I am a captive of a tree.
That tree is standing on the my way to supermarket.
I really like to look the tree because of the interesting shape and space, and absolute beauty.
In addition, the tree is looked different every day, so that I am not bored. I have never lose interest, rather, the tree will draw me in to the wonder world deeply ....
Look!
At first sight, this tree seems quite common, however when I changed the angle, the scenery was changed completely.
How beautiful it is.............the tree looks like a smal space. I feel the infinity expanse every time when I walk under this tree.
If you change the focus, you probably find new beauty.
I am a captive of this tree.
遠くアフリカの大地へ
KENYAの少年JHONに手紙をおくった。
JHONは今一緒に暮らしているハウスメイトのJaredの義理の息子…
義理の…ていう言葉は違うか、なんていうのが適切なのかな…。
Jaredは、親のいないJHONを経済的な面で支えてる、足長おじさん。
私がKENYAとJHONの話を聞かせてって、しゅっちゅうせがんでいたら
Jaredは私にJHONから届いたハガキや手紙を見せてくれた。
鉛筆の黒だけで描かれた絵。ボール、車、家、友達。
くしゃくしゃっとかたいだアルファベットの文字。
好きな教科は、数学。
かとおもったら、次の手紙では好きな教科がスワヒリ語になってる。
ふんふん。**君が大親友なのね…、
サッカーをして遊ぶようになったのね…。
あ、背が伸びてる!伸びてる伸びてる!!
手紙を見ていると、一人の子供の成長を見てるようで、すごく楽しい。
すごく、楽しい。
どれくらいの頻度で返事を書いてるの?
って聞いたら。Neverって。
Never!?
「忙しくて、手紙を書く時間がないんだよ…」
そうだ。確かに彼はめっちゃくちゃ忙しく日々を過ごしている。
そうかぁ…手紙を書く暇がないのかぁ…
JHONは、このオーストラリアの「足長おじさん」についてどう思ってるんだろう。
まだ小さい子供だから、もしかして、よく分かってないんじゃないだろうか。
きっと、学校の先生か、援助団体のひとか、大人に
「この人があなたをサポートしてくれてるから、感謝しなさい。手紙を書きなさい」
って言われて、よくわからないまま手紙を書いてるんじゃないだろうか。
「遠くはなれた場所にいるだれかが、あなたのことを気にかけて、想っている」
って、ちゃんと感じているだろうか。
うまく言えないけど、イメージとか感じることとかって大事で…。
彼の送る資金はたしかに、JHONを助けているんだろう。
Jaredは今自分にできることを、自分にできる範囲で精一杯している。
やっぱり私は、そういうところを尊敬するわけで…
じゃぁ私は?私にはなにができるんだろう。
Jaredを通じてJHONという少年を知ったのも何かの縁。
間接的に、私は彼の人生に関わることができる。
この出会いはきっと、なにか意味があるに違いない。
きっと私にはなにかすべきことがあるはずだ。
全ての出会いや出来事には意味があると信じているし
意味があるものにしたいと思う。
さて、Jaredはお金を送れるけど、時間がない。
私は、お金はないけど…
「私、かわりに手紙を書いてもいい?」
「Sure! Why not!?」
JHONへ、こんにちは。
いつも、素敵な絵の手紙を送ってくれてありがとう。
Jaredは忙しくて返事がかけないけど、いつもあなたのことを考えているよ。
この手紙は忙しいJaredにかわって、友達の真子が書いているよ。
・
・
・
なるべく分かりやすい、短い英語で手紙を書きながら、
なんとなく違和感…。
小学校低学年。
言葉も大事だけど、もっと大事なのはイメージだ。
アフリカに暮らす少年へ
どんなイメージを伝えよう。
なにを伝えよう。
未来がある子供には、世界は美しいと伝えたい。
未来に夢を持って欲しいし、きらきら笑ってて欲しい。
手紙は二部構成になった。「手紙」と「メッセージ」だ。
それから、私がタスマニアのこの家で暮らすうちは何度も手紙を送ることにした。
伝えたいイメージはたくさんある。でも、一度であれこれ伝えない。
シンプルに、やわらかく、かるい感じでふわっと届けるメッセージを重ねていこう。
JHONは学校で英語の授業があるらしいから英語で手紙を書くことにしたのだが、
それをみてたJaredが、スワヒリ語に手紙を翻訳することをすすめてきた。
JHONの母国語、第一言語はスワヒリ語だから、
伝えたいことがあるなら、第一言語を使った方が効果的じゃないのか、と。
そのとおりだな、と思った。
うん。英語とスワヒリ語と両方で手紙を書こう
私はてっきり、私が英語で書いた文章をJaredが翻訳してくれると思ったのだが
…彼はそんなに甘くない(笑)
「スワヒリ語–英語」の辞書を貸してくれた。
「え?私、自分でスワヒリ語で手紙書くの?」
「Try!」
でも、辞書で単語分かっても、私スワヒリ語の文法知らないよ…っていったら
スワヒリ語の文法は英語とほとんど同じだよっていいながら
「セルフスタディスワヒリ語」って本を貸してくれた(笑)
はじめてスワヒリ語で手紙を書いた。
私が書いたあと、Jaredが、そのスワヒリ語が正しいのかチェックしてくれた。
いっぱい訂正された。文法同じっていったのに、やっぱりちょっと違うじゃない…
そのあと、より自然なスワヒリ語にする為にって、
KENYAに住むJaredの友達(同じ年くらい)にチェックをお願いした。
またいっぱい訂正された。
そうして、二重チェックを通り抜けて一通の手紙が完成した。
私の、人生初めてのスワヒリ語の手紙。
私の、人生初めてのアフリカへの手紙。
アフリカ、ケニア、ナダビビ地区の少年JHONへ 届けイメージ
知ってる?世界は美しいのよ。それにとっても楽しいの。

Jhon! Jambo! Una endeleaje?
Jared anaishi pamoja na marafiki.
German, Pakistani, Malaysian, and Japanese.
Tuko marafiki.
Kwa hakika Yohana, we ni rafiki yetu.
Tuna kutakia furaha.
Upendo na Aman.
Je wajua?
Tunaishi duniani.
Tunaishi kwenye ulim wenga uleule, Dunia!!
Tu marefiki. Una o marefiki. ulimwenguni kete.
Upendo na Aman.
Jared marefiki Masako.
Jhon!! Hello! How are you?
Jared lives with "Friends"
German, Pakistani, Malaysian, and Japanese.
We are friends. Of course Jhon, you are friend!
We wish your happiness.
Do you know?
We live on the Earth.
We live on same Planet.
The Earth.
We are friends.
You have friends all over the world!
Love and Peace
Jared's friend Masako.
父と母が結婚して二十五年のアニバーサリー
銀婚式、
英語でもSilver Weddingを
ここTasmaniaでお祝いしました
日本語と
英語と
ドイツ語と
ウルグ語と
マレーシア語で「おめでとう!!」
二十五周年を記念して
結婚して以来一度も海外旅行に出かけたことのない両親の
思い切っての海外旅行
初Australia,
初Tasmania,
もちろん初Launceston
「どこかおいしいレストランを探しておいてね
二十五周年の記念だから、スペシャルなんだから」
と言われていたんだけど…
おいしいレストランと言われても
私こっちに来てからほとんど外食をしていない。
Launcestonで一番おいしい料理と行ったら…
シェアメイトのTahirのつくるパキスタン料理しか思いつかない。
と、いうことで、Tahirに頼んでみたら快くOKしてくれたので…
「おいしいレストラン予約しておいたから」って、
サプライズで私の素敵なおうちに連れてきました!
パキスタン人のTahirがおいしい料理を
マレーシア人のNicがお花を、素敵な手作り花瓶にいけてくれて
ドイツ人のStefanが日本語で吉田拓郎の歌をいい感じにゆるくてきとーに歌って
みんなにお祝いしてもらって
私の父も母もものすごく喜んで楽しんでいました。
みんな、ほんとうにありがとう。
「二十五年前、結婚したときには
まさか二十五年後の結婚記念日をTASMANIA島なんて遠いところで迎えるとは
全く想像もできなかったし、
まさかまさかパキスタン人やマレーシア人やドイツ人にお祝いされるだなんて
ほんと想像もしていなかったねーーー
いやぁ、二十五年、続けてみてよかったねーー」
って、なぜか大爆笑しながら感動していました。
私もまさか自分が海外で暮らしてるなんて全く想像したなかったし
こんなに長く学生をするつもりもなかった。
(ごめんなさい、いつまでも学生で。
親孝行、もうちょっこっとだけ待って下さい)
二人が帰った後、シェアメイトに
「真子の親はすごくFunnyで…なんだかROCKだね」て言われました。
え??ROCK? なにがROCKなの???
とまらないお喋りに、オーバーなボディランゲージ、物怖じしないマイペースさ
「わしゃわしゃしゃしゃ」擬音語擬態語+アクション
私の両親、ROCKだそうですよ(笑)
ROCKなお父さん、お母さん
結婚二十五周年 ほんとにおめでと!
高校二年生の時に描いた修学旅行の表紙

高校三年生の時に描いたクラスTシャツ
般若面が、好きだったんですねぇ。
その頃、薪能を見る機会があって(野外、薪の明かりでみる能)
演目は「葵」
源氏物語の、葵上が六条の御息所の生き霊に呪い殺される話なんだけど。
美しい面をつけた、葵よりも、
般若にならざるを得ないほど、心乱された六条の御息所に惹かれていた。
怖いというよりも、哀しさが強かった。
なんだか愛しかった。
「人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ」
修学旅行のしおりに添えてある言葉は徒然草第七十五段からの引用。
俗世にまみれて生きること。
人間関係でごたごたして、物欲に目がくらんで(もしくはものをとりあい、人と争い)
恨んだり、またそのすぐ後には喜んだり。
定まることなくふらふらゆれる心、つまりは情緒不安定。
そんなの最低。
何事にも乱されず、もっと静かに生きようじゃないか。
ということを兼好法師は言っているんだけども。
国語の先生が、淡々と解説していたんだけど
高校生の頃の私は、それにひどく疑問を持ち
「高校生に、何を言うの?心落ち着けて、仏様みたいになるには早すぎるんじゃないか?
ぐちゃぐちゃに、情緒不安定になるからこそ、おもしろいんじゃない」と。
高校生こそ、『人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ』を
謳歌すればいいんじゃないか」と。
で、修学旅行。
人としっかりどっぷり関わって、目にうつるものに目を奪われて、
ちょっとしたことでも恨んだり、怒ったり、悲しんだり
その一瞬後に、些細な事でけろっと、有頂天になって喜べばいいじゃないか。
六条の御息所みたいに…(般若)
なんてゆーか。可愛くない女子高生
キャピキャピ感の感じられない女子高生(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この修学旅行の表紙をつくるにあたり、ひともんちゃくありまして。
当時、高校生の時の私は
なんだかすごくもやもやしていて、いろいろ捻くれてて
進学校にはいったくせに、勉強をする気になれなくて。
結果みごと、
追試、再追試はあたりまえ、再再追試のそのまた追試
親に手紙が届く「特補(とくほ)」=特別補講はもちろんのこと
できるまで帰さない、進級させないさせない恐怖の「デスマッチ」まで
経験いたしました。
(真面目に勉強してた子にこの話すると「特補って何?」「デスマッチて何?」
そんなシステムあったの?て顔をされます・笑)
予習も復習ももちろんのようにせず、課題の数学の問題集は白紙で出して
そのうち、ひどい時期は机の上に教科書をだすことすらせず…
なにをやっていたかって、一生懸命修学旅行のしおりの表紙を描いていたんです(笑)
まだアナログな「手書き」手段しか知らなかった私ですが、
どうしても、こう、ふたつの般若面と文字のバランスがきまらなくてもやもやしていて。
それぞれの要素を、コンビニのコピー機で倍率を1%ずつかえてコピーしまして
それをひとつづつ切り取って、組み合わせをかえては、うんうん悩み
「違うな〜、もういちょっと、こう…んんんーー」
てブツブツやっていたんです。
数学の授業中。
しばらく無視されてたんだけど、30分くらいたったころ
ものすっごい怒鳴られました。
教科書もノートも出さず、大量の般若面のコピーと
筆ペンとカッター、紙屑でうまった机。
当然です。
先生を挑発するにもほどがあります。
今おもえば、なんて最低なことをしていたんだろうって話ですが。
「高校生になってまで、こうやってみんな同じように席について
おなじ時間におなじような勉強をして、かりかり問題解いててさ。
そんなことして何の意味があるのさ!」
ってカリカリして
(そういう進学校を自分で選んだことを、当時の私はまったく気づいていない・笑)
「あんなにどならなくたっていいじゃない。
とりあえず、静かにしていたのよ。授業の邪魔はしてないのよ。
それに、もうちょっとで、なにか、ぴしってキマリそうだったのに、
イイタイミングの時に声掛けるから、台無しじゃない!もう最悪!」
って、美術室で愚痴ってたんです。
別に美術部員じゃありません。
美術室が好きなだけです。
美術部があつまってないときに、こっそり使ってました。
(先生が使っていいよって言ったから、いい。美術部の空気は合わなかった)
したら、当時の美術教師が
「あーー。あるよなーー。そういうとき。
なんか降りてきちゃったんだよな〜。そういうときはその瞬間につくっちゃわないと
もう二度とつくれないんだよな〜〜〜。
授業がどうとか、まわりがどうとか、昼とか夜とかじゃないんだよな〜」
って、真面目な顔で言うんですよ。分かるよ〜って顔して。
高校の先生が、そんなこと言っちゃだめでしょ(笑)
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高校の美術の先生は、今まで小中高と出会ってきた先生の中で一番強烈でした。
だって、普通じゃないんだもの。変。
喋り方も、笑い方も、ぜんぶ、なんだかちょっと変わっていたし。
つくるもの、先生の作品も、意味が分からなかった。
それまで会った先生は、みんな分かりやすく綺麗な絵を描いたりするんだけど
(彫刻だったり、レリーフだったり、専門は色々だけど、
みんな何をしたいのか分かりやすかった)
先生のは、意味が分かんなかった。
豊橋市内の美術教員たちの合同展のなかでもひとつだけ異彩をはなっていた。
「教員用の大量生産されている事務机のうえに、白い立方体がおかれている」彫刻とか
「豊川に椅子を置いて、
時間による水位の変化で椅子が沈んでいく様子を記録した写真」とか
「たんぽぽの首からうえをちょんぎって、大量に一直線にならべたもの」とか
「画鋲をひたすら刺しただけでつくられた、丸いレリーフ」とか
「虫ピンに輪ゴムをかけていくことだけでつくられた板」とか
こうやって、書き出してみると…今思うと、クールだなぁ。
それまでの小学校中学校で出会った美術、あるいは図画工作の先生の作品はちっとも頭にのこってないのに
この高校時代の美術の先生のつくったものは、忘れられない。
でもとにかく
当時の私には意味が分からなかったわけで。
なんだか変わっている、なんだかパワーがある。なんかおもしろい。でもわからない。
嬉しそうに静かににやりと微笑みながら、先生が自分の作品をみせてくれても
ぽかんとするばかりで、どう反応してよいかわからず適当に返事をしたら
「君はつまらないことを言うね」と真剣に怒らせてしまったことがある。
びびった。
怒らせたというより、あきれさせてしまった、といった方が正しいのかもしれない。
数学の先生や英語の先生に怒られることにはだんだん慣れていったけど
この先生を怒らせたときは、凍りつきそうになった。
数学や英語の先生に怒られるのは、怒られて当然のことをしているからで。
たいがい内容は、真面目に勉強しなさいっていう、表面的なことだったけど。
美術の先生の言葉は
「勉強しなさい」よりももっと内面的なところに届くから強烈なのだ。
私はつまらないことを言ったんだろうか?
つまらない…
しばらくもんもんとしていた
なんか変な人。でもおもしろいなー。
あんまり近づきたいないな〜。でも気になるな〜。な先生。
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高校の美術の先生と会って、ふたりで珈琲を飲みました。
これが意外と、想像した以上におもしろかったのです。
高校卒業後一切連絡を取ってなかったけど
大学受験の時は、実技の指導でずいぶんお世話になったわけだし、
タスマニア島に行くっていういい機会だから、
いちど御挨拶でもしておこう。と。
私のことなんか忘れてるかもしれないけど
電話をかけたら
「分かる分かる。
名前の漢字は分かるけど、顔は分からん。悪いね。
絵本描いてた奴だろ。海の。
あと、最初の石膏デッサンを覚えてる。ははは。顔はぜんぜん覚えとらんのになぁ。
いや、ちょっとまて。挨拶が遅いだろ。もっと早く挨拶に来るべきだ。
君の受験の指導を丁寧にしたじゃないか。」
はい。すみません。
って、相変わらずの独特な口調にちょっとびびりつつも…
それにしても、うーーーん。私は、絵本のイメージが強いのか。
しまったな。絵本か。そっちの道に進むべきだったかしら。。。
でもとにかく、覚えていてくれたのが嬉しい。
逆に忘れられてたらとってもショックだったろう。
大学時代につくったものを見せ、卒業してからお仕事でつくったものを見せ
先生が最近はまっていることや、最近の作品を見せてもらった。
私と先生は、もしかしたら、すぐに真剣に喧嘩してしまうかもしれない相性であることを忘れないようにして
というか、私の言葉でまた先生をおこらせたり不愉快にさせちゃうかもしれないと
慎重に、言葉を選んで喋った。
先生の話は面白い。
作品集をぺらぺらめくり。「これはつまらないね。つまらない」とかブツブツ言っていて
すごくびびったけど、
時々…3回だけ「これいいじゃないか、ちゃんと詰めて発表しろよ」て
言ってくれたのが、うれしかった。
「ゼリーで建築模型をつくって、プレゼン後に先生に食べてもらう」
ていう、建築学科の学生としては失格なアレを
にやりと笑いながら「いいじゃぁないか。それ」と言ってくれた。
先生との珈琲時間は終止緊張してなければいけないけれども
それでもおもしろいなーとおもう。
またなにか、おもしろいものができたと思ったら
この先生に報告しようと思う。
ても「つまらないな…」ってつぶやかれたら 自分がそうとう凹むんだろうと思われるので
そうとうの自信作しか先生には見せないことにする。
タスマニアでなにか、この美術の先生を「おもしろいなー」とにやっと笑わせる様なことが
できたらいいなー
本を
たくさん
頭の中に
あるばむを
一冊
胸の中に
ときちゃんが、本をくれました。
谷川俊太郎さんの詩集です。
「にほん語を、持っていってね」て
なかなか小粋なことを言うじゃぁありませんか
もう、ときださんたら。。
それから、あるばむを一冊。
大学時代、卒業してから、
いろんなシーンの思い出の、写真たち。
パラパラパラパラ
ページをめくる
写真の隣に添えられたひとこと
泣きたいときは→P102
さみしいときに→P92
不安なときは→P42
うれしいときは→P46
しあわせなときに→P114
こんなときにはこの詩を読んでね
こんなときにはこっちの詩だよ
こんなときあんなとき
ときちゃんったら!!!
わたしたぶん、
どんなときでも。どの詩を読んでも
ときちゃんのことおもいだすよ!
海を越えての南半球
友達も知り合いもいない新たな土地に
わたしはひとりぼっちで出かけるわけなんだけども
本を
たくさん
頭の中に
あるばむを
一冊
胸の中に
わたしは すてきなひとりぼっち
まちのパン屋さん
まちの魚屋さん
まちの八百屋さん
まちのとこやさん
まちの薬屋さん
まちのお医者さん
モーニングの時間には人がぎゅうぎゅうに集まる まちの喫茶店
部活帰りの小腹を空かせた高校生がたむろしてる まちのコロッケやさん
ちょっとお洒落気分を味わいたい女の子が集まる まちのベーカリーにカフェ
空いた時間ができたのならつい立ち寄ってしまう まちの本屋さん
大学生デビューを目論む純朴な男の子が慕い集う まちの古着屋さん
それらと同じように まちのデザイン屋さん があってもいいと思う。
もっと身近に、デザインの相談にのってくれる、まちのデザイン屋さん。
いいと思う。あってもいい。あったらいい。
デザインというのは、問題解決のための一つの手段
ということができると思う。私の個人的な解釈だけども。
「もの」「こと」に、なんらかの「かたち」を与えることで、「よい結果」をもたらす
それが、デザインという方法だと思う。
お医者さん(薬剤師さん?)が、患者さんを元気にするための「薬」を処方するように
デザイナーさんは、あなたを元気にするための「かたち」を処方する。
グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、ウェブデザイン
エディトリアルデザイン、ランドスケープデザイン、建築のデザイン
種類は色々あれど、根っこは同じ。
その時々で最適な方法を選べばいと思うの。
(どの治療法が最適なのかアドバイスしてくれる人が必要ね…)
ちょっと困ったときに、ちょっと気になったときに
どんな治療法、デザインが最適なのかアドバイスしてくれる人、と、
実際に治療を行うことのできる、腕のいいお医者さん、つまりデザイナーさんが
すごく身近にあるまちって、たぶんきっと元気なまちになる。
そして私は、そういうタイプのデザイナーさんのことが、とっても好きです。
「まちのデザイン屋さん」の対極にあるのは「カッコイイデザイナー」かしら
「俺、デザイナーなんだぜ」って感じで
イイスーツ着て、イイ車にのって颯爽と現れ、現地現場あるいは人を、ちらと一瞥して…
て人を、否定するつもりはなくて、ただ、相性の問題。
わたしは「まちのデザイン屋さん」が好きだし、話していて心地よいし
豊橋というまちに合っているのも「まちのデザイン屋さん」だと思う。
そんな「まちのデザイン屋さん」が豊橋に生れました。
あ。「まちのデザイン工房」らしいです。
「町並みを整備するとか、法律を変えるとか
そういうデカイことをドカンおこなうんじゃなくても
もっと、小さな、些細なところから、
デザインの力で町は変えられる。」
って本気で信じている、熱くて、人情味あふれるおにぃさんです。
私がとても尊敬し、ほんとうに慕っているデザイナーさんです。
大学を卒業してフリーターに身を窶した、何もできないくせに生意気な私を
拾い上げて、育ててくれた、実に面倒見の良い方であります。
涙もろくて、毒舌で、厳しいのに、あったかい人です。
そんな、素敵なおにぃさんが独立をして、デザイン工房を立ち上げて一ヶ月。
ウェブサイトが整ってきたみたいだから紹介します。
よかったらちょっと、見てみてください。
まちのデザイン工房「siphon- graphica(サイフォンぐらふぃか)」 http://siphon-graphica.net/

オバマ候補が次期アメリカ大統領に決まった。
アメリカは変わるんだろな。なんか大っきい風が吹いとる。
歴史の動いた日
私は高校山岳部の友人Sと
お互い変わらんねーーーと言いながら 一日山籠り。
高校生の頃、毎月一度(一泊二日)の山登り、以外にもSとは
沢登りや岩登り、桜や梅に石楠花のお花見、あとは短い映画づくり(!?)にと
足繁に通い詰めた、懐かしい、私たちの庭、奥三河へ。
大好きな乳岩峡、鬼岩、明神山へ。
でっかい鬼岩を見上げながら、パンをもぐもぐ。
ものすっごいオーバーハングしとる岩肌の隙間にいると
どっちが上でどこが水平なのか、よく分からんくなる。
16歳だった私たちが初めて鬼岩を訪ねてから、もう…8年、
Sは看護師になりきちんと自立した大人の女になり
私は、まー相変わらずふわふわしとるけどとりあえず24になった。
誰がアメリカ大統領に選ばれようと、時代がどんなに変わろうとも、
岩は、変わらない。ずっとそこにある。
いったい何時から此処にこうして佇んでいるんだろう。
ごはん食べつつ、変わるもの変わらないものについてアレコレ話していたら
シゲシゲと岩を見上げていた30歳半ばくらいの男の人に声をかけられた
「岩、登るんですか?」と。
聞けばその人、ここ10年のブランクを経てのカムバック。
昔はよく鬼岩に登っていたのだそうだ。
もう一度はじめたいと思い、
とりあえずクライミングシューズだけ持って様子見にきたのだそう。
だれか登ってる人いるだろうから、混ぜてもらって、一緒に登ろうかなと。
来たら、誰も登ってないじゃないかと。
あはは。一緒だー。
クライミングシューズはとりあえず持っとるけど。
私も友人も、ここにくると必ず誰かが登っているハズと、信じ込んできていたので
(事実私たちがここに来ると必ず誰かが岩にへばりついていた)
誰もいないことに、ひどくガッカリしていたところだった。
で、とりあえず、ご飯を食べていたのだ。
そのおにぃさん、自分がどこをどう登っていたか、思い出せないなーと
ぽそっと呟きながら岩を眺めてた。
おにぃさんの10年前、つまり今の私たちの年。
10年後、私達がどうなってるかさっぱり予想できんけど
鬼岩はあいかわらずここにあるんだろうな。
「無理は禁物。岩を見ただけで、元気になれたから良し。また出直そう。」
と帰るおにぃさんに別れを告げて、
私たちは、とろとろ少しだけトレッキングすることにした。
明神山は標高にするとたったの1000mちょいだけど、
とっても険しいの。
「胸突き八丁」なんて、いかにもな名前の急な登りがあって、
でっかい馬の背岩とか、鎖場もあって、楽しいの。
楽しいの。
楽し…し…しんどいね。
怠けた体にはキツカッタ。
10年後にまたここを訪ねたとしたら、
岩も山も変わらなくとも、
自分の体力は変わってるんだろう。
変わらないでいるって、大変なことだな…と、
今更ながらにQUATROの先輩の言葉を思い出していた。