20081009

Nature/旅の記憶.2



 牛渡川と梅花藻 山形県遊佐町




すごくきれいな川があるから連れて行きたい と石垣家のパパさん。
言い出しておいて道に迷って(自分の町なのに!)天然なパパさん。
「あれ、ここじゃない。かぁ。いや。うーーん。っ。こっち…でもない。」
真剣に頭を抱えて困ってる姿を見て、内心
いいのに、川ならたくさんあるし、どこもとても綺麗だったよ。と思っていた。
だって、小さなため息を何度も何度もつきながら、ちょっと泣きそうなんだもの。可愛い人だ。


遊佐町は広大な稲作地帯、庄内平野の片隅に位置する町で、水脈に恵まれている。
日向川、月向川はじめ多くの川が平野を走る。
鳥海山から湧き出した小さな小川もいつしか大きくなり、あちこちに滝をつくる。
「そうか、そうそう、ここここ。」
結局奥さんに来てもらって、先導されながら行き着いたのは鮭の養殖場。
そこから少し森の方へ歩く。空気が少し冷たい。


目的地にたどり着いて、にこにこ満面の笑みのおじさんの顔を見てると
なにかもう、それだけでちょっと嬉しい。よかったなぁ、ちゃんと着けて。
呑気にそんなことを思いながら歩みを進めると小さな小さな川があった。
確かにこの川は、見つけるのに苦労する。
川幅もせまく、水深も浅く、ほんとに小さな川。
水が、とてもとても綺麗だった。確かに他の川とは違う。
透明度の高い、というだけでは説明のつかない美しさ
まるで磨き上げられた水晶のような、いや純度の高い硝子に丁寧な切子細工を施したかのような。
水底に生えているのは梅花藻。梅の季節に、梅のような花をつけるのだという。
この川の底一面に白い梅の花の咲き揺れる様を想像すると、ぞわっと鳥肌が立つ。
私の妄想癖は、こういうときに実によく働く。まぁ、たまには役に立つってもの。
梅花藻が絶えず水中にたくさんの酸素をおくりこんでいる。
だからこんなに気持ちのいい川なのか。
静かな水面のあちこちにゆるやかな波紋がひろがる。川のそこかしこから水が湧き上がっているのだ。


牛渡川の傍で縄文の遺跡の発掘作業が進んでいるそうだ。
認可されれば、三内丸山遺跡よりも古い、日本で最古の住居跡となる。
美しい水の湧く美しい川のほとりで生活していたであろう古の人々に想いを馳せる。
水のあるところに人は暮らす。
水は命の拠りどころなんだな。






                   □□□







 青森県 白神山地のブナ林


ブナの林には格別のおもいいれがある。
以前長野県の北端のブナ林を歩いたときのこと、
ブナ林を愛してやまないおにぃさんが雨の日のブナ林の景色についてうっとりと語ってくれた。
その日はあいにくの晴れ。見ることのできなかった景色に捉えられた私は
銅版画にしてみたり、水彩で描いてみたりしているうちに
雨降りのブナ林は想像の中で勝手にどんどん膨らんでいった。
いつかきっと、雨降りのブナ林を歩こう。


日本屈指の広さを誇るブナの原生林、白神山地は憧れの地のひとつ。
十二湖駅を降りると小雨が降っていた。雨!
カッパを着込み、はやる気持ちを抑えてアスファルトの道を歩く。
舗装された道から、ふかふかの湿った土、木々の間の山道にかわるとそれだけでうきうき。
気がついたら雨がやんでいて、すこしがったりしたんだけど、おかげでこんな景色に出会えました。

静かな湖面は鏡のようにまわりの景色を映しこんでいて。
周りに誰も人のいない森の中、息をひそめて見つめていると
エッシャーのスリーワールドに迷い込んだかのような不思議な感覚に襲われた。


十二湖駅近くのエリアには大小様々な湖が点在している。
水の色も、雰囲気も、それぞれまったく違うのがおもしろい。


自分の立ち位置によって、水面に反射する樹が見えたり、底に沈む倒木が見えたり
どちらが“ほんとう”なのか、倒錯した世界を愉しむ


さて、一番有名なのは“青池”という池だ。
どうしてこんな色になったのか不思議なほど、真っ青。


一番不思議で、一番神秘的なはずの湖に、一番がっかりした。
なぜだろう、この違和感。屋久島の縄文杉の前にたったときに感じたのとと同じような、脱力感。
他の湖、奥のほうでは誰にも会わなかったのに、ここには人がいっぱいだ。
観光ガイドブックに記載され、駅構内の大きなポスターで人を誘う青池は
間近までバスが来ており徒歩5分ほどで来られるようになっている。
おおきな駐車場もあり、貸切の大型バスが何台もならんでいた。
多くの人が同時に干渉できるようにとつくられたウッドデッキでは
カメラのフラッシュが止むことなく瞬いている。
「後ろの方がつまっておりますので、立ち止まらずにお進み下さい」
とどこかのバスツアーのガイドさんが声をはりあげている。
ふむ。
多くの人が訪れられるように整備することは、悪いことだと言うことはできない。
おかげで体の弱い人や、歩くのがしんどいお年よりもこの景色を見ることができる。
アウトドアに慣れた人に限定せずとも、もっと広くたくさんの人が自然に親しむことは
より多くの人がわがことの様に身近に自然を感じ大切にするキッカケにいなる。
意味のあることだと思う。
でも、どうなんだろう。
青池だけ訪れて、奥の池に巡らなかった人はがっかりしてしまうんじゃないだろうか。
「ふぅん。そうか、ほんとに青いね。不思議だね」
多くの人が口にする通り一辺倒な感想からは感動が伺えないのは気のせいだろうか。
それともただ私が一人違和感を感じてるだけで、他の人はそんなことないのかな。
確かに人がいっぱいいる、うるさい、人工的なデッキが視界に入る…
だからといって、池は池だ。山奥にひっそりとある池と変わりはないはずなのに
すっと感動がこころに届かないのは、私の感受性の問題なのだろうか。
そんなことをぶつぶつ考えながら帰路にむかう。
帰りは行きとは違う道をあるこう。


途中、切り立った岩肌に出会った。
カラカラカラと音を立てて小石が落ちていった。底まではかなりの高さだ。
日本キャニオンと名づけられたその白い岩は脆そうで、登るのはとても難しそうだ。
だれか岩肌にとりついている人がいないものかと目をこらしたけれど誰もいないようだった。
てくてく行くと、とむせかえるほどの甘いにおいと、蜜を集める蜂の羽音。
日に照らされた地面からふわっと生暖かい湿気が立ち上る。


道端の小さな草花の群生。あぁ、きれいだ。って素直に思えた。
で、同時に、あぁ、そうかって気がついた。
先の青池に足りなかったのはコレだ。
においと、おと。
あの池では、ただ、見ていただけだった。
鼻と耳、肌の感覚が死んでいたのだ。
そうかそうか、なるほど、だからだ。
妙になっとくした帰り道、でも、だから、
どう改善したらあの青池を多くの観光客に「体感」してもらえるんだろう。
ただ、「見る」のではなくて、「感じて」もらうには…?
自然を観光対象にすることの難しさに頭を悩ますばかり。






                   □□□






 白神山地から川をつたっていったら海に出た


 日本海だ。ちょうど夕陽が沈もうとしていた。



 森と山と、池と川と海を満喫した青森。なんて贅沢な。


数日後には本州を横断して太平洋側の海も眺めた。
太平洋岸を眺めながら南下していく。
女川、松島、湘南、豊橋、瀬戸内海まで。
海を眺めるのことは、とてもとても好きだ。
江ノ島から眺めた海も、静かで穏やかで心地よかった。



 穏やかな海の持つ癒しの力は計り知れない。






                   □□□










最後に。
実は一番感動したのは、自然、は広島のサルスベリの花だったりする。
広島の原爆資料館を、修学旅行以来はじめて訪れた。
あの時とはちがって、きちんと、展示物の文章一文字一文字を追って
ゆっくり時間をかけてめぐった。
呑気な私はすっかり忘れていた、というか気付いていなかった。
広島は「被爆」した土地なのだ、ただ爆弾で焼け野原になっただけでなく
「原子力」の爆弾で、放射能で「汚染」されたことのある土地だということに。
チェルノブイリの原発事故と、はじめて重なった。
終戦直後、広島を調査していた専門家の見解はこうだ。
「向こう50年、広島には草木が生えることはないだろう」
衝撃だった。
重い気持ちで資料館を出て、祈りの部屋に移りで頭をたれた。
一瞬でいろんなものを焼き尽くすだけでなく、その後も生物に影響を残す
強すぎる、怖すぎるものをもう人間は開発してしまったのだという事実。
持たない、作らない、としたって、作ることができちゃう今。
もしかして、わたしがこうのんびりと暮らしている世界は、とてもあやういもので
一瞬にしてすべて壊れてしまうものなんじゃないだろうか。
そして私は、その建物から外に出た。
ふわっと風にまって落ちてきたのは、白いサルスベリの花だった。
見上げると花をたくさんつけたサルスベリの樹が風に揺れていた。
吹雪のように白い花を散らし続けている。


向こう50年草木が生えることはないといわれたこの土地で、
サルスベリは育ち、花を咲かせている。
草は、生えたのだ。樹も育った。花が咲いた。


8月から9月にかけての長い旅、
様々な、たくさんの、美しい自然を目にし、体感してきたけれども
何も考える間も無く目頭が潤んだのは、このサルスベリだけだったような気がする。







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