20191015

だいたいほとんどの人が、他人の話を聞いてない。2019年の100日記

【話を聞いてもらいたい欲求と、空想スケッチのこと】

だいたいほとんどの人が、他人の話を聞いてない。

誰かを責めているわけではない。省みてみると、自分だってそうだ。他人に真剣に向き合って、考えていることを聞くだなんて、すごく大変なことだ。

目の前の人が何を考えているのか聞こうとしない、その理由のひとつは、「目の前の人の考えをもう既に知っている、と思い込んでいる」からではないだろうか。そして「自分の中にある想像上の相手のイメージに向かって、自分の意見を言う」。そんなシーンはよく見かける。目の前に存在しているはずの人自体は蔑ろにされていることになるので、それを感じ取ると、聞いてもらえない側としてはモヤモヤしたりする。

「どうして私の話を聞いてくれないんだろう!聞かないで、決めつけて、挙句勝手なアドバイスを始める!」とイライラした事があるのは、私だけではないはずだ。アドバイスはだいたい的外れで役に立たない、なぜなら、そもそもの問題点がズレているし、状況も把握されていない(状況を説明する前にアドバイスがはじまってしまう)。職業として、お客さんのリクエストを聞きますよと言っている人でさえ、お客さんの話をあまり聞かないことにビックリしたこともあった。だけど、どうやらそういうものー「人は人の話をほとんど聞かない」ものだと、ふと気がついて、自分に言い聞かせるようになったら、少しだけ楽にその場をやり過ごせるようになった。

ただ「自分だって、たぶん他人の話を聞いてない」って気づいてからは、ふとした時に喉の奥の辺がキュっとすぼまり、ザワザワした気持ちになるようになった。とてもじゃないけど「他人にアドバイス」なんてできない。自分もその人のことじゅうぶんに分かっていないだろうから。自分が人にアレコレ言われるのがきらいだから、というのもあいまって…言われた時の嫌な気分を思い出すと何も喋れなくなる。

他人が大事そうに行っている物事に対して口出したりアドバイスしたりしなくなった。同時に、大事な話は滅多に他人に話さなくなった。(聞いてもらえなくてガッカリすることがほとんどだから)。
摩擦が少なくなって楽になるかと思えば、なんだか寂しさが募った。 ・


さて、私は「空想スケッチ」という名の絵を描くサービスをしている。「将来ひらいてみたいお店や、暮らしてみたい家のイメージ。理想のデートシーンなど。あなたの想像する世界、夢の話を聞かせてください。絵に描き出します」とうたっている。

「空想スケッチ」の仕事は、私の「聞く」という行為のトレーニングの場にもなっている。空想スケッチをしている間は、意識して「聞く」ようにしている。目の前の人が何を考えているのだろう、何を想像しているのだろうということに、神経を集中させるのだ。話を聞いて、ふんふんなるほどねって納得し合ったことでも、聞きだしたイメージを私が絵に描き出した時点で、相手から「ソレ違う、そうじゃない」と指摘が入ることがよくある。よっぽどお互い口頭で盛り上がり同意した内容でも、それぞれの頭の中にあったイメージは違ったりするのだ。「私もよっぽど他人の話を聞き出せてない」と毎回実感する。絵に描き出すことで、イメージが違っていたことに気がつくことができるのも、空想スケッチの面白い点だ。

時間制限と報酬ありきでないととてもやってられないけれど、「空想スケッチ」の時間だけは私の「聞く」に徹するスイッチを入れる。

「聞いてもらえないストレス」「自分のことを分かろうとしてもらえない哀しさ」は世の中に溢れているんだろうなぁ、と思ったりする。

ふとした時、満員電車の中や、喫茶店で、周りを見渡した時に、全く面識のないさまざまな人をぼんやり眺め「この人達は、話を聞いてもらえているだろうか」という質問が心に浮かぶ。「今、この人は一体何を大事に思っているだろうなぁ。」と考えたりする。愚痴や悩みや不満の殻を破って、思考を押し分けていった先の心の奥の方に、きっと何かしら暖かい、大事なものがあるに違いない(と私は思い込んでいる)。その、それぞれの「大事な何か」は、「じゅうぶんに大切に扱われているだろうか?」自分自身が大切に扱っているのか、他人にも大切に扱ってもらっているのか。「誰かに、話した時に、聞いてもらえているだろうか?」

愚痴や悩みや不満を聞く気にはなれないけど、何か大事にしている思いがあるなら、ソレを諦めたり潰したりしちゃう前に、聞かせてほしいなと思う。ただし時間制限ありの、お仕事として報酬をもらっての場合に限りますが。

この冬は「空想スケッチ」強化シーズンにしようかなと考え中。

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