20220416

毎年花が咲くこと



 かなしいきもちに飲み込まれそうな時もある。苦しくて悪夢にうなされる夜もある。目覚めても、未来への不安が拭えない朝もある。


そんな時は少し歩くといい。ちょっと疲れるくらい身体をつかい、景色を眺める。同じ道を歩いても一週間前とは違う景色に出会い、季節の変化を感じられる。

今日は30分だけ森を散歩した。緑の枝の上に白い花が咲いていた。綺麗ねぇと顔を寄せると先客。オレンジ色の小さな蝶がとまっていた。逃げない蝶が鼻先15cmの距離にいて一緒に花を眺めてるような不思議な感覚になった。ようしもうちょっと、がんばるぞというきもちになって家に帰ってきた。

かなしいの沼に浸り憂いでいるだけで一日を終えたくない。少しでも前を向き、少しでもいい方向に向かっていくにはどうしたらいいだろうと模索して、試して、ジタバタしたいと思う。

ツノハウスは新聞をとっているのだけど、私は最近、新聞を読むのが辛くなってきている。あまりにかなしいニュースがあふれている。ガッカリ肩が落ちちゃうようなニュースもある。苦しい記事を載せたら、同じくらいの分量の気持ちいい記事も載せてくれたらいいのに…。

ラジオで国会答弁を聞いてみても非難し合うばっかりなやりとりが続くとげんなりとしてくる。ヤジがかぶるともう耳を塞ぎたくなってしまいパチっと電源を切る。国会答弁もしばらくきいていない。

間違いを指摘し非難するだけが、社会を心地よい方向に変える方法ではないはず。現状のいいところを見つけ認めて、大切に残していくことだって、変革と同じくらい大事なこと。なくなってから騒ぎ立て嘆ぎ誰かのせいにして責め立てる前に、まだそこにあるうちに気がついて大切にできないだろうか。

今ここに当たり前のようにしてある環境や仕組みのなかには、先人たちが苦労してつくりあげてくれたものもあり、それらを簡単に放り出したりしたくない。
平和な暮らしの貴重さ、ありがたさをヒシヒシと感じること。安易に戦いを煽らないこと。諍いをながびかせる行為に加担しないこと…。



当たり前のように毎年桜の花が咲くことの、すごさを忘れたくない。雪と氷に覆われた氷河期にこれから突如突入しちゃったら見られなくなるかもしれない景色をしっかり楽しみたい。

人と植物と動物と、今この世界の美しさを見つけ認めて、慈しむことを大事にしたい。(批判精神ももちろん同じくらいだいじ。注: 非難と批判は別もの)とそんなことを今日も考えています。

抽象的で散漫な文章でちょっと分かりにくい投稿になってしまいました。すみません…。えっと…今日書いた内容によく似たことを、具体的なエピソードをまじえながら、エッセイとして書き上げました。具体的な文章の方が読みやすい、はず。です。

悩みと、願い、祈りのような…切実なきもちをぎゅぎゅぎゅーっと詰め込んで文章を書きました。私のエッセイ集+作品集。つくるのに3年くらいかかっております。もうじき完成します。完成したらぜひ読んでください。

#最近本をつくっています

写真は3月の名古屋、竹林の向こうにしだれ梅

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