20071216

川合邸、アトリエ・ギルドを巡る豊橋の旅

生まれ育った街、豊橋に人が訪れてくれるのって、なんだかすごく嬉しい。 
豊橋っておもしろいね、いいとこだね と言われると、 
自分が褒められたみたいに嬉しくなる。 

12月15日 
コルゲートパイプの家、川合健二邸の再訪とアトリエ・ギルドの仕事を巡る。  
30年〜40年前のアツイ豊橋人の空気を味わう 一日。 

前回初夏に川合健二邸を訪れた三人に、 
今回はコルゲートパイプの家に興味のある人を新に三人加え 
六人のパーティ。 
芸工の建築の先輩達に伊藤センセイも混じる。 
(芸工生じゃない人の為に…C+Aの伊藤恭行さん http://www.c-and-a.co.jp/) 

住宅街と山の接点に在る川合健二邸。 
丘の下、木々の間からちらりと見えるその宇宙船のような建築に 
二度目だというのに、圧倒される。衝撃的。 
洗練された美しさというのとは違うのだけれども、圧倒的な力強さと存在感がある。 
このオーラは何なのだろう。 




                     (先輩の撮られた写真をお借りして)


この家に一人で暮らすおばぁちゃん、花子さん。 
花子さんのみかん畑で収穫されたみかんと、 
花子さん自ら摘んで蒸して煎ってつくったというお茶をいただく。 
様々な質問に間髪入れず、的を得た返しをし、 
時折くしゃっと顔を崩して笑う花子さん 
「すごく魅力的なひと」「あたまの良いひと」と伊藤さんに言わせるほどの女性。 
そんな花子さんは、以前お会いしたときよりも、 
心なしか小さくなっていたような気がした。 
大きな大きなコルゲートの穴蔵の底にちょこんと小さなかげ。 
少し、焦りのようなものを感じ、そう感じてしまったことにかなしくなる。 

川合邸とは別のコルゲート建築の幻庵を訪れたのは2006年の初夏のこと。 
その年の秋に、ご主人、榎本さんは逝ってしまわれた。 
先日、榎本さんの奥様からいただいた手紙を読み、 
私たちが最後の来訪者だったことを知った。 
あの夏の幻のような不思議な時間が持てたことは奇跡のようだ。 
今年の夏の台風で幻庵へ向かう橋が落ちたのだということも知った。 
今では川を渡らない限り、幻庵に行けない。 

建築家として仕事を重ねてきた伊藤さんと 
形容する肩書きを持たず、「ただただ川合健二としかいえない」健二さん。 
伊藤さんの実感のこもったコメントを聞きながら、 
他人の評価を気にせず、野心を持たず 
常に真っ直ぐに、そのとき向かうべき課題に真面目に取り組みつづけた健二さんが 
どれだけ常人離れしているのか、そしてそれがどれほど凄いことなのかを、 
改めて思い知らされた。 

男が惚れ込む男。 

なのだと、嬉しそうに語る花子さん。 
亡き夫を慕い、または憧れ、今でもこの家を訪ねてくる人々に 
その夫の意志や、取り組んできた仕事、人となりを説明する。 
自分が惚れて、添い遂げた男のことを、こんな風に語ることができるだなんて 
極上の幸せではないだろうか。 
花子さんは、健二さんと、健二さんを慕う人々を「侍のような人」だと例えたが、 
花子さんこそ侍のようだ。 
信念が強く、一途で、賢くて、肝が据わっている、 
その上可愛い笑顔をもっているのだから最高、そして最強だ。 
破天荒でパワフルな健二さんと、コルゲートパイプの家川合邸は、 
花子さんなしにはあり得なかったに違いない。 
花子さんは、女が惚れる女だ。 

健二さんの生き様や、夫婦のはなし、この家の話、健二さんを囲む人々の話… 
話は尽きず、またついつい長居をしてしまう。 

幻庵は、榎本さん亡き後、榎本さんの娘さんが引き継いだそうだ。 
幻庵は、姿を変えて、まだしばらく生きていくようだ。 
文化財として保存されるより…幻庵の抜け殻、あるいは屍を保存するより 
ずっといい。 
「きれいなひと。容姿のはなしではなくて、とてもきれいなひと」と花子さんに言わせるようなひとだ。 
幻庵がどうなっていくのか、なんだか少し楽しみである。 













さて、川合邸訪問のこの日に彩りを添えるのは 
アトリエ・ギルドの手がけたお店での食事。 
今、豊橋で、私が気になる人、と話していると度々耳にするのがこの名前。 
アトリエ・ギルドとは30年〜40年程前(60年代後半から70年代にかけて) 
の豊橋で活躍していた 
建築家(彫刻家)×グラフィックデザイナー×写真家  
三人から成るクリエィテブ集団。 
今でこそ、建築やインテリア、ロゴ、音楽など 
トータルで店をプロデュースすることは珍しくないが、 
この時代ではかなり斬新だったのではないか。 
ちょっと一癖ある店々は、固定客を離すことなく、 
今もなお営業を続けているのだそうだ。 

cafe-バロックでランチ。 
不規則な形状をし歪んだ真珠を指すバロック。 
(バロック:ネサンス様式へ大きく反発して生まれた17世紀の芸術の様式。) 
強い激烈な印象を与える変化と対比、劇的な流動性… 
真っ黒な壁に鮮やかな赤い椅子、大胆に傾斜する(途中で傾斜が切り替わる)天井。 
ゆがんだ平面(プラン)に、妙な雰囲気のある声の太い店のおばさん。 
チェンバロが置かれた店内には静かにバロック音楽が流れる。 
先輩方は各々、おもむろにスケッチをはじめ、 
スコヤ(メジャー)を取り出しスケールを確認し、 
三脚をたてて店内を撮影する。 
…変な集団(笑) 
そんな先輩方の発見やら考察をほほぅと聞きつつ、眺めつつ、 
私はミートソースのスパゲッティをいちはやくたいらげ食後の珈琲を飲む。 
添えられた器のなかに、濃厚なフレッシュが泡立てられており、 
それをスプーンですくって珈琲に浮かべる。 
なんとも幸せ。 

夜はまた、別のアトリエ・ギルドのお店へ。 
酒房かるとん。 
一面木製の壁に、文字が彫り込まれている。 
一文字一文字彫刻刀で彫ったのだというその文字のエッジや、影が美しく 
「あぁ、文字って綺麗だなぁ」 
なんて間抜けな感想を吐かずにはいられない。 
そうそうアトリエ・ギルドにはグラフィックデザイナーが居るのだ。 
文字が好きな人はぜひ、ここに飲みにきてほしい。 
”死んだら酒は飲めないじゃないか。生きているなら酒を飲まなくてどうするんだ?” 
個人的にはバロックより、かるとんの方が居心地がよい。 
私はノンアルコールで、先輩方はそれぞれ赤ワインやウィスキーなどを飲み 
牡蠣フライやソーセージをつまむ。旨い。 

店を変えて、JAZZ喫茶grottaにて、 
タイムの効いた(たぶん)の魚貝のトマトリゾットとカレーライス。 
なんだか妙な、マイペースなマスターのいるその店でまた長居。 
豊橋は、洗練されしきってなくて、垢抜けておらず、 
独特な雰囲気のマイペースな人、店が多いとの指摘を受け 
喜んだらいいのか、かなしんだほうがいいのか、反応に困る。 
まぁ、そんな豊橋を好きだと言ってくれるのだから、褒め言葉と受け取ろう。 

本日の締めとして、grottaのブレンドコーヒーを頼もうとしたら先輩に 
「バナナジュースじゃなくていいの?」とメニュー表を指さされる。 
…実は心の中で、心の欲求通りにバナナジュースを頼もうか 
今日の雰囲気を損なわないために珈琲にしたほがいいのかと、 
かなり真剣に葛藤していたんです。私。見抜かれてた?(笑) 
今日は一番年下だし、お言葉に甘えて、 
おこちゃまメニューでも許して下さいと(誰もそんなこと気にしてないだろうに) 
バナナジュースを頼む。 

 んまい♪ 
カレーライスの後のバナナジュースは格別だわ♪ 


川合健二邸、アトリエ・ギルドの手がけたお店 
60年代〜70年代のアツイ豊橋 
…洗練されていないけれど、独特な雰囲気とオーラをもつ豊橋を 
充分に堪能した一日でした。 
やーーーー楽しかった。 
豊橋 って、わりといいとこよ? 
案内するから、おいでよ。

20071212

いのちのかたち

分子生物学者、福岡伸一の「生物と無生物のあいだ」を読んだ。 
時間の都合によりいつもと違う本屋さんへ。 
本屋さんにて左手、てのひらに本を持ち、 
腕に手帳をのせ肘を少し曲げて固定し 
右手でメモをとりながら立ち読みしていたら  
あからさまに不愉快な顔をした店員に怒られた。 
いつもの本屋さんだと怒られないのに……。 
仕方がないので、めずらしく本を買った。 
税別740円の本をレジへ持っていく。 
777円。 
ちょっと嬉しくなった。 

高校で生物を勉強していない超初心者の私が 
初心者なりに(初心者だからこそ?)心動かされた 
いのち のはなし。  




聞いて聞いて、 
 いのちのかたち ってすごいの。 
 きれい。それにロマンに溢れているのよ。(陳腐な言葉だけど…) 

 いのち は 美しい。 
 いのち は 律動している。 


 まずは遺伝情報を担う物質DNAについて。 
 犯人の髪の毛から犯人の指紋を割り出すなど、昨今の犯罪捜査に大活躍の 
 DNA。 
 DNAのかたち。 


DNA。 
遺伝情報の暗号を載せたリボンは螺旋を描く。 
二重螺旋は互いに対構造になっているらしい。 
美しい構造。 

「1953年、科学雑誌『ネイチャー』にわずか千語の論文が掲載された。(中略)多くの人々が、この天啓を目の当たりにしたと同時にその正当性を信じた理由は、構造のゆるぎない美しさにあった」(本文より抜粋) 

美しい構造。 
機能を明示している構造。 
対になっている2本のリボンは意味を持つ。 
ポジとネガ。 
凸と凹。 
ポジがあればネガをつくれる、ネガがあればポジをつくれる。 

片方の鎖の配列が壊れたとしても、 
相補的なもう一方の鎖で簡単に修復できる。 
つまり、「対構造の二重螺旋」は、情報の安定を担保する という意味を持つ。 

ほどけたそれぞれの鎖を鋳型に、それぞれ新しい鎖をつくれば、ツー・ペアの二重螺旋ができる。 
DNAが一本あれば、同じものを自分でつくりだすことができる。 
つまり、「対構造の二重螺旋」は、自己複製システム を意味する。 


  読みながら「ほうっ」と溜め息が出た。 
  きれいだ。 
  かたちには意味がある。 
  構造が機能を体現する。 

  建築でいうのならば、 
  ダイアグラムから導き出されたカタチ 
  そのカタチが即、構造体でも有る そして余分なものはない。 
  三拍子そろった素敵事態。 
  使い古された言葉を使えば 用・強・美 
  (いや、用・強・形→美 のほうがしっくりくる) 
  そんな建築、滅多にない。 
  というか、今、思いつかない。 

   「構造とは合理性が高いほど美しくなる、と確信しています。 
    これは建築などプロダクト全般に言えるだけでなく、 
    仮想空間内、コンピュータ内の環境においても言えると考えています。」 
    (青春STYLEより抜粋:てらくん、言葉をかりました) 

 コンピューター内の空間については疎い私ですけども、 
 合理的なシステムと、それを成立させるだけの削ぎ落とされたカタチは 
 ほんとに溜め息が出ちゃうほど 美しいと思います。 

さて、DNAに話をもどしまして 
 (対構造の意味は分かったけれども…結局、DNAはなぜ螺旋を描くので しょう?私には分からずじまいでした。…だれか教えてください) 
この二重螺旋の示唆するもの、それは 

「生命とは自己複製を行うシステムである。」 

ということ。 
ほら、自分を型にして、もう一組コピーできるから。ね。 
生命=自己複製を行うシステム 
…20世紀の分子生物学の到達した、ひとつの生命観である。 
さて、上に述べた生命観、生命の定義によれば 
生命体はミクロな精密な部品によりなりたっているプラモデルのようなもの 
となろう。デカルトの機械的生命観にも重なる。 

 しかし、生命体と機械は違うもの だと思う。 

 これは直感的に、多くの人々が共有できる感情なのではないだろうか。 
 たしかにDNAの構造はそばらしく美しいけれど 
 すばらしく美しい構造の部品をすばらしく美しく組み上げたとしても 
 それ=生命 とは考えがたい。 
 人間とアシモは違う。どれだけ精巧な動きをしても、機械は機械で人間ではない。 
 馬とバイク(鉄馬)は違う。馬には生命が宿っているから 
 糸みみずと、糸くずは、ぱっと見は似ていても違う。糸くずには生命はない 

 では、生命とは一体何なのか? 
  
 著者福岡真一は、ルドルフシェーンハイマーという科学者と彼の示した 
 「生命とは動的な平衡状態にある」 
 というキーワードを中心に、様々具体的な実験例を説明し、 
 生命論を説いた。 
 具体的な例や詳細説明は本文にまかせ、 
 抽象的になることを覚悟でざっと概要を説明すると 

シェーンハイマーは、自らの実験結果を元にこう述べている 

「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の新の姿である」 

私たち生命体は、たまたまこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」にすぎない 
それ(私たちの身体を構成する分子、パーツ)は高速で入れ替わり… 
なにしろ秩序は守られるために絶え間なく壊され続けられなければならないので 
古株の細胞、パーツは壊され体外に流れ出てゆき 
食べることで外部から分子を取り込み、出て行く分子との収支を合わせ 
動的平衡をとる 

「私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、 
一時、緩くそこのとどまり、次の瞬間には身体から抜け出ていく(中略) 
つまり私たち生命体の身体は 
プラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、 
パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。」(本文抜粋) 

 この流れ自体が「生きている」ことである 
 私という生命体は 流れそのものである。 

  
 新陳代謝という言葉を普段私たちはなにげなく耳にしている 
 水を飲んで汗をかくこと や 
 古い角質を取り除き、つるつるすべすべのお肌を表面にだすこと 
 それから、建築の世界では黒川紀章さんが 
 建築や都市も新陳代謝させるべきだとのメタボリズムを提唱した。 
 (中銀カプセルタワービル:増築、取替えの可能な建築の例) 

 よって、私は著書を読み「新陳代謝」という仕組みに感動したのではなく 
 「新陳代謝」そのものが、生命そのものだと いう考え方に心惹かれたのだ。 
 持続的な変化 それが 生命。 というひとつの生命観。 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 
  淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、 
  久しくとどまりたる例なし。(中略)人とすみかとまた同じ」 
  (方丈記 より抜粋) 

  鴨長明の書き綴った人生観、人生論は 
  そのまままるごと生命観、生命論に置き換えることができるのだ。 
  私は、知る人ぞ知る方丈記ジャンキー、興奮しないはずがありません。 


   


 いのち は単なる精密な部品、構造体ではない 
 いのちを 機械的に操作的に扱うことはむずかしい(本文によると不可能) 
  
 いのち とは流れ 
 いのち とは持続的な変化そのもの 

 生命体、つまり いのちのかたち とは 
 その流れの中で動的な平衡をとるもの 
 The dynamic state of body constituents 


  


 いのち すごいや 

20071117

世界のあちこちを耕すように

先週の火曜日、東京、ヒマラヤスギの樹の上で過ごしたその後の話。 
ツリーハウスを後にした私の次の目的地は早稲田大学。 
スギの幹まわりのテーブルで出会った早大生に案内してもらって 
大隈さんの像のそばの8号館の教室へ。 
目的は公開講義の聴講。 

「現代作家作品論」 という一般公開している授業シリーズ。 
今回のテーマは「世界とランドスケープ」。 
講師は高野ランドスケープ プランニング(株)より、 
高野さん、金清さん、石村さん、樫野さん 
四人のLandscape architects。 

北海道でお世話になったロマンチストで少年のような瞳をもった素敵な社長、高野さん(趣味は馬術 障害飛び越し)に、 
その片腕、凄味のある金清さん(趣味は つり 山菜とり 登山)。 
高野ランドスケープ初期の頃のメンバーにして、現在は台湾に根をおろし活躍している石村さん、マレーシアに事務所を構える樫野さん。。 
私にとっては、とても豪華なメンバーなのです。 

世界のあちこちで仕事をする高野ランドスケーププランニングという会社の 
いままで辿ってきた道、してきた仕事、スタンス等の総集編といった感じの 
聴き応えのある内容でした。 
そして  
メッセージのたっぷり詰まった熱い熱い講演会だったんです。 


高野さんが掲げているモットー 

原寸主義・自力建設・参加型・自然の営力を生かすこと 

高野さん達は、設計においては 手 を何よりも信じている。机上の作業、パソコンの図面、頭の中の整理だけではなく、手を動かすことを最重要視する。体全体で感じることをおろそかにしない。「原寸主義」という考え方だ。1/100、1/50…ランドスケープにおいては常識破りの巨大な模型を用いてデザインを検討する。施工現場に入り、土建屋さんや職人さんとまじりながら仕事をし、手で触って確認をし、最終的な微調整をその場で行う。デザイナーも一緒になってつくる。つまり「自力建設」だ。 

また、誰の為の公園?誰の為の設計?を常に頭に置き、デザインプロセスを非常に重要視する。「参加型」これについては後で補足したい。 
「自然の営力を生かす」についてはまた別の機会に 


満月「耕すように建築するウマ」 

2007年出版のCATの本にあった言葉なのだが、 
これはど高野さんにぴったりの言葉はないと思う。 

土に手を加え、息を吹き込む作業 
ぽんとハコやモノを置くのではなく継続していくもの 
土だけでなく、街や人、考え方までも耕してしまう。 

「耕す」にまつわるエピソードを一つ紹介したい。 
会社が設立してなんとかはしりだした頃の話だ。 
マレーシアの国立公園という巨大プロジェクト。 
世界中から集められた会社やデザイナー達が国王の前でプレゼンテーションをする。 
結果、選ばれたのが 
社長1人、社員3人のたった4人の会社である 
高野ランドスケーププランニング。 
組織力のある大手でなければ国立公園規模の設計は難しい。 
そのうえ実績もなく、経験も浅い若者達の集まりで未知数。 
ではなぜ選ばれたのか? 

「他の会社は、俺がどんなにすごいか、俺の案がどれだけすごいかと、そればかり高々と説明する中で、おまえだけは違っていた。『一緒につくっていきたい。』そう語ったから、一緒にやりたいと思った」 
こう後で聞かされたのだという。 

マレーシアはまだまだ発展途中の国であった。 
ランドスケープデザイナーと呼ばれる人はおらず、 
施工を安心して任せられるような業者も見当たらない。 
高野さんたちは、そんな人(ランドスケープデザイナーと施工者)を育てることを、 
公園の設計と合わせてすすめることを提案した。 
現地マレーシア人をたくさん加えてのプロジェクトだ。 
まずは視察からはじめ、基礎知識をざっとたたき込む。 
設計の舵取りは高野が行うが、どんどん意見を出してもらう。 
時間はかかるが、海外のデザイナーが一方的に押し付けるようなカタチの公園をつくるよりも 
マレーシアの今後にとって、とても意味のあることではないだろうか。 

たった四人で仕事をするには?という苦肉の策からうまれたこの方法だが 
結果的に非常に大きな効果をもたらした。 
そしてそれは、マレーシア国王や、国民とたちまちフレンドリーになり 
みんなを巻き込んでいってしまう高野さんの人柄なくてはありえなかっただろう。 

高野さんは、公園をつくるため、ただ土地を耕し掘り起こしたのではない。 
「人や、街を耕した」と言えるのではないだろうか。 

そして、マレーシアからの信頼を得たランドスケーププランニングは、 
その後もマレーシアの土地を耕し続けている。一方的に「俺すごいだろ?」を押し付けるのではなく。 

樫野氏はその後20年マレーシアに根をおろして耕し続けている。 



満月「人を巻き込む参加型走る人」 

フランスのアルバートカーン庭園を手がけたときのエピソードだ。 
日仏親交の証としてつくられた庭園の大幅改修。 
カーンの人生にちなんだ新しいタイプの日本庭園を提案した。 
マレーシア国立公園とは違い、こちらはデザインは一手に高野ランドスケーププランニングがひきうけ、きっちりとつくりあげた。 
造形的に造園会に衝撃をあたえた芸術性の高い作品だといわれている。 

金清さんを中心に考えあげ練り上げられた図面を実際にカタチにする際 
彼らはダイナミックな案を提案する。 
永く愛される公園としていくために、この庭園工事を交流プログラムとしてとらえた。 
日本の職人、フランスの造園家、のみならず、 
フランスに出稼ぎに来ている労働者に、地元に住んでいる住人、 
ついには各国から訪れているフランスへの観光客、 
バックパッカーの旅行者までをひきこんで、 
みなで施工にあたったのだ。 

「仲をとり持つのに欠かせないのはパーティでして」 
と金清さんは語る。 
日本庭園につかう石を探すためにフランス中を探し回った金清さんは 
同時にワイナリーもめぐっていた。 
フランス人もおどろくようなマイナーなワイナリーの逸品達を 
石と一緒に集めてきていたのだ。 
高野ランドスケーププランニングの皆様は、 
お酒と、人と、楽しいことが大好きなのだ。 

お酒とささやかなおつまみで夜な夜な楽しんでいると 
自然に集まってきたのが、前述した 
フランスに出稼ぎに来ている労働者達だ。 
彼らは母国(アフリカの各地)では家も何もかも自分達でつくっていたため 
繊細な手仕事のできる技術を持っていた。 
しかし、彼らのノウハウは生かされることなく、 
日々単純な肉体作業を繰り返していたのだ。 
しかもフランス国内においてはおどろくほど低賃金で。 
パーティで一緒に飲みながら、そんな話を聞いてて思わず 
「それなら、この庭を一緒につくらないか?」と声をかけたら 
ぞくぞくと集まってきたらしい。 

アフリカからの低所得労働者の可能性、持っている技術を 
フランスの造園関係者ならびにフランスの政府のお役人(日仏親交の庭園なのだとかで、お役人達がからんでいる) 
それから地元にすむひとたちに、知らしめることとなった。 

黄色黒色白色 違う肌の人たちが一緒に 
泥だらけになって石を運んで樹を植えている 
施工途中の写真は笑顔であふれている。 

完成した日には、近所のパン屋さんが庭の模型をパンで焼いてくれたらしい。 
庭のパンをみんなでちぎって食べながら最後のパーティを楽しんだのだそうだ。 



「あのとき、一緒に樹を植えた者です。観光旅行で出かけたはずなのに、すっかり泥んこまみれになっていました。」 
講演会に来ていた中年の女性がそう言った。この人も今では高野ランドスケーププランニングの(高野さんの?)大ファンなのだそうだ。 



満月「そこで幸せになる工夫クローバー」 

マレーシアの街路の植栽計画も頼まれることになった高野ランドスケーププランニングは、ここでもまた、人々の意識を耕した。 

当時のマレーシアで使われていた街路樹は 
ホウオウボク コウエンボク レインツリー等、外来種一辺倒。 
つまり、全て輸入物。 
ジャングルに一歩足を踏み入れればそこには 
多様な豊かな森が広がっていると言うのに。 

高野ランドスケーププランニングはジャングルに生えている樹を使って 
都市の景観をつくることを提案した。 

政府も、見つめていた地域の住民も猛反対した。 
(高野さん達は地域の住民に同行してもらい尋ねながら何度もジャングルに入っては、種をひろい集め育てるなど、怪しげな(!?)行動をしていたため注目されていた。) 
マレーシア。 
彼らにとってジャングルは、未開の土地、ふりかえりたくない過去である。 
危険で粗野なジャングルを切り開きつくられたゴムの樹のプランテーションは、文明の進歩の証である。 
都市部にいたっては、もっともっと進化した景色をつくりたい。 
そこで、すでに発展している国から輸入した樹をつかって景色をつくりはじめていたのだ。 

高野さんたちは、謙虚だけれども頑固だ。 
「自分達の国に、その土地とその土地の育てる樹にもっと自信をもてばいい。ジャングルの樹は決して粗野なものではない。非常に魅力的なものだ。きちんとコントロールすれば都心の風景とジャングルの樹を共存させることが出来る。」 
と、根気よく語り続けた。 
今では、高野さんたちがジャングルで拾ったタネを 
マレーシアのひとたちが苗木として育てた樹木が 
マレーシア各地の街路や公園などあちこちにみられる。 


台湾でも同じようなことがあった。 
高野さん達が台湾入りしたのは1987年戒厳令が解除された直後だ。 

台湾では1947年2月28日に勃発した二・二八事件以降、蒋介石率いる台湾国民政府によって言論弾圧が強化され戒厳令がひかれていた。 
「この島は一時的な滞在場所で、いずれは大陸に戻り中華民国を打ちたてよう」 
といった気運がちょうどひとだんらくしたころだ。 
人々の目が徐々に自分達の足元、この島での生活に向き始めたそのとき、 
高野ランドスケーププランニングは台湾に上陸する。 
「毎日の暮らしを、きもちよく楽しくしていこう。そのお手伝いをしたい。」 
いずれは中華民国を!と今居る場所ではなく先の野望で頭がいっぱいの 
ぎらつく目をもった人がまだ居るその時代の転換期に、 
高野さん達は語り続けた。 

その後、公共事業に力を入れるようになった台湾で 
ランドスケープデザイナーへの仕事が爆発的に増える。 
ここでも高野さんたちは現地台湾人達と仕事をする。 

ここでも、マレーシアと同じように 
発展している国のマネがもてはやされる。 
台湾のお金持ち達は、ローマのれ列柱を多用しヴィーナスの像を置いた 
噴水を中心とした庭を好んだ。 
高野ランドスケーププランニングはその傾向に警告を鳴らした。 
「台湾には台湾のスタイルがあるはずだ。それを一緒に考えてみよう」 

台湾の国中をあるき、森の奥へすすみ、川をさかのぼり 
樹をみて、石をみて、土をみて、原住民とその家、暮らし方をリサーチしながら 
台湾の景色作りを考えた。 
おおいに語り、現地の人たちを巻き込みながら台湾の街路や公園をつくっていった。 
今では台湾の大学には建築学科よりもランドスケープデザイン学科のほうが多いという。高野パワーはすごい。 
高野ランドスケーププランニングは今でも台湾の地を耕し続けている。 

石野氏は、台湾でもう20年も「高野ランドスケーププランニング台湾支所」の看板を背負って熱心に仕事を続けている。今も「その地で幸せに生きること」と提案し続けている。 


「今もっているものだけを使って より幸せになる工夫。それが人類が生き延びるための、ひとつの方法ではないかな と、そう思うんです。」 



満月「そんなわけで高野さんラブハート達(複数ハート)」 

新しい土地で、まずすることはAppreciate/Appreciex なのだという。 
つまり、その国を、あるいは土地を、高く評価し、賞賛するのだ。 
そして正しく認識をすること。 
果たしてそれは真実の魅力なのか?マネだけのはりぼてなのか? 
本当のことを知り、納得するために 
専門家や学者達にアドバイスをもらいながらも 
彼らは自分達で国中を歩き回る。 
土や樹や川に耳を傾け、原住民と仲良くなり教えを乞う。 
石を拾い、現地の酒を飲みながら 
特権階級や有識者、権力者ではない、そこに住む様々な人とも語り合う。 

土と水と樹と、もともとの土地、自然を知り、認め、尊敬する。 
その土地でのシンプルな暮らしをし、土地とともに生きてきた原住民を 
知り、認め、尊敬する。 
そこからはじまるのだ。 

その土地本来の魅力を引き出し、自然の営力を生かしながら設計をすすめる。 
(自然の営力をいかす方法についたは、またの機会に説明したい) 
地域の人を巻き込みながら。 
お祭りのように楽しみながら。 


高野ランドスケーププランニング、設立当初の四人の熱い話を聴いて 
高野ランドスケーププランニングはとても魅力的な会社だなと改めて思った。 

高野さんは、御歳63になる。 
1975年会社を設立してから32年の月日。 
地道に泥臭く、しかしとても魅力的な仕事を続けてきたのだ。 
世界のあちこちを耕して。 


講演会後は、もちろんお酒。 
高野ファミリーで飲んだ。 
高野さんにあつい想いをぶつけて入社してきたひと、 
そこから巣立っていったひと、 
それから、私のようにオープンデスク生としてお世話になった人も何人か混じっていた。 
アツイアツイお酒の席だった。 

「名古屋から東京まで出てきたの?遠かったねぇ。よく来たね。よく来たね。」 
と高野さんは笑って私の頭をなでてくれたのだが、 
愛知なんて近いものだった。 

北海道からはもちろん、 
昨日までパリで仕事をしていて、今日日本に着いたところだ という人や 
カナダで仕事をしていたんだけど帰国してきた という人や 
ドバイへ飛ぼう としている人 
オーストラリアからきた人や 
マレーシアから飛行機代自腹で飛んできた社員さんに 
台湾からやってきた人 

世界のあちこちから集まってきていたのだから、 
愛知からなんて、本当に近い距離だった。 

高野チルドレン達は各地で日々楽しみながら泥まみれで奮闘しているようだ。 
金銭的に豊かそうな人はなぜか見当たらないのだけれども(笑) 
いい笑顔をしている人がわんさかいて、 
それぞれがとってもおもしろいアツイネタを持っている。 

高野さんはそんな高野チルドレンを応援していくのが楽しみなのだと 
うっふっふ と嬉しそうに笑っていった。 
私にもオーストラリアの教授を一人紹介してくれた。 


「高野さんにアツイ想いをぶつけて世界各地へ飛び散っていった高野ファミリーの皆様のますますの発展を願って」 
そんな一本締めで 
お祭りのような 講演会&飲み会は幕を閉じた。 

帰り際、 
高野さんは、下駄箱からひとの靴をさっさっと出して並べるのだ。 
こんなときでも、偉ぶらなくて、ジェントルマン(笑)なんだ。 
そんなわけで、私は高野さんのことが大好きなんです。 
私にとっては史上最高のいい男です。 

…ね、素敵な人でしょ? 












さいごに高野さんに 
「ランドスケープアーキテクトとは?」と尋ねてみる。 
     
「ランドスケープアーキテクトとはね…」と高野さんはこたえる 

      
            「画家の目と 
              科学者の頭と 
               詩人の心を持った 
                専門家のことだよ」 

20071109

ヒマラヤ杉の樹の上で

人は日常の生活や煩わしい人間関係から逃れるために、 
  自分とほんの少しの大切な人だけの秘密の場所が必要だと思いませんか? 


ツリーハウスクリエイターKさんの言葉。 
秘密の隠れ家のようなツリーハウスをつくることを仕事とし 
秘密の場所で大切な人たちとほっこりした時間を日々送っている男。 

ツリーハウスとは、生きている樹を構造体、つまり柱としている建造物のこと。 
トリの巣のような。 

彼のオフィス 兼 サロン 兼 カフェ を訪ねました。 

静かで、ゆったりとした満ちた時間を過ごしました。 
だから、しずかに ゆったり、たんたんと その時間のことを書きとめておこうと思います。





東京都渋谷区。 
表参道のこぎれいなショップの角を横に折れて、 
てくてくてくとしばらく歩き 
古いかすれた看板の小さな花屋の角を曲がり 
車一台通れるかどうかといった感じの細い静かな路地に入れば 
ほどなく、道の脇をぴっちり埋め尽くす建築物に挟まれるようにして浮かぶ 
ソレ(オフィス 兼 サロン 兼 カフェ)を見つけることができる。 

一本の大きなヒマラヤスギの中ほどに 
串に刺さった団子のような緑の小屋。 
見上げれば樹の上の方に小さなデッキも見える。 

私が会うことになっていたのはKさんの弟子(?)のHさん。 
電話越しの声の感じだと、落ち着いた大人のひとを想像していたが 
思っていたよりも若いおにぃちゃん。 
部屋内を下から上へつっきる柱、ヒマラヤスギの樹の幹を囲むテーブルで彼は 
いい匂いのする紅茶を飲みながらツリーハウスの絵を描いていた。 

小さな小さな部屋の隅に小さなカウンターがあり 
スタッフの女の子が一人 
あったかぁいラテを淹れてくれた。 

「時間があるなら絵をかいていかない?ツリーハウスの」 
ひとしきり話した後、紙とペンを渡される。 
流れで絵を描くことになる。 

そうこうしているうちに、kさんが帰ってきた。 
日本におけるツリーハウスクリエイターの第一人者。 
写真のひと。すてきな人。 
「さむいなぁーーー。珈琲ほしいな」 
とびっきりのかわいい笑顔でカウンターに頼むと 
部屋の中に珈琲のにおいがたちのぼる。 
私の描いてるツリーハウスと、 
お土産でもってきたミニポートフォリオ(作品集)と 
例のコルゲートパイプの家についてまとめた冊子を肴に 
家や森や人の話をとりとめもなくする。 

「このドラム缶の家(川合邸)って基礎打ってないの?転がってるだけなの?でも人住んでいるんだよねぇ?住居なんだよねぇ???確認申請どうしてるのかなぁ???」 

なんでも、ツリーハウス確認申請を通らないらしい。 
住居として建築基準法的に認められないようだ。 
法律によると、建築物とは土地に定着するもの。 
建築の土台となる「基礎」が人工物ではなく 
自然の生きている樹の根であることが要因なのだそうで。 
建築ではないということはつまり、固定資産税の対象にもならないのだと 
Kさんは教えてくれた。 

日常生活の隙間にひっそりとある隠れ家、EscapeWorldのツリーハウスは 
法律的にもEscapeWord、法の隙間にあり 
税金の網の目もするっとくぐった現実世界から切り離された存在だなんて 
なんだかおもしろい話じゃない? 

私は笑ってしまうのだけど 
Kさんは大真面目。 
なんでも、ツリーハウスに暮らしていこうとした場合 
住民票がとれないのだと。 
「別に俺一人だったらそれでもかまわないけど、 
産まれてきた子どもに戸籍がないのは  
ちょっとかわいそうだからなぁ。」 
Kさんは今年、二人目のかわいいベイビーがうまれたところだ 

ぎっっとドアが鳴り 
若い男のこが入ってきた。 
常連さんのお客さんらしく 
幹を囲んだテーブル席のにストンと座ってカプチーノを頼み 
黙って本を読み始める。 

そうか、ここは一般にも開放されているカフェだったんだなと 
改めて思い出す。 
お客さんもスタッフも入り混じっている 不思議な場所だ。 


「コンニチハ。ハジメマシテ。ツウヤクノ○○デス」 
とドアを開けて通訳と名乗る女の人が入ってきた。 
なんでも今日はシンガポールテレビの取材が入っているらしく 
彼女はその下見のため早めにこのツリーハウスに来たらしかった。 

ん?シンガポール!? 
Kさんは最近カンボジア、 
アンコールワットを見下ろすツリーハウスをつくったのだ。 
有名な世界遺産に手を出しちゃったのだから、 
はるばるシンガポールから取材もこようもの。 
彼女も幹を囲んだテーブルについた。 
静かに本を読み続ける若い男のこの隣で 
あたたかい紅茶を飲みながら「予備知識」の為、 
と過去の作品の写真集をぺらぺらやりはじめた。 

「がっはっは」豪快な笑い声とともにやってきたのは 
ツリーハウスビルダー、大工の棟梁。 
ヒゲとロン毛の印象的な体格のいい男は 
「あったかい飲み物!」を頼み、仕事の打ち合わせをはじめた。 
若い男のツリーハウスクリエイションのメンバーは 
笑顔で話しながらパソコン作業をすすめる。 

その後、 
もう一人、スーツ姿のお客さんが来てカウンターでラテを飲み 
その隣ではツリーハウスクリエイションのメンバーの明るい女が 
忙しそうにひっきりなしに電話をしている。 
Hさんは、みんなと話しながらも、あいかわらず絵を描き続けて 
私もおしゃべりしながら絵を仕上げた。 

なんだろうこの居心地の良さは。 
家 みたいだ。 

小さな部屋は人でいっぱいになりあたたかく 
それぞれのカップからはあったかい湯気が立ち上り 
しかし天窓から見えるヒマラヤスギは風にゆれ外はなんだか寒そうで。 

ふとKさんが ここでよく開く 
大切な人たちと、親しい人たちでひらくホームパーティのことを話してくれた。 
ぎっちりむりやり人を詰め込んで最大20人 
このテーブルの上にはダッチオーブン料理をいっぱい並べて 
ともだちに演奏してもらって。 
樹の上で木の葉のざわめきにつつまれながら 
美味しいご飯と、飲み物と、音楽と気の合う仲間と 
こんな幸せなことってあるかい? 

と。 
そんな幸せなことってないわぁ。。 
と私も激しく何度も首をふって同意。 
「それにね。私ダッチオーブン大好きなんです!ほんとアイツは最高ですよね」 
と大興奮してダッチ話で盛り上がる。 
ここのカフェのメニューを見せてもらえば 
加熱するフードメニューは全てダッチオーブン料理というハマリよう。 

そんな旨いもの好きなひと達がつくる 
ダッチオーブン料理がいくつもテーブルに並ぶパーティだなんて 
想像しただけで幸せになる。 
いい夜なんだろな。 

それでこの天窓から月の光が落ちてきたら最高だけど、 
東京では難しいかしら なんて思いつつ 
改めて部屋内を眺める。 
ツリーハウスの写真や絵、本に模型はもちろんのこと 
ハンモック、でっかいザックにサーフボード 
クライミング用のザイルやカラビナやヌンチャク 
ハッピーな気分になれる道具たちだらけ。 
そして棚にはCaravanのCD…♪ 
「まぁ!!私Caravanだいすきなんですよぉ。」と言えば 
「まぁ って(笑)」と笑われた後 
「Caravanは友達だからね。そのよしみでここでCDも売ってるんだよ。」 
と! 
まっ!! 
「そぅかぁ。Caravanがすきなんだねぇ。よかったねぇそれは。Cravanも何度かここに来て歌っったんだよ。あと、ケイソンとか。」 


あぁぁぁぁぁなんて素敵なホームパーティ♪♪♪ 


山 森 ツリーハウス 樹 海  
クライミング サーフィン 
コルゲートパイプの家 
ひと セルフビルド こども かぞく 
カフェ ダッチオーブン Caravan 

私のすきなもの 好きなこと 
それぞれ別々に好きだったものが 
どんどんつながっていくよ 



シンガポールテレビの取材がはじまるというので 
私たちは席を移した。 
私たちというのは、私(23)と、 
お客さんの、例の本を読んでいたひと(20)と 
スーツ姿の男(23)の三人。 
「背景として自然に珈琲をのんでいて」とのこと。 
カウンターは狭くて 
三人座るとぎゅうぎゅう窮屈なほど。 
カウンターの向こう側の女の子(23)が 
「カウンターがいっぱいになったの初めて」と嬉しそうに笑った。 

どこか似た匂いのする同年代が部屋の隅に固まる。 
取材、しかもシンガポールのテレビ! 
てなもんで興味津々の私たちは つい聞耳をたて 
取材の様子を目で追っていたら 
通訳さんに注意を受けた。 
「カメラマンガ、ウシロノ ヨニンガ ミンナ コチラヲムイテイタ ト イッテイマス。 シゼンニ オネガイシマス」 

あちゃ。。。 
苦笑いしながらカウンターに向き直り 
まぁそれじゃぁと それぞれ自己紹介なんかをする。 
自己紹介とか気恥ずかしいから苦手。 
みんな静かでおだやかで笑顔がかわいい人達だなぁと ほこほこして話していたけど 
掘り下げて聞き出せば聞き出すほど 
実はみんな結構アツイひとだった。 

本を読んでいたハタチの男は物書きを目指していた。モモのような児童文学を書きたいのだといった。ネットに名前打ち込んで調べると受賞していることが分かった。 
自然を愛するカフェスタッフの女の子は映像と写真を「けっこう本気でやっている」と言っていた。とある夏フェスの背景の映像をやったのだ とネットで見せてくれた。ネットに本名打ち込んで検索すると、アマゾンにも飛んだ。23歳。彼女は本を出していた。世界を放浪したときの写真とエッセイの本。 


ちょっとわくわくする。 
みんなそれぞれ きらきらして 夢 を語る。 
それからみんな、森と海と、ツリーハウスが好きで 
ここのまったりとした空気が大好きなんだ。 
幸せな時間だった。 


「さて、と。私そろそろ行かなきゃ。今から早稲田に行くんだけど、早稲田まで行くのってどうやっていくのが一番便利?」 
私は席をたった。 
名残惜しいけど。 
すると物書きを目指すその人が 
「早稲田??俺、早稲田の生徒だよ」 
と言うんですよ。これがまた。 
スーツ姿の23歳が「おわ。すごい偶然だね。運命的だなぁ」 
と勝手に感動して。 
ところでこの人の口癖は「運命的」で、この日もなんど聞いたことか。 
「運命的に私と口癖が一緒」でおかしくなって笑いが止まらなかった。 



まだ続いているシンガポールテレビの取材を横目に私は帰り支度をする。 
目で挨拶をしてドアをあければ 

「おい。東京来ることがあったら、必ずここにも顔出せよ。」 

と声をかけてくれる。カメラマンさんがまた不機嫌な顔をした(笑) 
ごめんなさい。なんども取り直しさせて。 

「それから、ここで開くパーティ、こんど呼ぶから。…愛知じゃ遠いかぁ??」」 


「そりゃもう、ぜひとも!!ダッチオーブン持参して参加します!」 


ドアを開けて階段を降り 
ヒマラヤスギとツリーハウスを見上げる。 
空は薄暗くなりはじめ、緑の小屋の窓からはあったかいオレンジの光が漏れていた。 

ツリーハウスに別れを告げ、 
せっかくだから案内してくれるというので早稲田に向かう。 

20070927

麻績村の夫婦

   

      夏の星座にぶらさがって 
           
      上から花火を見下ろして 


夏の終わり、夏の星座は空の隅に追いやられているけれども。 
花火を見ました。念願の、今年初めての花火。おそらく今年最後の。 
いい花火でした。いい夜でした。最高です。 

花火、見下ろしてきました。 

信州、松本から車で小一時間ほど走った山の中腹辺り 
聖高原のそばにある、麻績村(おみむら)からは 
山の下にある隣町の花火を見下ろすことが出来るんです。 
足元に打ち上がる花火。 

「今年は(今年も)花火を見ていない。すごく見たかったのに」 
と、そんな私に 
「一緒に花火を見下ろしに行かない?」 
と素敵なお誘いをして下さった先輩の言葉に甘えて 
「行く」と、ちょろちょろ後をついて行く金魚のフンみたいな私。。 

着いたのは、麻績村にある先輩のお友達夫婦のお宅。 
「は、はじめまして。おじゃまします。」 

なぜだか、先輩のまわりには、素敵なおもしろい人達がたくさん居る。 
今回お世話になったご夫婦もまた然り。 
ほんわかあったかい、可愛らしい絵を描く画家のねぇさんは 
底抜けの明るい笑顔と、楽しいマシンガントークの持ち主で 
とってもきもちのよい人で 
私は、初対面だってことを忘れ、くつろいで楽しんでしまう。 
そんな妻をやさしく見守る、料理上手な建築家のだんなさんの 
おいしいご飯を食べて 
そんなご夫婦の、これまた素敵なお友達の手作りのお酒 
さっぱりとした最高においしい梅酒を飲む。 

山の斜面にたつ可愛らしいおうちの縁側に座れば 
2Mほど下に地面が見える(斜面だからね。) 
足をぶらぶらさせて眼下の花火を眺めましょう。 
私は気分が良くなりすぎて、勢いあまってスリッパを 
斜面下のお隣さんの畑に飛ばしてしまう。 
ご夫婦の隣にすむ、これまた素敵なおじさんが 
「シンデレラ〜♪」と言いながら2M下からスリッパをはかせてくれ 
ついでに畑の葡萄をもいで渡してくれる。 
このおじさん手作りの 
妙にリアルな8頭身の乱れ髪の妊婦のカカシが 
花火に背を向けて気だるそうに畑に立っている。 
「花火?何が楽しいの?私は花火なんかみないわよ」 


すてきな、気持ちの良い人の周りには、 
すてきな、気持ちの良い人が居て 
そんなすてきな人の隣にはまた  
すてきな、気持ちのよい人がいて。 
そしてみんな楽しそう。 

みなさんそれぞれ、毎日いろいろと大変なのだろうけど 
きもちのいい夜を楽しむことを知っている。 

なんだかうまく言えないけれども 
私も精進して 
すてきな、気持ちの良い人になって、 
すてきな、気持ちの良い人たちと繋がりながら 
きもちのいい楽しい時間を紡いでいきたいもんです。 
そう思いました。 

素朴な木の床にあたたかい照明 
すてきねぇさんの大きな絵の下のふかふかベッドで 
犬のランちゃんと、先輩と、私で、川の字になって眠りました。 
ほわほわ とした夜でした。 

居心地の良い すてきなおうちでした。 
なにより すてきな ご夫婦でした。 
犬もかわいいし。(この犬、ちょっとずうずうしいけど) 
朝御飯も昼御飯も、おやつタイムの珈琲もおいしかったです。 
(私も犬に負けず劣らず、ずうずうしい? 
くつろぎすぎ、馴染みすぎ、あまえすぎ…かも!?) 

私もいつか、二人が私にしてくれたように 
生意気な青臭い小娘を迎え入れて一緒に花火を見下ろせちゃうような 
懐のでかい人あたたかい人になって 
それからそれから、二人のすむ家のように、 
あたたかな居心地のよい家をつくりたいです。 
もちろん、おいしい手料理と…出来れば手作りのお酒でお出迎え。 


    夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして 

    たしかに好きなんです もどれないんです 

    夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして 

    最後の残り火に手をふった 



素敵な、きもちのいい時をありがとうございます。 
誘ってくれて、ありがとさんです。

20070609

フリーマガジンQUATRO との出会い

0円で手に入る雑誌 
フリーペーパー、フリーマガジンの類には 
正直あまり期待をしていない。 

発行初期の頃こそ面白かったりするのだけれども、 
刊行回数を重ねるごとに 
「広告」の色が濃くなってくる。 
アツイなぁと思っていたフリーペーパーが 
いつのまにか「生討論 学生のイマ」というような感じのコーナーで 
「携帯はド○モが一番」なんてことを言い出したときには興ざめした。 
座談会に参加している現役大学生達が 
某携帯会社が他社に比べて何が良いか口々に話していくのだ。 
おいおい。 
フリーペーパーのスポンサーに 
記事の内容までいじられてしまう。 
スポンサーに食われてしまっている。 

0円でやっていくのはむずかしいことなんだろうなー 
大変なんだろーな となんとなく思う。 
大変なんだろうけれど 
広告色が濃くなり 
特徴やメッセージ性が薄れたペーパーは 
0円だとしても食指が動かない。 

とは言うものの一応いろいろ目を通してみる。 
スポンサーにおどらされているようなフリーペーパーでも 
なにかおもしろい情報が落ちてたりする。 
フリーペーパーはローカルなものが多いから 
ひょっこり見つけたおもしろい記事が身近なものだったりもする。 

豊橋に戻ってみれば 
名古屋ほどフリーマガジン、ペーパーが多くはないので 
手当たり次第一通り、分かる限り全てをチェックすることができる。 
そのほとんどが、特集ページと 
飲食店を中心としたショップの紹介に 
読者からのお便りをつかったページで構成されている。 
飲食店、美容、習い事…。 
ターゲットはお金を自分で使える大人の女性 
それも20代から中年まで幅広くといった感じだろうか。 
若い子向けのセレクトショップから 
おばさま向けのお洋服、アンチエイジングにカルチャー教室。 
豊橋はお店の絶対数も名古屋ほど多くはないので 
紹介されるお店もかぶってくる。 
4月から毎月見ていれば、そろそろ見覚えのあるお店ばかりだ。 
ショップ紹介にも飽きてくる。 

さて、長々とフリーマガジンの説明をしてきた理由はひとつ。 



そんな豊橋にて 

そんな数少ないフリーペーパー、フリーマガジンに 

あまり期待もせず次々と手を伸ばしていたら 



出会ってしまいました。 

ちょっとイイ感じの0円に。 



『QUATRO 
−東三河をもっと面白くするメンズライクなフリーマガジン』 


まず、数々の地元情報誌が女性向けなのに対し、これは男性をターゲットにしているのが第一の特徴。かな。さてさて。 

実ははじめて出会ったのは二ヶ月前なんだけれども。 
一回見ただけじゃぁなんとも言えないなと 
この雑誌の二冊目を心待ちにしていたんです。 
とはいえ、「おもしろ。次も読みたい。」 
って思わせてくれるフリーマガジンに出会ったのは久しぶり。 

二冊目。 
表紙。 
「そろそろ秋モード」と小さな文字のはいった表紙は秋色。 
ジャングルをおもわせる、うっそうと茂る植物に埋もれるようにして男が一人立っている。 
ゴツイシルバーの指輪をはめて 
デカイ凝ったメガネをかけたドレッド頭でひげづらの、 
おにぃさん。 
問題は次。 
そのうしろに少しだけみえる 

赤褐色のハニカム 

見覚えがある。全貌は見えないけど、間違いない、私がハマッテしまった建築、コルゲートパイプでできた家、川合邸だ。 

ものすごくドキドキしてソワソワしてページをめくる。 
目次ページの背景の写真 
表紙の男がカッコつけて座っている。 
それはどうだっていい。 
男の左にはベンツ社のトラック。 
右手には白いポルシェ。 
いずれも所々赤く錆び落ちている。 
かっこいい… 

「あ わぁ」 
公衆の面前で間抜けな声をあげてしまう。 

コレ、川合邸だぁ 


小さな文字で添えてある COVER STORY には 
「撮影場所はどこかって?個人住宅なので秘密です…。(中略)屋久杉を見て生命力を感じるように、ここには原始の強さを感じます。自然と共存する、というかどのように付き合っていくのが幸せか。『スローライフな暮らしがしたいね』なんて言っている全ての人のヒントがここあります」 

か、川合邸でしょ??? 
と、まぁ、私の興奮っぷりをお見せしたいくらい 
すごく興奮しています。 



この興奮をどう抑えようか、悩ましいところです。 
このフリーマガジンとの出会いにドキドキしてしまって寝られそうにありません。

20070608

水越武





畏敬 おそれうやまうこと 


自然環境破壊問題が一般常識として浸透しつつある昨今、 
「うんそうだね。自然を大切にしよう。」と簡単に口に出す人の中には、どうも、自然を単純に「癒し」の対象としてしか捉えていない人が多くいるように思う。 

自然環境とは、やさしく、あたたかく、大きなもので、私達を包んでくれるもの?私達に安らぎを与えてくれる為だけのもの?それはちょっと甘いんじゃないだろうか。 
自然はとても厳しいものだ。厳しくて、時にとてもしんどくて、全てのものがなんかもう必死なんです(うまくいえない)。強い強い命の力。だからこそ、美しいし、たまらなく魅力的。そして時にたのしく、かわいらしく、愛おしい。もちろん癒してもくれる。 

自然に癒しだけを求めて、街を捨てて森で生きる、なんてユメ物語だと思う。自然環境も、ひとのつくってきたものも、バカにしちゃぁいけない。厳しい環境の中を生き抜くために、人はシェルターをつくり、そこに棲みはじめたのだろうと思っている。建物も、街も、そもそも”生き抜く”ための必死な人間の知恵だったはず。自然環境も、ひとのつくってきた環境も、どちらも真剣勝負。 

よく耳にする「環境保護」「地球を守ろう」という言葉。 
引っかかりませんか? 
人間が「地球を保護しよう」だなんて、おこがましい。 
地球に生かされているのに。 
自分は地球の一部なんだよ。 


地球に足をついて仕事する人 
地球で遊ぶことのできる人 
そんな人同士で、わりとよくこんな話をする。 
まぁ、なんのことはない、とりとめのない話だ。 
なんのかんの言ったって、 
そんな自然の世界につなっがているのが好きだ というだけの私達。 

それで、そうやって自然の中に居る人は 
命懸けの正念場にでくわしたり、 
命の交代するシーンを目にしたりして、 
自然の厳しさなんかを知ると同時に 
どうしようもない愛情が沸きあがってきちゃったりするもの。 
単純に「好き」というのとはちょっと違う。 
畏敬の念。 

おそれうやまう気持ち。 


そんな気持ちをおもい起こさせてくれる人の一人が 
水越さん。 
高校時代、私の所属していた山岳部の先輩にあたる。 
大先輩だ。彼は写真家として自然の写真を撮り続けている。 

初めて彼の写真を見たとき、私は高校生だったのだが、正直に言うと「キレイ」とは思わなかった。世の中にもっとキレイで、(すてきな色や構図で)、人をひきつける魅力的な風景写真はたくさんあると思った。我ながら嫌な後輩だ。 

水越さんの写真は、泥臭いかんじがする。垢抜けない。カッコイイ、綺麗な自然ではなくて。もっとこう、生々しいかんじ。 



ところで、高校山岳部の同窓会(?)なるものが、実にマメに活動をしているのです。月に一回届く”山の会通信”では、誰かがなにかコトをおこすたびに、それを取り上げて、応援している。「○○が自費出版で本を出した、みなさん読みましょう」とか「○○が個展をひらくようなので、ちかくの方はぜひ行きましょう」とか。どんな小さなことでも。 

そして今月の通信で、私は、水越さんがTVに取り上げられることを知った。今日はその放映日だった。「すごいねぇ。こんなちゃんと長い時間取り上げられるなんてねぇ。途中たいへんだったかもしれないし、今も大変かもしれないけど、でも、こう、ずっとすきなことを貫いてきたっていうのはすごい、つよいなぁ…」としゃべりつづける母と一緒に見た。 

水越さんは「僕は風景をとっているんじゃない」と言っていた。森の中で「今、僕は森を風景としては捉えていない。風景ではなく森を撮っている」と。少しわかりづらかったけど、彼の写真は「森という命」を被写体としているようだ。「生態系ごと森をとらえる写真家」と紹介されていた。 


そうか。野暮ったくて、泥臭くて、どこかぐちゃぐちゃっとした水越さんの写真は、でも生々しい命がつまっているんだな。 

「必死にみんな生きている。この世界どんどん減ってきている。なくなる前に僕は記録として残しておく」やさしい口調だったけれど、強い意思を感じた。 

何かを忘れそうになったら、水越さんの写真を見ようと思った。 



そんな水越さんの写真展が7月1日まで東京の写真美術館で開かれています。 

こんな長い日記をかいておいて、結局宣伝でした(笑) 
読んでくださった方、ありがとう。 
いちお、後輩として。 
尊敬できる考え方の持ち主である先輩の、 
最大の(!?)写真展ですから。 
もしよかったら一度行ってみて下さい。黙々と撮り続けた40年の中から選びぬかれた写真だそうです。よ。 

写真展 http://mizukoshi.manipicture.com/exhibition/ 
写真美術館 http://www.syabi.com/details/daichi.html 

*日記に添えてある写真は、水越さんの一番新しい写真集の表紙です。どうぞよろしく 



20070507

コルゲートパイプに棲む人

幻庵を訪ねたのは一年ほど前。 
しとしと雨降る森の中ですごした幻のような時間。 

「初めてここに来る人にはやさしいの。二回目以降来る人には意地悪だからね」 
目の奥をキラリと鋭く光らせながら、そう言ったご主人の訃報を聞いたのは秋のこと。 
再訪の夢は叶わなかった。 


そして昨日 
奇しくも あの日と同じ雨空の下 
幻庵の原点となるコルゲートパイプの家を訪ねた。 

川合健二邸 

豊橋市内 自宅から車で30分ほど走った 
森に抱かれたその家には 
今はなき健二さんの面影を多分に残しつつ 
花子さんが一人で暮らしている。 
住むというより棲んでいるといった方がしっくりくる。 

ぎょっとする外観 
強い存在感と、漂う毒々しさ 
と 
薫る新緑に咲き乱れる草花 

コテコテ人工的なコルゲートパイプの家は 
何故だか森がよく似合う。 



中に通され 
花子さんの旅行のお土産のお菓子を頂きながら 
お茶を飲む。 
川合邸の強烈な第一印象とは対照的に 
ゆるりとくつろげる落ち着く家の中。 
幻庵は別荘として、日常とはかけ離れた時が流れているが 
ここは生活の場だ。 

顔をくしゃっとさせてたのしそうに笑う花子さんの 
さまざまな物事を自然にうけいれてきた 
その人となりが、 
この居心地の良い雰囲気をつくり出しているのかもしれない。 

それにしても、 
90歳を目前にしているとは思えないほど 
頭の回転がはやく、鋭く、テンポのよい花子さんに驚かされる。 
健二さんの話、この家の構造、工法、エネルギーと自然の話、生き方の話、コルゲートパイプを通して繋がってゆく人の話、幻庵のご主人と奥さんの話、…。 
ぽんぽん繰り出される話と、 
こちらの言う事に対してのすばやい切りかえし。 
飽きない。 
そしてほんとによく笑う。 

そしてやっぱり、笑うその目の奥がときどき鋭く光る。 
幻庵のご主人を思い出す。 


最後に、この家の未来について聞いてみる。 
失礼かとも思うのだけれど、 
自分のなき後の幻案の行く先を語っていた 
幻庵のご主人を思い出すと、聞かずにはいられない。 

「ずっとこの家をこのまま残しておこうなんて考えてないよ。 
だってモノだから、いつか壊れていくものだから。伊勢神宮じゃあるまいし」 
と花子さんは笑う。 
そして、鋭い目つきに変わった花子さんは、こう付け足した。 
「カタチをこのまま残しておきたいとは思わない。ただ、こんなモノを建てて、こんな生き方をした人がいたんだ ということを残すことで、後の人になにか伝えられたらいいなと そんな風には思ってる」 

この家も、幻庵も、 
考え方、生き方 のあらわれであるように感じる。 
コルゲートパイプの家の魅力は 
そこに棲む人、つかう人自体の魅力と切り離して考えることは出来ない。 
コルゲートパイプの家は、単なる素材や構造、形態だけでは語れない、思想の家だ。 


気が付くと、ずいぶん長いこと時間が経っていた。 
「今日は楽しかったわ」 
と花子さんは笑い 
「次はみかんの時期においでんね」 
と言った。 


花子さんに別れをつげ川合邸を後にする。 

ワーゲン 
ポルシェ 
ベンツのトラック 
庭先に、綺麗に錆びて、朽ちかけている車が並ぶ。 
しっとり雨にぬれたその姿は美しい。 

朽ちかけた白いポルシェの周りには 
白い花が咲いていた。 
雨の日は色が鮮やかでこまる。 
まぶたに焼きついた その光景がいつまでも離れない。 


花子さんのみかん畑が豊かに実る頃、また訪れようと思った。 
私の家の柿畑に実るはずの柿をもいで、を手土産に持っていこうかな。