20090210

女子高生と般若と美術の先生





高校二年生の時に描いた修学旅行の表紙 




高校三年生の時に描いたクラスTシャツ 

般若面が、好きだったんですねぇ。 
その頃、薪能を見る機会があって(野外、薪の明かりでみる能) 
演目は「葵」 
源氏物語の、葵上が六条の御息所の生き霊に呪い殺される話なんだけど。 
美しい面をつけた、葵よりも、 
般若にならざるを得ないほど、心乱された六条の御息所に惹かれていた。 
怖いというよりも、哀しさが強かった。 
なんだか愛しかった。 




「人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ」 
修学旅行のしおりに添えてある言葉は徒然草第七十五段からの引用。 

俗世にまみれて生きること。 
人間関係でごたごたして、物欲に目がくらんで(もしくはものをとりあい、人と争い) 
恨んだり、またそのすぐ後には喜んだり。 
定まることなくふらふらゆれる心、つまりは情緒不安定。 
そんなの最低。 
何事にも乱されず、もっと静かに生きようじゃないか。 

ということを兼好法師は言っているんだけども。 
国語の先生が、淡々と解説していたんだけど 
高校生の頃の私は、それにひどく疑問を持ち 
「高校生に、何を言うの?心落ち着けて、仏様みたいになるには早すぎるんじゃないか? 
ぐちゃぐちゃに、情緒不安定になるからこそ、おもしろいんじゃない」と。 
高校生こそ、『人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ』を 
謳歌すればいいんじゃないか」と。 

で、修学旅行。 
人としっかりどっぷり関わって、目にうつるものに目を奪われて、 
ちょっとしたことでも恨んだり、怒ったり、悲しんだり 
その一瞬後に、些細な事でけろっと、有頂天になって喜べばいいじゃないか。 
六条の御息所みたいに…(般若) 





なんてゆーか。可愛くない女子高生 
キャピキャピ感の感じられない女子高生(笑) 

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この修学旅行の表紙をつくるにあたり、ひともんちゃくありまして。 

当時、高校生の時の私は 
なんだかすごくもやもやしていて、いろいろ捻くれてて 
進学校にはいったくせに、勉強をする気になれなくて。 
結果みごと、 
追試、再追試はあたりまえ、再再追試のそのまた追試 
親に手紙が届く「特補(とくほ)」=特別補講はもちろんのこと 
できるまで帰さない、進級させないさせない恐怖の「デスマッチ」まで 
経験いたしました。 
(真面目に勉強してた子にこの話すると「特補って何?」「デスマッチて何?」 
そんなシステムあったの?て顔をされます・笑) 
予習も復習ももちろんのようにせず、課題の数学の問題集は白紙で出して 
そのうち、ひどい時期は机の上に教科書をだすことすらせず… 

なにをやっていたかって、一生懸命修学旅行のしおりの表紙を描いていたんです(笑) 

まだアナログな「手書き」手段しか知らなかった私ですが、 
どうしても、こう、ふたつの般若面と文字のバランスがきまらなくてもやもやしていて。 
それぞれの要素を、コンビニのコピー機で倍率を1%ずつかえてコピーしまして 
それをひとつづつ切り取って、組み合わせをかえては、うんうん悩み 
「違うな〜、もういちょっと、こう…んんんーー」 
てブツブツやっていたんです。 
数学の授業中。 

しばらく無視されてたんだけど、30分くらいたったころ 
ものすっごい怒鳴られました。 
教科書もノートも出さず、大量の般若面のコピーと 
筆ペンとカッター、紙屑でうまった机。 
当然です。 
先生を挑発するにもほどがあります。 
今おもえば、なんて最低なことをしていたんだろうって話ですが。 

「高校生になってまで、こうやってみんな同じように席について 
おなじ時間におなじような勉強をして、かりかり問題解いててさ。 
そんなことして何の意味があるのさ!」 
ってカリカリして 
(そういう進学校を自分で選んだことを、当時の私はまったく気づいていない・笑) 
「あんなにどならなくたっていいじゃない。 
とりあえず、静かにしていたのよ。授業の邪魔はしてないのよ。 
それに、もうちょっとで、なにか、ぴしってキマリそうだったのに、 
イイタイミングの時に声掛けるから、台無しじゃない!もう最悪!」 
って、美術室で愚痴ってたんです。 
別に美術部員じゃありません。 
美術室が好きなだけです。 
美術部があつまってないときに、こっそり使ってました。 
(先生が使っていいよって言ったから、いい。美術部の空気は合わなかった) 

したら、当時の美術教師が 
「あーー。あるよなーー。そういうとき。 
なんか降りてきちゃったんだよな〜。そういうときはその瞬間につくっちゃわないと 
もう二度とつくれないんだよな〜〜〜。 
授業がどうとか、まわりがどうとか、昼とか夜とかじゃないんだよな〜」 
って、真面目な顔で言うんですよ。分かるよ〜って顔して。 
高校の先生が、そんなこと言っちゃだめでしょ(笑) 


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高校の美術の先生は、今まで小中高と出会ってきた先生の中で一番強烈でした。 
だって、普通じゃないんだもの。変。 
喋り方も、笑い方も、ぜんぶ、なんだかちょっと変わっていたし。 
つくるもの、先生の作品も、意味が分からなかった。 
それまで会った先生は、みんな分かりやすく綺麗な絵を描いたりするんだけど 
(彫刻だったり、レリーフだったり、専門は色々だけど、 
みんな何をしたいのか分かりやすかった) 
先生のは、意味が分かんなかった。 
豊橋市内の美術教員たちの合同展のなかでもひとつだけ異彩をはなっていた。 
「教員用の大量生産されている事務机のうえに、白い立方体がおかれている」彫刻とか 
「豊川に椅子を置いて、 
時間による水位の変化で椅子が沈んでいく様子を記録した写真」とか 
「たんぽぽの首からうえをちょんぎって、大量に一直線にならべたもの」とか 
「画鋲をひたすら刺しただけでつくられた、丸いレリーフ」とか 
「虫ピンに輪ゴムをかけていくことだけでつくられた板」とか 

こうやって、書き出してみると…今思うと、クールだなぁ。
それまでの小学校中学校で出会った美術、あるいは図画工作の先生の作品はちっとも頭にのこってないのに
この高校時代の美術の先生のつくったものは、忘れられない。 
でもとにかく
当時の私には意味が分からなかったわけで。 
なんだか変わっている、なんだかパワーがある。なんかおもしろい。でもわからない。

嬉しそうに静かににやりと微笑みながら、先生が自分の作品をみせてくれても 
ぽかんとするばかりで、どう反応してよいかわからず適当に返事をしたら 
「君はつまらないことを言うね」と真剣に怒らせてしまったことがある。 
びびった。 

怒らせたというより、あきれさせてしまった、といった方が正しいのかもしれない。
数学の先生や英語の先生に怒られることにはだんだん慣れていったけど 
この先生を怒らせたときは、凍りつきそうになった。 
数学や英語の先生に怒られるのは、怒られて当然のことをしているからで。 
たいがい内容は、真面目に勉強しなさいっていう、表面的なことだったけど。 
美術の先生の言葉は
「勉強しなさい」よりももっと内面的なところに届くから強烈なのだ。

私はつまらないことを言ったんだろうか?
つまらない…
しばらくもんもんとしていた
 

なんか変な人。でもおもしろいなー。 
あんまり近づきたいないな〜。でも気になるな〜。な先生。 


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高校の美術の先生と会って、ふたりで珈琲を飲みました。 
これが意外と、想像した以上におもしろかったのです。 

高校卒業後一切連絡を取ってなかったけど 
大学受験の時は、実技の指導でずいぶんお世話になったわけだし、 
タスマニア島に行くっていういい機会だから、 
いちど御挨拶でもしておこう。と。 
私のことなんか忘れてるかもしれないけど 
電話をかけたら 

「分かる分かる。 
名前の漢字は分かるけど、顔は分からん。悪いね。 
絵本描いてた奴だろ。海の。 
あと、最初の石膏デッサンを覚えてる。ははは。顔はぜんぜん覚えとらんのになぁ。 
いや、ちょっとまて。挨拶が遅いだろ。もっと早く挨拶に来るべきだ。 
君の受験の指導を丁寧にしたじゃないか。」 

はい。すみません。 
って、相変わらずの独特な口調にちょっとびびりつつも… 
それにしても、うーーーん。私は、絵本のイメージが強いのか。 
しまったな。絵本か。そっちの道に進むべきだったかしら。。。 
でもとにかく、覚えていてくれたのが嬉しい。
逆に忘れられてたらとってもショックだったろう。



大学時代につくったものを見せ、卒業してからお仕事でつくったものを見せ 
先生が最近はまっていることや、最近の作品を見せてもらった。 
私と先生は、もしかしたら、すぐに真剣に喧嘩してしまうかもしれない相性であることを忘れないようにして 
というか、私の言葉でまた先生をおこらせたり不愉快にさせちゃうかもしれないと

慎重に、言葉を選んで喋った。 
先生の話は面白い。 


作品集をぺらぺらめくり。「これはつまらないね。つまらない」とかブツブツ言っていて 
すごくびびったけど、 
時々…3回だけ「これいいじゃないか、ちゃんと詰めて発表しろよ」て 
言ってくれたのが、うれしかった。 
「ゼリーで建築模型をつくって、プレゼン後に先生に食べてもらう」 
ていう、建築学科の学生としては失格なアレを 
にやりと笑いながら「いいじゃぁないか。それ」と言ってくれた。 



先生との珈琲時間は終止緊張してなければいけないけれども
それでもおもしろいなーとおもう。
またなにか、おもしろいものができたと思ったら

この先生に報告しようと思う。
ても「つまらないな…」ってつぶやかれたら 自分がそうとう凹むんだろうと思われるので
そうとうの自信作しか先生には見せないことにする。


タスマニアでなにか、この美術の先生を「おもしろいなー」とにやっと笑わせる様なことが
できたらいいなー 

20090203

すてきなひとりぼっち

本を 

たくさん 

頭の中に 

あるばむを 

一冊 

胸の中に 









ときちゃんが、本をくれました。 
谷川俊太郎さんの詩集です。 
「にほん語を、持っていってね」て 
なかなか小粋なことを言うじゃぁありませんか 
もう、ときださんたら。。 

それから、あるばむを一冊。 
大学時代、卒業してから、 
いろんなシーンの思い出の、写真たち。 
パラパラパラパラ 
ページをめくる 
写真の隣に添えられたひとこと 

泣きたいときは→P102 
さみしいときに→P92 
不安なときは→P42 
うれしいときは→P46 
しあわせなときに→P114 

こんなときにはこの詩を読んでね 
こんなときにはこっちの詩だよ 

こんなときあんなとき 
ときちゃんったら!!! 


わたしたぶん、 
どんなときでも。どの詩を読んでも 
ときちゃんのことおもいだすよ! 






海を越えての南半球 
友達も知り合いもいない新たな土地に 
わたしはひとりぼっちで出かけるわけなんだけども 

本を 
たくさん 
頭の中に 
あるばむを 
一冊 
胸の中に 

わたしは すてきなひとりぼっち