り出してきたもの、お仕事についてまとめた本を作りたい」と本格的に動きはじめたのは6月。編集者である友人(アズアズと呼んでいる)の提案により、何本かの文章を自分で書いてみることになりました。

とはいえ、絵ばかり描いているここ数年です、いざ文章を書き出してみると、なかなかうまく言葉が出てきません。随分と苦戦しました。線をコントロールすることに比べ、言葉を制御することの難しさといったら!なかなか波に乗れない私に、アズアズは何度もお題を投げかけてくれました。例えば、それは「働く」ということ。「真子ちゃんにとって、働くってどういうこと?書いてみて。読んでみたい。」


はじめて書いた「働く」をテーマにした文章は、今になって思うとずいぶんヒドイ出来でした。「トゲトゲでチクチクのまさにイガグリのまま、読者の懐に飛び込もうと無茶している」ような…。働くということを考えたときに、真っ先に過去の失敗や、ケチョンケチョンにうまくいかなかったことや、コテンパンにされたことを思い出し身体が硬直してしまうように文章も硬直してしまったのです。自分で書きながら、「なんてツマラナイ文章なんだろう、読者の方は読んで楽しいかしら…これじゃ全然楽しめないよね…」とテンションが下がってしましました。


毎週月曜の朝に本づくりのミーティングを重ねてきました。ツマラナイ文章だと自分で思った文章は、他の人が読んでもツマラナイものだったみたい。しゅーんとなっている私に編集者アズアズの熱い言葉が降りそそぎます。「これまでのお仕事で、ほんとうに楽しかった瞬間を思い出して!一緒にお仕事をした人や、クライアントさんや、関わったいろんな人で、ありがとうを伝えたい人の顔を思い出して!ありがとうを手渡すつもりで書いてみて…」


編集者のアズアズは、勢いよく喋りながらも、私のイガグリの殻のような鎧を砕いてくれました。働く中で楽しかったこと、ありがとうと伝えたいこと…自分の内側の記憶の中を探ります。トゲトゲの奥には美味しそうなツヤツヤの栗のような、宝物のような言葉が出てきました。トラウマ的経験のかげに隠れていたけど、確かに確かにしあわせな瞬間や、心があたたかくなった出来事、たくさんありました。自分でも驚くような、新たな発見もありました。


毎週毎週の本づくりミーティングの中で、イガグリ真子の文章を、つるんと剥いて中身を取り出す作業に、根気よく付き合ってくれたのです。

そうこうしていたら、栗のような素材がコロコロといくつか集まってきました。さてここから、さらに、美味しくいただけるかたちにお料理をしていく時間です。ふっくらと蒸しあげて、塩をパラリ。あるいは焼いて、甘みを引き出して、それとも縄文土器で煮込んで原始的にいただくか、もしくはエレガントなモンブランへと変えて…。さて、どのように料理いたしましょう。

まだまだ稚拙な私の文章、いくらでも磨く余地がありそうです。
一旦手を止めて、太宰治のユーモラスな短編といわるものを読んでみますかね。。

20191016

最近本をつくっています 2019年の100日記,



朝7時、いつもの喫茶店で、「ホット(コーヒー)」を注文し、いつも通り「フレッシュ(ミルク)無し」で、バタートーストと、ゆでタマゴがテーブルにならぶ。食べる順番も決まっている。まずはタマゴに塩をひとふり。(かけすぎるなと、ばぁさんが口うるさいから、ひとふりで我慢する。)それから、トーストをひとくち齧ると、だいたい満たされた気持ちになる。さぁさ、今日の仕事に取り掛かろう…。老眼鏡をかけて、今日の一冊を取り出す。朝の読書を日課にしたのは、定年する前の年からだから…もう23年か。市の図書館に行って気になる本を探すようにしている。細かい字はダメだ、読めたもんじゃない。いつも本を一冊と手帳を一冊持ち歩いている。最近、文字を追っていたはずが、ついボンヤリして眠くなってしまうことがある。困ったものだ。それで、読んで気に入った文章を手帳に書き写すことにしたんだ。1年の終わりに書きためた言葉をまとめて、孫に渡すことにしている。あいつももっと本を読むといいんだが…。さぁ、コーヒーが冷え切らないうちに今日の作業分を追えなくてはならない。アァイソガシイ…。


そんな風に、朝の喫茶店で一章づつ読んでもらえるような本を作りたい。私の空想。

その年代の人が手に取ってくれるのはどんな本だろうか。タイトルは?表紙は?どこに置いておけばいいのか。やっぱり図書館かな。喫茶店にも置いてもらえるといい。おじぃちゃんから孫へ(働きはじめたばかりの忙しくしている孫へ)、手渡したくなる本であってほしい。「いま仕事が忙しくて、正直、本とか読んでる時間ないんだよ、じぃちゃん。」ってめんどくさそうに答えたその人が、それでも手にしてみたら気になって、とりあえず自分の鞄に滑り込ませるような。そんな本がいい。70-80代と、20代の両方にささるような。そんな本。

#最近本をつくっています

「from making a book to letting people read it, 本を作ってから読み手に届けるまで,」の記録

20191015

だいたいほとんどの人が、他人の話を聞いてない。2019年の100日記

【話を聞いてもらいたい欲求と、空想スケッチのこと】

だいたいほとんどの人が、他人の話を聞いてない。

誰かを責めているわけではない。省みてみると、自分だってそうだ。他人に真剣に向き合って、考えていることを聞くだなんて、すごく大変なことだ。

目の前の人が何を考えているのか聞こうとしない、その理由のひとつは、「目の前の人の考えをもう既に知っている、と思い込んでいる」からではないだろうか。そして「自分の中にある想像上の相手のイメージに向かって、自分の意見を言う」。そんなシーンはよく見かける。目の前に存在しているはずの人自体は蔑ろにされていることになるので、それを感じ取ると、聞いてもらえない側としてはモヤモヤしたりする。

「どうして私の話を聞いてくれないんだろう!聞かないで、決めつけて、挙句勝手なアドバイスを始める!」とイライラした事があるのは、私だけではないはずだ。アドバイスはだいたい的外れで役に立たない、なぜなら、そもそもの問題点がズレているし、状況も把握されていない(状況を説明する前にアドバイスがはじまってしまう)。職業として、お客さんのリクエストを聞きますよと言っている人でさえ、お客さんの話をあまり聞かないことにビックリしたこともあった。だけど、どうやらそういうものー「人は人の話をほとんど聞かない」ものだと、ふと気がついて、自分に言い聞かせるようになったら、少しだけ楽にその場をやり過ごせるようになった。

ただ「自分だって、たぶん他人の話を聞いてない」って気づいてからは、ふとした時に喉の奥の辺がキュっとすぼまり、ザワザワした気持ちになるようになった。とてもじゃないけど「他人にアドバイス」なんてできない。自分もその人のことじゅうぶんに分かっていないだろうから。自分が人にアレコレ言われるのがきらいだから、というのもあいまって…言われた時の嫌な気分を思い出すと何も喋れなくなる。

他人が大事そうに行っている物事に対して口出したりアドバイスしたりしなくなった。同時に、大事な話は滅多に他人に話さなくなった。(聞いてもらえなくてガッカリすることがほとんどだから)。
摩擦が少なくなって楽になるかと思えば、なんだか寂しさが募った。 ・


さて、私は「空想スケッチ」という名の絵を描くサービスをしている。「将来ひらいてみたいお店や、暮らしてみたい家のイメージ。理想のデートシーンなど。あなたの想像する世界、夢の話を聞かせてください。絵に描き出します」とうたっている。

「空想スケッチ」の仕事は、私の「聞く」という行為のトレーニングの場にもなっている。空想スケッチをしている間は、意識して「聞く」ようにしている。目の前の人が何を考えているのだろう、何を想像しているのだろうということに、神経を集中させるのだ。話を聞いて、ふんふんなるほどねって納得し合ったことでも、聞きだしたイメージを私が絵に描き出した時点で、相手から「ソレ違う、そうじゃない」と指摘が入ることがよくある。よっぽどお互い口頭で盛り上がり同意した内容でも、それぞれの頭の中にあったイメージは違ったりするのだ。「私もよっぽど他人の話を聞き出せてない」と毎回実感する。絵に描き出すことで、イメージが違っていたことに気がつくことができるのも、空想スケッチの面白い点だ。

時間制限と報酬ありきでないととてもやってられないけれど、「空想スケッチ」の時間だけは私の「聞く」に徹するスイッチを入れる。

「聞いてもらえないストレス」「自分のことを分かろうとしてもらえない哀しさ」は世の中に溢れているんだろうなぁ、と思ったりする。

ふとした時、満員電車の中や、喫茶店で、周りを見渡した時に、全く面識のないさまざまな人をぼんやり眺め「この人達は、話を聞いてもらえているだろうか」という質問が心に浮かぶ。「今、この人は一体何を大事に思っているだろうなぁ。」と考えたりする。愚痴や悩みや不満の殻を破って、思考を押し分けていった先の心の奥の方に、きっと何かしら暖かい、大事なものがあるに違いない(と私は思い込んでいる)。その、それぞれの「大事な何か」は、「じゅうぶんに大切に扱われているだろうか?」自分自身が大切に扱っているのか、他人にも大切に扱ってもらっているのか。「誰かに、話した時に、聞いてもらえているだろうか?」

愚痴や悩みや不満を聞く気にはなれないけど、何か大事にしている思いがあるなら、ソレを諦めたり潰したりしちゃう前に、聞かせてほしいなと思う。ただし時間制限ありの、お仕事として報酬をもらっての場合に限りますが。

この冬は「空想スケッチ」強化シーズンにしようかなと考え中。

20191010

TEMPURA 天ぷら 2019年の100日記,

カラッと揚がった天ぷらサクサク、ザクッ、じゅうぅぅ

I made illustration menu for a soba noodles restaurant “KUKURI” located near Toyota stadium where ‘Rugby World Cup 2019’ is now going on.

愛知県豊田市「手打ち蕎麦 くくり」メニューを作りました。



ドローイングと民法の言葉の共通項 2019年の100日記,



最近ちょこっと、民法のお勉強をしています。法律の独特な言葉の言い回しに、初めはちょっとビビっていましたが…だんだんと見慣れてきた(!?)ようにも感じています。契約の成立要件、有効要件。債務者、債権者。制限行為能力者。債務の履行、不履行。取り消し、無効、追認。


さて、写真は「あいちトリエンナーレ2019」より。ペンドローイングを見つけました。制御された静かな線という遠くから見た印象と対照的に、近づいて見ると勢いとスピード感を感じます。手で描いたんだなっていう生々しさを感じます。描いている時のペンの動きと速さを想像してみると、親しみがわいてきます。おもしろい。

このペンドローイングの楽しみ方と、民法の言葉に、共通する部分を見つけた気がして1人膝を打っています