20111105

近況報:芸工同窓会会報紙より

名古屋市立大学芸術工学部の同窓会会報紙に
海外にいる卒業生のひとりとして
近況報告を書かせてもらいました。
せっかくなのでブログにも載せますね。


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



南十字星の瞬く星空の下、庭に住みついているワラビーに挨拶をして今日も家に帰ってきました。野生動物を身近に感じながら、原生自然の多くのこ残るここタスマニアで「人の暮らしと自然をつなぐ建築」について想いをめぐらせ続けています。





タスマニア大学では建築が環境に及ぼす影響や、エネルギー効率について考慮することが求められます。多国籍・多文化のクラスメイトと「Green Architecture(環境にやさしい建築)とは?」というディスカッションを重ねたりするのですが、育った環境が違えば、建築家の役割についての倫理観も、自然の概念も違う。そのなかで私は哲学、環境倫理学の面からGreen Architectureに興味を持つようになりました。




例えば、Natureの反義語がArtである英語圏では、「守るべき自然が人間の活動によって壊されている」という前提からはじまり「建築、都市開発による自然環境へのダメージをどれだけ減らせるのか」と、議論は終始、自然vs人工の二項対立(デカルトの心身二元論由来の西洋的な考え方)でおこなわれている。それならば対照的な東洋思想、たとえば心身一如論の視点でGreen Architectureを考えたらどうなるのだろう?という問いが、「Green Architecture?」というインスタレーションにつながりました。
身体をとおして、心が自然とのつながりを感じるための装置としての建築の模索です。


先日タスマニア州政府建築オフィスと共同で州都ホバートの研究をする機会をいただき、一緒に「SPECULATE(思索)」という冊子をつくりましたが、私は特に都市でおこっている自然と人のかかわりについての研究をしました。現在はこの研究をベースに「Healing Space」としての「人と自然をつなぐ建築」の可能性を探っているところです。

No comments:

Post a Comment