幻庵を訪ねたのは一年ほど前。
しとしと雨降る森の中ですごした幻のような時間。
「初めてここに来る人にはやさしいの。二回目以降来る人には意地悪だからね」
目の奥をキラリと鋭く光らせながら、そう言ったご主人の訃報を聞いたのは秋のこと。
再訪の夢は叶わなかった。
そして昨日
奇しくも あの日と同じ雨空の下
幻庵の原点となるコルゲートパイプの家を訪ねた。
川合健二邸
豊橋市内 自宅から車で30分ほど走った
森に抱かれたその家には
今はなき健二さんの面影を多分に残しつつ
花子さんが一人で暮らしている。
住むというより棲んでいるといった方がしっくりくる。
ぎょっとする外観
強い存在感と、漂う毒々しさ
と
薫る新緑に咲き乱れる草花
コテコテ人工的なコルゲートパイプの家は
何故だか森がよく似合う。
中に通され
花子さんの旅行のお土産のお菓子を頂きながら
お茶を飲む。
川合邸の強烈な第一印象とは対照的に
ゆるりとくつろげる落ち着く家の中。
幻庵は別荘として、日常とはかけ離れた時が流れているが
ここは生活の場だ。
顔をくしゃっとさせてたのしそうに笑う花子さんの
さまざまな物事を自然にうけいれてきた
その人となりが、
この居心地の良い雰囲気をつくり出しているのかもしれない。
それにしても、
90歳を目前にしているとは思えないほど
頭の回転がはやく、鋭く、テンポのよい花子さんに驚かされる。
健二さんの話、この家の構造、工法、エネルギーと自然の話、生き方の話、コルゲートパイプを通して繋がってゆく人の話、幻庵のご主人と奥さんの話、…。
ぽんぽん繰り出される話と、
こちらの言う事に対してのすばやい切りかえし。
飽きない。
そしてほんとによく笑う。
そしてやっぱり、笑うその目の奥がときどき鋭く光る。
幻庵のご主人を思い出す。
最後に、この家の未来について聞いてみる。
失礼かとも思うのだけれど、
自分のなき後の幻案の行く先を語っていた
幻庵のご主人を思い出すと、聞かずにはいられない。
「ずっとこの家をこのまま残しておこうなんて考えてないよ。
だってモノだから、いつか壊れていくものだから。伊勢神宮じゃあるまいし」
と花子さんは笑う。
そして、鋭い目つきに変わった花子さんは、こう付け足した。
「カタチをこのまま残しておきたいとは思わない。ただ、こんなモノを建てて、こんな生き方をした人がいたんだ ということを残すことで、後の人になにか伝えられたらいいなと そんな風には思ってる」
この家も、幻庵も、
考え方、生き方 のあらわれであるように感じる。
コルゲートパイプの家の魅力は
そこに棲む人、つかう人自体の魅力と切り離して考えることは出来ない。
コルゲートパイプの家は、単なる素材や構造、形態だけでは語れない、思想の家だ。
気が付くと、ずいぶん長いこと時間が経っていた。
「今日は楽しかったわ」
と花子さんは笑い
「次はみかんの時期においでんね」
と言った。
花子さんに別れをつげ川合邸を後にする。
ワーゲン
ポルシェ
ベンツのトラック
庭先に、綺麗に錆びて、朽ちかけている車が並ぶ。
しっとり雨にぬれたその姿は美しい。
朽ちかけた白いポルシェの周りには
白い花が咲いていた。
雨の日は色が鮮やかでこまる。
まぶたに焼きついた その光景がいつまでも離れない。
花子さんのみかん畑が豊かに実る頃、また訪れようと思った。
私の家の柿畑に実るはずの柿をもいで、を手土産に持っていこうかな。
Sketches by images and words; Japanese and English. Japanese girl who now lives in Tasmania note her life and thought. /絵と言葉によるスケッチ。タスマニアに住む日本人が、日本語と英語、それからイラストでかきとめます。
20070507
20061013
直感の無い概念
直感の無い概念は、空虚であり
概念の無い直感は、盲目である
カント
10月9日。金沢21世紀美術館。
artificial heart
川崎和男展−いのち・きもち・かたち
記念リサイタル・フーガにて川崎先生が引用したカントの言葉は私の胸にざっくり突き刺さったまま。
今まで私がつくってきた実習課題、全てがただの概念に過ぎない、気がしている。しかもかなりおおざっぱな。どれひとつとして「直感」のはたらいたものってない気がする。
直感の無い概念は、空虚
…イタイ。
感性的かつ感覚的先手
なんて言われちゃうと不安になる。感性?感覚?そんなもの、果たして私の中にあるのか?もしあるんだったら、眠ってないで顔出してほしい。鍛えればなんとかなるもんだったら鍛えたい。でもどうやって??
こんな私が自分に自信を持つだなんて、ひどく困難な話。
美しいものと生きれば
美しく死んでいく
そう言う川崎先生の心にある忘れられない風景として、画面いっぱいに映し出されたのは剣岳。雄雄しく、しかし少し神経質そうな剣岳の美しいこと。そこにふく風と、いっぱい折り重なった圧倒的な空気感(うまく説明できないけど、山をやる人になら伝わるハズ?)を想像して、うっとりする。
そして、これを美しいと思える自分に少し安心する。美しいもののひとつとして、剣岳をもってきた先生にこっそり感謝。すこし救われました。
白山のブナ林
ブナ林におかれた結界の話だったのだけれど、川崎先生の口から「ブナ林」という単語が出てくるなんて予想だにしていなかったからおどろいた。
ブナ林への想いは日に日に募るばかりの私です。「ブナ林」と聞いただけで、脳内トリップ、ブナ林をあるくことができる。ほんとにひどい妄想癖。しばらくうっとりしていられる。
さて。話は変わって。
心の底からうっとりする
突き上げるような感動を伴った美しさ
そんな美の経験、私の場合、実はほとんどが自然から受けたものだ。
山の急斜面でソヨゴが一斉に風にたなびくそのとき、葉の表面のこまかい産毛(?)が、太陽の光を受けてきらきらと光っていた。
屋久島の60度近くあるんじゃないかってくらいの急登を終えてたどり着いた太鼓岩からの、あの景色。深い、でかい渓谷から吹き上げ吹きつける風。あの量感。川。谷。山。海。空。
雲と山の頂に残る雪の白さと、旋回する鳥の軌跡…。忘れられない。
小笠原諸島、父島はダイビングスポットを数多く持ち合わせているが、その中で私が何度も通いつめた製氷海岸。
一面のエダサンゴの群生。息が詰まるほど美しい海底世界。(実際に息がつまっていたんだけど…)
ノコギリダイとユウゼンの泳ぐその海の、抱えきれないブルーと、厳しく美しい世界。
なんて、思い出したらきりが無い。
気を緩めたら、涙があふれそうになるくらい
突き上げてくる美しさと感動
を くれる、そんな地球(景色、生き物…自然?)がほんとにほんとに大好き。
愛しい。
ところで。何の話かというと、私の卒業制作の話にまとまるのね。
私の卒業制作は、私の、大好きな、愛しくてたまらないものたちに捧げたい。
私の愛情あふれるものとなる予定なのです。
ちゃんとつくりきりたい。
でも、自信ない。
私に足りない、感性。
どうやって補えばいいんだろ??
感覚。直感。
鍛えればなんとかなる?
直感の無い概念は、空虚であり
概念の無い直感は、盲目である
では、直感を得た概念は?
私が直感を得たら?
何ができる?
どうなる?
私の卒業制作。
思いつき
思い込み
思いやり
今はまだまだ、思いつきの域を抜け出せない。
最後は 思いやり で仕上げる。
対象が、大好きな愛しいものたちだもの、いっぱいいっぱい思いやることができるよ。きっと。
ただそのまえに。
これから 思い込む 段階。
概念の無い直感は、盲目である
カント
10月9日。金沢21世紀美術館。
artificial heart
川崎和男展−いのち・きもち・かたち
記念リサイタル・フーガにて川崎先生が引用したカントの言葉は私の胸にざっくり突き刺さったまま。
今まで私がつくってきた実習課題、全てがただの概念に過ぎない、気がしている。しかもかなりおおざっぱな。どれひとつとして「直感」のはたらいたものってない気がする。
直感の無い概念は、空虚
…イタイ。
感性的かつ感覚的先手
なんて言われちゃうと不安になる。感性?感覚?そんなもの、果たして私の中にあるのか?もしあるんだったら、眠ってないで顔出してほしい。鍛えればなんとかなるもんだったら鍛えたい。でもどうやって??
こんな私が自分に自信を持つだなんて、ひどく困難な話。
美しいものと生きれば
美しく死んでいく
そう言う川崎先生の心にある忘れられない風景として、画面いっぱいに映し出されたのは剣岳。雄雄しく、しかし少し神経質そうな剣岳の美しいこと。そこにふく風と、いっぱい折り重なった圧倒的な空気感(うまく説明できないけど、山をやる人になら伝わるハズ?)を想像して、うっとりする。
そして、これを美しいと思える自分に少し安心する。美しいもののひとつとして、剣岳をもってきた先生にこっそり感謝。すこし救われました。
白山のブナ林
ブナ林におかれた結界の話だったのだけれど、川崎先生の口から「ブナ林」という単語が出てくるなんて予想だにしていなかったからおどろいた。
ブナ林への想いは日に日に募るばかりの私です。「ブナ林」と聞いただけで、脳内トリップ、ブナ林をあるくことができる。ほんとにひどい妄想癖。しばらくうっとりしていられる。
さて。話は変わって。
心の底からうっとりする
突き上げるような感動を伴った美しさ
そんな美の経験、私の場合、実はほとんどが自然から受けたものだ。
山の急斜面でソヨゴが一斉に風にたなびくそのとき、葉の表面のこまかい産毛(?)が、太陽の光を受けてきらきらと光っていた。
屋久島の60度近くあるんじゃないかってくらいの急登を終えてたどり着いた太鼓岩からの、あの景色。深い、でかい渓谷から吹き上げ吹きつける風。あの量感。川。谷。山。海。空。
雲と山の頂に残る雪の白さと、旋回する鳥の軌跡…。忘れられない。
小笠原諸島、父島はダイビングスポットを数多く持ち合わせているが、その中で私が何度も通いつめた製氷海岸。
一面のエダサンゴの群生。息が詰まるほど美しい海底世界。(実際に息がつまっていたんだけど…)
ノコギリダイとユウゼンの泳ぐその海の、抱えきれないブルーと、厳しく美しい世界。
なんて、思い出したらきりが無い。
気を緩めたら、涙があふれそうになるくらい
突き上げてくる美しさと感動
を くれる、そんな地球(景色、生き物…自然?)がほんとにほんとに大好き。
愛しい。
ところで。何の話かというと、私の卒業制作の話にまとまるのね。
私の卒業制作は、私の、大好きな、愛しくてたまらないものたちに捧げたい。
私の愛情あふれるものとなる予定なのです。
ちゃんとつくりきりたい。
でも、自信ない。
私に足りない、感性。
どうやって補えばいいんだろ??
感覚。直感。
鍛えればなんとかなる?
直感の無い概念は、空虚であり
概念の無い直感は、盲目である
では、直感を得た概念は?
私が直感を得たら?
何ができる?
どうなる?
私の卒業制作。
思いつき
思い込み
思いやり
今はまだまだ、思いつきの域を抜け出せない。
最後は 思いやり で仕上げる。
対象が、大好きな愛しいものたちだもの、いっぱいいっぱい思いやることができるよ。きっと。
ただそのまえに。
これから 思い込む 段階。
20060910
海を歩いて渡る
島唄よ風にのり 鳥とともに 海を渡れ ♪
鼻歌フンフン歌いながら、海を渡ってまいりました。
歩いて!!
終わりゆく夏を惜しむ旅
企画:真子
出演:友人K、真子
コンセプト:「島でおにぎりを食べよう」
その時ちょうど引き潮で、
海は浅く、底が見え、きらきら光っていた。
「これ、このまま歩いて島まで渡れちゃうんじゃない?」
「え?あの辺深そうじゃない?…でも、行けるかも?」
まぁ、途中深くて無理そうだったら引き返せばいいし、
なにも満ち潮ったってそんな急にどどって押し寄せてくるわけでもなし。
ぴちゃぴちゃ足音たてて 気ままに進む。
海を歩く。
海を歩いて渡る。
なんだかシュールで きれいで 楽しい。
みなもはきらきら輝く。波のバックグラウンドミュージックに、足音と鼻歌がまじる。空がでかい。ねっとり湿気を含んでいるくせに気持ちいい風。
渡れちゃいましたよ?
ね?
何事も、やってみるもんです。んふふ♪
島は小さく、歩いて30分程度で一周できるという。島まで来てわざわざ時計出す気にもなれないから、確かめてはないですが。
山にしろ、川にしろ、海にしろ、大自然を目の前にしたとき、または包まれたとき そこにながれるこの独特の時間の流れが好きだ。ゆったりとした、でも 遅くもなく、すごく心地良い時間。とても贅沢な時間。
持ち物は、おにぎりとお茶。
そこにあるのは、島と海と風と隣にいる友人。
おにぎり食べて、話して…。
何をするというでもなく、ゆったりとすごす。
風を感じ
太陽の動いていくのを感じ
潮が満ち島の地形が変わるのを眺め
それに従い、波の音、波のリズムが変わることにおどろき
ちっぽけな島でたっぷり一日(半日)
海の潮気と太陽のひかりで、私の肌も髪もさらに傷んでしまったけれど
すごく満たされた。おなか一杯大満足の一日だった。

20060519
ブナの林に雨降るとき
今日は雨。
芸工棟三階、アーバンの窓から見えるもの。工場(工房)、研究棟、その間にある木、名工大のグラウンド。
そして私の瞼にうかぶもの。まだ見ぬ、雨のぶな林。
四日前、長野県飯山市なべくら高原にあるブナ林を歩いた。その日は晴れだった。
ぶあつく残る雪の上を案内してくれたのは、林や森が大好きな人。たぶん私の1コか2コ上(4コ上ってことはないだろう…、ただの勘だけど) の彼はすごく楽しそうに歩き、語る。一緒に歩くととっても楽しい。
うさぎが食べた跡だよ。
これはリスが食べた跡。
ブナの木の根元だけ雪がまるく溶け落ちている。これを根空きと呼ぶらしい。春のしるし。
雪が残っているのに、確かにそこには春がきている。
眩しく芽吹く若葉と根空き。
草や薮は雪の下に隠れていて、低い木もなく、枝は高い位置にあるためだろうか、林の中はすっきりとした空間がひろがっている。雪のひんやりとした空気と、木漏れ日がきもちいい。
ブナ林は爽やかだ。
ほんとにきもちがいい。
そう言う私に、Sさんはこう返した。
「晴れの日の爽やかな林もいいけど、僕は雨の日の方が好きだな。幻想的で。ほら、幹に上から下までずっと跡がついているの見える?あれは水が流れた跡。
ブナの木って、枝が上に広がったカタチをしているから。雨が降ったとき、なるべく雨を下にこぼさないように、広がった枝と葉っぱが雨を受け止めるんだ。その受け止めた雨を集めて、幹に流す。滝のように。
だから、雨のブナ林に入ると、全然濡れないんだ。部屋の中にいるみたいに。そして幹のうえを水が滝のように流れているんだよ。
なんていうか、すごく…すごく不思議なかんじだよ。すごく、いい。雨のブナ林は好きだなぁ。」
おおきな目をキラキラさせて、うっとり語ってくれた。
話を聞きながら、私の頭の中では、ブナ林に雨が降っていた。それはすごく神秘的な風景だった。
雨の日のブナ林。
私の小さな家を、雨のブナ林にたててみたいな。雨のブナ林にも、すっきり溶け込む、家にしなきゃな。下手なもの、つくれないや。
とか、こっそり想像を膨らませながら。
今日の名古屋は雨。
あのブナ林には今、雨が降っているのだろうか?
20060316
大地を刻んだ男
イサム・ノグチ
最期の大作。モエレ沼公園に行ってきました。
圧倒的なパワーを見せつけるそのフォルムを、カメラに納めようとしたけどできなかった。
「葛飾さん。あなただったら、どこから、どんな風にコレを納めますか?」
イサム・ノグチの巨大な彫刻を前に葛飾北斎のすごさを思い知ることになろうとは。
イサム・ノグチ。子供のためにつくった公園っていうけれど。
でも、これはやっぱり「彫刻」 だよな。って。
「彫刻家の枠を超え、彼はアーキテクトにそしてランドスケープデザイナーに…」って 解説した文があったけど。いやいや、彼はやっぱり彫刻家だよ。デザイナーではなくて、アーティストだよ。うまく言えないけど。
子供の遊び場 だったら、タカノさん(私がオープンデスクにいっていたところ)の方が好きだなぁ。
とか、そんなことをおもいつつ。いつものモンゴルブーツを酷使して雪の上を歩き回ったわけです。
出発前に、先生に「このブーツじゃ駄目ですね。底が皮じゃないか。雪上なんてあるいたらはがれてきますよ。」って言われてたこのブーツ、今んとこ平気ですよー。(つるっつるっにすべるけどね。)
最期の大作。モエレ沼公園に行ってきました。
圧倒的なパワーを見せつけるそのフォルムを、カメラに納めようとしたけどできなかった。
「葛飾さん。あなただったら、どこから、どんな風にコレを納めますか?」
イサム・ノグチの巨大な彫刻を前に葛飾北斎のすごさを思い知ることになろうとは。
イサム・ノグチ。子供のためにつくった公園っていうけれど。
でも、これはやっぱり「彫刻」 だよな。って。
「彫刻家の枠を超え、彼はアーキテクトにそしてランドスケープデザイナーに…」って 解説した文があったけど。いやいや、彼はやっぱり彫刻家だよ。デザイナーではなくて、アーティストだよ。うまく言えないけど。
子供の遊び場 だったら、タカノさん(私がオープンデスクにいっていたところ)の方が好きだなぁ。
とか、そんなことをおもいつつ。いつものモンゴルブーツを酷使して雪の上を歩き回ったわけです。
出発前に、先生に「このブーツじゃ駄目ですね。底が皮じゃないか。雪上なんてあるいたらはがれてきますよ。」って言われてたこのブーツ、今んとこ平気ですよー。(つるっつるっにすべるけどね。)
20050505
test
ぶどうゼリーの建築模型=Architectural model made from grape jelly.
Grape jelly model of architecture.=建築のぶどうゼリー模型
そのまま訳そうとするとなんだかしっくりこない。
言葉って難しい。
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