大きな肩から伸びる太く逞しい腕がきびきびと絶え間なく動き、ごつごつとした指はしかし繊細にそして的確に、ささやかな膨らみから続く豊かな三次元曲線を確かめるかのように滑らかな白い木地の上をすべり、そうして長いこと締め付けていたのであろう金属のとめ具をはずすことでようやくその無垢な解放してやる。弦楽器に明るくないわたしには(あらあゆる楽器について詳しくあったためしはないのだが)、いま目の前に姿をあらわしたばかりの初々しいそれがバイオリンなのかビオラなのかはたまた別の弦楽器なのだかさっぱりわからない。大きさから言ってチェロやバスではなさそうだと予想できるだけである。名前も音色も予想できないのだが、ただただそのかたちの美しさと、Luthier(ルシアー)とよばれる弦楽器職人の迷いない動きにほれぼれと見入ってしまう。職人さんが弦楽器を作る、その動きそのものが音楽のようでもある。
タスマニアのロンセストンというこの小さな町に移り住み始めた最初の家から、もよりの食料品店にいくまでの通りに、この弦楽器職人さんの工房はある。うすぐらい部屋の中にならぶ弦楽器とその奥で動き回る職人さんを、通りからガラス越しに目を凝らして眺めては、なんともいえない高揚感を覚えつつ、ハウスメイトとシェア用の3リットルにもなる牛乳のボトルを抱えてこの店の前を歩いたものである。
歩きつくすことのできる小さな町に暮らすことの良いことのひとつは、自分の行動範囲外、分野外の世界との接点が、ふだんの生活の三歩先に唐突に、だけどごく自然に現れることであるように思う。小学校への行き帰り、通りがかりの人にみんなに挨拶をするように、そんな地域でわたしは育ったので、やはり、人と自然に声がかけあえれる距離の小さな町に住むのが性に合っているのかもしれない。「おはようございます」「こんにちは」「今日はいい天気ですね」「忙しい一日ですか?」おなじことを名古屋の栄あたりでしていたら、ちょっとおかしなこだと周りから敬遠されてしまうだろうし、わたしも一歩も前にすすめなくなるだろう。何しろ、とおりすぎる人がおおすぎるし、町の中の情報量もあまりに膨大だから、知らない人と話したり、知らない分野の知らない場所をいちいちキョロキョロしていたら身がもたない。結局、待ち合わせていた気の合う友達と会って、初めてだけど雰囲気のよさそうな、つまりなんとなく自分の世界観に合いそうだと予想のつくお店に入ってみたりする。大きな都市にはいろいろな違う人や場所があったとしたって、自分と同じ環のなかにいる煮たもの同士以外の人と話をしようとすると、けっこう勇気がいる。小さな町ではすべてが隣り合わせ。
とはいうものの、この弦楽器工房に足を踏み入れたのは最近のこと。それまではずーっと外から眺めるだけだったのを、妹がタスマニアに遊びにきたのをきっかけにふっと入ってみることに。お店の名前にもなっているPhilipさんという弦楽器職人さんは、静かな低い声の感じのいい人で、バイオリニストでも音楽家でもなんでもないわたしたちを迎え入れ、写真をとっても絵を描いてもすきにしていいと言ってくれた。ぽつぽつと、どこでどんな修行をしてきたのか、だとか、弟さんの話などを話してくれた。話しながらもとまることのないその手さばきと、できあがるかたちの美しさには溜め息がでそうだった。
Philip Smith Luthier
145 St John St Launceston, Tasmania
後日談。
弦楽器、なんて綺麗なかたちなんだろうと心奪われながらインターネットサーフィンをしていたら、また素敵な出会いがあった。ベルリン·フィルハーモニー管弦楽団(Stiftung Berliner Philharmoniker)のためのポスター。写真家Mierswa-KluskaさんにアートディレクターBjörn Ewersさんの手によるもの。鳥肌がたつほど綺麗。
<image sauce; "Showcase & Discover Creative Work." viewed 12th April 2012.
http://www.behance.net/gallery/ART-DIRECTION-INSTRUMENTS-FROM-INSIDE/340016 >
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