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20220424

タケノコ

 第三次成長期か、というくらいメキメキバキバキと自分が変わっている真っ最中のこの頃。大人になっても、人はこんなにも変わることができるんですね。

「そなたは私、私はそなた」状態の…自他の境界が曖昧らしい小さな人と、四六時中一緒にいることで、私は変わることを余儀なくされています。

ある日、生まれて数ヶ月の赤ちゃんが、眉間に皺寄せてむずかしそうな顔するのを見て、ハッとしました。あらいけない!
きっと私がそんな顔してたのを真似したんでしょうね。ひゅっと心臓が縮まる思いがしました。あぁもっと笑顔でいなくちゃ!



赤ちゃんに話しかける言葉にも、よく立ち止まっては訂正をしています。「…ちょっと待って。今私こう言ったけど…考えてみたらちょっと違ってるかもしれない。ウェイタセカンド……(しばらく考える)…そうね、やっぱりさっきの言葉訂正させてね。あのね…」と言った感じに。

自分の立ち居振る舞いや言葉づかい、表情などをこれまでになく気にするようになりました。背筋を伸ばしたり、姿勢を気にする機会も日に何度も…増えてきました。

ずーっとそんな調子で我がふりを振り返ってるから、緊張が続く感じで、けっこう疲れるんですが…でもそのうち自分のものにできたら、疲れないでできるようになる日がきっと来るはず。自然に今より優しく柔らかくきれいな行動と言葉づかいができるようになっているはず…!なっていたい




自分ごとで発見がひとつ。あまり自覚してなかったんですが、1人でいる時の、ひとりごとがすごく多いんですね。声に出して喋ってる。

実は…お恥ずかしいことながら、結構愚痴が多いんです。だいたい、外で嫌なことを言われたりされた時、その場で黙って我慢し、1人になった時に思いっきりぶつくさ言って吐き出してスッキリさせてました。誰かにパッと聞かれた時に分かんないようにと時々英語にしてブツブツ言ってる…。なんかこうやって言葉にしちゃうと、くらい人ですね(これだって実は成長してて、20代の頃は人に愚痴を聞いてもらってたのを、30代半ばになって「愚痴を人に聞かせちゃいけないなっ」って考えを改めたんです。結果、ひとりごとに落ちついたんだと…たぶんそうだと思います)

ダメですね。いけません。
ついブツブツひとりごとの愚痴を言いそうになるときに、すぐそばで小さな人のつぶらなひとみがこちらを見てるのにハッとします。この無垢なる存在に私の愚痴を聞かせちゃいけない…!

しばらく、苦戦つづき。まずは「どうしたら、この人の耳に入れることなく愚痴を言えるか…」と考えました。しばらく「ひとりごとの愚痴を言う時間と場所を探す」ということをしていたんですが、ナイですね。今のところ見つからない。で、作戦を変えることにしました。

「ブツブツ愚痴を言わない人になろう!」
って言ってすぐ愚痴言わない人になれたら苦労しません。考えました。どうしたら愚痴を言わないでやっていけるか。

で、今のところの方向性としては…「外のストレスを自分の暮らしに持ち帰らない!」嫌なことを言われたりされた時、これまでみたいに黙ってサンドバッグになるんじゃなくて、少しでも思ってることを言って伝えることに決めました。

ストレスを溜めすぎないように、ちょいちょいピシャっと発言しよう。ストレス問題はその場その場で解消(まではいかなくても減少)させるという方向で、しばらく試してみます。

揉め事にならない程度にしたいからその辺が難しいですね。“ぶつかりオジサン”に遭遇してぶつかられた時は反撃すると大変なことになりそうだし…どうしたらいいんだろ。
(”ぶつかりオジサン”都会の駅など人混みにいる時がある。おなかの大きな妊婦さんにわざとぶつかったりする嫌なやつ。なぜそんな行動に出るのか不明。)

他にもいろいろ試してみようと思ってます。脱ストレス!愚痴を言わない人に!


とにかく「愚痴を言わない人になる」と決めたことが一番大きいことかも知れません。「愚痴を言う場所とタイミングを探す」って頭だった時に比べ、なんて言うかちょっと…気持ちが軽くなった気がします。あれ、私最近、愚痴のひとりごとでなくなってきた…!?ような…気がする!

すっごい大きな変化!!!の真っ只中にいます。

何か意見をいうたびに、ひとつづつ、それでいいのか考えるのも、気に入っています。この習慣続けていきたい


写真は昨日、感動したもの!

なにこの造形、ものすんごいなぁ!パワフルだなぁ!!岡本太郎さんみたいな、ズドォンとくる迫力!こりゃぁやばいなぁ…すっごいなぁ…!胸がザワつく!と大騒ぎしたくなるくらい。

竹林でタケノコ掘り。タケノコの造形の魅力は、パイナップルに通じるところがありますね(パイナップル好き)。

タケノコの成長にあやかって、
私も成長したい。ところであります。


20220117

’last post' for a while.



私たちのところへやって来た小さな人、かわいい赤ちゃん!についての投稿は、これを最後に、しばらく筆を折ります。18年後くらいに、本人から許可がおりたら、次の投稿があるかもしれません。

18年後といわず、もしかしたら、30年後くらいになるかもしれませんね。もしいつか「新生児との日々」を綴ったエッセイを出版することになったら(すると私、とうに還暦をすぎてることになりますね‥うまく想像できない!)その時はぜひ、「
あぁ子どもとの関係うまくいってるんだなって」温かい目で読んで下さいね。
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This could be a last post about our baby for a while. I will not share photos, name, character and personality of our child on the internet and any other public media where anybody can see. The following story might be uploaded, Only if our child allows me to share when the child grew up enough 18 years later. Perhaps, I may publish a collection of essays on newborn parenting 30 years later, then you will know my baby let me to write.

I would love to talk and share about our baby’s stories with my family and friends in personal, but not on the post. I like to hear from you as an “experienced patenter”, about the worries and joys of parenting. It is encouraging.
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不特定多数の誰もが見られるオンライン上、SNS、新聞や雑誌含む媒体などに、自分の子どもの「個人が特定できる状態で、性格やそのほか個性について言及しない」。

というルールを自分に課したのは妊娠するよりも、もっとずっと前のことです。
決めていたはずなのに…いざ、赤ちゃんを目の前にすると、あまりの可愛らしさに、姿や仕草を世界中に見せびらかしたい欲求がむくむく湧いて来て、葛藤してます。

自分の欲求の塊に楔を打つためにも、今回、「宣言」を投稿することに決めました。
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子育ての話をしたくないわけではないのです、ただ「オンライン上の誰でも見えるところではしない」というだけです。子育て経験者の方の体験談を聞けるのはすごくありがたいことですし、同じような状況の人と大変さや喜びを分かち合うことができるのは、嬉しいことです。

そして…近しい人(家族や友人)には、「うちのこ可愛いんだけどどうしよう!」って親バカ話を聞いてもらえると嬉しいです。(うっとおしがられない程度に抑えるようにしなくちゃ…。)
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親になるよりもずっと前に、自分がまだ子どもであった時のきもちを忘れないうちに、「自分が親になった時に、してはいけないこと」を色々考えていました。基準は…小さな時の私がめちゃくちゃに怒るだろうこと。親子関係に修復が難しいくらいの亀裂が入ってしまいそうなことはしない、と決めました。
(私の怒るポイントいっぱいあるので大変!)

自分がけっこう…わりと小さな頃から自分の意見をきっぱり持って、頑固で、意思が強い感じなので…もし私に似た感じの子だったら、こりゃぁたいへんなことだなぁ。と想像します。(私の両親はよくこんな私を投げ出さず育ててくれたもんです、と今更ながら思っているところです。苦労かけました。)さて、私たちはどうなることやら、ちょっとキンチョウしてます。

自分がいやだと思うことはしないっていうシンプルなルール。でもどんなに想像して準備しても、実際は自分とこの子は違う人で、違う価値観を持つことになるでしょう…から、そう簡単にはいかないでしょうね。この子は何を好み、何をいやだと思うのかしら。よく聴いて、話し合いながら都度考えていくのだろうなぁ。いっぱい親子げんかするのかなぁ…どきどき。

親子げんかできるくらい大きく、無事に健康に成長してくれますように…!

いつだって、ひとりの人間として尊重し、敬意を持って接したいと思っておりますよ。

写真は泣きはじめの顔のスケッチ。ぴっちり閉じた目の真ん中あたりに、ぷくーーっと球がふくらむような涙。あぁ、泣いてるのに可愛い‥!
It's a sketch of a baby face that started crying. I can see tears like a bulging ball, around the center of the tightly closed eyes.




*余談

妊娠出産報告をして以来「話ができる仲間が増えた!」と感じてます。心強いことです。

(フリーランスの絵描きの悲喜こもごもの話が通じる人が少ないことに比べると、子そだて経験者の数は絶対的に多いですね。)


赤ちゃんと一緒に歩いているだけで、声をかけてくれる年配の女性もいて、なんだかあたたかい気持ちになります。タスマニア大学院時代の友人たちとも再びつながることができ、海の向こうの各国での子育て事情の話が聴けるのも楽しいことです。自分よりずいぶん年下の、だけど親業では先輩の子からは、日本での子育てと仕事の両立についての現実的なお話しをききました。参考になります。

年齢や国を超えてフラットに話すことができる共通の話題なんですねぇ、子育てって。


「親になったもの同士、知恵を出し合い、力を合わせこどもを育てていこう!」というこの感じ、いいものですね。平和!

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Since I tolled that my pregnancy and childbirth, I feel that "the number of friends to talk has increased!" It is encouraging. Parenting seems like a common topic that we can talk regardless of age or country.

(Compared to that there are few people who talks about the sadness and joy of sketch journalist / solo painter, the number of people who have experience with child-rearing is absolutely large.)


I talked to the women who are about 10 years younger than me, but she's already raising children. It is very useful to hear about the current state of the childrearing environment and working conditions in Japan.

It’s fun to reconnect with friends from University of Tasmania and listen to stories about parenting.


Even an elderly lady who walked passed, talked to me and baby. " Hi. What a beautiful baby! does your baby sleeping well? joust few more months to go. Then, you will be able to sleep enough. good luck." It made me feel warm.


It's like, "Now, let's share our wisdom and work together to raise small children." very nice. Very peaceful.



20220101

Welcome.

10ヶ月、おなかの中で育ってきた赤ちゃんが、外の世界へと出て来てくれました。

Please join us to welcome our baby. I wish I could travel around with my baby to introduce to my old friends instead of greeting on facebook.


Adorable beautiful baby came out, after 10months of amazing maternity life! It was a wonderful and magnificent experience that could not be explained in words. Through the experience, I realized that human beings are also one of the animals/life -it might be sound strange to you-. Fell the soft and warm weight of a small person sleeping in my arms, and mutter “it's just amazing. It's wonderful."


すごいものですね。

腕の中でスースーと寝息を立てている小さな人の、柔らかく温かな重みを感じながら、「まったく不思議でならないけど、とにかくすごいことだなぁ。すばらしいことだなぁ。」と感動しています。

まったく、どう言葉にしたらいいのかうまく分からなくて歯がゆいんですけど…。人間も動物のひとつ、生き物だったんだわぁと思い知らされた気分です。


生命誕生の過程において、自分にははかり知れないことばかり。小さな細胞が分裂を繰り返し、さまざまな器官がつくられ一人の人間が作り出されてきたと…本で読み想像することはできますが、それ以外自分でできることって、あまりありません。例えば「今日は赤ちゃんの肺を完成させるぞ!」なんて決意し計画を立て自分で手を動かすわけじゃないんですよね。いつの間にかできあがってる。それがさも当然のことのようにおこっていて、なんだかすごいことだなぁって思うんです。

自分の身体も。自分のものでありながら自分のコントロール下になく、何らかの力によって組み変えられ続けてきた10ヶ月の妊娠生活。しまいには、一度身体が解体され、壊されたかのような分娩!(なかなか過酷な体験でした。)


生き物ってすごいなという感動と共に、現代の医療にも感謝しています。今こうして、ふにゃふにゃ寝ている赤ちゃんを眺めながら、呑気にSNS投稿文を書いていられることは、ほんとに奇跡的に幸せなこと。名古屋市立大学病院のみなさまありがとうございます。(ほんとは、海での水中出産に憧れがあった私ですが、今回大学病院で出産できて本当によかったと、心から思っています。)


余談ですが…陣痛がめっちゃくちゃ痛くてすごくツライ時に、むかし自分が描いた絵に再会しました。のびのびと泳ぐ魚の群れの絵。透き通るオレンジとブルー、陽気な色の魚たち。苦痛にゆがんだ瞼の隙間から絵を眺め、気持ちよい海の中を想像して陣痛の波の中を泳ぐようにして乗り越えました。むかし自分の描いた絵に勇気づけられた気分です。(「この絵私が描いたの!」と助産師さんに説明しようとしたんですが、あまりに痛すぎて「フーーーーッ!フーーーッ!」という息以外、何の言葉も口から出てこず。笑)

実は名古屋市立大学は実は私達夫婦の母校でして、産婦人科の先生2人お友達でした。すごく心強かったです。


不安要素の多い妊娠出産でしたが、ふたをあけてみれば、無事。要所要所で、まわりの人や環境に恵まれ、なんとも幸運な私たちです。今も、様々な人の温かい目に見守られています。ありがたいことです。


There wasn't much I could do. I can only imagine the process of the birth. I read that a small cells repeated division, and various organs were created, and it became one human being. Amazing! 

Also, My body was not under my control, and had changed 10months by some force/ whatever. Then, it was like “once my body was broken,  dismantled, and now it's being reassembled.” It was quite rough birth. 


I am impressed that How amazing life is! At the same time, I am also grateful for newest modern medical care provided by the university hospital. I am appreciate to Nagoya City University Hospital.


By the way, I got a bachelor's degree from Nagoya City University 14years ago. I was studying the medical environment and art. Inside the hospital, there is a mural that I drew when I was a student. I reunited with the mural painting when my labor was so painful. The picture shows the fish swimming freely and lively. The colors of the fish are orange and blue, hilarious and cheerful colors. I looked at the painting through the gap in my painfully distorted eyelids. The mural cheered me up. I tried to explain to the midwife, "I drew this picture!", but I couldn’t. It was so painful  so I couldn't say anything other than the breath “phoooooo phooooooo". Lol


Looking back, we are very fortunate to be blessed with the people and environment around us. Thanks.


There are many things I want to write, but I need to finish writing. As my baby is crying, I have to feed my baby. Thank you for reading my strange note….  

20210623

kids 泣いている小学生/中学生を見かけたら?親でもない第三者に何ができる?

小学生たちが列をなし通学している朝の風景の中

小さな男の子が、肩を落とし、しょぼしょぼと歩いているのを見た。

ふと顔をあげたその子の瞳から涙がポロポロ溢れるのを見てしまい、

私は胸がキリキリと締め付けられるような苦しさを覚え、居ても立ってもいられない気持ちになった。

なぜ、その子が泣いているのかの事情を、私は全く知らないけれど

ただ一人の小さな男の子が、身体全体をかなしい気持ちに浸している、という状態であるというそれだけでじゅうぶん大きな出来事で、私もとてもかなしくなり、自分の目にも涙が浮かんできた。

朝、家で親と揉めたのか、これから向かう学校が嫌な場所で行きたくなくて泣いているのか、同じ学校へと向かう友達たちと喧嘩したのか‥。どんな事情にせよ、そんなにまで涙を流してかなしみながら通学することないだろうに‥どうぞ、世の中の子ども達には、できるだけ幸せな時間を過ごしてほしい。

小さな肩に大きなランドセルを背負っていたその子は小学一年生。親でもなく、担任の先生でもない私にできることは何かあるのだろうか?



ずっと心に残っている後悔がある。

私がまだ大学生だった頃のこと。旅先で出会った女子中学生が、身体全体から憔悴しきった雰囲気を漂わせていた。どうにも放っておけなくて声をかけた。面識もなく、名前も知らない彼女だったが、話をきいた。

「女はいつも男に殴られるから嫌だ。」

と言う彼女の言葉に、私はびっくりした。私も女だが、誰からも殴られたことなく育ってきた。自分の知らない世界だった。

彼女は父親に殴られた、と言った。彼女の母親も父親に殴られている、と言った。女はそうやって、男に殴られる存在でしょう、とさも当然のことのように話す中学生の女の子。私は衝撃を受け、動揺し、あわあわしながら、まくしたてるように喋った。びっくりして早口になってしまった。

「それはおかしいよ!ぜんぜん、おかしいよ!殴られていい人なんていないよ!我慢しなくていいんだよ。殴られるような場所からは、逃げ出していいんだよ。痛かったね、こわかったね‥。殴られない場所があるし、あなたを殴らず守ってくれる人もいるよ、守ってもらえる場所がどこかにあるよ。世の中いろんな人がいて、いろんな場所があるんだよ。

殴るなんてダメだよ!男でも女でも人を殴っちゃだめだし、殴られていい人なんていないよ。みんなみんな大事に扱われていいんだよ。」

次の日も同じ場所に居ることを伝え彼女と別れた。私の心臓はドキンドキンとしていた。

翌日、彼女ではなく、彼女の母親だという女性がやって来た。

「うちの娘に余計なこと言ったのはアンタ?変なこと言うのやめてくれる?何も知らないくせに。人の家庭のことに口出すんジャナイヨ。」

その女性は私を一喝すると去っていった。厳しい声でどなられた私は、しばし呆然としていた。

確かに私は家庭の事情を一切しらない。家族でもないし、学校の先生でもないし、権威ある専門家でもなく、ただの旅する大学生が、やんややんやと家庭のことに口出したらそりゃ不愉快に感じるかもしれない。でも中学生の女の子が一人、ひどく弱っているように見えたんだもの、それだけでお節介をやく理由には十分だと、心の中で反発した。

もちろん中学生の女の子が嘘をついて大袈裟なことを言っていたという可能性もなくはないが、そんなのしかるべき機関に調査してもらい嘘だと分かったら、嘘でよかったと思えばいいだけだ。ほんとに殴られてたとしたら、躊躇してる場合じゃない。

それで、あの中学生の子はどうなったんだろう?逃げ出そうとしたのかな?それとも殴る父親に反抗したのかな?逃げられたのかな?反発したことで、もっとひどく殴られたりしていたらどうしよう…?

私はこわくなった。

昨日話を聞いた段階で、「助けて守ってくれそうな場所/人」に彼女をつないであげられればよかったんだ、と自分の役立たずさにかなしくなった。具体的にどんな機関があるどんなサービスがあるのか知識がなかったけれど、その場で調べればよかったんだ。私はただただ動揺して、何の役にもたたないアドバイスを口にしただけだ。自分の愚かさに腹が立った。何もできなかった。余計なことを言って、よけい事態を悪化させたかもしれない‥?

でも、あんなに若い子が、親のもとで苦しいおもいをしているかと思うと、耐えられない気持ちになる。


力を持つものは、自分がもっている力に対して無自覚になりがちなところがあるように思う。親は子どもに対して圧倒的に力をもっている。経済的に、身体的に、子どもの生命与奪は親の手に握られてしまっている‥ようなところがある。一人前になるまで、子どもは、親の庇護なしに生きていくのは難しく、親の支配下から抜け出すことは非常に困難だ。すごく不均衡な力のもとで、精一杯生きているのが子どもだ、とそんな風に私は感じている。

親は親で一所懸命で、それぞれの正義があり、それぞれ事情があるのだろうけれど、それでも、どんな場合でも、子どもの生命と心を大切に扱わねばならない。いのちは、大事だ。尊厳も大事だ。

対等に親と対峙することがかなわない状態の子どもが

苦しんでいたり、悲しんでいたりする場合は、その子を救う為に、第三者の介入が必要になることもあるはずだと思う。



数ヶ月前のニュースで、5歳の男の子が餓死したという、あまりにかなしい事件を知った。母親が、母親の友人に洗脳されたような状態で言いなりになっており、子どもに食事を与えなかったという。あまりにつらい事件だ。そんなことあってはいけない。育児ノイローゼになる人へのサポートも必要だし、他人を洗脳しお金を巻き上げるような精神的に歪んだ人にはカウンセリングや治療が必要だし、でも何より、まずまっさきに、そんな大人のせいで脅かされる子どもの命をなんとかして守る必要がある、最優先。安全で、あたたかいご飯を食べさせてくれる場所に連れて行き、守ってあげる必要があったのだ。

親でもなく、何も知らない通りがかり第三者だとしても、弱い立場におかれている子どもという存在が弱っているのを見かけたら、他人の家庭のことでも口出したり、手を出したり(しかるべく機関に引き渡すなど)してもいいんじゃないかと思う。



まちなかで、泣いている小学生/中学生を見かけたら、親ではない第三者の私にできることはなんだろう?何だったらしてもいいのか?

ちなみに冒頭の少年は、どうやら、学校で必要だと言われているマスクを親に持たせてもらえなかったことで、泣きながら登校していたらしい。(暴力や虐待でなくてよかった。)もしかしたら、今の日本全国で見られる風景なのかもしれない。マスク着用絶対反対派の親と、マスク着用をルールとして定める学校との間で、板挟みになり苦しい想いをしている子ども達がたくさんいることだろうと思うと胸が痛くなった。





20200905

聴き方 最近勉強していることシェア

【話しの聞き方(最近勉強していることをシェアします)】 

①頭から否定しない、ただし安易に同調もしない 事実関係を把握する 
②本人のきもちに重点をおいて聴く よい例「あなたはそう感じたのですね。」
③責めない 叱責は避ける「あなたの努力が足りない」はNG 
④精神論は禁物 「気持ちがたるんでいる」「みんなもっとつらい思いしている」はNG 
⑤すべきことは具体的に伝える  
×曖昧なアドバイスをしない 「対人関係スキルを学んだ方がいいよ」NG 「しっかりしなさい」NG 
○具体的に、いつ、どこにいくと、どんな支援がえられるかなど伝えてあげる 
⑥こちらができる範囲を明確にする 「いつでも相談に乗るよ」とは言わない。 (ほんとにいつでも相談きちゃうから) いい例「来週水曜日の15:00から1時間はなしを聞く時間を作れるよ」
⑦視覚情報で示しすと理解しやすい。文字を紙に書き出しながら説明をする 

 精神認知行動医学を専門とされている方からお話を伺いました。 自閉スペクトラム症など神経発達障がいを持っている相手に対して、どのように話を聞くか。というお話を聞いた時の私のメモ。(間違いがあったらすみません) 
「支援が必要なわけではない健常者」を相手にお話をする時にも、そのまま役に立つような気がします。

 ある病院の名誉院長さん、ホスピスでのエンド・オブ・ライフケアに取り組んできた方からうかがったお話も印象的です。コミュニケーションで留意していること、(以下私のメモです。聞き逃しあるかも?) 

①答えの選択肢の広い質問を投げかける  
②答えの選択肢が狭い質問はしない  (家族のこと、仕事のことなど、プライバシーに関わることは、聞き出されて嫌な気持ちになる場合がある)
③根拠もなく特定のことを断定的に言ってしまわないように気をつける。 
良かれと思ってもNG  
×ダメな例「いいですね、息子さんあとをついでくれて」「いいですね、優しいだんなさんで」など(家族間で揉めていてツライ場合もある。このひとことが相手の気持ちを追い詰めてしまう場合も。) 
勝手に想像して、思い込みや憶測で価値判断をしてしまうことに気をつける 
④思いや気持ちに焦点をあてて話しを聞く「その時、あなたはどのように思われましたか?」 

気を使うことが多すぎて大変だなと思ってしまうけど、
でも こんな風に話しかけられたら、うれしい。とてもうれしい。 

逆に上記のNG項目を言われた時 嫌なきもちになったなぁと 思い出す。 

話し方について。 
時々思い出して、 
ちょっと気を使って話しをできる人になりたい。 

 心が元気なタフな側(たぶん私こっち側)がちょっと余分に、気をつかって寄り添ってあげられるようになりたい。タフなのはたまたま、脳みそがそう生まれついたからなだけかもしれないから。(これも事故などにあって脳にダメージを負うと、それだけで性格も変わっちゃう可能性もある。明日は我が身だなぁと思う。)

生まれつき(または事故などで)脳にエラーを抱えているだけかもしれない相手に対して、 気を使って話すということ。一般的なふるまいになるといいな。 

簡単にはできないかもしれないけど。 
私も学んで気をつけるようにしていくので
どうかあなたもぜひ 。
一緒に挑戦してみませんか。

やさしい気づかいができる人になりたい。 心からそう思う。


_________________
追記
 

NG例
「みんなもっとつらい思いしているのに。あなたは、めぐまれているのに、気持ちがたるんでいる。努力が足りない。対人関係スキルを学んだ方がいいよ。しっかりしなさい。」
こう文字情報としてならべてみると特に思うのですが
「精神論の曖昧なアドバイスで相手を叱責する」って、話し手側が満足するだけじゃないのかなぁ。聞いている相手にとって役に立つ情報が、その言葉には入ってない。
言いたくなっちゃう。たぶんこんな感じのこと言ったことある。そういう状況の時のことを思い出すと、たぶん自分イライラしていた。「自分はこんなに苦労してがんばっているのに、あなたは努力もしないで文句ばっかり言って!」というイライラから発していた言葉だと思う。
でもほんと、文字に書いて眺めてみると、何ひとつ相手の為になることは言っていない。(そもそも相手の役に立とうとも思っていなかった気がする。)

繰り返すがダメな例
「みんなもっとつらい思いしているのに。あなたは、めぐまれているのに、気持ちがたるんでいる。努力が足りない。対人関係スキルを学んだ方がいいよ。しっかりしなさい。」
言ってる側がエラそうに言って気持ちよくなっているだけ、または言いながらストレスを発散しているだけなのかもしれない‥なんておもってしまう。
だから「そう言われても、気にやまないこと」、と叱責されている側の人に伝えてあげたい。

やさしく真面目な人が、叱責されたことに辛くなって、でも何をしたらいいかわからなくて(そりゃそうだ、なにも具体的なアドバイスふくまれてないんだもの)、つらくなって心に傷をおって会社から去っていくようなシーンが減るといいな‥。会社から去ってもいいけど、自分のきもちをすり減らし過ぎないで‥

実際、世の中の「アドバイス」ってほとんど上のダメな例なのかも?(言いたくなりがちな気持ちもよく分かるので、自戒をこめてメモ。)

心に(わたし含む)が少し気をつかって、
個人個人の存在を尊重しあえるような雰囲気を作れたらいいな
簡単じゃなさそうだけど もっとやさしくなりたい ちょっとづつ「お互いに」気を使いあって暮らしていきたい

20191225

紫キャベツと柿のサラダ 2019年の100日記

檸檬汁に漬けて赤味が増した紫キャベツと柿のサラダ。初めての組み合わせ(残っていた食材を合わせてみた。)色がとっても綺麗でテンション上がり、美味しくてまた感動。クリスマスに作ったお料理の一品です。




我が家、ツノハウスにサンタクロース(三択ロース)がやって来ました。パズルのようなクイズのような手紙が届き…「一本線を付け加えなさい…」と言った具合で、ちょこっと頭を使わせるサンタです。

2019年12月25日 家での二人の時間がこの上なく楽しい。

20191220

料理の盛りつけと、絵と、デザイン。 2019年の100日記

【料理の盛りつけと、絵と、デザイン。】
「あぁ、料理の盛りつけも、絵を描くの時と基本同じね!なるほどそりゃそうか!だって相手は人だもの!」と、テンションが上がっています。

「盛りつけの発想と組み立て ーデザインから考えるお皿の中の視覚効果」という本が、キッカケです。最高に面白い気づきをくれて、今、私、目がキラーーンとしています。

レシピを探して、図書館のお料理コーナーの本棚を眺めていたら見つけました。料理本に書かれていることですが、私が大学生院生のころ勉強した「デザインの基礎」と重なる内容だったのです。

「盛りつけの発想と組み立て」のお料理本は、基礎造形理論の流れに沿って展開されています。「点」「線」「面」さらに「立体」「色」「空間」と続きます。レシピ本の最終ページは色相環でしめくくられています。

19世紀初頭、バウハウスで教鞭をとっていたカンデンスキーが提唱した基礎造形理論がベースにあります。基本の要素を「点」「線」「面」に分けて検証し構成の再構築を促したカンデンスキー。構成要素の大きさ、位置、方向性、組み合わせ方などにより、それを見た人に与える心理的効果が変わります。安定感、あるいは緊張感、躍動感はたまた静寂…。
2019年の今となっては、古い理論、または、あまりに基礎的…と感じる方もいるかもしれませんが、いやいやこれがどうして、じゅうぶんじゅうぶん今も、とても参考になります。そして、じゅんぶん面白い課題です。面白い、というのは、追求しがいがある、という意味です。

私の絵の話をすると、「一色のペンの線画、何色かの水彩の色を落とす」というパターンでしあげたものが過去に何点があります。これがまさに、分かりやすい例として伝えられるでしょう。「点」をどこにどのサイズに落として、見る人にどんな「効果」を与えるのか…っていう、模索とその結果です。とても基本的なシンプルな作業。

「視覚的な効果」がどのように「人のきもち」に作用するのかを模索するという点が、料理と絵の共通項。ただし、料理はその効果が「食欲を刺激する」「美味しそうと思ってもらう」とある程度狭まい範囲に限定していますね。で、本を眺めながらふと、「料理の盛りつけが狙っている、狭い範囲の効果」ってわりと、そのまま「私の絵が狙いたい効果と近い」んじゃぁないかしら、ということ。


さらに、お料理の本の中にあった「盛りつけの意図を考える」章を読むと、グラフィックデザインや建築の授業のまとめを読んでいるかのよう。
①食べる人の目的、環境を把握する
②盛りつけの意図を考える(料理で伝えたいメッセージの決定)
③盛りつけの構成を組み立てる。表現方法のセレクト。 ・

design。デザイン。de-sign。方向性を指し示すこと。記号により計画の方向性を指し示すこと、または計画を記号で表すこと。解釈はいくつかでてきちゃいますけど、基本は、そう「指し示す」こと。お料理の盛りつけが「人のことを考え、その人のために」「目的意識を持って」「料理を構成していく」ことだと考えると、たしかにそこに、デザインの思考があるように感じます。

というわけで、私ウキウキしてしまって「じゃぁ、わたしに、お料理の盛りつけ、できないわけないじゃない!お皿の上で色面構成するとこからやってみよー!」と食材とお皿と向き合ってみたんです。

が、ここで問題発生。上記過程の③ですね。表現方法のセレクト…。そうです、手持ちの「食材をつかった表現方法、手法」がほぼない。構成案をあたまの中に思い浮かべたところで「案を具体化するための技術がない」要は「思い通りに手が動かない」んです。

そうです、たとえ理論の構築ができたとしても、美しいものを生み出せないなら、全然足りてないのです。ここでもまた、大学の先生との会話を思い出しました。

脳みそが手に宿る(ような感覚になる)まで
手を動かし続けること




岐阜のおうちの近所にて。もとフレンチのシェフだったという方に、上記の話をしたら、なんと、なんと、白いお皿とクランベリーソースを持ってきてくれて、盛りつけ方の一例を実演してくれました。見せながら説明してくれたのです。スプーンの動かし方、食材の、落とし方、さらに、その盛りつけに適しているのは、どんな食材であるべきなのか。なんといい人!(今はBBCというサンドイッチのお店を開かれています。お仕事の間に、技術指導!?ありがとうさんです。なんといい人、いいお店!ガッツリフレンチ修行をしたシェフの作るサンドイッチ絶品ですよ! ) ・
それが昨日の話。

そんなこんなで、ちょっと料理にはまってるここ三日間です。本業、絵描きの真子でした。


20191211

サグパニール 2019年の100日記

《自家製インドチーズとほうれん草のカレー: サグパニール》の作り方を習う at 「サム店の趣味趣味カレー講座」参加しました。たっぷり入ったほうれん草の美味しさと、手づくりパニール(チーズ)が良い相性ー!チャパティづくり、すっごく楽しかった! 

インド料理屋さんで見かける緑のカレー!夫が好きなカレー!だけど作り方をよく知らないまま…ネットで調べたレシピに沿って、過去に数回作ってみようとチャレンジしたけど、うまく作れなかったカレーです。その曰く付きの、ほうれん草カレー。松本のスパイス使いマスターの 「音楽喫茶 something tender (サムシングテンダー・通称サム店)」の店主さんのオリジナルレシピを教えてもらえるとあれば!メモ片手に前のめりで参加しました。
出張の多い不良妻、に出張先に際し入れを送ってくれる優しい夫です。今回、仕事道具がかさんだので、自分の服を減らして出張に臨んでいて、寒さ対策が甘くなっていたんです。でも、まつもと古市の二日間は寒空の下でず絵を描く(修行のような?)時間となります。そんな私に、遠方の夫から届いた救援物資。宅急便の中には「あったかパジャマ」だけでなく、「マフラー+腹巻+指出し手袋とホッカイロ」まで(なんだか、おかぁさん感ある詰め合わせ!)。手袋したままペンが握れるようにと指が出る手袋をチョイスしてくれました。有難や。
お礼に、ほうれん草カレーの作り方をお土産に帰りますからねー。
そうそう、サグって青菜全般を指す言葉らしいよ。菜花や小松菜でも作れるんだって。いろんな青い葉っぱでカレー作ってみようー!



20191206

人生ずっと夏休み 2019年の100日記,



パオを地元の海へ連れて行きました。 
 #ほら吹きと放浪癖

キラキラ光る波、砂浜、12月になったというのにあたたかな陽射し!波の音と、違う国の言葉で話すサーファー達の笑い声。


パオがうちに来てから「人生をめいっぱい楽しもうモード」の時間がより長くなりました。 


え?前から人生楽しんでいるように見えてたって?

一応、私の自分自身の理解では、以前は「もっともっと頑張ろう!頑張れ自分モード」のヒリヒリした時間を生きていた…傾向が(!?)ありました。たぶん。どうかな?ま、自分としては頑張っているつもりでも、他の人から見たら遊んで見えていたかもしれないけどね。

「おまえはいつまでも、『人生ずっと夏休み』みたいな生き方してー」

と、これまで度々父が私に言ってきたセリフです。言われた本人(私)、けっこう気に入っています。これから先もずっとそう言われたい。

パオと夏休み、って似合う言葉だな…なんてことを冬の海でぼんやりおもってました。ポカポカ陽気できもちいい最高の気分。一人ドライブも、二人ドライブも、運転席も助手席も好きです。高速道路では登坂車線をキープしてノロノロ気味の走りですが、ゆっくり目でもパオで走るのはとても気持ちいい。

若者の車離れ と巷では言われておりますが、最近、車が好きになった私です。…って?あ!れ?ひょっとして私もう若者に分類されてないのかな?ま、いっか

20191118

喫茶レストラン「丘」の、スクラップブック。2019年の100日記

もし、愛知県民岡崎市の、東岡崎駅まわりのルポタージュを書くことになったら、そういう依頼が来たライターさんに、私は、喫茶レストラン「丘」でコーヒーを飲むことをオススメする。ギラギラ内装で有名なお店だが、意外なほど落ち着く空間で(ほんとだよ!)、実は本棚が渋くて、いい。店主さんのスクラップブックの数々は一見の価値あり。





岡崎のゆるキャラ、オカザえもん、についてのスクラップブックは何冊にも渡る!オカザえもん、に関する新聞記事や、町の広報誌、イベントのチラシ、市長さんのオカザえもん評(時系列で内容がかわる)と、様々な媒体を渡った資料が、時系列に揃えてくれてある。市長さんとオカザえもんが対立したひと騒動、などの出来事も。様々な媒体の記事を横断することで、いろんな目線でオカザえもんを追いかけていくと、物語が立体的に浮かびあがってくるようでワクワクする。


さて、私は、岡崎市の都市整備計画についての調べ物の町歩きをするために岡崎に来た。と、そう店主さんとお喋りしたら、「それならほら、これを」と次から次へとファイルを出してきてくれた。乙川リバーフロント地区の整備計画。橋の耐震改修、その予算など書かれた新聞記事の切り抜き。の小学生向けのコンクール、リバーフロントの未来の使い方を提案する絵の受賞作品のいくつか。まちづくりワークショップお知らせチラシ。プロジェクトに反対するチラシまで。構想、計画、推進派、反対派、行政の動き、民間の動き、大学の先生達や学生の動き、コンサルの方の提案と子ども達の提案。ファイルのページをザザザザザーーっと斜め読みしていくと、違う視線がいっしょくたに、時間の軸に絡みついて脳内に入り込んでくる。2014年間からの6年間に渡る資料。サッと目を通しただけでも壮大な物語を読んだ気分だ。(大河ドラマを一年分見たような満足感)。実に、面白い。
丘さんにお礼を言って町に出た。
先程のスクラップブックの情報が頭の中に詰まっておる状態での町歩きだと、それまでとはまた違った風景が見えてくる。1人でぷらっと歩いて、お店に入り、それぞれの店主さんと挨拶をして、隣の席のお客さんとお喋りをしたりして。(岡崎の町にはフレンドリーな人が多い!話しかけてくれる方がたくさんいて、あたたかいきもちになる。)
肌感覚とお喋り情報と、何層にも重なっていくまちの情報。それから、市役所の方からいただいた整備計画の資料に再度目を落とす。ドライに見えていた地図の向こうに、色鮮やかなドラマの数々が透けてみえるような…。
面白いな。面白いね。面白い。「情報処理」という作業から得られるワクワク感と面白さ、AIに全部取らせちゃうにはもったいないよね。せっかくこんなに楽しいのに!
ギラギラ楽しい喫茶店での、スクラップブック読書(読書?)と、町歩きのススメでした。 
パワフルな店内に感動ー。リーズナブルでボリュームある喫茶店ごはんも嬉しい。看板メニューのエッグカレー、美味しくいただきました。おなかいっぱい!ごちそうさまでした!




*「丘」について知ったのは数年前…「あいちトリエンナーレ2013」スタッフ同士として知り合った、大竹敏之さんがお話ししてくださったのがはじまり。大竹さんは地元愛知への愛溢れるライターさん。名古屋の喫茶店や居酒屋のことならこの人!という方。(2枚目の写真「名古屋の喫茶店」は大竹さんの著書) 数年間があいてしまいましたが、ようやく来ることができましたよーー!

20191031

2019年の100日記,



朝。洗濯物を干したついでに庭の植物の朝陽にきらめくのを眺める。虫に喰われた葉っぱを持ち、チョンと切り落とされた花の穂は一部私の身体に入った印で、それでもスウィートバジルは生きて成長を続け、花弁を落とし種をこぼしている。ものすごいことだと、なんだか胸がいっぱいになる。


秋である。毎年感傷に浸りやすいけれど、今年はとくに。このところ心が弱々で、些細なことにきずつきかなしみ、ついでに記憶のなかから「かなしい」とタグづけられた引き出しを片っ端からあけて追体験してはへこんでいる。ここ数年分溜め込んできた傷が全て、秋風のもとに晒されているかのようだ。我が身に起こったことのみにあらず、新聞の端のニュースに愕然とし、人間というものの業の深さや愚かさを嘆くと共に、あぁ自分もその人間だと胸が苦しくなる。災害や気候変動から、氷河期や、気候がかわり絶滅した動物のさいごを想像したりしてしまうともう頭の中がグルングルンと揺れ出す。しまいには、網戸とガラス窓に挟まったカメムシが出口ではない方へと進んでいく様にも、もどかしさを覚え、「どうしてそんな身動きが取れない方向へと進んでいくんの、広い空は逆方向よ」とかなしくなる始末。


実際に自分の身に起こったことは小さなことがはじまりだったのに、昔の出来事や地球の反対側のこと、虫の動きなど、時間と空間と種属を越えてかなしいをつなぎ、堪えきれなくなってしまう。我ながら非常に厄介だ。


昨夜夕食を食べながら、「どうも最近、なんだか心が弱々で、すぐかなしくなるのよ」と上の話をひと通り夫に話してみた。カメムシのくだりを話したあたりで夫は吹き出して笑った。そうかカメムシ見ててもかなしくなっちゃうのか。そうよぉ、おおごとなのよ。「カメムシといえば…」と夫が話し出す。


「今日ねパオ(車)の後ろの窓ガラスとドアの間の小さな溝のようなところにね、カメムシが潜りこんでいたよ。」「まぁ、どうしてそんなところに…あったかかったのかな。最近さむくなってきたしね。」と答えながら私はハッとした。「もしかしたら、網戸のカメムシも、あたたかいところへ潜りこみたくて、風が避けられる狭いところへと進んでいったのかも!空の方向が分からなくなったんじゃなくて!」「もしかしたら、そうかもねぇ」ぬくぬくとあたたかなところにいる虫を想像したら、なんだか少し心があたたかくなり、昨夜はぐっすりと眠った。


ここ数年は、些細なことに目をとめる余裕がなかったのだとふと思う。鈍感でなければ乗り越えれないような波に次々と向かっていた船。ほんとに傷がつかない頑丈な船なら良いけど、ただ見ないふりをしていただけの場合、そのままにしておくと難破してしまう。


‪今は、水が漏れようとしている傷を見つけてはひとつひとつ塞いでいく作業をしているのかもしれない、と想像する。小さな傷は小さな気づきでふさがったりもする。「カメムシが風を避けて温まろうとしていたのかもしれない」とふと想像するとか、そういったことだ。‬


このところ心がとても繊細だ。些細なことをキッカケに大きく哀しんでしまう一方で、植物ひとつ眺めているだけで大きく感動してしまう。スウィートバジルの朝陽を浴びる様が神々しかった。虫と私に命を少し分けてくれて、なおかつ自身に種を実らせている。まったくほんとうに、たまらなく素敵ね、

川辺散歩 2019年の100日記

長い釣竿をひゅんひゅんひゅーーーんと振った三回目、広い川幅の中ほどに水飛沫があがる。クーイクイクーイと三回左手川下側に動かした釣竿は大きくしなり、ほどなくピチピチと跳ねる銀色の光を釣り上げる。流れるような動きで。まるでなんでもないことのように。同じ調子で二度、三度…魚ってそんなに簡単に釣れるものなの?と目を丸くしている間に、もう五匹目の魚が釣り上がる。岸辺では、七輪に火をおこして、魚を待っている人がいて、炭の香りが立ち上ってくる。



20191021

1人会社員ごっこ 2019年の100日記,

先週は、私の作業が平日昼間に収まりきらず、ちょっと溢れてしまった。夕飯の後や週末も、自分のお仕事の方の作業をすることになってしまった。ザンギョーである。

(ちなみに私は、サラリーマンっぽい言葉を使いたがる傾向がある。シュッチョーとかカイギとかも好きな言葉だ。1人で仕事してると使わないから妙に憧れるのだ。ドウキにも憧れるが、誰を指してそう呼べるのか分からず使えないままだ。)

結婚して二人でに暮らすようになってから、毎日の生活の中に「仕事の時間」と「仕事以外の時間」という区別が生まれた。会社勤めの夫の休みに合わせて、私も一緒に休めるように、平日昼間に自分のお仕事の作業をするようにしている。平日夫が帰宅した後に、自分の仕事をしない。とすると、時間が限られるので結構効率よく頑張らないといけない!

月曜日。今日はなんだか忙しそうな夫、朝は早く、帰りも遅いらしい。会社のみなさんとコンシンカイだそうだ。(ちょっと羨ましい)。私も先週からずっと忙しかったから、ちょうどいい、お料理も家事もすっかりお休みさせてもらう1日にした。「よし今日はザンギョーだ!」と口に出して言ってみたらテンションが上がった。珍しく家で1人で夕飯、いやここはオフィスだ、オフィスの給湯室でちゃちゃっと用意出来るような夕飯を少しお腹に入れるくらいにしよう(想像上のOL生活)。わざわざコンビニに出かけてカップラーメンとオニギリを買ってみた。カップラーメンだなんてすごく久しぶりに食べる。何年ぶりくらいか!なんだか不良な食事だわ。くふふ

1人会社員ごっこを堪能中である。



20191018

秋霖 2019年の100日記,

秋霖。今日は雑誌ウェブサイトの挿し絵など、いくつか描きあげる日。朝から、屋根にあたる雨の音を聞き、引きこもっている。旧暦では重陽の節供の時期、スーパーの切り花コーナー、菊の花ならぶ中にアリストロメリアを見つけた。タスマニアのカフェのテーブルによく飾られていて、何度もスケッチした花。懐かしい気持ちになり、食材と一緒にひと枝購入。お仕事用の絵に入る前に、手慣らし、さらさらさら、と。やっぱりきもちい。この植物は、描くととても気持ちがいい。

20191007

白イチジクとチーズとハーブ 2019年の100日記,

いただきものの白イチジク×カマンベールチーズ×庭から摘み立てグルメバジリコ 

イチジクと蜂蜜のとろんと甘いのを、岩塩×スリランカ胡椒でしめて、フレッシュハーブで後味サッパリ。素晴らしいチームワークに脱帽です。





シュッチョーから帰ってきたら、庭のハーブ達がますます元気にワサワサしげっていた。生命力の強さ!

久しぶりにお会いした大学の先輩夫婦から、ご実家で採れたというイチジクをたくさんいただきました。皮が柔らかく、小ぶりな白いイチジク!先日松本で食べたブルーチーズのトーストとイチジクを思い出して、じゅるり。よし、蜂蜜チーズトーストのイチジク乗せつくろう。イチジクとハーブでお昼ご飯としましょう!

近所のスーパーにブルーチーズが見当たらず、カマンベールに。薄くスライスして焼いてみました(タスマニア彷彿とさせる!)。マイルドに柔らかな味わい。ふかふかトロトロの中に歯ごたえが欲しいね、とアーモンドを散らして、それからビーツのピクルス(こないだ松本に滞在中アルプス市場で買ったビーツ、漬けてみました)を。チーズの底にはたっぷりザワークラウト。サッパリ爽やか。イチジク並べて、蜂蜜とろんとかけて、ピンク色の岩塩ガリガリ削って、胡椒ピリっときかせて、ハーブと一緒にいただきます。夫のお弁当にと朝焼いた厚焼き卵の切れ端も一緒に。


お皿(兼まな板)は 、家具職人さん(@blockatelier さん)の作る木の小物。トーストの日はほぼこちら。愛用。テンションが上がります。


20190928

縄文土器 2019年の100日記

八ヶ岳の縄文遺跡にて、ほら貝吹き体験会の講師(夫)の付き添い。




縄文時代中期の集落跡「梅之木遺跡」にて。復元された竪穴式住居に宿泊し、出土した土器のレプリカで煮炊きして、ほら貝を吹いてみよう、という体験会が開催されました。

復元した竪穴式住居。数人集まって、思いおもいに吹くほら貝の音が重なるのは、なかなかに気持ち良い。5000年前なんてうまく想像できないけども…大きな大きな空の下、火を焚いて、熱した石の間に葉っぱに包んだお肉を投げ込みました。その辺に生えてるヨモギを一緒に包んだので、香り高い!サツマイモやジャガイモはそのまま放り込み、焦げた皮を剥がして食べます。拾った枝の先をナイフで削って、ソーセージさして炙って。縄文の土器(レプリカ土器)に色々入れ、焚き火の中、突き立てます。美味しい、ワイルドキャンプ。



はじめての調理器具に出会う。縄文土器 編。

教科書や、博物館に展示されているものを眺めたことはあれど、使ってみるのは初めて。トンがった鍋底は、おき火の中に刺すのに便利よね、とか、外側は煤で真っ黒になるよね、そりゃそうよね、だとか。使ってみて分かることもある。

国の史跡の指定を受けた遺跡を会場に、山梨県北杜市さんの公共の企画で、こんな大胆なイベントをひらくだなんて、すごい。北杜市さん、すごい。ライブ縄文体験ができるって、とてもとても面白いと思う。椅子に座ってベンキョーすることに苦手意識を持つ子ども達、歴史(考古学!?)を嫌いになる前に、遺跡で遊んでみるのはどうだろう?

いろんなことができそうー!
私もどこかの遺跡のやとわれ縄文人になりたい… 

今回は「ちょっとお手伝い」くらいだったけど、次回があれば、自分でメニュー考えて、とびきり美味しい「縄文料理」プロデュースしてみたい…!

夫が「ほら吹き」ゆえ、私も一緒に縄文遺跡体験ができました。ラッキー。そして、「遺跡の使い方/楽しみ方/遊びながらベンキョーすること」の可能性について想像をめぐらせワクワクしております。