20191021

民法をかじる 2019年の100日記

自分のお仕事以外の時間:お休みのプライベート時間も、我が家ツノハウスは、何故かいつもわりと忙しい。家のことしたり、お料理したり、の他に、いつも何かしら「課題」または「テーマ」があり、その2人の共通の壁に2人で向き合うということが繰り返されている。それが、結構楽しい。車探しを終えた今、ここ1カ月くらい、法律(民法)まわりのことがテーマだ。

「法律というものは、弱い立場の声の小さい人を守るためにあるもの」らしいという大前提を、はじめて意識した。たとえ契約書に書かれていてサインした内容でも、不当なものは無効になったり、取り消されたりする。実は、私たち、法律に守られているのだ。世の中、よっぽどわるいことはできないようになっているらしい。契約で決めたことでも、法律は乗り越える場合があるのだと、知らなかったし想像したこともなかった。

契約<法律
だとしても、契約は大事。ただ書き留めて文字になった情報で内容を確認し合うことはすごく大事なコミュニケーションの補助ツールだ。

「人は他人の話をほとんど聞いてない」「人は相手が頭の中で考えていることを知っているつもりになって決めつける」ことがよくあるし、話して側も「相手は分かってくれているはずと思い込む」ことは珍しくなく「言ったつもり、説明したつもりで伝わってないこと」も頻繁にある。コミュニケーションの齟齬は、珍しいことではなく、むしろハナから起こるものとして準備し対応した方がいいらしい。だから文字があることは、双方にとって良いことで、安心。
書き出してみると当たり前のこと、この年になってようやく気がつきました。(気がつけてよかった!)

とはいえ。良識と倫理観に則っとることが基本…という判断基準のあやふやなこと!ちょいちょいオカシインじゃないかと首を捻りたくなる法律も判例もあるし…守られてるからきっと大丈夫!って安心しきっちゃうよりも、少しだけ前のめりに「法律を知りに行く」ようにした方がいいかもしれない。

民法は特に、日々の暮らし周りのことだから、教養として少しかじっておくのは、決してマイナスにはならないだろう。ツノハウスの2人はどちらも読書好きなところが幸い。調べ物して、それぞれ発見したことを報告しあい、コーヒーでも飲みながらお喋りをする。これビックリなんだけど、どう思う?ねぇこの部分ちょっと意味がわからないんだけど、もし分かったら解説お願い。とか。

法律の世界をちょっと覗き見しながら、自分のお仕事に置き換えて、想像が進む。関わる人がみんなお互いに気持ちよく心地よく任務を遂行できるには…と。2012年まだ20代の頃に絵の仕事をはじめて、これまで1人で、その場その場でシャニムニにプロジェクトにあたってきたわけだけれど…いったん大きく見直す時期みたいです。30代半ばになったし、ちょうどよい。

ツノハウスに暮らし始めてから(結婚してから)、ツールとして使える知識量が増え、パワーアップしてる感がある。ありがたい。

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