20200810

問題解決の落とし穴


「デザインは問題解決の手法のひとつ」と大学でならった。その考え方があまりに眩しくて、素敵なものだから、私は「問題解決」という言葉に長らくとらわれすぎてしまっていたのかもしれない。そう感じることが多くなった最近だ


問題を解決する為には、問題自体に向き合い分析して、根本的な問題がどこにあるのかをみつけ、具体的な解決策を探る。その解決策が、政治家の場合は法律の改正となるし、医者だったら治療法になるし、私だったら色や線や素材の提案となる。どの職業の人も、周りの環境や人がより良いものになって欲しいとの願いから問題解決に取り組んでいるのだろうと思っている。


でも、その、問題解決の過程でこぼれ落ちてしまうものがある。そこに目がいくようになった。ひとつの問題解決の過程で新たな「問題」が生まれてしまうことも往々にしてある。当初の問題は解決していても何かモヤっとしたものが残ることもある。


「問題」を局所的に考えすぎてしまうことで大局を見失っていく場合もあるだろう。複雑な問題をある程度単純化しないと、具体的な解決策にたどり着きにくい「デザインは問題解決の手法のひとつ」と大学でならった。その考え方があまりに眩しくて、素敵なものだから、私は「問題解決」という言葉に長らくとらわれすぎてしまっていたのかもしれない。そう感じることが多くなった最近だ


問題を解決する為には、問題自体に向き合い分析して、根本的な問題がどこにあるのかをみつけ、具体的な解決策を探る。その解決策が、政治家の場合は法律の改正となるし、医者だったら治療法になるし、私だったら色や線や素材の提案となる。どの職業の人も、周りの環境や人がより良いものになって欲しいとの願いから問題解決に取り組んでいるのだろうと思っている。


でも、その、問題解決の過程でこぼれ落ちてしまうものがある。そこに目がいくようになった。ひとつの問題解決の過程で新たな「問題」が生まれてしまうことも往々にしてある。当初の問題は解決していても何かモヤっとしたものが残ることもある。


「問題」を局所的に考えすぎてしまうことで大局を見失っていく場合もあるだろう。複雑な問題をある程度単純化しないと、具体的な解決策にたどり着きにくいような気もするから難しい。具体的な解決策を出すことにこだわりすぎることで、問題設定の段階で、陥ってしまう落とし穴、かもしれない。もしくは心理的なことが原因。「華麗なる問題解決」にプロジェクトメンバーが酔ってしまってお祭り気分になってしまうと「小さな声や気持ち」を踏みつけてしまう事に鈍感になってしまうケースもある。と、思う。


関わることになったプロジェクトを目の前にして、ほんとうの「問題」とは何なのか、もっと大きく「何を目指したいのか」、何のためにこのプロジェクトを行うのか、霧の中をジッと見つめるように考えこんでいる。「私」はどの部分にどのように関わるのか、役割は何だろう。


キラキラしているように見えるプロジェクト、に関わらせてもらうことが多い。それはとても楽しいものだ。(実際はとても地道である。忍耐強くチマチマ続けているのだが、プロジェクト外からは華やかに見えることが多い。かもしれない。)どこかギラギラしているプロジェクト(野心的といいますか)に関わらせてもらうこともある。それはそれで刺激的だ。「問題解決!するよウェイ!」なテンションだ。体力があり、気力溢れ、荒波をかきわけぐいぐい泳いでいくような人達と仕事をし、そういう友人知人が身の回りに多くいることは、とても嬉しいことだ。


が、だが、波に乗るのでなく、波で溺れちゃう人がいるのも知っている。溺れているのは人だけでなく、ものや動物や環境だったりもする。見えていうのに見てないフリを続けるのには無理があるなぁ、というのが最近のきもち。


より良い気持ちいい世界になれよと日夜奮闘する各業種の素敵な仕事人がいて、世界はよい方向へ一直線になってもいいのに、そうなっているとは言い切れないのも現実。環境汚染も進んでいるようだし、息苦しさを抱えて生きづらいと思っている人もあちこちにいるらしく、自らいのちを絶とうとしてしまう人もいなくならない。なんだかとてもかなしい。もちろん良い方向に向かっている事柄もたくさんあるから、悩ましい。


あまりに壮大すぎる悩みを前にすると、どうしていいか分からなくなるから、問題を単純化したくなる。ダメよそれ落とし穴よ、と自分で声をかける。単純化しないで、複雑なものとして受け止めたい。出来ることは簡単なこと、ひとつひとつだとしても、そのむこうにある複雑な世界の複雑さを、無視しないでいたい。


おもったままにつづっていったら、取り留めのない長い文章になってしまった。すみません。読んでくれた方いたら嬉しい。

まとめるとこうモヤモヤ考えた末、行き着いた「私が今やること」を簡単な言葉でまとめると、以下。


「絵を描く」仕事の為、「絵や色、線」についての鍛錬 を続けていますが、それに重ねて「精神保健」「精神対話」を学び考え続けることにしました。


ちょっと話がジャンプしすぎ?


202089日のメモ

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