直感の無い概念は、空虚であり
概念の無い直感は、盲目である
カント
10月9日。金沢21世紀美術館。
artificial heart
川崎和男展−いのち・きもち・かたち
記念リサイタル・フーガにて川崎先生が引用したカントの言葉は私の胸にざっくり突き刺さったまま。
今まで私がつくってきた実習課題、全てがただの概念に過ぎない、気がしている。しかもかなりおおざっぱな。どれひとつとして「直感」のはたらいたものってない気がする。
直感の無い概念は、空虚
…イタイ。
感性的かつ感覚的先手
なんて言われちゃうと不安になる。感性?感覚?そんなもの、果たして私の中にあるのか?もしあるんだったら、眠ってないで顔出してほしい。鍛えればなんとかなるもんだったら鍛えたい。でもどうやって??
こんな私が自分に自信を持つだなんて、ひどく困難な話。
美しいものと生きれば
美しく死んでいく
そう言う川崎先生の心にある忘れられない風景として、画面いっぱいに映し出されたのは剣岳。雄雄しく、しかし少し神経質そうな剣岳の美しいこと。そこにふく風と、いっぱい折り重なった圧倒的な空気感(うまく説明できないけど、山をやる人になら伝わるハズ?)を想像して、うっとりする。
そして、これを美しいと思える自分に少し安心する。美しいもののひとつとして、剣岳をもってきた先生にこっそり感謝。すこし救われました。
白山のブナ林
ブナ林におかれた結界の話だったのだけれど、川崎先生の口から「ブナ林」という単語が出てくるなんて予想だにしていなかったからおどろいた。
ブナ林への想いは日に日に募るばかりの私です。「ブナ林」と聞いただけで、脳内トリップ、ブナ林をあるくことができる。ほんとにひどい妄想癖。しばらくうっとりしていられる。
さて。話は変わって。
心の底からうっとりする
突き上げるような感動を伴った美しさ
そんな美の経験、私の場合、実はほとんどが自然から受けたものだ。
山の急斜面でソヨゴが一斉に風にたなびくそのとき、葉の表面のこまかい産毛(?)が、太陽の光を受けてきらきらと光っていた。
屋久島の60度近くあるんじゃないかってくらいの急登を終えてたどり着いた太鼓岩からの、あの景色。深い、でかい渓谷から吹き上げ吹きつける風。あの量感。川。谷。山。海。空。
雲と山の頂に残る雪の白さと、旋回する鳥の軌跡…。忘れられない。
小笠原諸島、父島はダイビングスポットを数多く持ち合わせているが、その中で私が何度も通いつめた製氷海岸。
一面のエダサンゴの群生。息が詰まるほど美しい海底世界。(実際に息がつまっていたんだけど…)
ノコギリダイとユウゼンの泳ぐその海の、抱えきれないブルーと、厳しく美しい世界。
なんて、思い出したらきりが無い。
気を緩めたら、涙があふれそうになるくらい
突き上げてくる美しさと感動
を くれる、そんな地球(景色、生き物…自然?)がほんとにほんとに大好き。
愛しい。
ところで。何の話かというと、私の卒業制作の話にまとまるのね。
私の卒業制作は、私の、大好きな、愛しくてたまらないものたちに捧げたい。
私の愛情あふれるものとなる予定なのです。
ちゃんとつくりきりたい。
でも、自信ない。
私に足りない、感性。
どうやって補えばいいんだろ??
感覚。直感。
鍛えればなんとかなる?
直感の無い概念は、空虚であり
概念の無い直感は、盲目である
では、直感を得た概念は?
私が直感を得たら?
何ができる?
どうなる?
私の卒業制作。
思いつき
思い込み
思いやり
今はまだまだ、思いつきの域を抜け出せない。
最後は 思いやり で仕上げる。
対象が、大好きな愛しいものたちだもの、いっぱいいっぱい思いやることができるよ。きっと。
ただそのまえに。
これから 思い込む 段階。
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