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20120312

内田樹さんへのラブレターにかえて

内田樹さんの著書「日本辺境論」の韓国語訳が出版されるらしく、
それがなんだかとても、嬉しくって、お祝いしたいなぁ、なんて勝手に思い、
それから、その韓国語版のための序文がまた小気味よくって、
これは紹介しなくては、と思い、ここに書き付けておくことにしました。


このブログではなるべく英語と日本語の両方で書くようにしようと自分にプレッシャーをあたえ続けていたのですが、今回はちょっと日本語だけにさせてもらいます。(のびのびリラックスして書きたくって)


さて、私の内田樹さんとの初めての出会いは、なにを隠そう「日本辺境論」。これがとってもおもしろくって。なにってまず前書き。想定されうる指摘をならべたてたうえで、その返答をあらかじめ書き、「なのでこういう指摘や批判、反撃は受け付けません」とまるで文句でもいうかのように不機嫌な調子で、ぶつぶつおっしゃるんです。ついふきだしてしまいました。そのうえ、この「日本辺境論」の読者に対してもなんだかちょっと批判めいたことを…まるで「やれやれ、この本を手にとっているって言うことは、君も典型的な日本人だね。日本文化論が好きで。そして新しい本にやたら目を惹かれるんだ。先人たちの偉大な本には目も通してないんだろう?こまったもんだ」と内田樹さんに叱られている気分になってしまうんです。もーせっかく本を手に取った読者に対してなんていう言いよう!でも、おっしゃることはもっともで。あぁきっとこの方、いままで、いろんなつまらない批判をされたり、新しい説や本ばっかり読むミーハーな読者にいらいらしたりと、苦労を重ねてきたのねーお疲れ様ですと本に向かってぺこりと頭をさげてみたり。つまりは、前書きの部分だけで、すっかり虜になってしまったわけなんです。私。本文ももちろんおもしろかったです。


本だけでなく内田樹さん自身も、とても素敵なおじさんなんだろうなぁ、と会ったこともないながらおもってしまいます。知的で、論理的で、かつ強気でふてぶてしい男性というのはなんて魅力的なんでしょう。(ふてぶてしい、とか言ってしまうと失礼でしょうか?)以来、内田樹さんのおっかけなんです。とはいってもブログを読んだり、ツイッターのつぶやき読んだり程度ですが。日本にいるわけではなく、海外のしかも辺鄙なタスマニアという島に住んでいる私には、ブログやツィッターというのはほんとうに嬉しいおっかけツールです。また、そのブログが毎回読み応えがあるもので(ときにふてぶてしさ全開だったりもしますが)。


ちなみに、すこし横道に逸れますが、内田樹さんはフランス文学と哲学の研究をずっとされてきた方なんですが、私が今、タスマニアで一緒に暮らしている人もフランス文学と哲学をこよなく愛する人で、それを知ったとき「なんてすごい!運命的だわ!」と興奮してしまったものです。この彼はまだ研究者、とはよべないほどの駆け出しのオーストラリア人ですが、けっこう本気でのめりこんでいて。私たちの共有の本棚にはもちろんフランス文学、それも英語でかかれたものと、フランス語でかかれたものがならんでいるんです。このハウスメイトが、知的で、かつ自分の意見をしっかりもっていて、それは曲がることがなく、やっぱり強気なんです。この人はもうちょっと詩的なかんじですが。こんなハウスメイトに偶然出会えて、一緒に暮らせて、日々ぺちゃくちゃとおしゃべりできるのはとても楽しい。日本で、男と女が同じ家に暮らしているといったら「一緒に暮らしている人」=恋人同士、婚約者、パートナー など特別な関係を想像する人が多いかと思いますけど(想像する、だけじゃんくって実際にそうだと思うけど)。こちらでは、他人同士で同じ家に暮らすということが一般的です。タスマニアには移民時代からの古い一軒家がのこっていたりするけど、アパートやマンションのようなものを見つけるのは非常にむずかしくて。家族を持たない若い独身者は、経済的にやむ終えずといったかんじでシェアハウスを選ぶ人がほとんどです。そのおかげで、なにかすこし内田樹さんとかぶるところのあるフランス文学と哲学大好き人間と、私はこうして偶然一緒に住んでいるわけです。
だいぶ話がそれました。知的で強気な人が大好きです、ということです。






「内田樹の研究室 みんなまとめて面倒みよう Je m'occupe de tout en bloc」のウェブサイトにあるブログに「日本辺境論」の韓国語版のための序文が載っていましたので、一部抜粋をして紹介したいとおもいます。


『この本が韓国語に訳されたことを、とてもうれしく思います。というのは、この本は韓国の人と中国の人にはぜひ読んで欲しいと思って書かれたものだからです。』


『本の最初の方にも書きましたけれど、日本人は「日本人論」「日本文化論」が大好きです。自分たちがいかに特殊な国で、特殊な国民性格と特殊な文化を持っていて、それが隣国と違うか、ということをことあるごとに論じます。たぶん世界でいちばん「自国文化特殊論」が好きな国民だと思います(というような書き方がその典型です)。
そのこと自体はまあ趣味の問題ですから、「お好きに」で済ませてもいいと思うんですけれど、問題は、この日本文化特殊論がしばしば隣国(中国、朝鮮、台湾)とわが国の比較のかたちをとり、「隣国の人たちの国民性格は陋劣であり、国民文化は質が低い」という命題を主張するものが少なくないことです。これは人間的態度としてもほめられたものではありませんし、学術的な厳密さを求める上でもよろしくない。』


日本人って世界でいちばん「自国文化特殊論」が好きな民族らしい、などとそれまで耳にしたことがなかったもので、初めて読んだとき新鮮な驚きを覚えたのをおぼえている。ところで、これは私の個人的な感覚として、「隣国の人たちの国民性格は陋劣であり、国民文化は質が低い」と話す人って日本人に限らずともいろんな国の人でけっこういるとおもう。全然学術的な論旨でもなんでもなく、ただ、私がオーストラリアに来て出会ったいろんな国の人がそれぞれの隣国について話す場面に出くわしたから、という私の経験談なだけだ。韓国、朝鮮の文化についてこき下ろす中国人。またその逆。ペルーの国民性格の粗悪さをのべるチリ人。インドを罵るパキスタン人。中国、インドを下にみるネパール人。どうやら隣り合う国は相性が悪いというのが常らしい、と思うようになってきたところ。どれもこれも、やっぱり聞いていてきもちがよくない。「人間的態度としてもほめられたものではありません」。


もちろん、日本文化を完全に劣悪なものとして意気揚々と私に聞かせてくる人も何人かいたわけで、そのたびに私は烈火のごとく憤怒してきたわけです(えぇ、時にとても感情的になってしまいました)。雪舟をバカにされたとき、俳句のこと、料理のこと、それから日本語という言語について。私も含めどの人も文化論を語るような学者ではなく、したがって、内田樹さんのように中立な、というか落ち着いた学術的な議論が展開したわけではありません。ただ、私が学んだことといえば、文化や民族に「優・劣」をつけようとすることの、馬鹿馬鹿しさかげんです。もうやめませんか、と。それぞれが、どんな特徴があって、どこが違うのかを話すのはおもしろいけれど、どちらが上でどちらが下か決めつける必要はないのでは?と。しかし同時に思うこと「もしかしたら人は、他者と自己、あるいわ私たちという集団を比べて、自分たちが秀でており特別なんだ、と思い込みたい生き物なのかもしれない」ということ。性(さが)のような?だってあまりにも多くの人がそういう考え方をしているから。


一年前ほど前に"Other/Otherness"というStaszakの文章を読んだときに私が感じたこと、は今も変わっていない。「人々が自分自身がなにものであるかを知りたい、確立したいという人々の欲求がある限り、「他者/他者性」の概念が消えさることはないだろう。しかし、私たちは、違うグループにグループわけすることで、不公平をうみだすかもしれないというリスクがあることを忘れてはいけない。「わたしたち」と「かれら」つまり、自己と他者の二つにグループ分けするときは特に。本質的な問題は、違いでも他者という概念でもなく、不公平と不均衡にあるのではないだろうか。」
http://mako-seekingthetruth.blogspot.com.au/2010/08/other-otherness.html




もう一箇所、紹介したい箇所があります。

『たまたま、長くフランスの文学と哲学を専門的に研究してきたせいで、自分の書いたものが「フランス語に訳せるかどうか」ということをものを書くときのひとつの基準にしてきたからです。
自分が日本語で書いたものを読み返すときに、私はいつも想像的に「これを翻訳するフランス人のつもり」になって読みます。そうすると、「これはちょっとフランス語にならないな」という箇所に身体が反応します。「フランス語にならない」のは統辞構造や語彙の違いのせいばかりではなく、「外国人が読むと、よく意味がわからない」ところ、「日本人同士にしかわからない話」が書かれているからです。ですから、それについては、改めて外国の人が読んでもわかるような「説明」を考える。
「外国人にもわかるように説明する」というのは、「ラディカルに(文字通り根源的に)説明する」ことを求めます。』


長くなってしまってすみませんがもうちょっとひっぱってきちゃいます。だって、この例え、「神話的構造を持つ野球」が絶妙なんですもの。「外国人にもわかるように説明する」というのは…



『「外国人にもわかるように説明する」というのは、「ラディカルに(文字通り根源的に)説明する」ことを求めます。
例えば、野球について書くとき、強打かバントか、真っ向勝負か敬遠か、といった技術的なことについて「野球を知っている同士」で話すことはそれほどむずかしくありません。でも、ここに「野球を全く知らない人」がいて、その人に「野球とは何か」を説明するのは、たいへんにむずかしい。説明しようとしたら、「ラディカルに」考えざるを得ないからです。野球の話なら、「ボールは『生きている』か『死んでいる』かいずれかの状態にある」、「『生きているボール』に人間が触れると何かが始まる(あるいは終わる)」、「二つの集団に別れて、一方は『生きているボール』に追いつかれるより早く『家』にたどりつこうとし、一方はそれを阻止しようとする」などなどという原理的な話から始まります。そして、そういう説明をしているうちに、説明している当人も、このスポーツが実はかなり神話的な構造を持ったものであることがわかってきます。他のボールゲームとの相同性も見えてくるし、差異も明らかになる。
今のは少し極端な例ですが、でも「外国人にもわかるように説明する」ためには、「原理的な話から始める」他ないというのはほんとうです。
私にとって、これは文章を書く上で、たいへんよい訓練になったと思います。別に私の書くものが「フランス語のように明晰にして判明になった」と言っているわけではありません。でも、「少しでもひっかかったら、できるだけ原理的なところから説明する」という習慣が身についたことです。』


さぁ、ここです、この部分です。
『「フランス語に訳せるかどうか」ということをものを書くときのひとつの基準に』という話は日本辺境論のなかでもでてきまして、印象に残った箇所でもあります。私は今、英語と日本語の両方で文章を書くことを自分に課しているところです。どちらにも(日本語を使う人に対しても、英語を使う人に対しても)、自分の言葉で発信していく人になりたいからです。まだまだ特訓中の身で、まだまだまだまだとはいえ、この挑戦(いまだ英語学習中である私にとっては大きな挑戦です)、この挑戦のおかげで、内田樹さんのいう『外国の人が読んでもわかるような文章』という意味を実感をともなって理解できるようになってきたと思っています。このブログをつくりにあたり、過去に別のところで書いたじぶんの文章をいくつか選び(お気に入りの記事、というわけです)、その自分の日記に英語訳をつけたそうとしたときに、愕然としました。
タスマニアに来る以前、日本で暮らし、日本で生まれ育ったひとばかりに囲まれて、日本語だけをつかっていたころに書いた文章は、直訳しただけではなりたたないからです。いろいろ分かり合えるもの同士、日本に育った方が読んでくれることを前提としてしまっていて、これじゃぁ、英語にしてこちらで出会った友人に伝えようとしたって、ぜんぜん話になりません。昔の日本語の文章に英語訳をつけるのは諦めました。言語を翻訳する、というだけのことじゃなく、書き方自体、というか、考え方、を改めることが要求されているんだなと、このバイリンガルブログに挑戦しながらひしひしと感じています。


今現在、英語と日本語の両方で文章を書こうとするときは、英語から先に書き、日本語訳をあとで添える、という書き方をしています。まだまだ日本の常識、や、日本語のボキャブラリーの方が圧倒的に多いわたしにとって、その方が楽にかけるからです。日本語から書き始めてしまうと、今日のブログでもおわかりのように、たったかたったか筆が進んでしまい、つたない英語であとからそれをおいかけるのは本当に至難の業。まずは英語力向上のために、英語を書くのに慣れなきゃ、ということです。ちなみに、そういうときはブログにも書いた順番に沿って、英語をのせそのあとで日本語を載せるようにしています。
で、ここのところ自分でも考えていたんですが、内田樹先生の文章を読みながら決心がついた、というかなんというか…うまく説明できないんですが…とにかくその「英語で書いてから日本語に訳す」という順番をひっくりかえそうかな。ということです。
というのも、最近、自分の日本語を書く力の成長が滞っている気がして。稚拙で雑な日本語ばかり書いている気がするんです。へなちょこな私の英語の文章力に日本語までもひっぱられてきている。以前「最近、さわやかで読みやすいいい文章書くようになってきたね」と言って貰えた、おなじ口から「最近の、翻訳した日本語っていうの?なんかあれ、変だよね。読みづらいし、時々意味が分からない」なんてかんじのことを言われてしまったのです。自覚していたことなだけになおさら、聞いたときはショックでした。すっかり縮こまってしまった自分の日本語を解放させてやりたいな、となんだか強く思い始めてます。
内田さんが「これを翻訳するフランス人のつもり」になって自身の文章を書かれたり、読み直されたりするように、わたしも「これを英語にする翻訳者になったつもり」で、これから日本語を書いていこうかなと。もちろん実際にその後、自分で英語に翻訳してみるんですが。うまくいくかしら。訓練ですね。精進あるのみです。なんだか勝手に内田樹さんに「しっかりがんばんなさい」と応援されてる気になってきているところです。女の想像力って恐ろしい。




と、まぁ、すっかり あっちへこっちへと 話が飛んでしまいましたが、


内田樹さん、ほんとに素敵!っていうラブレター、兼、勝手に「日本辺境論」の韓国語訳お祝いの日記でした。





あ、ちなみに、今回の内田樹さんのブログ、私のときめきポイントな一文(なんだろうそれ、とにかく、きゅんとした箇所ですね)は、内田樹さんの「ともかく私の書いたものを読んでにやりとしたり、「ふん」と鼻をならしている隣国の人の顔を想像すると、なんとなく心が温かくなるのである。」というとろ。


「ふん」と鼻をならしている隣国の人の顔。
わたし、つい、ふふっっと笑ってしまいました。
はい、なんとなく、心が温かくなります。








「内田樹の研究室 みんなまとめて面倒みよう Je m'occupe de tout en bloc」のウェブサイトの
「『日本辺境論』韓国語版序文」の記事はこちら
http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_0903.php


Staszak,Jean-Francois. “Other/otherness”.  International Encyclopedia of Human Geography. (2008).
を読んだときの私の感想。
http://mako-seekingthetruth.blogspot.com.au/2010/08/other-otherness.html

20111105

近況報:芸工同窓会会報紙より

名古屋市立大学芸術工学部の同窓会会報紙に
海外にいる卒業生のひとりとして
近況報告を書かせてもらいました。
せっかくなのでブログにも載せますね。


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南十字星の瞬く星空の下、庭に住みついているワラビーに挨拶をして今日も家に帰ってきました。野生動物を身近に感じながら、原生自然の多くのこ残るここタスマニアで「人の暮らしと自然をつなぐ建築」について想いをめぐらせ続けています。





タスマニア大学では建築が環境に及ぼす影響や、エネルギー効率について考慮することが求められます。多国籍・多文化のクラスメイトと「Green Architecture(環境にやさしい建築)とは?」というディスカッションを重ねたりするのですが、育った環境が違えば、建築家の役割についての倫理観も、自然の概念も違う。そのなかで私は哲学、環境倫理学の面からGreen Architectureに興味を持つようになりました。




例えば、Natureの反義語がArtである英語圏では、「守るべき自然が人間の活動によって壊されている」という前提からはじまり「建築、都市開発による自然環境へのダメージをどれだけ減らせるのか」と、議論は終始、自然vs人工の二項対立(デカルトの心身二元論由来の西洋的な考え方)でおこなわれている。それならば対照的な東洋思想、たとえば心身一如論の視点でGreen Architectureを考えたらどうなるのだろう?という問いが、「Green Architecture?」というインスタレーションにつながりました。
身体をとおして、心が自然とのつながりを感じるための装置としての建築の模索です。


先日タスマニア州政府建築オフィスと共同で州都ホバートの研究をする機会をいただき、一緒に「SPECULATE(思索)」という冊子をつくりましたが、私は特に都市でおこっている自然と人のかかわりについての研究をしました。現在はこの研究をベースに「Healing Space」としての「人と自然をつなぐ建築」の可能性を探っているところです。

20110316

タスマニア、ロンセストンに住む日本人の方へ

あなたのご家族やご友人が無事でありますように
と、心から願っています。

もし、あなたに今、少し心に余裕があるのなら
一緒に、日本にいるひとたちの為に何かしませんか?


来週火曜日
3月22日 午後五時より
タスマニア大学 のロンセストン、メインキャンパスにて
日本の震災・津波被災者への募金イベントを行います。

ハーモニーディ、という地域の方の来場も見込める(らしい)イベントの
1ブースをかりることにしました。
図書館横のカフェテリアです。
協力してくれる方を探しています。

いまのところ私一人です。
そのうえ、火曜日に大学でプレゼンテーションがあって、午後六時まで
私は建築のキャンパスにいます。
なので、イベント開始さいしょの1時間、誰もひとがいなかったら
イベントブースに募金箱だけぽつーーんとある状態になります。
だれか、その場所にいてくれるだけでとても助かります。

募金は日本赤十字へ直接送ろうと思っています。

手伝えるよ、という方
手伝えそうな人知ってるよ、という方
なにかいいアイディアがあるよという方
私に連絡ください



あ、あと、とりあえず今
インバーメイキャンパス、建築学科の校舎前
オーロラスタジアムの前のコーヒースタンドに
募金ボックス設置しておきました。
コーヒースタンドのおにぃさんが、
みててくれます。

http://mako-seekingthetruth.blogspot.com/2011/03/donation-and-message-to-earthquake-and_16.html

で、募金呼びかけようのポスター(簡単ではありますが)
も制作済みです。
もし、どこかに募金箱おけそう、ポスターちょうだいって方いましたら
私に連絡ください。ちゃちゃっと印刷します。
データの方がよかったらでーた送ります。
あ、もし英語直した方がいいと思ったらぜひ言ってください。
すぐ直します。(正直なところ、英語にまだ自信がありません)

20110314

わたしなにができますか?あなたはなにがひつようですか?

東北にすんでる、あつさんと電話がつながって

「まこちゃぁん!」
って声が聞こえて
なんといったらいいか
むねがいっぱいだった

電気代節約しなきゃいけないようだし
もっときっといっぱいいろんなひとがそれぞれ連絡とりたがってるだろうからと
あつさんと、あとうちの家族くらいにしか電話をかけておらずで
テレビのニュースでもインターネットのNHKのユーストリームの中継とか
みてるとほんとにこわくて、みてられない。

宮城県の気仙沼、あのまち、しってる
あのまちに、住んでる人、しってる
宮城県の女川、ここあるいた
このあたりに、あのひとの家がある

金曜日の夜から土曜日
インターネットごしにみる映像にきもちがわるくなった
twitterに「ここにいます助けて下さい」のようなメッセージが乱立しはじめて
これはたいへんだ、なんとかならないの?と慌てて
でも、電話で話した母に
「悪質ないたずらが混じってるから、twitterに気をつけなさい」と忠告され
こんな緊急事態に、そんないたずらをするなんて、悪質にもほどがある!と
憤慨しつつ、かんたんにのせられちゃう自分に自己嫌悪。
母に注意されてよかった。

おろおろするのをやめて、自分になにができるのか考えようと思う。

わたしはお金もないし、学校の授業もあるし、木曜日プレゼンだし、
そもそも日本にいなくてタスマニアにいるけど、
なにもできないわけなんかないはずで。

わたしになにができるんだろう?
にほんにいるひとになにがひつよう?

よくわからないよ

まずは募金?
とりあえず、はたらいてるレストランに募金箱おいてきたよ
明日はアーキテクチャの学校に募金箱おいてこよう
事務のひとにもひと声かけて、みんなに事務からメールだしてもらおうか

しかし、募金って、あつめたらどこの組織におくるのが
一番信頼あって、効果的なのかな?
日本赤十字?…あぁ、どこだろ?よくわからない

あと、なにができるのかな
なにをしてほしいんだろ?
なにがひつよう?

なんかもう ほんとは
できることなら 私にお金と100%自由な時間があったら
みんなをハグして回って、ごはんの炊き出しをしてきたいよ。
まずは、ごはんをたくさん食べてね、と
それが、できそうにない いま

私になにができるのかな

とにかく、できるだけたくさんのひとが
すこしでもこころ穏やかな時間をすごせるよう
心から祈っています

20110225

オリオン座

帰り道、登る坂道の途中、空に輝くオリオン座が目に入った。


ふいに、なんとも言えない違和感と不思議な感覚におそわれ、
一瞬、頭がくらっとした。

なにかがおかしい。

あれはほんとうにオリオン座だろうか?
見間違いか?似た違う星座だろうか?
いやどうみてもあれはオリオン座だ。ふつうのオリオン座だ。
じゃぁなにがおかしいっていうのだろう。
どうして私は違和感を感じているんだろう。
ふっと、村上春樹の1Q84の「空にふたつ浮かぶ月」を思い出して
あわてて「もしかして空にふたつオリオン座が浮かんでいたりして」
と夜空をくるっと見渡してみたけれど
どうやらオリオン座は今夜の夜空にひとつだけだ。
なんだろーーな。

ふわっと心地よく涼しい夜風が吹いて、
少し汗ばんだ、ほてった身体が喜ぶのを感じた。
あ。
そうか。
いま、夏なんだ。
だからだ。
だから不思議なんだ。
だから違和感を感じるんだ。
オリオン座は、吐く息白く、指先が凍える、
キンと冷え込んだ冬の夜空に輝く星座のはずなんだ。
なのにそのオリオン座が、このあたたかい夏の夜空に輝いている。
どうして今夏なのにオリオン座が見えるんだろう
また 頭がくらっとしそうだった。

そうだ、すっかり忘れていた。

私、今、南半球に居るんだった。

20110114

孤独って?

きのうは
寝よう寝ようとするたびに「いらいらっ」としたできごとを思い出して
むきーーーってなってしまい気が立ってとてもとても寝付けなくて
寝れないんならイライラ思い出しててもしょうがないから
本読もうって、読みはじめてみて
こころが落ち着いた気もするし そろそろ寝ようと思ったら
またイライラがふりかえしてきて、ブツブツひとりごとで文句言いだしちゃって
目が覚めちゃって
じゃぁ本読もうの繰り返しで
結局一睡もできず。

自分のきもちをコントロールできないようじゃ
まだまだ子どもだなぁ、だめだなぁ、私
と思いつつも、
まぁ、ダメなものはダメでしかたがない、と受け入れようと心を持ち直したり。
ちなみに牡牛座の2011年は「acceptance」がキーワードになるそうです。
too much to soon (すぐにもっと!)を期待しがちなので、意識して
ダメなところも受け止め、欠点を考慮に入れた上であれこれ計画なり精進なり
ということで、
わりと器のちっちゃくって、すぐいっぱいいっぱいになって眠れなくなる
ちっぽけな自分を許してあげるのだ!はっはー

深夜すぎるとさすがに集中力が切れ気味で英語が読めなくなって来たので
日本語の本へきりかえ
(そんな自分も大目にみてあげよう)
ふっと手を伸ばしたさきにあったのは
1月になってから母から届いた「孤高の人」
なかなかちょうど今の私にヘビーにずしんとくる本で。
深夜からよみはじめ、ついさっきまで夢中でページを捲りつづけてしまい
ようやく昼前にて上・下巻とも読み終えたところ。
止まらなかった。そして、
重いなぁ。

加藤文太郎さんっていう実在の登山家を描いたもの。
単独山行を繰り返す彼の半生と登山記録(記憶)のような本文から
あまりに生々しく浮かび上がる、山々の情景/岩、風、雪、空…
とそれに魅せられてしまっているときの文太郎の心のひだとか
が ぐわぁって押し寄せてくる。
と同時に
どぅっておしよせてくるのは
「孤独」
孤独って?って文太郎が思いややむあたりでは
わたしも真剣に一緒に悩んでた気分だよ

なにしろ

奇しくも

12月30日
一人テント生活をしてた私が
一日を終えテントに帰ってきてスケッチブックにつづった日記のテーマは
「孤独って?」
というヘービーで鬱鬱としたものだったのだ。
なかなか人にみせるのははずかしいような代物だ。
まぁとにかく
私はもちろん文太郎さんとは違うし、違うことを考え感じているけど
「孤独」ということと「自然」とに向き合い考えてる、いや悩んでいる
という点が重なってしまったので
おもわぬところに埋まってた私の心の導火線のようなものにときどきうっかり火がついたりしちゃったりして
なんだかもう、読んでる間中、わたし、大変。

最近よんだ、上野千鶴子さんの「ひとりの午後に」というエッセイ
「ひとり遊びの得意な人には、アウトドア好きな人が多いような気がする。」
「孤独」と「孤高」と「ひとり遊び」はちがうが
でもいずれも「ひとりぼっち」であることには変わりはないと思う。

どうやら この
「ひとり(孤独)」と「自然」という二項には
なにやら切り離せないものがあるのかもしれない

上野千鶴子さんのエッセイから一部抜粋すると
「…なにより、自然のなかにいる喜びはなにものにも変え難い。口元に笑みがこぼれでる。抑えてもおなかの底からこみあげる笑いは、大自然のなかにいるアウトドアスポーツならではのものだ。こんな楽しみをしらない人に教えてあげたくなる。そう言えば、ひとり遊びの得意な人には、アウトドア好きな人が多いような気がする。自然のなかにいるだけで、もうほかには何もいらなくなる。自然は刻一刻と変化するから風や波など対話する相手に事欠かない。というより、わたしひとりがそこにいようといまいと、自然には何の関係もない、という潔さがよい。それでもわきあがるこの歓びは、自分もその一部であることを許されている生き物の歓びだろう。」

どうだろう。
上野千鶴子その人は
孤高の人、単独山行の加藤文太郎に通じるところがあると思わないか。
そしてわたし自身にも共通するところがある気がする。
(ビッグネームのお二人に自分を並べるだなんて、
鼻持ちならない奴だとおもわれそうだが)
この三人とも、ときに「自然」に「ひとりで」向き合い
「孤独」とか「ひとりぼっち」について思いを巡らせている、
という点だけは共通である



まぁなにはともあれ、今オーストラリアでは異常な降水量の大雨に悩まされている。
ブリスベンは、洪水によりものすごい被害を受けている。
タスマニアにはそこまでの被害は今のところないとはいえども
ここ数日間降り続ける雨に風に不安を隠せない。
明け方5字頃、そろが白み始めるころ
ふっと枕元のスタンドが消えた。
電球がきれたのかと思いきや家中の電気がつかない。
どうやら停電らしい。
孤高の人の下巻にさしかかりはじめたころで、きもちは盛り上がっているのに
手もとが暗いことにひどく落胆して
じゃぁそろそろ寝ようかとも思い
横になった。
窓の外の吹きすさぶ風の音と、屋根をたたきつけるように降る雨の音に包まれ
ひとけのない部屋にひとりころがっていると、どうも
加藤文太郎に思いを馳せてしまうのをとめられない。
結局うすあかりの窓辺の下で本を開き、また読みはじめた。

それにしてもすごい嵐である。
この嵐のなか歩いてアルバイトにでかけるつもりなのだが
果たしてほんとうにわたしは歩いてでかけるのだろうか。
それこそ、なんて孤独な
少し不安である
傘はやくに立つんだろうか?
肩の破れたカッパをきていくか

20110103

2011年のはじまり

2011年1月1日
朝、
テントの内側の膜がぼんやり白く輝き始める頃目が覚めて
時計がなかったからそれが何時だかわからいんだけど
夏だというのに、ひんやり肌寒くて、それでなんとなく
早い時間に自分が起きれたんだなーと時間を予想して。
テントからよじよじと這い出て深呼吸。

樹高20mを超すだろうと思われる
大きなユーカリの森の底に座り
あさごはん。
こぽこぽわかしたお湯でスープを
それから、
サンドライトマトのバジル漬けと
スモークサーモンのディップをライ麦のラップに包んで
簡単な、だけどおいしいごはん。
食後にあったかい珈琲を飲みながら
木々の間からのぞくキラキラ輝く青いみなもを遠くに見下ろす。

たぶん今日は暑くなるんだろうなーとなんとなく思い
ボトルに水をたっぷりそそいで、リュックサックに投げ込み
スケッチブックに、筆、水彩と墨、
アーモンドとピスタチオ、ドライクランベリーとホワイトチョコレートと
ニコンのカメラさんに、替えのフィルムもって
それだけを持って、テントはそのままに、身軽になってでかけた。

森をでて、目指すのは海。

ユーカリの森からぬけだして
丘をくだり
牧草地をよこぎって
強くなってきた日射しを遮るもののない草っぱらをずんずん歩き
小さな池の横を通り抜け
小さくまぁるく分厚い葉っぱを持った、背のひくい木々の森にはいり
ゆったりとした流れの小さな川にかかる浮き橋をわたって
木々の間の小道の土が砂に変わり心がおどり
近づく波の音を聞きながら、よいしょよいしょと坂をのぼって
木々の背がいよいよ私の背より低くなり
ふっと空がひらけたとおもったら

さぁっと蒼がひろがって
ふわっと身体全体が風をうけ
すぅっと心がひらく感じがして

一直線に波打ち際に行き
透き通る水に手を浸し
なんだか自分の身体まで透き通っていく様な気がして
靴を脱いで海に入りそのまましばらくゆっくりとあるく

しぜんと、何に対してだか分からない祈りをささげたくなり
なんだか胸がいっぱいになる。
私の場合、
いまのところ、
神社にでかけてお参りをするより
一人で海に対峙する時のほうが
神聖な…というかなんというか、厳かなきもちになる。

ざぶんと潜って少し泳いだところで
ぷかっと水面に浮かびあがる。
一人で沖にでたら危ないので遠くにはいかない。
タスマニアにはサメがいる。
ぷかぷかと水に浮かび、ぽっかりと空と向き合う。
だんだん自分が溶けていく。
私は私なのか、私は海なのか、私は空なのか。

海からあがって
乾いた砂の、さらさらの心地よいなかへ、あしをつっこむようにして座り
スケッチブックをひらく。
最近ではスケッチをするという行為それ自体が
メディテーションのような働きをする。そんな気がする。
さっき身体で感じていた海を、こんどは目でとらえて、紙の上にうつす。
すごくきもちがよくて、しずかで、ここちいい時間。

数枚スケッチを描き終えたところで、人がやってきた。
ハッピーニューイヤーーと見知らぬひとと言葉を交わして
ふっと、現実世界にもどってきたような不思議な感覚を覚えた。
じゃぁ私は今までどこにいたんだっていう…。
こういう不思議な感覚って、時々あるよね。
小ちゃいときとか、なんかこういうのすごくコワかったけど
意外といろんなひとがこの感じ経験してるらしいことを後に知って
あぁなんだ、ふつうのことか、と思ってからはコワくなくなった。

その後もずーっと私は海辺にいて
知らない人。知ってる人。けっこうよく知ってる人。
来る人来る人と、たわいない言葉を交わしたり
あるいは一緒に水際を歩いて、けっこうディープな話しをさらっとしちゃったり
サイダーとビスケットをもらったり
それを一緒に食べながら、たわいないお喋りをしたり
オーストラリア人
フランス人
カナダ人
スペイン人
ドイツ人
そして日本人
国際色豊かなお喋り。
楽しい。

その日に私の描いた海のスケッチを今数えてみたら計7枚だった。
なんだか縁起がよさそうで嬉しい。











そんなゆったりとした時間を海辺ですごしたのち、
陽が傾きはじめ、おなかがすくころに
牧草地にはられた白い巨大なテントに向かって
海辺にいたひとたちと一緒に歩き出した。
どこかからか現れた人々が四方八方からうじゃうじゃと
白い巨大なテントにむかいそうしてテント下に吸い込まれていくのが見える。
ありんこみたいだ。
ビーチから草原へでると、
一日中強い日射しで熱せられた大地からむわっっと熱気があがるのを感じ
額に汗が浮かびはじめた。






夜。
日が沈むと一気に冷え込むここタスマニアの夏
だけど巨大テントの中はあつい。
おいしいごはん。
たくさんのひと。
たくさんのおさけ。
音楽。
ダンス。
ショー。
いろーーんな国出身のひとがみんな、
いっしょにごはんたべて(食べるものはちがったりするけど)
飲んで(飲まない人もいるけど)
酔っぱらって、ふわふわして
飲まない人は雰囲気に寄って
音楽にあわせて、てきとーーにおどる。
ちょっとしたことにみんなで大爆笑する。
ものすごく楽しい

1月1日の夜は
The Fallsというタスマニア最大の野外フェス&年越しイベントの
スタッフお疲れさまパーティー

そうなんです
なにを隠そう この私
この野外フェスのスタッフとして働いてきました!
The Falls
Music&Art Festival
http://www.fallsfestival.com.au/

インターネットを通してのスタッフ申し込みで
なかなか連絡もこなくて、だからダメかなーとも思ってて
それでも連絡が来たらいつでも向かって働けるようにとテントなどの準備をし
ダメならダメで一人旅をしよーーと気軽にかまえていたんです。
ギリギリで連絡があり
一人旅二日目の28日に
筋肉質なオージー男、金髪ドレッド、なのにひらひらのスカートを履いてる…
めっちゃくちゃ陽気でよく喋る…でもどーかんがえてもスカートを履いてる男と
自転車でひとり旅中という、ほっそりとしたドイツ人
肩につくくらいの金髪に無精髭、もの静かでかっこいい
の二人に拾われて
フェス会場へ。
ちなみに迎えにいくと言われた時間の一時間半後に迎えに来てくれた。
一時間半わたし、待ちぼうけ。
さすがオーストラリア、ゆったりとしている…。
そうして、じぶんが、どんなふうに、どう働くのかよく分からないまま会場入り。
一緒にスタッフとして働く人のなかには、キャラの濃い不思議な人がいっぱい。
ふわふわショートにめがねで、雰囲気が芸工のときちゃんのような
北欧、エストルニア
(どこの国だか私よくわからなくてなんども出身国ききなおしちゃった)
出身の女の子の旅人(一年半も旅をしている)や
長いひげを二本の三つ編みにして、つけ耳としっぽがある、まるで漫画のワンピースのキャラクターのような格好の、カナダ人のおじさん
ものすっごく元気でよく日に焼けた、なんだか色っぽいフランス人のおねぇさんや
ギャルギャルした感じのオージーの女子高生の女の子に
仕事できます、しきります、な雰囲気がでてる姉御っぽいひとから
うっしゃっしゃっていう感じで笑う無精髭のおじさんに
大学の友達同士できてるっていうメインランドから来た医学部の女子大生達
裸足でふわふわ一人ひとつ楽器を持ってあるいてるドレッド頭のヒッピー集団
そして
あれ?
ジャレッドのママ!?
どーーーしてここに!!!!
「真子!どうしてここにいるの!?え?スタッフなの?私もスタッフなのよ!?」
とジャレッドママ。
びっくり。

好きなとこにてきとーにテントはって寝床ととのえたら
午後五時にはじまるという全スタッフミーティングに参加するよういわれ
真面目に五時十分前についたんだけど
六時過ぎてもミィーテングがはじまらない。
となりにいたジャレッドママが
「こんなに計画性がなくて人を待たせる何て!!」と
イベントのマネージャーに文句言いにいってたんだけど
効果はなさそう。
そんなゆったりとしたイベント。

スタッフとして働いて…
とはいっても一人一日4時間だけの当番制で
他の20時間はスタッフもフェスを楽しもうねーっていうしくみなので
ゆったりと自分の時間を楽しめました。
初対面のスタッフメンバーがおもしろい変な人達ばっかりで
働いてる時間も楽しかったし。
ばんごはんも支給され、そのときシフトにはいってないひとみんなで晩ご飯。
28日、29日、30日、31日と4日も顔を合わせてれば、メンバーへの愛着もわく。
そんなフェススタッフ仲間(ジャレッドママ含む!)と一緒に
野外フェス会場にて年越し。
音楽のことはさっぱり分からずだけど、オージーに人気なバンドが来てるらしく
大盛り上がりの会場で、私の知らないアーティストの新年カウントダウン!
その一日後、一般のお客さんの帰った、1日の夜に
スタッフのみんなのお疲れさまパーティー
このスタッフパーティーがほんと楽しかったんだー





というわけで
私の2011年は
一人で静かに、祈りを捧げるような時間をすごしたあと
いろんな国出身のおもしろいスタッフメンバーと飲んで酔って踊っての大騒ぎ
で幕を開けました。

なんだかきもちいいのです

いいスタートです




2011年
もっと深く深く
もっと大胆に、そしてワガママに
繊細さと強さをもって豪快にすすんでいこう

Life is beautiful, if you know how to live.

人生を楽しもうっと!いひひな気分です

20101227

ありがとう2010



5冊と1/2冊のスケッチブック
に私の2010年がつまっています。濃い日々がぎゅっとつまってます。
スケッチ、クロッキー、イラストに添えた日記。
このスケッチブックは時にあまりに赤裸裸で
とても人に見せられないページもまじりつつ。


スケッチブックのページをめくりながら
今年の自分の歩いて来た軌跡に思いを馳せていました。
2010年は、怒濤の、嵐の様な一年。
よくもまぁ、乗り越えれて来たものだなぁと、感慨深いものがあります。
時々で助けてくれたいろんなひとのおかげです。ありがとうございます。
精神的にいっぱいいっぱいだった時期に、
ちょうどタスマニアに遊びにやって来た妹と過ごした時間にも
だいぶ救われました。
いつもながらタイミングのいい奴です。ありがたい。


私の2010年は、なんだかほんとーにトラブル続きで
今までで一番しんどい一年だったような気がします。
この1年ほんとうに長くて…なんだか一気に年をとったような気がしてます。
私、26歳なんですが、自分の年齢が「まだ26歳」なことに
よく自分で驚いています。
「あれ?わたしまだ26歳だったんだ。わっかーーい」
なんだか得した気分です。


なにはともあれ、
2010年、自分のしてきたことで、
やらなきゃよかった、と後悔していることは、ありません。
というのも、これ以上のことはできないだろうっていうことをやってきたから。
失敗もおおいし、迷惑もかけたし、でも、これが今年の今の私の限界だった。
何をどう振り返ったって、これ以上のことはできなかったとおもう。今の私には。
自分のほんとうにギリギリのいっぱいいっぱいのとこ
精一杯に乗り越えて来たら、ここまでやってきた、という感じです。
もう一度あの頃にもどったとしても(戻りたくなんてないけど)
同じことができるだけだと思います。

すべてのことが、たぶん今年の私にはそうすることしかできなかった。
ほんとにいろいろいっぱいいっぱいだったので、
今年は、優先順位ダントツ一位に大学での勉強を据えて
ほんっとーーのほんっとーに全力を注いで
その他のことに力をさく余裕のないままつっぱしって。
でもそうでもしなきゃ、今年の勉強、満足いくまでやりきれなかったと思う。
だからほんとうに私、自分勝手で嫌なこだったと思う
ごめんなさい、とともに
感謝。ありがとう。


家族、友達、バイト先まで

 いろんな人に迷惑かけた
いろんな人に助けてもらった
ごめんなさい ありがとう


私はほんとに、自分の100%以上の全力でやってきたよ
だから、ほんとのほんとに
2010年の自分に後悔なし。


この一年で、私の内側、ずいぶん変わった気がしてる
そんな2010年に、ありがとう





さて、のこり1/2冊のスケッチブックを埋めに
のこり数日の2010年を私なりに思い切り楽しむために
嵐みたいだったしんどかった一年の最後の最後に、自分らしくリラックスする為に
ひとり気ままなテント暮らし、に出掛けてきます。
スケッチブック、英語の本、日本語の本、テント、寝袋、珈琲…
好きなものばかりをもって、大好きな自然の中へ。
明日の朝から年明けまで。ひとりで静かな時間を楽しみます。


それでは、新年にまた会いましょう


みなさま、よいお年を!