わたしの家に来て、一週間ほどここタスマニアに滞在していた妹が日本へ帰っていった。深夜12時ごろ帰宅予定らしいのだがその翌朝にはもう仕事、年度始まりの会議があるのだそうだ。なんともパワフルな妹だ。そもそもタスマニアに来る飛行機に乗ったのも、地元のハーフマラソンに出場し、20kmほどを完走したその日である。信じられない無茶をするものだ。ハーフはおろか10kmだって走りきる自信のないわたしの目に、妹はときに不思議ないきものとしてうつるのだ。そしてこの妹、おねぇちゃん(つまりわたし)のことが大好きで、なかなか可愛い。そしてわたしも妹がけっこう大好きだったりするのだ。タスマニアの空港で日本へ帰る飛行機を待つ妹が、ぼろぼろっと涙を落とし、はなをぐずぐずさせ、こどもみたいに泣き出すものだから、わたしもたまらなくなり、その場ではこらえたものの、空港前で待機していてくれたハウスメイトの車にもどるやいなやすぐ号泣してしまった。
このままだとわたし、あまりに「SAPPY」な文章を書いてしまいそうなので、妹の話はとりあえずここでおしまいにする。
ところで、SAPPYとういのは先月、3月に覚えたばかりの英単語だ。わたしのハウスメイトにして英語の家庭教師でもあるバコに「真子、その言い回しはSAPPYだから使わないほうがいいよ。」とアドバイスされ「SAPPYってなによ?」というはなしになった。「SAPPY」とは「 full of unnecessary emotion.」のことで、バコに忠告されたわたしの言い回しは、背筋がむずがゆくなるような大げさな、つまりクサイセリフだったらしい。ということでSAPPYな、ぞぞぞってするぐらい大げさに感傷的で読んでるほうが恥ずかしくなるくらいクサイ文章を書くのをさけて、今回はわたしの英語の勉強方法について紹介したいと思う。とはいえ、英語を勉強したい全ての人に向けての役に立つ話、など書ける自信もなく、英語はこうやって勉強しなさい、とえらそうに説教するつもりもさらさらなく。ある一人の日本人が海外生活をつづけながら今も英語の勉強にとりくんでるんだなっていう奮闘記のつもりで、ふぅーんと軽く読んでくれれば嬉しい。
海外生活三年が過ぎて四年目。まだまだ自分の英語には至らないところが多く、今も意識的に英語を勉強しつづけている。とはいうものの、わたしは「文法を学ぶ」とか「単語の暗記」とかだと、どーしてもすぐ、「つまらなーーい!もーやだーー!!」と投げ出してしまいがち。続かない。ストイックになりきれない。楽しくなくっちゃやってられない。そんな私が三年間ずっと続けているのは、「真子のカフェ勉強法」と自分で名づけた、ゆるく楽しい方法。
まずは、タスマニア、ロンセストンの、まちのカフェにいく、珈琲を頼む、居心地のいい席をみつけて座る。なにしろけっこう長く滞在するので、おしりが痛くなるような椅子をえらんじゃったら大変だ。もちろんカフェの選び方だってだいじ。長居する客をあからさまにいやがって、追い出そうとプレッシャーをかけてくるところだって、当然たくさんあるわけだから。どこのカフェがいいかはまぁ、試しているうちにわかってくる。さて、落ち着いたら、カフェにおいてある新聞にさーっと目を通す。新聞の記事は短くまとまっているし、明確にかかれている文章なので読みやすくって、英語学習中の人がまずトライするものとしてお勧めだと思う。なんてえらそうに言ってるけど、タスマニアに着たばかりのころは、正直、ひとつの新聞記事を読むってだけで、そうとうしんどかった。読みきる前にあきらめちゃって、大きな見出しの一行ばっかりを読んでた時期もあった。なんとか記事を読み終えた時だって、結局その記事がなにをいっているのか良く分からないなんてこともあった。だけどいつの間にか、自然にさらさらっと新聞を読んでるいたりして、「あら、わたし、今、読んでいたわ」とかなんとか自分でおどろいた。
ちなみに、日本にいるときは「英字新聞」=「おしゃれな小道具」に見えていた。かわいい雑貨屋さんやお花屋さんが英字新聞を包み紙につかうのをみて、すてきだなぁーなんて思っていた。あの「おしゃれな紙」がいつのまにか「読む対象」である「新聞紙」になっている!と気がついたときったら、ほんとに感動ものである。アルファベットのならんだかわいい紙が、昨晩の放火犯についてを伝える新聞紙になったのである。あのときの感動って忘れがたくて、いまでも時々思い出す。
実は「新聞を読む」っていうのは受け売りにすぎないんだ。タスマニア大学でインターナショナルの生徒たちに英語を教える先生が「毎日新聞をよむっていうのを習慣づけちゃって続けると、英語の基礎力が確実にあがるよ。珈琲を一杯飲む、とか朝ごはんを食べるときに、とか、そういうのとセットにすると毎日の習慣になりやすいわよ」と。今では、カフェで珈琲をのむときには、まず新聞を広げるというのがすっかり習慣になった。カフェで珈琲飲むなんて高いじゃない、それをやめて家で珈琲飲めばずいぶん安くなるのに、っていう指摘をされることもあるし、自分でも時々思うんだけど、いまのところ結局「新聞はカフェで読む」というところで落ち着いている。
日々のアルバイトでぎりぎり生活費をまかなえるくらい、しか収入がない、決してお財布に余裕があるわけではないわたしなのだ。贅沢していたらバチがあたるわ、とカフェを絶ち、新聞を毎日とっていて家で読んでいでた時期もあるんだけど、こちらの配達方法が日本に比べて雑なことからお隣さんやご近所さんとちょっともめたこともあったし、毎日の新聞が積み重なってしまったときのゴミの量ったら半端ないし、めんどうなことが多かった。それに毎日とっていてって新聞は一部2ドル弱払わなくっちゃいけない。珈琲は3ドル50セントくらい。プラス1ドル50セントでおいしいプロの珈琲が飲めて、いい雰囲気の場所でゆったり過ごすことができる。悪くないんじゃないかな、なんて、ちょっと自分を甘やかしている。
新聞を読む場所をカフェにすることの利点は、気分転換が簡単にできるっていうこと。英語の文章を読んでいて疲れたなーと思ったら、目をあげてまわりの景色や、向かいに諏訪手いる人などをスケッチして過ごすことにしている。手を動かして絵を描くのはリフレッシュにちょうどよく、カフェだと描く対象もいろいあって飽きない。一番面白いのは入れ替わり立ち代りカフェにくる人だったり、とおりにたむろしている人だったりするんだけど。人間観察とスケッチを楽しんだらまた、新聞を読むのにもどる。それから今度は雑誌をパラパラみてみたりする。雑誌のほうが、記事が長かったり、こったいいまわしや、流行の言葉遣いなんかをしてる場合があるから新聞よりちょっと難易度があがる。とはいっても、カフェにおいてある雑誌はかるい内容のものが多いので、そんなに難しくかんがえることもない。女の子向けの雑誌は、流行の服のことや、インテリアのこと、男心をつかむにはどうしたらいいのか、とか、女のキャリアと結婚について、それから星占いなど、あれ、日本の雑誌と同じような項目がそろっているのねといった感じだ。大学で、小難しい学術論文をいくつか読まなきゃいけなくてストレスたまったときは、「男を落とすテクニック!」のような軽いノリの雑誌の記事を読むことで、ずいぶんリラックスできた気がする。
さて、新聞、雑誌と目を通した後、自分の元気と時間と相談して、まだいけるようだったら、こんどは英語の本を読む。本、とくに小説なんかは一番難しいように思う。新聞や雑誌と比べて、いいまわしが独特だったり、小難しい単語をつかっていたり、複雑な文章のつくり方をしていたりするからだ。英語の本は一冊いつもかばんに入れて持ち歩くようにしている、日本語の本はもちあるかない。2011年は、学校の課題とはまったく関係のない恋愛&歴史小説を一冊いつも持ち歩いていた。結局それを読みきるのに、ほぼまるっと一年かかってしまった。日本語の小説がを読むスピードに比べたら、あまりに遅くていやになるが、それでも、一冊趣味の本を英語で読みきれたときには、ちょっと感慨深いものがあった。今は、わたしのハウスメイトがすすめてくれたヘミングウェイの本を持ち歩いて、ちまちまと読みすすめているところだ。カフェによっては本をおいてあるところもあるから、それを手にとって見るのもおもしろい。
新聞にしろ、雑誌にしろ、それから小説にしろ、気になる記事や、気に入った言い回しは手帳にメモするようにしている。
これもまた受け売りなのだが、「正しい英語」を「書き写す」というのも立派な勉強法のひとつらしい。ただその際気をつけることは「単語単語づつチラチラ見ながら書き写す」のではなく「ある程度まとまったかたまりを、一度頭のなかで復唱しておぼえ、一気に書き写す」ようにすること。ほんの数秒だが、英文をまるごと暗記して、それを書き付けるようにする。たったこれだけのことだけど、積み重ねていると、どう英文がなりたってるのか、とかを自然に理解できるようになるのだそうだ。
こうしてカフェで珈琲を飲みながら、新聞、雑誌、そして本を読んでは、ときどきそれを書き写す、という単純なことをずーっと、続けている。だいたい、1~2時間といったところか。そもそも日本にいるときから、喫茶店、カフェで珈琲を飲んで一息、雑誌や漫画をぱらぱら見るっていうのが大好きだったから、その延長のようなもの。ただ、読むものが全部英語、というだけ。わたしにはしっくりくる、まったくストレスにならない、楽しい勉強方法なのだ。ほんとに、ほんのちょっとでもストレスを感じたことがないのだ。合っているんだろうな。
例えば、これは、ある日…3月14日のノート。
このカフェの珈琲に添えられていたスプーンがあまりに可愛らしかったので、スプーンをかくところからはじまっている。
そして雑誌。「smith journal」なんて初めて聞いたぞ、と思ったら、これが第一号らしい。表紙にタイプライターがたくさん並んでいて、なんだか可愛らしかったのでつい手にとってみた。特集は"typewriters & the men who loves them.タイプライターと、それを愛した男たち"だった。あら、なかなか面白いわと、抜粋してきになったところを書き写す。"...... Using typewriters reminds us of un era when gentleman still remembered how to write in full wards, and ....."
タイプライターを愛した男たち、の一人としてヘミングウェイが紹介されていた。ヘミングウェイ!そこでわたしは雑誌を閉じ、自分のかばんの中からヘミングウェイの小説をとりだす。そうか、この本はタイプライターで、つまりは、コピーペースト、コマンドzができないなか、書かれた文章なのねとおもうとなんだか感慨深い。よし、それじゃぁ、この「タイプライターを愛したジェントルマン」の文章をちょっと読んでみますかね、という気分になって本をひらくと、ジェントルマンとはとても言いがたい荒っぽい言いまわしばかりが目に飛んできちゃったので、ぷふっと噴きだしつつ書き出してみた。
"Get the wax out of your ears and hear what I say the first time."
"He sure is mean son of bitch, Jackson thought, and he can be so God-damn nice."
この号ですっかり「smith journal」が気にいってしまったわたしは、もちろん第二号もチェック。ちなみに第二号は、かわいいぶたさんが表紙だった。
こちらはLARCという建築、都市デザイン研究所に併設されたカフェAMERIA。建築やプロダクトデザイン、写真やアートに関する雑誌はここにそろっている。
「DQ -Design Quarterly 」という雑誌では、日本が誇るデザイナーの吉岡徳仁が紹介されていて、ちょっと嬉しくなりながら、どきどきして読んだ。
他には、たとえば、使い捨てのカップで珈琲を飲むのと、カップで珈琲を飲むのと、ほんとうはどっちが環境にいいんだろう?"Is it more environmentally friendly to drink from a disposable paper cup, or to drink from a mug and then use a dish washer to clean it? "っていう記事だったり、ソーシャルネットワークをビジネスに有効に活用するには?みたいな記事だったり。
それから、心に傷をおった子供たちを癒すアートプロジェクトのこと。Gucchiのサポートをえて、ACF(Australian Childfood Foundation)がおこなっているheat felt Therapy Programの紹介。子供たちにシンプルなひとがたの布人形をプレゼントする。それぞれの子供が好きに飾り付けたり、ペイントしたりして自分だけのオリジナル人形をつくることができる。そのプロジェクトと、それぞれの子供のストーリーと、じっさいにそのこたちのつくった人形の写真にひきつけられて。ものすごく心に残った記事のひとつである。だから、この記事のタイトル"To you it's just a doll. To her it's a gift of hope."もしっかり頭に刻み込まれた。
"To you it's just a doll. To her it's a gift of hope."この言葉が強く頭に残っていたから、家に帰ってきてから使ってみたんだ。そしたらわたしのハウスメイト、文学と哲学、言語学を愛するオーストラリア人が「いやいや真子、それはちょっとSAPPYすぎるから、使わないほうがいいと思うよ」と言うではないか。きょうの日記の書き出しのところにもどるわけなんだけども。sappyとは full of unnecessary emotion.のことで。
「え。でも、使うんでしょ?この言い回し、だって雑誌で使ってたよ」と言い返したら「何の雑誌?それ?綺麗な英語を覚えたいんなら読む雑誌も選んだほうがいいんじゃないかな」と厳しいご意見。たしかに、その記事は、若い女の子向け女性ファッション誌、この秋絶対買いたい60のアイテム!のような特集のある雑誌にかかれていたもの。ふーむ。そうか、いい英語を書くようになりたかったら、読むものも択ばなきゃ、かぁ。確かになぁ。
わたしの英語修行はまだまだ続きそうだ。
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