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20110922

story of the bluestone rock cliff and duck-rabbit. / あひるうさぎと碧い岩壁のはなし



Discovering the rock cliff at salamanca courtyard
It was a dramatic and romantic meeting. I will always remember the moment the rough surface of the bluestone cliff suddenly appeared in front of me at the end of the dark and narrow corridor. The primitive rock surface covered with weeds and flowers absolutely fascinated me. The important point was that I was not walking through a wilderness forest, but lively Salamanca where small shops overcrowd each other. I was between heritage buildings, so it was not expected that I feel the sense of wilderness. In addition, the tiny courtyard was full of people and vibrant with life. The rock wall acted as the perfect backdrop for the band, and people were enjoying the music under the plants living within the cracks of the rock. I was overwhelmed with the beauty and liveliness of the space. This was one of the most impressive experiences of my first week of staying in Hobart, Tasmania.

Hobart and me
Hobart is a new city to me, as I have been living in Launceston since I came from Japan two and a half years ago. When I decided to come and stay in Hobart to partake in the research project during the summer break, I only knew that Hobart was the biggest city in Tasmania, that the popular Salamanca Market was held every Saturday and that the waterfront is a beautiful place to walk. My research partner, Raja, comes from Malaysia, so is also an out-of- towner. Neither of us knew anything about Hobart, and we often got lost in the Hobart CBD. Our Hobart urban life was full of surprise, wonder and excitement.

Hidden Rivulet forming the urban landscape
The first day of the research project at the OSA -Office of the State Architect -was unforgettable. Alysia who works at the oOSA took Raja and I for a walk around the Hobart CBD. Her walking path was very dynamic, free from the tidy city grid, unlike our own. The organic shapes of arcades and laneways from Centrepoint to the Cat and Fiddle Arcade to Wellington Walk promote different walking paths from the edge of the city block in the tidy city grid. It seemed like great architectural planning – however, it was actually formed by the path of the Hobart Rivulet.

It is the Quarry – but not wild nature
One day, when I was talking about the rock cliff face with excitement, Peter, the state architect told me that the rock cliff was actually not natural, but was man made. He said that it was in fact a Quarry. At first I couldn’t believe nor did I understand that the rock was man made because it felt wild and natural – I was shocked.

Duck-rabbit illusion
After Peter told me that the rock cliff at Salamanca was the Quarry, not only did my understanding and image of Hobart city change, but also the concept of the city and landscape became something new. It is similar feeling to Kuhn’s duck-rabbit opitical illusion. He uses it to demonstrate the way in which a paradigm shift could cause one to see the same information in an entirely different way. Such a paradigm shift occurred within my mind.

Man dominates nature or nature dominates city?
This is the moment something in my mind started to change. I questioned my- self: Why I was so impressed by the rock cliff? Why did I feel as if the rivulet was romantic? I started to wonder about the concept of wild nature and man made environment. I was not sure who actually dominated the form of the city and landscape - man or nature? I feel that Hobart city has the potential to have strong characteristics of connections with nature, but what does “nature” mean?





This essay is the introduction of "SPECULATE"
which is corroborative ADR(Advanced Design Research) report 
with OSA;Office of State Architect. 



岩壁との出会い。サラマンカの中庭で。
ロマンチックでドラマチック、そう、衝撃的な出会いだった。狭く暗い道をとおりぬけたあと、荒々しい青い岩肌が突然目の前に現れたあの瞬間を私は忘れることができないでいる。なんとも原始的な力強いその岩肌は、そのところどころを草花に覆われ、そして私を魅了した。だいじなポイントは、私はけっして森の中を歩いていたわけではなく、小さなお店が肩をならべひしめきあっている賑やかなサラマンカ(タスマニア、ホバートにある地区)を歩いていたということだ。古い石造りの歴史的建造物の建ちならぶなか、原生的な自然を感じることになるなんて、どうして予想できようか。その小さな中庭は多くの人と活気に満ちていた。切り立った岩壁は最高のバックステージとしてバンドの演奏に華を添え、そして人々は岩の小さな亀裂に生える植物の下で音楽を楽しんでいた。その空間の圧倒的な美しさと熱気といったら!タスマニアの州都ホバート滞在一週目の、最も忘れがたく印象的なできごとだった。

ホバートと私
二年半前に日本からタスマニアに移ってきて以来ずっとわたしはロンセストンという町に住んでいる。そのため、私にとってのホバートはまったく新しい町だった。夏休みの間の研究プロジェクトに加わるためホバート滞在が決まったとき、私がホバートについて知っていることと言えば、タスマニアのなかで一番大きな町であること、毎週土曜日にひらかれるサラマンカマーケットはすごく人気であること、それから、水辺の景色が綺麗でお散歩するのにもってこいであるということ。それだけだ。私の研究パートナーであるラジャはマレーシア出身。したがって彼女も私と同じく「よそもの」である。二人ともホバート地理にあかるくなく、おかげでよく迷子になった。私の夏休みのホバート生活は、驚きと、不思議、興奮でいっぱいのものとなった。

都市を形づくる隠された小川の存在
タスマニア州立建築家(公務員建築家)のオフィス(OSAと呼ぶ)での研究プロジェクトの初日も忘れがたいものがある。OSAで働くアリシアはラジャと私を町歩きに連れ出してくれた。アリシアの選ぶ道、歩いた道は、きちきちとした都市のグリッドから解き放たれ、自由でダイナミックだ。街区にそって、つまりしかくいブロックのふちを歩いていた私とは大違い。アリシアとの散歩は、センターポイントからキャットアンドフィドルアーケードを抜けウェリントンウォークまで、商店街や小さな抜け道、ビルの隙間をくぐっていくようにして、オーガニックな軌跡をえがく。歩くことが楽しくなるような道。もしかしてこの道は、素晴らしい都市計画、都市デザインのひとつなのではと感嘆のため息を漏らしていると、アリシアは衝撃の事実を私に伝えた。この都市景観はホバートにながれる小さな川によって形成されたというのだ。ホバートの秘密を知り、私の心臓がとくとくと早く脈をうちはじめた。

石切り場。原生自然ではなく
ある日、OSAで、私は大興奮しながら件の青い岩壁の話をしていた。すると、それを聞いていた州立建築家のピーターは「ほんとうのところ、あれは自然じゃないんだよね。人工なんだよ。」と私に言うではないか。私が原生自然の香りを感じたあの岩肌は、自然の景色ではなく、石切り場だというのだ。サラマンカにたちならぶ石造りの建築群のその資材としての石を切り出したあとできた崖なのだ。そう耳にしたとき、にわかには信じられなかった、いや、理解できなかったという方が正しい。あの岩が人工?野性的な自然だって感じたあの岩が?ショックだった。

アヒル - ウサギの錯覚
ピーターが、あのサラマンカの青い岩壁は自然の景色なのではなく実際は石切り場なのだと言ったあと、私のホバートについてのイメージが変わっただけでなく、都市や風景の概念までなにか新しく見えだした。それは、まるでトーマス・クーンのアヒル - ウサギをみたときのような感覚。クーンは一つの同じ情報をみていてもまったく違う見方をすることができるということをアヒル - ウサギをつかってしめし、パラダイムシフトについて説明をした。パラダイムシフトとは、当然のことと考えられていた認識や思想、見方、常識、価値観などが革命的に劇的に変化することを言う。そう、そのパラダイムシフトが私の中でおこりはじめていたのだ。

人間が自然を支配しているのか?自然が都市を支配しているのか?
私の考えが変わり始めた瞬間だった。私は自分自身に問いかけて見た。どうして私はあの岩壁にあんなにも感動したのだろう。小川が都市を形成する話にうっとりとし、ロマンチックだわと感じたのはどうしてだろう。原生自然と、人工環境という概念そのものに疑問を持ちはじめた。そして、いったい何がこの都市の風景をかたちづくっているのか、人間なのか、それとも自然か。わたしにはよく分からなくなっていた。ホバート、この町は自然とのつながり方という面で強い個性をもつ可能性を秘めているんじゃないか、と思い初めていたのだが、しかし、いったい「自然」とはどういう意味なのだろう?なにをもって「自然」と呼べばいいのか?









このエッセイは
OSAタスマニア州立建築家(公務員建築家)のオフィスと共同の
アドバンスドデザイン研究の報告書である
"SPECULATE(思索)"という小冊子の
イントロダクション(前書き)として書いたものです。


20080705

海辺の話/否定しないこと、否定できること01

Tさんという人物を知ったキッカケは一枚の写真だった。 







砂の上に描かれたタートルトラック。
産卵の為上陸した、アカウミガメの足跡。


この写真を見て、しばし放心した後、ラブコール。


なんて強い写真なんだろう。
いい写真。
フィルムがどうとか、空気感が、とか、ピンをどこに合わせてどこぼかすとか
レンズがどうとか、こうとか、そういうのじゃなくて。
ただ強い。


砂浜の上の足跡は風に流されてすぐに消えてしまう。
毎朝毎朝欠かさずに海に出ている人だからこそ撮れる写真。
そして強いメッセージをもった人だからこそ。
この写真を撮ったのはカメラを生業としているカメラマンではなく
表浜、砂浜の魅力の虜になってしまった海の男。
それがTさんだ。




(*写真は表浜ネットワークさんのもの。に、ちょこっとだけ手を加えました。 )














さて。写真について少し説明をしたいとおもう。


愛知県の太平洋岸、表浜の砂浜沿いに並んでいる
「消波ブロック」「波消しブロック」あるいは「テトラポッド」。
(テトラポッド (tetrapod)」は本来4本足のもののことだけど。
商標登録されてる「テトラポッド」という言葉の方が消波ブロックよりも聞き覚えがあるのでは?)
この消波ブロックが、産卵したいアカウミガメの行く手を阻んでいる。
進んではブロックにぶつかり向きを変え、また挑戦しては…
この母ガメは産卵することなく海へもどった。
子ガメが孵化する時期になると、
この消波ブロックに阻まれて海にたどり着けずに息絶えた 
たくさんの死骸をみつけることができるという。














ところで、太平洋を回遊するアカウミガメの産卵地が
日本の砂浜だけだと知っていますか?
日本の砂浜で孵化した赤ちゃんカメは太平洋に泳ぎ出て
まずは黒潮にのって日本沿岸部を北上し
太平洋を渡ってアメリカ西海岸へ。その後南下。
ぐるっと太平洋を一一周する。
大きく育ったアカウミガメは自分の産まれた日本の海岸へ戻ってきて
砂浜に上陸し、産卵をする。
もし、日本の海岸の環境がアカウミガメの産卵を拒んだら
地球上のアカウミガメが命を繋ぐことはほぼ不可能になる。
ある種の生き物が完全に地球上からいなくなるかもしれない。
日本の海岸の責任は重大だ。
それを踏まえた上で、日本の沿岸部を眺める。
私はどうにも疑問を持たずにはいられない。
果たしてその消波ブロックは本当に私達にとって必要なものなんだろうか?


日本では海岸を大開発していた時期があるようだ。バブリーな時代。
あちこちの海岸が美しく整備された。商業施設、遊園地、ホテル、オフィスビル…
大学の建築学科では
「卒業設計のテーマーに“ウォーターフロント”を選んでおけばまず間違いない」
と言われていた時代。
その時代に計画されて、最近できあがった施設もいくつか思い浮かぶ。
時代においてけぼりにされて、採算があわなくて悲鳴をあげているあのエリア、あのテーマパーク…
キラキラ輝く灯りは、観覧車は、道は、巨大な娯楽施設は
ひとつの種類の生き物を根絶やしにしてまでも
するべき必要な開発なのだろうかか?




何もアカウミガメが特別かわいいから言っているのではない。
アカウミガメは、分かりやすく説明するためのひとつのアイコン過ぎない。
















今、消波ブロックの存在意義が揺らいでいる。


そもそも、消波ブロックは自然の驚異へ備えるためにつくられた。
防災効果を期待されてのことだ。
伊勢湾台風の記憶ののこる人も多いこのエリア
台風等自による水の災害への恐怖に慄きながら暮らしたくは無い。
では、私達が安心して暮らすためには
消波ブロックは必要不可欠なのか?




不思議な景色がある。
愛知県と静岡県の県境の海岸だ。(しまった!この写真も貰っとけばよかった)
消波ブロックは愛知県側にのみ存在する。ブロックの列は県境でぷっつりと途切れているのだ。


表浜海岸は、西は伊良湖岬から東は浜名湖今切口までの海岸までつづく
一続きの白い砂浜なのに…
http://www.omotehama.org/omotehamanw/contents/omotehamakaigan/index.html
西は危険だから消波ブロックが置いてある?東は安全だから置いてない?
砂浜は、海底は、この県境でぷっつり分かれ別の性質を持っているの?
ザラリとした違和感を感じる。


そんな景色になった一番の理由は、海岸整備の管轄が違うから。
日本は国中の海岸を一斉に消波ブロックで埋め尽くそうとした時期があった。
愛知県はその方針に乗り、静岡県は(表浜周辺では)乗らなかった。
考え方の違いかもしれない、経済的な事情かもしれない、何か黒い事情があるかもしれない
消波ブロックに守られた愛知県民は幸せで、
危険に晒されている静岡県民(表浜周辺の)は不運なのだと言い切ることができるのか?
消波ブロックは絶対に必要なのか?


水害や水難事故の減少にどの程度役立ったのだろうか?
調べれば、愛知県はデータを持っているかもしれない。
(たぶん持っているはず。でなきゃそんな整備おかしい。)
でも、そのデータはどのようにして取られたものだろうか?
誰が書いた報告書なのか?どの程度、信頼したらいいのか?


そう考えたとき、
必ず毎日
毎日欠かさず海へ出ている表浜ネットワークさんは際立つ。
その報告書には重みがある、と私は思う。
もっともっと何年も続けていけばなおさらだ。
利益も絡んでいないはず。(だと思う。この辺見抜く自信は、まだない。)
100%正しいんじゃないとしても(笑)表浜に関しては
いちばん信用のおける情報じゃないだろうか。














さて、その表浜ネットワークさんは、消波ブロックの危険性を訴え
存在意義を問いかけている。
1 砂浜の減少、喪失
2 生態系の崩壊
の二点。この原因に消波ブロックがあるのではないか。
ということだ。(仮定ね。)


今、日本の砂浜の面積が年々小さくなってきている。
このままでは消えちゃうかもしれない。
これは消波ブロックが、砂を運ぶ海の力を弱めてしまったからじゃないのか。


確かに消波ブロックは波を小さく弱くさせた。
しかしそのことで、弊害が生じている。
これが表浜ネットワークさんの意見だ。
http://www.omotehama.org/omotehamanw/contents/coast/index.html


消波ブロックの業者さんは、消波ブロックこそが砂浜の交代を食い止めていると言っている。
ウィキペディアの意見は、消波ブロック協会寄りのようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF




生態系について。
Tさんは海と陸をつなぐ、あいまいな領域、砂浜のグラデーションについて説明してくれた。
背が低く砂浜最前線に這う弘法麦から、照葉樹林まで
植物はなめらかなグラデーションをつくる。
草木はその根で砂や土をしっかりと支える。
砂浜はゆるやかに傾斜し、波の勢いを弱める。
詳細はこちらの図で
http://www.omotehama.org/pdf/omotehamacoast.pdf


このグラデーションのなかに、構造物が挿入されている。
コンクリートの塊である消波ブロックは植物のグラデーションをぷっつり分ける。
はしょるけど結果、地形にも影響を与える。
もともとなめらかな斜面だった地面には、階段状になる。
大きな段ができる。
フラットな地面では勢いを殺されずに水はすすみ、
ブロックと地形の段差の部分で大きなインパクトを生む。
植物のグラデーションは崩れた。地面のグラデーションもだ。
するとそこに生きる昆虫や動物などにも影響を与える。
アカウミガメにも。


自然界で重要なのは、バランスとグラデーションだという。
数々の生物は相互に影響を及ぼし合いながら、非常に微妙なバランスを保っている。
その全体を考えて手を出すべきだ、というのだ。
その繋がりや流れを断ち切るような消波ブロックは撤去すべきだと。


一方消波ブロック協会は、「バランス」や「つながり」ではなく
それぞれの生物に注目している。
消波ブロックという人工物を自然界に挿入することで、海は豊かになると考えているようだ。
http://www.shouha.jp/


さて、どちらの意見が正しいのか。
その判断はとても難しい。












さて、
行政は、「過ちをおこした」とは、容易には認めない。(…傾向にあるといわれている。)
ちょっと想像してみればいい
巨額の税金を使っての公共事業。
「やってみました、失敗でした。間違ってました」なんてそう簡単に言えるわけが無い。
信用問題に関わる。


消波ブロックを積み上げる。
それが、県民の為だと信じての行為だった筈だ。
自分に置き換えて想像してみればいい。
自分が信じて、何かの役に立つとがんばってきたことが
マイナスに作用していたと。間違っていたと、言われたら。
「あ。ほんとだ。わたし、まちがってたわ。今まで頑張ってこと、ぜーんぶ間違い」
って、すぐに納得できるはずがない。
自分の信じてきたもの、が、崩れるのだ。


自分が母だと信じてきた人が実は男だった。信じて乙女な相談もしてきた。違った。
そりゃ大変だ。でしょ?まずは混乱する。
その上、自分がよかれと思って「お母さん」と呼んでいたことで
その母(父?)を苦しめていたとしたら…
うーーん。ショックだ。知らず知らずのうちに誰かを苦しめていた。


そう、「間違いを認める」って難しい。
だから「消波ブロック肯定派」「消波ブロック否定派」の二派があった場合
最初から「消波ブロック肯定派」の方が優位なのだ。
だって、もう、実際、消波ブロックは、そこに、ある。






今まで自分が信じ続けてきたものが間違いだと分かったとき


もしくは、間違いかもしれないという疑惑がわいたとき


過去の自分を否定できる強さを持って欲しい。


君に。これからの、若い子たちに。






正しいこと、と、間違ってることは、ひっくりかえることがある。


真実は絶対じゃないし、ひとつでもない。




もしそんな場面に出くわしたら


自分が信じ続けてきたことも、じぶんの努力も全て


否定できること。それが大切。




Tさんの言葉は重くまっすぐ落ちてくる。
























2006年春。
豊橋市は、一部の消波ブロックの撤去に踏み切った。
撤去にかかった費用、およそ600万円。
豊橋市民による行政への信頼は落ちたか?
いや、その逆。


消波ブロックはまだたくさん残っている。
表浜にも。日本じゅうの海岸にも。






否定しないこと。否定できること。
そんな柔らかさと、強さを兼ね備えた人になりたいと、思う。
というか、ならなきゃ、いかん。だろう。
「自然環境に手を加え、人工物をつくる人」になって、作る側にまわるんだから。




否定しないこと。否定できること。

20071117

世界のあちこちを耕すように

先週の火曜日、東京、ヒマラヤスギの樹の上で過ごしたその後の話。 
ツリーハウスを後にした私の次の目的地は早稲田大学。 
スギの幹まわりのテーブルで出会った早大生に案内してもらって 
大隈さんの像のそばの8号館の教室へ。 
目的は公開講義の聴講。 

「現代作家作品論」 という一般公開している授業シリーズ。 
今回のテーマは「世界とランドスケープ」。 
講師は高野ランドスケープ プランニング(株)より、 
高野さん、金清さん、石村さん、樫野さん 
四人のLandscape architects。 

北海道でお世話になったロマンチストで少年のような瞳をもった素敵な社長、高野さん(趣味は馬術 障害飛び越し)に、 
その片腕、凄味のある金清さん(趣味は つり 山菜とり 登山)。 
高野ランドスケープ初期の頃のメンバーにして、現在は台湾に根をおろし活躍している石村さん、マレーシアに事務所を構える樫野さん。。 
私にとっては、とても豪華なメンバーなのです。 

世界のあちこちで仕事をする高野ランドスケーププランニングという会社の 
いままで辿ってきた道、してきた仕事、スタンス等の総集編といった感じの 
聴き応えのある内容でした。 
そして  
メッセージのたっぷり詰まった熱い熱い講演会だったんです。 


高野さんが掲げているモットー 

原寸主義・自力建設・参加型・自然の営力を生かすこと 

高野さん達は、設計においては 手 を何よりも信じている。机上の作業、パソコンの図面、頭の中の整理だけではなく、手を動かすことを最重要視する。体全体で感じることをおろそかにしない。「原寸主義」という考え方だ。1/100、1/50…ランドスケープにおいては常識破りの巨大な模型を用いてデザインを検討する。施工現場に入り、土建屋さんや職人さんとまじりながら仕事をし、手で触って確認をし、最終的な微調整をその場で行う。デザイナーも一緒になってつくる。つまり「自力建設」だ。 

また、誰の為の公園?誰の為の設計?を常に頭に置き、デザインプロセスを非常に重要視する。「参加型」これについては後で補足したい。 
「自然の営力を生かす」についてはまた別の機会に 


満月「耕すように建築するウマ」 

2007年出版のCATの本にあった言葉なのだが、 
これはど高野さんにぴったりの言葉はないと思う。 

土に手を加え、息を吹き込む作業 
ぽんとハコやモノを置くのではなく継続していくもの 
土だけでなく、街や人、考え方までも耕してしまう。 

「耕す」にまつわるエピソードを一つ紹介したい。 
会社が設立してなんとかはしりだした頃の話だ。 
マレーシアの国立公園という巨大プロジェクト。 
世界中から集められた会社やデザイナー達が国王の前でプレゼンテーションをする。 
結果、選ばれたのが 
社長1人、社員3人のたった4人の会社である 
高野ランドスケーププランニング。 
組織力のある大手でなければ国立公園規模の設計は難しい。 
そのうえ実績もなく、経験も浅い若者達の集まりで未知数。 
ではなぜ選ばれたのか? 

「他の会社は、俺がどんなにすごいか、俺の案がどれだけすごいかと、そればかり高々と説明する中で、おまえだけは違っていた。『一緒につくっていきたい。』そう語ったから、一緒にやりたいと思った」 
こう後で聞かされたのだという。 

マレーシアはまだまだ発展途中の国であった。 
ランドスケープデザイナーと呼ばれる人はおらず、 
施工を安心して任せられるような業者も見当たらない。 
高野さんたちは、そんな人(ランドスケープデザイナーと施工者)を育てることを、 
公園の設計と合わせてすすめることを提案した。 
現地マレーシア人をたくさん加えてのプロジェクトだ。 
まずは視察からはじめ、基礎知識をざっとたたき込む。 
設計の舵取りは高野が行うが、どんどん意見を出してもらう。 
時間はかかるが、海外のデザイナーが一方的に押し付けるようなカタチの公園をつくるよりも 
マレーシアの今後にとって、とても意味のあることではないだろうか。 

たった四人で仕事をするには?という苦肉の策からうまれたこの方法だが 
結果的に非常に大きな効果をもたらした。 
そしてそれは、マレーシア国王や、国民とたちまちフレンドリーになり 
みんなを巻き込んでいってしまう高野さんの人柄なくてはありえなかっただろう。 

高野さんは、公園をつくるため、ただ土地を耕し掘り起こしたのではない。 
「人や、街を耕した」と言えるのではないだろうか。 

そして、マレーシアからの信頼を得たランドスケーププランニングは、 
その後もマレーシアの土地を耕し続けている。一方的に「俺すごいだろ?」を押し付けるのではなく。 

樫野氏はその後20年マレーシアに根をおろして耕し続けている。 



満月「人を巻き込む参加型走る人」 

フランスのアルバートカーン庭園を手がけたときのエピソードだ。 
日仏親交の証としてつくられた庭園の大幅改修。 
カーンの人生にちなんだ新しいタイプの日本庭園を提案した。 
マレーシア国立公園とは違い、こちらはデザインは一手に高野ランドスケーププランニングがひきうけ、きっちりとつくりあげた。 
造形的に造園会に衝撃をあたえた芸術性の高い作品だといわれている。 

金清さんを中心に考えあげ練り上げられた図面を実際にカタチにする際 
彼らはダイナミックな案を提案する。 
永く愛される公園としていくために、この庭園工事を交流プログラムとしてとらえた。 
日本の職人、フランスの造園家、のみならず、 
フランスに出稼ぎに来ている労働者に、地元に住んでいる住人、 
ついには各国から訪れているフランスへの観光客、 
バックパッカーの旅行者までをひきこんで、 
みなで施工にあたったのだ。 

「仲をとり持つのに欠かせないのはパーティでして」 
と金清さんは語る。 
日本庭園につかう石を探すためにフランス中を探し回った金清さんは 
同時にワイナリーもめぐっていた。 
フランス人もおどろくようなマイナーなワイナリーの逸品達を 
石と一緒に集めてきていたのだ。 
高野ランドスケーププランニングの皆様は、 
お酒と、人と、楽しいことが大好きなのだ。 

お酒とささやかなおつまみで夜な夜な楽しんでいると 
自然に集まってきたのが、前述した 
フランスに出稼ぎに来ている労働者達だ。 
彼らは母国(アフリカの各地)では家も何もかも自分達でつくっていたため 
繊細な手仕事のできる技術を持っていた。 
しかし、彼らのノウハウは生かされることなく、 
日々単純な肉体作業を繰り返していたのだ。 
しかもフランス国内においてはおどろくほど低賃金で。 
パーティで一緒に飲みながら、そんな話を聞いてて思わず 
「それなら、この庭を一緒につくらないか?」と声をかけたら 
ぞくぞくと集まってきたらしい。 

アフリカからの低所得労働者の可能性、持っている技術を 
フランスの造園関係者ならびにフランスの政府のお役人(日仏親交の庭園なのだとかで、お役人達がからんでいる) 
それから地元にすむひとたちに、知らしめることとなった。 

黄色黒色白色 違う肌の人たちが一緒に 
泥だらけになって石を運んで樹を植えている 
施工途中の写真は笑顔であふれている。 

完成した日には、近所のパン屋さんが庭の模型をパンで焼いてくれたらしい。 
庭のパンをみんなでちぎって食べながら最後のパーティを楽しんだのだそうだ。 



「あのとき、一緒に樹を植えた者です。観光旅行で出かけたはずなのに、すっかり泥んこまみれになっていました。」 
講演会に来ていた中年の女性がそう言った。この人も今では高野ランドスケーププランニングの(高野さんの?)大ファンなのだそうだ。 



満月「そこで幸せになる工夫クローバー」 

マレーシアの街路の植栽計画も頼まれることになった高野ランドスケーププランニングは、ここでもまた、人々の意識を耕した。 

当時のマレーシアで使われていた街路樹は 
ホウオウボク コウエンボク レインツリー等、外来種一辺倒。 
つまり、全て輸入物。 
ジャングルに一歩足を踏み入れればそこには 
多様な豊かな森が広がっていると言うのに。 

高野ランドスケーププランニングはジャングルに生えている樹を使って 
都市の景観をつくることを提案した。 

政府も、見つめていた地域の住民も猛反対した。 
(高野さん達は地域の住民に同行してもらい尋ねながら何度もジャングルに入っては、種をひろい集め育てるなど、怪しげな(!?)行動をしていたため注目されていた。) 
マレーシア。 
彼らにとってジャングルは、未開の土地、ふりかえりたくない過去である。 
危険で粗野なジャングルを切り開きつくられたゴムの樹のプランテーションは、文明の進歩の証である。 
都市部にいたっては、もっともっと進化した景色をつくりたい。 
そこで、すでに発展している国から輸入した樹をつかって景色をつくりはじめていたのだ。 

高野さんたちは、謙虚だけれども頑固だ。 
「自分達の国に、その土地とその土地の育てる樹にもっと自信をもてばいい。ジャングルの樹は決して粗野なものではない。非常に魅力的なものだ。きちんとコントロールすれば都心の風景とジャングルの樹を共存させることが出来る。」 
と、根気よく語り続けた。 
今では、高野さんたちがジャングルで拾ったタネを 
マレーシアのひとたちが苗木として育てた樹木が 
マレーシア各地の街路や公園などあちこちにみられる。 


台湾でも同じようなことがあった。 
高野さん達が台湾入りしたのは1987年戒厳令が解除された直後だ。 

台湾では1947年2月28日に勃発した二・二八事件以降、蒋介石率いる台湾国民政府によって言論弾圧が強化され戒厳令がひかれていた。 
「この島は一時的な滞在場所で、いずれは大陸に戻り中華民国を打ちたてよう」 
といった気運がちょうどひとだんらくしたころだ。 
人々の目が徐々に自分達の足元、この島での生活に向き始めたそのとき、 
高野ランドスケーププランニングは台湾に上陸する。 
「毎日の暮らしを、きもちよく楽しくしていこう。そのお手伝いをしたい。」 
いずれは中華民国を!と今居る場所ではなく先の野望で頭がいっぱいの 
ぎらつく目をもった人がまだ居るその時代の転換期に、 
高野さん達は語り続けた。 

その後、公共事業に力を入れるようになった台湾で 
ランドスケープデザイナーへの仕事が爆発的に増える。 
ここでも高野さんたちは現地台湾人達と仕事をする。 

ここでも、マレーシアと同じように 
発展している国のマネがもてはやされる。 
台湾のお金持ち達は、ローマのれ列柱を多用しヴィーナスの像を置いた 
噴水を中心とした庭を好んだ。 
高野ランドスケーププランニングはその傾向に警告を鳴らした。 
「台湾には台湾のスタイルがあるはずだ。それを一緒に考えてみよう」 

台湾の国中をあるき、森の奥へすすみ、川をさかのぼり 
樹をみて、石をみて、土をみて、原住民とその家、暮らし方をリサーチしながら 
台湾の景色作りを考えた。 
おおいに語り、現地の人たちを巻き込みながら台湾の街路や公園をつくっていった。 
今では台湾の大学には建築学科よりもランドスケープデザイン学科のほうが多いという。高野パワーはすごい。 
高野ランドスケーププランニングは今でも台湾の地を耕し続けている。 

石野氏は、台湾でもう20年も「高野ランドスケーププランニング台湾支所」の看板を背負って熱心に仕事を続けている。今も「その地で幸せに生きること」と提案し続けている。 


「今もっているものだけを使って より幸せになる工夫。それが人類が生き延びるための、ひとつの方法ではないかな と、そう思うんです。」 



満月「そんなわけで高野さんラブハート達(複数ハート)」 

新しい土地で、まずすることはAppreciate/Appreciex なのだという。 
つまり、その国を、あるいは土地を、高く評価し、賞賛するのだ。 
そして正しく認識をすること。 
果たしてそれは真実の魅力なのか?マネだけのはりぼてなのか? 
本当のことを知り、納得するために 
専門家や学者達にアドバイスをもらいながらも 
彼らは自分達で国中を歩き回る。 
土や樹や川に耳を傾け、原住民と仲良くなり教えを乞う。 
石を拾い、現地の酒を飲みながら 
特権階級や有識者、権力者ではない、そこに住む様々な人とも語り合う。 

土と水と樹と、もともとの土地、自然を知り、認め、尊敬する。 
その土地でのシンプルな暮らしをし、土地とともに生きてきた原住民を 
知り、認め、尊敬する。 
そこからはじまるのだ。 

その土地本来の魅力を引き出し、自然の営力を生かしながら設計をすすめる。 
(自然の営力をいかす方法についたは、またの機会に説明したい) 
地域の人を巻き込みながら。 
お祭りのように楽しみながら。 


高野ランドスケーププランニング、設立当初の四人の熱い話を聴いて 
高野ランドスケーププランニングはとても魅力的な会社だなと改めて思った。 

高野さんは、御歳63になる。 
1975年会社を設立してから32年の月日。 
地道に泥臭く、しかしとても魅力的な仕事を続けてきたのだ。 
世界のあちこちを耕して。 


講演会後は、もちろんお酒。 
高野ファミリーで飲んだ。 
高野さんにあつい想いをぶつけて入社してきたひと、 
そこから巣立っていったひと、 
それから、私のようにオープンデスク生としてお世話になった人も何人か混じっていた。 
アツイアツイお酒の席だった。 

「名古屋から東京まで出てきたの?遠かったねぇ。よく来たね。よく来たね。」 
と高野さんは笑って私の頭をなでてくれたのだが、 
愛知なんて近いものだった。 

北海道からはもちろん、 
昨日までパリで仕事をしていて、今日日本に着いたところだ という人や 
カナダで仕事をしていたんだけど帰国してきた という人や 
ドバイへ飛ぼう としている人 
オーストラリアからきた人や 
マレーシアから飛行機代自腹で飛んできた社員さんに 
台湾からやってきた人 

世界のあちこちから集まってきていたのだから、 
愛知からなんて、本当に近い距離だった。 

高野チルドレン達は各地で日々楽しみながら泥まみれで奮闘しているようだ。 
金銭的に豊かそうな人はなぜか見当たらないのだけれども(笑) 
いい笑顔をしている人がわんさかいて、 
それぞれがとってもおもしろいアツイネタを持っている。 

高野さんはそんな高野チルドレンを応援していくのが楽しみなのだと 
うっふっふ と嬉しそうに笑っていった。 
私にもオーストラリアの教授を一人紹介してくれた。 


「高野さんにアツイ想いをぶつけて世界各地へ飛び散っていった高野ファミリーの皆様のますますの発展を願って」 
そんな一本締めで 
お祭りのような 講演会&飲み会は幕を閉じた。 

帰り際、 
高野さんは、下駄箱からひとの靴をさっさっと出して並べるのだ。 
こんなときでも、偉ぶらなくて、ジェントルマン(笑)なんだ。 
そんなわけで、私は高野さんのことが大好きなんです。 
私にとっては史上最高のいい男です。 

…ね、素敵な人でしょ? 












さいごに高野さんに 
「ランドスケープアーキテクトとは?」と尋ねてみる。 
     
「ランドスケープアーキテクトとはね…」と高野さんはこたえる 

      
            「画家の目と 
              科学者の頭と 
               詩人の心を持った 
                専門家のことだよ」 

20060316

大地を刻んだ男

イサム・ノグチ 

最期の大作。モエレ沼公園に行ってきました。 





圧倒的なパワーを見せつけるそのフォルムを、カメラに納めようとしたけどできなかった。 
「葛飾さん。あなただったら、どこから、どんな風にコレを納めますか?」 
イサム・ノグチの巨大な彫刻を前に葛飾北斎のすごさを思い知ることになろうとは。 

イサム・ノグチ。子供のためにつくった公園っていうけれど。 
でも、これはやっぱり「彫刻」 だよな。って。 
「彫刻家の枠を超え、彼はアーキテクトにそしてランドスケープデザイナーに…」って 解説した文があったけど。いやいや、彼はやっぱり彫刻家だよ。デザイナーではなくて、アーティストだよ。うまく言えないけど。 
子供の遊び場 だったら、タカノさん(私がオープンデスクにいっていたところ)の方が好きだなぁ。 





とか、そんなことをおもいつつ。いつものモンゴルブーツを酷使して雪の上を歩き回ったわけです。 
出発前に、先生に「このブーツじゃ駄目ですね。底が皮じゃないか。雪上なんてあるいたらはがれてきますよ。」って言われてたこのブーツ、今んとこ平気ですよー。(つるっつるっにすべるけどね。)