20110114

孤独って?

きのうは
寝よう寝ようとするたびに「いらいらっ」としたできごとを思い出して
むきーーーってなってしまい気が立ってとてもとても寝付けなくて
寝れないんならイライラ思い出しててもしょうがないから
本読もうって、読みはじめてみて
こころが落ち着いた気もするし そろそろ寝ようと思ったら
またイライラがふりかえしてきて、ブツブツひとりごとで文句言いだしちゃって
目が覚めちゃって
じゃぁ本読もうの繰り返しで
結局一睡もできず。

自分のきもちをコントロールできないようじゃ
まだまだ子どもだなぁ、だめだなぁ、私
と思いつつも、
まぁ、ダメなものはダメでしかたがない、と受け入れようと心を持ち直したり。
ちなみに牡牛座の2011年は「acceptance」がキーワードになるそうです。
too much to soon (すぐにもっと!)を期待しがちなので、意識して
ダメなところも受け止め、欠点を考慮に入れた上であれこれ計画なり精進なり
ということで、
わりと器のちっちゃくって、すぐいっぱいいっぱいになって眠れなくなる
ちっぽけな自分を許してあげるのだ!はっはー

深夜すぎるとさすがに集中力が切れ気味で英語が読めなくなって来たので
日本語の本へきりかえ
(そんな自分も大目にみてあげよう)
ふっと手を伸ばしたさきにあったのは
1月になってから母から届いた「孤高の人」
なかなかちょうど今の私にヘビーにずしんとくる本で。
深夜からよみはじめ、ついさっきまで夢中でページを捲りつづけてしまい
ようやく昼前にて上・下巻とも読み終えたところ。
止まらなかった。そして、
重いなぁ。

加藤文太郎さんっていう実在の登山家を描いたもの。
単独山行を繰り返す彼の半生と登山記録(記憶)のような本文から
あまりに生々しく浮かび上がる、山々の情景/岩、風、雪、空…
とそれに魅せられてしまっているときの文太郎の心のひだとか
が ぐわぁって押し寄せてくる。
と同時に
どぅっておしよせてくるのは
「孤独」
孤独って?って文太郎が思いややむあたりでは
わたしも真剣に一緒に悩んでた気分だよ

なにしろ

奇しくも

12月30日
一人テント生活をしてた私が
一日を終えテントに帰ってきてスケッチブックにつづった日記のテーマは
「孤独って?」
というヘービーで鬱鬱としたものだったのだ。
なかなか人にみせるのははずかしいような代物だ。
まぁとにかく
私はもちろん文太郎さんとは違うし、違うことを考え感じているけど
「孤独」ということと「自然」とに向き合い考えてる、いや悩んでいる
という点が重なってしまったので
おもわぬところに埋まってた私の心の導火線のようなものにときどきうっかり火がついたりしちゃったりして
なんだかもう、読んでる間中、わたし、大変。

最近よんだ、上野千鶴子さんの「ひとりの午後に」というエッセイ
「ひとり遊びの得意な人には、アウトドア好きな人が多いような気がする。」
「孤独」と「孤高」と「ひとり遊び」はちがうが
でもいずれも「ひとりぼっち」であることには変わりはないと思う。

どうやら この
「ひとり(孤独)」と「自然」という二項には
なにやら切り離せないものがあるのかもしれない

上野千鶴子さんのエッセイから一部抜粋すると
「…なにより、自然のなかにいる喜びはなにものにも変え難い。口元に笑みがこぼれでる。抑えてもおなかの底からこみあげる笑いは、大自然のなかにいるアウトドアスポーツならではのものだ。こんな楽しみをしらない人に教えてあげたくなる。そう言えば、ひとり遊びの得意な人には、アウトドア好きな人が多いような気がする。自然のなかにいるだけで、もうほかには何もいらなくなる。自然は刻一刻と変化するから風や波など対話する相手に事欠かない。というより、わたしひとりがそこにいようといまいと、自然には何の関係もない、という潔さがよい。それでもわきあがるこの歓びは、自分もその一部であることを許されている生き物の歓びだろう。」

どうだろう。
上野千鶴子その人は
孤高の人、単独山行の加藤文太郎に通じるところがあると思わないか。
そしてわたし自身にも共通するところがある気がする。
(ビッグネームのお二人に自分を並べるだなんて、
鼻持ちならない奴だとおもわれそうだが)
この三人とも、ときに「自然」に「ひとりで」向き合い
「孤独」とか「ひとりぼっち」について思いを巡らせている、
という点だけは共通である



まぁなにはともあれ、今オーストラリアでは異常な降水量の大雨に悩まされている。
ブリスベンは、洪水によりものすごい被害を受けている。
タスマニアにはそこまでの被害は今のところないとはいえども
ここ数日間降り続ける雨に風に不安を隠せない。
明け方5字頃、そろが白み始めるころ
ふっと枕元のスタンドが消えた。
電球がきれたのかと思いきや家中の電気がつかない。
どうやら停電らしい。
孤高の人の下巻にさしかかりはじめたころで、きもちは盛り上がっているのに
手もとが暗いことにひどく落胆して
じゃぁそろそろ寝ようかとも思い
横になった。
窓の外の吹きすさぶ風の音と、屋根をたたきつけるように降る雨の音に包まれ
ひとけのない部屋にひとりころがっていると、どうも
加藤文太郎に思いを馳せてしまうのをとめられない。
結局うすあかりの窓辺の下で本を開き、また読みはじめた。

それにしてもすごい嵐である。
この嵐のなか歩いてアルバイトにでかけるつもりなのだが
果たしてほんとうにわたしは歩いてでかけるのだろうか。
それこそ、なんて孤独な
少し不安である
傘はやくに立つんだろうか?
肩の破れたカッパをきていくか

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