20081010

Art/旅の記憶.3

アートの定義って人によって色々で、いつの時代も論争の的だったりするけど  とりあえず、私は、この日記では、Natureの対義語としてタイトルにつかってます。  Art=人間が、なんらかの意識をしてつくりだしたもの。  ま。この辺あまり突っ込まず、読んでいってくださいな。      Art(⇔Nature) 

土門拳記念館 谷口吉生設計


圧倒的に綺麗だった。
空間のボリューム感が、全体から細部までそれぞれのスケール感とバランスが
裏山の斜面との関係が、湖面と床のつながりが、明るさと暗さの演出が絶妙。
私にはこんなの、ようつくれんわ…。
完全に閉じられたハコの中にいるはずなのに、
実は豊田市美術館を好きになれない私は、
谷口吉生って名前を聞くだけでなんとなくさけてたんだけど。
土門拳記念館については、雑誌で図面をみて、設計趣旨を読んだときから、
ちょっと惹かれてたんだ。
主張するのではなくて、なるべく存在と個性を消した建築物を
周りの環境を生かす為に、必要な位置に必要なだけ配置した、のだとか。
その考え方が、すごく好きだなぁって。
実際は、なかなか存在感のある建築だったけど、でも、
「必要なところに必要なものがある」かんじが気持ちよかった。

湖と山のはざまに

水面と床がつながってるみたい。
今、中にいるんだっけ?外にいるんだっけ?

こりゃきもちいいわ。






建具の格子や、欄間の彫り、雨戸の桟等等、幾重にも透かし重なる陰に溜息


秋田県。豪農(地主)の古い家。
雪深い地域ならではのつくりなのだろう。
縁側のまわりぐるりと囲う雨戸を閉じれば室内になる

陰影。今の時代でもじゅうぶん通用するセンスだと思う。

土間。室内だけど、外。
ふみしめられた堅い土は、冬の間の作業場であるだけでなく
下人たちの、暮らす場所、でもある。
同じ屋根の下にあれど、格子の陰影が美しいあの部屋とは別世界
畳の上には、あがることができない。





古いものをただ保存するのではなく使っていくという選択。
古くて不便なところに目をつぶって我慢して使うのでもなく
きちんと快適にすごせるように補修保全する。
古材に新材を合わせて補強するのだが、その合わせ方がすごく自然で驚く。
エアコンのダクトさえ、昔からある屋根の梁のように見える。
コンクリートのベタ基礎で床下に小さな空間が一層加えられており断熱をはかる。
機密性を高めることで、暖房費などのランニングコストを下げる。
きちんと、省エネ住宅。古民家を残すことと省エネの両立が可能とは。
これからの家の可能性が色々ひろがっていく。
これは、山形県の、あつさんの仕事だ。





宮沢賢治記念館を訪ねる。
鋳鉄のみみずくがかわいい。
賢治の描いたイメージ、賢治の筆跡をそのまま残して看板に。
庭全体の設計も、賢治のメモからおこしたのだそう。

賢治のメモ…なにがなんだか、なふにゃふにゃのラフな絵から想像して
きちんと図面にかけあげて、かたちにつくり上げるのって、難しそう。
…でも、おもしろそう!。


山いっこ丸ごと記念館にするという企画者であり設計者本人にあんないしてもらった。
あれこれ苦労話や、誕生秘話を聞きながらめぐるのはたのしい。



あちこちに点在するモザイク画がかっこいい。
この白×黒のモザイクは、タイルでなく、すべて石。
賢治といえば石。

そして賢治の小説のなかに広がる世界はよく、色とりどりできらきらしているんだよね。







ひとはつくりもするし壊しもする。
もし地球の外側から人間の行動を観察している人がいるとしたら
「バカだな、あいつら何やってんの?自分でつくっといて壊してさ」っていうに違いない。
ほんとバカだ。
でも。人ってすごいな、とおもうのは、
壊しても、壊されても、またつくりあげることだ。


人って、すごい。




陶芸家さん。
つちのやわらかさ を、焼いた後にも感じさせる器をつくる人。
「ここの、ほらこの、ここの陰の落ち方、このライン、最高だね」
自分のつくったものに、自信もてるっていい。羨ましい。



人のつくったもの、Art。色々見てきたけど、一番はコレかな。
宮島の紅葉谷。
大きな土砂災害があった後、河川の整備を行った。大掛かりな土木工事。
観光地であることもあり、特に、土砂災害を再発させてはならないのは必須条件
で、あるにもかかわらず、これ。人が工事した跡なんて、ぱっと見、見当たらない。
コンクリートを見せないように、もともと生えている樹をきらないように
人の手を消して消して整備された川。
変に悪目立ちしない、我を出しすぎない、その土地のちからを引っ張り出す黒子に徹するような
“庭園風工事”

こんな仕事ができるような人になりたい。




No comments:

Post a Comment