20190725

私、失敗しないので。(間違えたら、なおしたらいい、という話) 2019年の100日記,


 
「下がきなしで直接ペンで描くんですか!?失敗することってないんですか?」と、聞かれました。「そりゃ失敗することもありますよ。失敗しないなんて、そんなことはないですよぉー。」と、私、即答。そんなそんな、間違えない人なんているんだろうか、そんな完璧な人いないでしょう、(テレビドラマの中に1人、失敗しない人を知っているけど)、自分は全然そんな、パーフェクト人間ではないし。

「じゃぁ失敗したらどうするんですか?」続けての質問…「失敗したら…?」

絵を描いていて失敗したら
どうするのか?

の質問に答えることができず。ハテ。となってしまった。

失敗って、なんだ…?


その質問のあと12日後に、「失敗」について友人と話しをする機会があった。話をする中で『プロジェクト単位として、結果に繋がらない、という意味での失敗は色々思い出せるけど、絵としての失敗、がなかなか思い出せない。』ということに気がつかされた。文字を書き間違えることはあるけど、それだって直せばいいし、特に失敗ではない。

友人と話を重ねる中で。
ようやく1つ「絵で痛烈に失敗した」と感じた出来事を思い出した。(思い出してホッとした)。コラボして絵を描いたその一回、うまく噛み合わなかったその一回。

失敗しないっていうと、すごく不遜な嫌な奴に聞こえるから、そんな風には思われたくないから「失敗することありますよー」って答えたものの。自分一人で描いた絵で「失敗したなぁ」って思った経験ないかもしれない。

失敗って何だ?

本気でキョトンとしている。



八ヶ岳でのスケッチを見返していたら、間違えた跡を発見した。木の枝の折り曲げ方を間違えて、おっといけないと描き直した様子。コッチの枝ね、という方に水彩絵の具を落としている。この絵は「失敗」なんだろうか?いやそんなことない。後で見返して絵の参考にする資料として、八ヶ岳の雑木林の様子をメモするという目的は果たしている。それどころか、このラフスケッチなかなか気に入って入る。このまま床の間を飾ることもできるなぁ、なんて思っている。


この絵を見ながら、数日前の質問にようやく答えられる「間違えたらどうするのか?というと。間違えたら、なおしたらいいんじゃないかな?」だ。


今回のスケッチでいえば、メモだから、間違えたって平気だ。どっちが間違いで、どっちが正解かが分かるようになっていればそれでいい。もしこれが人前でのライブドローイングだったら?その時は、間違えなかったことにする。そのままのラインで成立させるように仕上げるのみ。でもそもそも、人前で絵を描く時点で集中力が高まっているからあんまり間違えないんだけど(ライブが好きだ)

「失敗って自分が思ったところで手を離したら失敗だけど、そのあとリカバリーできたら失敗ではなくなるんじゃないかな。」と質問してくれた人に答えたい。可能ならまた新しい紙に描き直したっていい。やり直せばいい、という意味で、失敗ってたぶん、ほとんどないのだ。どうしようもなく失敗で終わることも時にはあるけど、さ。不遜だろうか。

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