20210623

kids 泣いている小学生/中学生を見かけたら?親でもない第三者に何ができる?

小学生たちが列をなし通学している朝の風景の中

小さな男の子が、肩を落とし、しょぼしょぼと歩いているのを見た。

ふと顔をあげたその子の瞳から涙がポロポロ溢れるのを見てしまい、

私は胸がキリキリと締め付けられるような苦しさを覚え、居ても立ってもいられない気持ちになった。

なぜ、その子が泣いているのかの事情を、私は全く知らないけれど

ただ一人の小さな男の子が、身体全体をかなしい気持ちに浸している、という状態であるというそれだけでじゅうぶん大きな出来事で、私もとてもかなしくなり、自分の目にも涙が浮かんできた。

朝、家で親と揉めたのか、これから向かう学校が嫌な場所で行きたくなくて泣いているのか、同じ学校へと向かう友達たちと喧嘩したのか‥。どんな事情にせよ、そんなにまで涙を流してかなしみながら通学することないだろうに‥どうぞ、世の中の子ども達には、できるだけ幸せな時間を過ごしてほしい。

小さな肩に大きなランドセルを背負っていたその子は小学一年生。親でもなく、担任の先生でもない私にできることは何かあるのだろうか?



ずっと心に残っている後悔がある。

私がまだ大学生だった頃のこと。旅先で出会った女子中学生が、身体全体から憔悴しきった雰囲気を漂わせていた。どうにも放っておけなくて声をかけた。面識もなく、名前も知らない彼女だったが、話をきいた。

「女はいつも男に殴られるから嫌だ。」

と言う彼女の言葉に、私はびっくりした。私も女だが、誰からも殴られたことなく育ってきた。自分の知らない世界だった。

彼女は父親に殴られた、と言った。彼女の母親も父親に殴られている、と言った。女はそうやって、男に殴られる存在でしょう、とさも当然のことのように話す中学生の女の子。私は衝撃を受け、動揺し、あわあわしながら、まくしたてるように喋った。びっくりして早口になってしまった。

「それはおかしいよ!ぜんぜん、おかしいよ!殴られていい人なんていないよ!我慢しなくていいんだよ。殴られるような場所からは、逃げ出していいんだよ。痛かったね、こわかったね‥。殴られない場所があるし、あなたを殴らず守ってくれる人もいるよ、守ってもらえる場所がどこかにあるよ。世の中いろんな人がいて、いろんな場所があるんだよ。

殴るなんてダメだよ!男でも女でも人を殴っちゃだめだし、殴られていい人なんていないよ。みんなみんな大事に扱われていいんだよ。」

次の日も同じ場所に居ることを伝え彼女と別れた。私の心臓はドキンドキンとしていた。

翌日、彼女ではなく、彼女の母親だという女性がやって来た。

「うちの娘に余計なこと言ったのはアンタ?変なこと言うのやめてくれる?何も知らないくせに。人の家庭のことに口出すんジャナイヨ。」

その女性は私を一喝すると去っていった。厳しい声でどなられた私は、しばし呆然としていた。

確かに私は家庭の事情を一切しらない。家族でもないし、学校の先生でもないし、権威ある専門家でもなく、ただの旅する大学生が、やんややんやと家庭のことに口出したらそりゃ不愉快に感じるかもしれない。でも中学生の女の子が一人、ひどく弱っているように見えたんだもの、それだけでお節介をやく理由には十分だと、心の中で反発した。

もちろん中学生の女の子が嘘をついて大袈裟なことを言っていたという可能性もなくはないが、そんなのしかるべき機関に調査してもらい嘘だと分かったら、嘘でよかったと思えばいいだけだ。ほんとに殴られてたとしたら、躊躇してる場合じゃない。

それで、あの中学生の子はどうなったんだろう?逃げ出そうとしたのかな?それとも殴る父親に反抗したのかな?逃げられたのかな?反発したことで、もっとひどく殴られたりしていたらどうしよう…?

私はこわくなった。

昨日話を聞いた段階で、「助けて守ってくれそうな場所/人」に彼女をつないであげられればよかったんだ、と自分の役立たずさにかなしくなった。具体的にどんな機関があるどんなサービスがあるのか知識がなかったけれど、その場で調べればよかったんだ。私はただただ動揺して、何の役にもたたないアドバイスを口にしただけだ。自分の愚かさに腹が立った。何もできなかった。余計なことを言って、よけい事態を悪化させたかもしれない‥?

でも、あんなに若い子が、親のもとで苦しいおもいをしているかと思うと、耐えられない気持ちになる。


力を持つものは、自分がもっている力に対して無自覚になりがちなところがあるように思う。親は子どもに対して圧倒的に力をもっている。経済的に、身体的に、子どもの生命与奪は親の手に握られてしまっている‥ようなところがある。一人前になるまで、子どもは、親の庇護なしに生きていくのは難しく、親の支配下から抜け出すことは非常に困難だ。すごく不均衡な力のもとで、精一杯生きているのが子どもだ、とそんな風に私は感じている。

親は親で一所懸命で、それぞれの正義があり、それぞれ事情があるのだろうけれど、それでも、どんな場合でも、子どもの生命と心を大切に扱わねばならない。いのちは、大事だ。尊厳も大事だ。

対等に親と対峙することがかなわない状態の子どもが

苦しんでいたり、悲しんでいたりする場合は、その子を救う為に、第三者の介入が必要になることもあるはずだと思う。



数ヶ月前のニュースで、5歳の男の子が餓死したという、あまりにかなしい事件を知った。母親が、母親の友人に洗脳されたような状態で言いなりになっており、子どもに食事を与えなかったという。あまりにつらい事件だ。そんなことあってはいけない。育児ノイローゼになる人へのサポートも必要だし、他人を洗脳しお金を巻き上げるような精神的に歪んだ人にはカウンセリングや治療が必要だし、でも何より、まずまっさきに、そんな大人のせいで脅かされる子どもの命をなんとかして守る必要がある、最優先。安全で、あたたかいご飯を食べさせてくれる場所に連れて行き、守ってあげる必要があったのだ。

親でもなく、何も知らない通りがかり第三者だとしても、弱い立場におかれている子どもという存在が弱っているのを見かけたら、他人の家庭のことでも口出したり、手を出したり(しかるべく機関に引き渡すなど)してもいいんじゃないかと思う。



まちなかで、泣いている小学生/中学生を見かけたら、親ではない第三者の私にできることはなんだろう?何だったらしてもいいのか?

ちなみに冒頭の少年は、どうやら、学校で必要だと言われているマスクを親に持たせてもらえなかったことで、泣きながら登校していたらしい。(暴力や虐待でなくてよかった。)もしかしたら、今の日本全国で見られる風景なのかもしれない。マスク着用絶対反対派の親と、マスク着用をルールとして定める学校との間で、板挟みになり苦しい想いをしている子ども達がたくさんいることだろうと思うと胸が痛くなった。





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