20220117

’last post' for a while.



私たちのところへやって来た小さな人、かわいい赤ちゃん!についての投稿は、これを最後に、しばらく筆を折ります。18年後くらいに、本人から許可がおりたら、次の投稿があるかもしれません。

18年後といわず、もしかしたら、30年後くらいになるかもしれませんね。もしいつか「新生児との日々」を綴ったエッセイを出版することになったら(すると私、とうに還暦をすぎてることになりますね‥うまく想像できない!)その時はぜひ、「
あぁ子どもとの関係うまくいってるんだなって」温かい目で読んで下さいね。
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This could be a last post about our baby for a while. I will not share photos, name, character and personality of our child on the internet and any other public media where anybody can see. The following story might be uploaded, Only if our child allows me to share when the child grew up enough 18 years later. Perhaps, I may publish a collection of essays on newborn parenting 30 years later, then you will know my baby let me to write.

I would love to talk and share about our baby’s stories with my family and friends in personal, but not on the post. I like to hear from you as an “experienced patenter”, about the worries and joys of parenting. It is encouraging.
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不特定多数の誰もが見られるオンライン上、SNS、新聞や雑誌含む媒体などに、自分の子どもの「個人が特定できる状態で、性格やそのほか個性について言及しない」。

というルールを自分に課したのは妊娠するよりも、もっとずっと前のことです。
決めていたはずなのに…いざ、赤ちゃんを目の前にすると、あまりの可愛らしさに、姿や仕草を世界中に見せびらかしたい欲求がむくむく湧いて来て、葛藤してます。

自分の欲求の塊に楔を打つためにも、今回、「宣言」を投稿することに決めました。
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子育ての話をしたくないわけではないのです、ただ「オンライン上の誰でも見えるところではしない」というだけです。子育て経験者の方の体験談を聞けるのはすごくありがたいことですし、同じような状況の人と大変さや喜びを分かち合うことができるのは、嬉しいことです。

そして…近しい人(家族や友人)には、「うちのこ可愛いんだけどどうしよう!」って親バカ話を聞いてもらえると嬉しいです。(うっとおしがられない程度に抑えるようにしなくちゃ…。)
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親になるよりもずっと前に、自分がまだ子どもであった時のきもちを忘れないうちに、「自分が親になった時に、してはいけないこと」を色々考えていました。基準は…小さな時の私がめちゃくちゃに怒るだろうこと。親子関係に修復が難しいくらいの亀裂が入ってしまいそうなことはしない、と決めました。
(私の怒るポイントいっぱいあるので大変!)

自分がけっこう…わりと小さな頃から自分の意見をきっぱり持って、頑固で、意思が強い感じなので…もし私に似た感じの子だったら、こりゃぁたいへんなことだなぁ。と想像します。(私の両親はよくこんな私を投げ出さず育ててくれたもんです、と今更ながら思っているところです。苦労かけました。)さて、私たちはどうなることやら、ちょっとキンチョウしてます。

自分がいやだと思うことはしないっていうシンプルなルール。でもどんなに想像して準備しても、実際は自分とこの子は違う人で、違う価値観を持つことになるでしょう…から、そう簡単にはいかないでしょうね。この子は何を好み、何をいやだと思うのかしら。よく聴いて、話し合いながら都度考えていくのだろうなぁ。いっぱい親子げんかするのかなぁ…どきどき。

親子げんかできるくらい大きく、無事に健康に成長してくれますように…!

いつだって、ひとりの人間として尊重し、敬意を持って接したいと思っておりますよ。

写真は泣きはじめの顔のスケッチ。ぴっちり閉じた目の真ん中あたりに、ぷくーーっと球がふくらむような涙。あぁ、泣いてるのに可愛い‥!
It's a sketch of a baby face that started crying. I can see tears like a bulging ball, around the center of the tightly closed eyes.




*余談

妊娠出産報告をして以来「話ができる仲間が増えた!」と感じてます。心強いことです。

(フリーランスの絵描きの悲喜こもごもの話が通じる人が少ないことに比べると、子そだて経験者の数は絶対的に多いですね。)


赤ちゃんと一緒に歩いているだけで、声をかけてくれる年配の女性もいて、なんだかあたたかい気持ちになります。タスマニア大学院時代の友人たちとも再びつながることができ、海の向こうの各国での子育て事情の話が聴けるのも楽しいことです。自分よりずいぶん年下の、だけど親業では先輩の子からは、日本での子育てと仕事の両立についての現実的なお話しをききました。参考になります。

年齢や国を超えてフラットに話すことができる共通の話題なんですねぇ、子育てって。


「親になったもの同士、知恵を出し合い、力を合わせこどもを育てていこう!」というこの感じ、いいものですね。平和!

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Since I tolled that my pregnancy and childbirth, I feel that "the number of friends to talk has increased!" It is encouraging. Parenting seems like a common topic that we can talk regardless of age or country.

(Compared to that there are few people who talks about the sadness and joy of sketch journalist / solo painter, the number of people who have experience with child-rearing is absolutely large.)


I talked to the women who are about 10 years younger than me, but she's already raising children. It is very useful to hear about the current state of the childrearing environment and working conditions in Japan.

It’s fun to reconnect with friends from University of Tasmania and listen to stories about parenting.


Even an elderly lady who walked passed, talked to me and baby. " Hi. What a beautiful baby! does your baby sleeping well? joust few more months to go. Then, you will be able to sleep enough. good luck." It made me feel warm.


It's like, "Now, let's share our wisdom and work together to raise small children." very nice. Very peaceful.



20220110

2021年に読んだ本記録 Books I have read in 2021

 49冊
2021年は例年の半分以下(昨年の1/4)の読書量です。体力/体調的な問題ですね。冊数は少ないですが、とても良い本に出会えました。購入した本は例年よりも多いかもしれません。(図書館などでかりて読んだあと、気に入ったものを購入します。)


共に生きるということ be humane (100年インタビュー)

未来の授業 SDGsライフキャリアBOOK

八ヶ岳の野鳥に逢いにきました。

「作家」と「魔女」の集まっちゃった思い出

聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017

目でみる妊娠と出産 (Visual series)

日めくりマタニティブック

日本の藍 ジャパン・ブルー Japan Blue

染め草の散歩道

緑のデザイン 住まいと引き立てあう設計手法

鬼は逃げる

「Yawn」ヨーン 町と旅を思い起こす文芸誌 雲の上のスープ

商標登録の実務がよくわかる本 (こんな実務書がほしかった!Series)

パリの有名レストランを巡って辿りついた、私の星付きビストロレシピ

人生の基盤は妊娠中から3歳までに決まる: 人生でいちばん大切な3歳までの育て方

親と子のアドラー心理学

46歳で父になった社会学者

イタリアでのこと 旅で出会った、マンマとヴィーノとパッシオーネ

最後の昼餐


ほか

20220101

Welcome.

10ヶ月、おなかの中で育ってきた赤ちゃんが、外の世界へと出て来てくれました。

Please join us to welcome our baby. I wish I could travel around with my baby to introduce to my old friends instead of greeting on facebook.


Adorable beautiful baby came out, after 10months of amazing maternity life! It was a wonderful and magnificent experience that could not be explained in words. Through the experience, I realized that human beings are also one of the animals/life -it might be sound strange to you-. Fell the soft and warm weight of a small person sleeping in my arms, and mutter “it's just amazing. It's wonderful."


すごいものですね。

腕の中でスースーと寝息を立てている小さな人の、柔らかく温かな重みを感じながら、「まったく不思議でならないけど、とにかくすごいことだなぁ。すばらしいことだなぁ。」と感動しています。

まったく、どう言葉にしたらいいのかうまく分からなくて歯がゆいんですけど…。人間も動物のひとつ、生き物だったんだわぁと思い知らされた気分です。


生命誕生の過程において、自分にははかり知れないことばかり。小さな細胞が分裂を繰り返し、さまざまな器官がつくられ一人の人間が作り出されてきたと…本で読み想像することはできますが、それ以外自分でできることって、あまりありません。例えば「今日は赤ちゃんの肺を完成させるぞ!」なんて決意し計画を立て自分で手を動かすわけじゃないんですよね。いつの間にかできあがってる。それがさも当然のことのようにおこっていて、なんだかすごいことだなぁって思うんです。

自分の身体も。自分のものでありながら自分のコントロール下になく、何らかの力によって組み変えられ続けてきた10ヶ月の妊娠生活。しまいには、一度身体が解体され、壊されたかのような分娩!(なかなか過酷な体験でした。)


生き物ってすごいなという感動と共に、現代の医療にも感謝しています。今こうして、ふにゃふにゃ寝ている赤ちゃんを眺めながら、呑気にSNS投稿文を書いていられることは、ほんとに奇跡的に幸せなこと。名古屋市立大学病院のみなさまありがとうございます。(ほんとは、海での水中出産に憧れがあった私ですが、今回大学病院で出産できて本当によかったと、心から思っています。)


余談ですが…陣痛がめっちゃくちゃ痛くてすごくツライ時に、むかし自分が描いた絵に再会しました。のびのびと泳ぐ魚の群れの絵。透き通るオレンジとブルー、陽気な色の魚たち。苦痛にゆがんだ瞼の隙間から絵を眺め、気持ちよい海の中を想像して陣痛の波の中を泳ぐようにして乗り越えました。むかし自分の描いた絵に勇気づけられた気分です。(「この絵私が描いたの!」と助産師さんに説明しようとしたんですが、あまりに痛すぎて「フーーーーッ!フーーーッ!」という息以外、何の言葉も口から出てこず。笑)

実は名古屋市立大学は実は私達夫婦の母校でして、産婦人科の先生2人お友達でした。すごく心強かったです。


不安要素の多い妊娠出産でしたが、ふたをあけてみれば、無事。要所要所で、まわりの人や環境に恵まれ、なんとも幸運な私たちです。今も、様々な人の温かい目に見守られています。ありがたいことです。


There wasn't much I could do. I can only imagine the process of the birth. I read that a small cells repeated division, and various organs were created, and it became one human being. Amazing! 

Also, My body was not under my control, and had changed 10months by some force/ whatever. Then, it was like “once my body was broken,  dismantled, and now it's being reassembled.” It was quite rough birth. 


I am impressed that How amazing life is! At the same time, I am also grateful for newest modern medical care provided by the university hospital. I am appreciate to Nagoya City University Hospital.


By the way, I got a bachelor's degree from Nagoya City University 14years ago. I was studying the medical environment and art. Inside the hospital, there is a mural that I drew when I was a student. I reunited with the mural painting when my labor was so painful. The picture shows the fish swimming freely and lively. The colors of the fish are orange and blue, hilarious and cheerful colors. I looked at the painting through the gap in my painfully distorted eyelids. The mural cheered me up. I tried to explain to the midwife, "I drew this picture!", but I couldn’t. It was so painful  so I couldn't say anything other than the breath “phoooooo phooooooo". Lol


Looking back, we are very fortunate to be blessed with the people and environment around us. Thanks.


There are many things I want to write, but I need to finish writing. As my baby is crying, I have to feed my baby. Thank you for reading my strange note….  

20210828

藍の生葉染 

 また、藍の生葉染をしました。いろんな色がでました。鮮やかな青の他、初めて見る「ペパーミントみたいなグリーン(チョコミントアイスクリームの色)」も。爽やかないい色。


夕方、たくさんの藍の生葉染をつるした洗濯物干し竿の向こう、薄暗くなった空に虹の柱がスクっと立ち上がりました。ワァーオ!キレイー!




キッチン・ダイアリーの1ページになりえる。藍の生葉染め。好きなとこは「口に入っても大丈夫」なところ。化学染料や絵の具は食べたらいけないけど、藍なら食べても問題ない。だから台所で作業できる。そこがすごく気に入っている。台所が好きなのだ。

藍は昔は薬草としても使われていたらしい。昔の書物…『本草和名』(918 年)では、解熱剤として藍実を紹介しているそう。へーえ…(最近知ったばかり)。




写真の藍は父母の家の庭に育った藍。めちゃくちゃ元気。茎は太く、葉っぱは大きく柔らかく青々としている。特に、生ゴミコンポストの隣で育った藍の見事なこと!うちツノハウスの庭の藍はもっとヒョロっとしてて、小さく固めの葉ちょっと黄色っぽい。同じ年の同じ種類の種からはじまったのに。土が違うからだろうな…。

土の具合とか天気とかで育ち具合も変わる、出る色も変わる。しごく当然なことなんだろうだけど、そういうとこもいい。大変好ましく思っている。

それは多分、CMYKの数値をいれて色をコントロールすることに普段慣れきっているからだと思う。小手先でコントロールできない色、その色の向こうに土や太陽の光が見えるから、気持ちいいんだろうな…。

うちの庭と、父母の庭と両方に植えさせてもらったから、藍の育ち方比べができた。大人の自由研究みたいで楽しい。ぼちぼち続けていこう




来年あたり、藍を食べることに挑戦してみてもいいかも。…発芽したばかりの新芽は刺身のツマや、うどんの薬味になるらしい。タデ酢というものを作ると、鮎料理合うそうだ。蓮根と合わせる料理もあるらしい。気になります…。



20210805

藍の生葉染 ワークショップ

 藍の生葉染めワークショップひらきました。プロダクトデザイナーの友人が、会社のお仲間を連れて来てくれました。お喋りで可愛いいお子さんも一緒です。 

さすがみなさんプロダクトデザイナーですね、いろんな素材が集まりました。はじめて目にする素材にわくわく。(私が用意した「染まりやすい布」の他に、各自で「染めてみたい素材」を持ってきてもらいました。)実験みたいな時間となりました。大変興味深かったです。 


「藍染め」と言われてパッとみなさんの頭に浮かぶのはきっと濃い紺色かと思います。それは「建染」と呼ばれているもの。対して今回私達が行ったのは淡く鮮やかな青を出す「生葉染」、産業としては確立されなかった手法ですが、各個人の家で楽しまれてきた歴史はずっと古そうです。平安時代には生葉染をしていたらしいとの記述あり、遡れば古墳時代になるとの説も?(「建染」の方は江戸時代に爆発的に日本中に広まったようです。) 「生葉染」はできる季節が限られており、さらに作業にスピードが必要とされること(収穫から染め終わりまでのスピード必要。染料のストックできない)、安定した色を出しづらいこと、などから産業/ビジネスには適さなかったみたいです。が、堅牢性(繊維の内部まで色が入り込み落ちにくい)では生葉染めに軍配が上がります。何より、うまくコントロールしきれなずどう出てくるかわらない鮮やかなこの青色が、なんとも魅力的で。すごく面白いと思ってるんですよ。藍の生葉染めは毎年夏に取り組み続けたいテーマです。 




長野に暮らしている頃出会った 「草木染友禅の林部さん 」のおかげで知った草木の世界。2015年からしばらく師匠のお手伝いをしながら横目で習った草木染めです。岐阜に引っ越し自宅で藍を育てるようになって三年目になります。 

朝ラジオ体操を終えてすぐに庭にでて、藍葉を収穫。

日当たりのいい畑と、日陰の畑で藍の育ち方も違うようで、葉の色艶かたちが違います。日が当たり過ぎるのも藍には酷なのかな。ちょっと黄色っぽい色の葉っぱになります。落ち葉の天然肥料豊かなフカフカな畑で育った葉は青々と柔らか。かたい土の畑で育った葉っぱはかたいですね。

師匠の制作方法に憧れました。「熊笹」というひとつの植物を使うのですが、「育った場所が違う熊笹」から取り出した「ニュアンスの違う緑色」を使って布の上の絵を描いていたんです。師匠かっけぇとなった瞬間でしたね。北側斜面の熊笹と南側斜面の熊笹と、沢に近めの熊笹と、標高高めの地点の熊笹と。色の名前に地形の要素が入るなんて、なんてロマンチック!

っていうのをいつか私も…。





今回は小学五年生の助手とともに、プロダクトデザイナーさまご一行をお出迎えしました。 藍の生葉染めワークショップ at すごろくオフィス(大建met)。港からやってきたコンテナが積みがった建物が今回の会場でした。場所を貸してくれたmetさんありがとうございました。



20210630

いつか親になった時の為のメモ  自戒(過去の自分からの厳しい言葉)

 *いつか自分が親となり、子育ての忙しさやプレッシャーでいっぱいいっぱいになった時は、「自分にとって優しい言葉/甘い言葉」しか耳に入らなくなる時がくるかもしれません。そんな時でも、「過去の自分からの言葉」だったらどんなに厳しくても無視するわけにはいかないでしょう。たぶん。これは、未来の自分のためのメモです。


メッセージ

「あなた(私)はよくやっている、よくがんばっている。自分(私)のことも大切にしてあげてね。パートナーのことも大切に、親のことも大切にしてね。まわりのあらゆる人に対しても、敬意をはらうことを忘れないで。

きっとすごく大変で、いっぱいいっぱいだろうけど、それでも、自分だけが世界で一番大変なんだと、勘違いしないように。今、とても大変で周りに気なんて使えないと思っているかもしれないけど、ちょっと待って、大丈夫、あなた(私)ならできるはず。人間修行の時期だと思って、簡単に投げ出さないで。全ての行動は自分に返ってくるから、今が踏ん張っておけば、きっと後の人生が豊かになるよ。

子どもには、あなたが大切な存在であるということを、心から伝えたい。同時に、あなたと同じように世の中の全ての人が大切に扱われるべき存在であるということも、一緒に伝えたい。

そして、今この時間をめいっぱい楽しんで。いつも心にセンス・オブ・ワンダーを。」


◯自分の子どもも大切、自分自身も大切、一緒に子育てしてくれる夫も大切、子どもを可愛がってくれる両親(子どもにとっての祖父母)も大切、同じ時代を生きる全ての人が大切な存在 だという意識を忘れないでいたい。

×どんなに自分がつらくても、超えてはならない線がある。他者の存在/尊厳を踏み躙るようなことはしてはならない。横暴な振る舞いをしないこと。


具体的に↓

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全ての人に対して

×「暴言、罵詈雑言、人を罵る言葉を使わない。子どもに対して、夫に対して、家族に対して。全ての人に対して。」

どんなに自分がつらくても、それを理由に他の人に汚い言葉を投げつけてはいけない。言った一瞬自分がスッキリするかもしれないが、後で罪悪感に際悩まされるだろう。仮に言い放ってスッキリし自分では忘れたとしても、言われた方は傷つき、ずっと覚えている(可能性がある)。将来、その言葉は何らかのかたちで、自分に返ってくる。

こらえよ。こらえてください。未来の私。

◯どうしてもいやな言葉が口から出そうになった時は、何か違う言葉に無理矢理にでも変換して口から出すように。なんだろう、「寿限無寿限無五劫の擦り切れ…」とか?…ちょっとコワイ人だと思われるかもしれないけど、誰かを傷つけるよりマシでしょう。

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子どもに対して

×「SNSなどネット上に、子どもが特定できる状態で(子どもの顔や名前がわかる状態。もしくは親自身が誰なのかわかる状態)で、子どもの存在や人格を否定するような言葉を書いてはいけない。(子どもをかわいく思えない/愛せない/産まなきゃよかった等。絶対に書いてはいけない。ダメ。)」

いつか子どもがそれを見つけたら/人伝てに知ったら、すごくつらいおもいをするから。

幼い子どもには対抗方法がない状態での、一方的な精神攻撃になる。子どもに対してフェアではない。もしそれでも書くなら、いつか大人になった子どもに同じような精神攻撃(例えば「毒親」というタイトルで手記を出版されるなど)を受ける覚悟を持つこと。そんなツライ未来はできるだけ避けたいよね‥。

踏みとどまって。

もしかしたら、すごくすごく大変になって、自分の時間がなくなり体力も限界で心が擦り切れそうになって、ふと心の奥にそんな気持ちが湧いてくることだってあるかもしれない。でもそれは、心の中にとどめておこう。文字にして書き出し公開してはいけない。目に見える言葉、記録に残る言葉、(誰かに記録に残されてしまうかもしれない言葉)には慎重になろう。

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子どもに対して

×「年賀状や子どものプライベート(趣味趣向や性格について)を書かない、SNS等に垂れ流さない」

(*子ども心を忘れていない今の私にとって、嫌だと思っていることのメモです。世の親御さんたちを非難する目的は全くなく、ただ、自分のきもちを忘れたくないだけのメモです。)

子どもは親の持ち物じゃない。親は子どもとは別の人格を持った、別の人間です。一人の人間として尊重したいです。「この子はこんな性格の子で…」と書きたくなってしまう時があったら、思い出して欲しいのです、子どもが本当は何を考えていて、何を感じているのか親は分かりきっているわけではないということを。決めつけて、公表/発信しないで。せめて、子どもが対等な立場/力/技術を身につけるまでは…。

夫にSNSで私のことを書かれても構わないのは、私も夫と同じように発信することができる対等な立場だから。それから、夫が書く内容について信頼しているから。もし嫌な内容を書かれることがあったら(今までそんなことはなかったけれど)修正してくれるよう申し出て交渉することができるから許せる行為です。自分が幼い子どもで、相手が親で、自分の預かりしれないところで自分のことを書かれていたら、まずそれだけですごく嫌だし、そこに対してどのような手段を持って対抗したらいいのか分からないのがつらいところです(私の場合)。一方的なのがいやなんでしょうね。

(親と子どものパワーバランスは、不均衡です。親の方がどうしたって権力を持っている。親にそっぽむかれたら、生命の維持が難しくなってしまう弱い立場です。それを忘れることのないようにしたいです。)

◯子どもが生活の全て、になってしまうような時期は、どうしても子どものことを発信したくなるかもしれませんね…どうしても子どもとの日々について発信したくなったら、子どもとのやりとりを通して「自分の中にうまれた感情や気づき」に焦点を当てて書くようにしたらどうでしょう。書くのはあくまで自分の物語です。そして、子どもがのちのち読んだ時に、嫌なきもちになるようなことは書かないように気をつけたいです。

(*矛盾しているようですが、「他人の子育てエッセイ/投稿」を読むのは好きなんですよね。ほっこり心あたたまってしまうんです。自分が子ども本人だったら嫌だなぁと思う気持ちはありつつ、第三者目線で読み物として楽しませてもらっている毎日です。やっぱり矛盾してるな…)


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パートナーに対して

×「子育て時のパートナーの動きについて愚痴や不満をSNSに書かない。他人に喋りまくらない。」

自分がそうされたら嫌だから。という理由が第一。私も書かないし言わないから、あなたもしないでね、ということ。お互いに敬意を持って、接しあいたい。

それから、よい効果が全くない、ように思われます。他人やネットにぶちまけて、スッキリした気になっても現状は解決に向かわないどころか、パートナーとの信頼関係は悪化してしまう可能性もある。

さらに、汚い言葉、だれかを責める言葉を発している時、自分が一番近くでその言葉をきくことになり、自分への悪影響もありそう。よくない。

◯「本人に、面と向かって、伝えよう。感情的になりすぎず、なるべく具体的に、丁寧に説明し、問題解決を目指し一緒に考えよう」

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家族や周囲の人に対して

×「周囲の人に無尽蔵に甘えすぎない。親をはじめ、他者の時間、エネルギー、お金を一方的に搾取するようなことをしてはいけない。」

親や親族、近しい人などは、きっと子育てに協力してくれることでしょう。その好意に甘えすぎて、当然のようにズケズケと他者の人生を奪いとるようなことをしてはいけません。感謝の気持ちを忘れないで。

「子育ては、みんなでするもの。無理しないで、周りの人に甘えて。」という、母親を気遣う優しい言葉があちこちにあります。きっと疲れた身体に沁み入る言葉でしょう。もちろん無理は禁物(後で下に書きます)ですが、限度を超えて他人に子育ての手伝いを強要してはダメです。他人の人生を尊重して扱ってあげられない姿は醜いものです。その姿を子どもが見ています、見せたくないですね。

◯簡単でもいいので、日記をつけるようにしましょう。誰かが自分や子どもにしてくれたことを言葉として書き出すのです。感想でなく事実を書き残せばじゅうぶんです。(◯月◯日何時から何時まで子どもを預かってもらい、食事を食べさせてもらった、など。)もしかしたら、自分が体力的にギリギリいっぱいの時期は本当に、他者の好意に甘える以外にどうしようもなく、感謝の気持ちを持つ余裕すらないかもしれませんが…せめて事実を記録に残すことで、数年後に余裕ができた時に振り返り、思い切りお礼ができるかもしれません。記録大事です。

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周囲の人に対して

×「お子様ご遠慮ください、とアナウンスしているお店や催し物に、子どもを連れて行ってはいけません。店主/主催者の希望/要望を大事に扱って下さい。」

お子様ご遠慮下さいと言うからには、そこには何か理由があるはずです。世の中には、小さな子どもの甲高い声で、心が不穏になってしまいパニックになってしまうタイプの人もいます。持って生まれた障がいとして、苦しみながらその性質を抱えている人がいるようなのです。お子さんを亡くされて辛い思いをしている人もいます。他にも自分には預かりしれない様々な事情があることでしょう。そういった方々が、心穏やかに過ごすことができる場所、として、店主/主催者は子どもお断りの場を設けているかもしれないのです。

もちろん、子どもは大事にされる存在ですし、子どもを育てているお母さんも大事にされるべき存在です。同じように、障がいを抱えて生きている人も、かなしみを抱えて生きている人も大事にされるべき存在だと私は思っています。どんなひとも、社会に居場所があると感じられるように、異なった性質の場がたくさん社会に散らばっているといいなぁと思っています。お子様ご遠慮くださいの場を、そのまま守ることは、子どもにとっても暮らしやすい未来を作ることにもつながるはずです。

「子どもはどこでも大事にされるべきだ!子どもが居てはいけない場所を作るなんてけしからん!」と無理矢理子ども連れでそういった場に乗り込んでいくなんで、言語道断です。正義を振りかざしているようにみえて、その実、自分勝手で他人のことを思いやれない行動でしかありません。(私がイベント主催者だったら、そんな人はブラックリストにいれ出禁にします。)

でも、これ自分が子連れ側の立場になったら、違う感覚になるのかな。それでも、無理矢理子どもNGの場所に子ども連れていくようなことしてたら、信頼を失うのは私、居場所がなくなるのも私。やっぱりここは一線超えないようにしなくちゃ‥。

◯子ども連れでも安心して楽しめるお店やイベントが、足りてない!と感じることがあったら、自分でそういう場をつくりましょう。できるはずです、私なら。

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自分に対して

×「上に書いたような、他者への配慮を持つ余裕がなくなるまで、自分を追い込んではいけません。超えてはいけない一線を踏み越えないように、自分の心に少しの余裕を持てるように工夫しましょ。リラックスする時間、自分の心に手をかける時間をなんとか捻出して下さい。」

頑張りすぎて心と身体を壊しても、だれも褒めてはくれません。それどころか他人を傷つけてしまうことがあります。大事にしたい子どもや、身近な家族を傷つけるようなことになったら、つらすぎます。その為にも、自分自身を大事にすることは、かなり優先順位の高いことです。無理そうだと感じたら、HELPと声を出しましょう。いろんな人に相談しましょう。なんとかつらい現状を打破する方法を探りましょう(他者を蔑ろにしない方法で)。

◯デザインは、問題解決の手段のひとつだと学びました。私が学び、仕事としてきたことです。様々な知識と経験を総動員させましょう。きっときっと、なにか方法があるはず。

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自分に対して

◯「一人の人間が育っていく様子をそばで見られるなんて、とても貴重な経験です。目を見張るような驚きがあふれていることでしょう。いつだって、ワクワクして楽しむ心を忘れないで。」



2021年6月30日 のメモ








20210628

ひょいひょいひょいっと仕事してるように見えるらしい メモ

よく言われることなんですけども、ちょっとモヤッとしていることがありましてですね。ちょこっとだけメモしておきます。

「絵が描けるなんてうらやましい。持って生まれた才能だね!」に並べて

 (地元にいると)よく言われる「〇〇大学/〇〇高校なんて、すごく頑張って勉強したんだね。」がいつも腑に落ちず、ちょっとモヤっとしてしています。ほんとによく言われることで、まぁだいたい、いつも聞き流しているんですけども


何といいますか、

「私の仕事って、軽く見られてるなー(生まれ持ったものだけでひょいひょい仕事してるって思われてるんだなぁ)」と言うのと

「日本における受験勉強って実態以上に高い位置に置かれてるなー」

って言うのをぼんやりと感じるわけです。


だって、実際そんなに受験勉強頑張ったわけではないですもん。絵を描く勉強と練習に比べれば受験勉強なんて全然たいしたことしてない。別にそこまで偏差値に高い大学に入ったとも思ってないですし…大学で勉強した内容に関してはすごくすごく充実したものでしたが、受験時にフォーカスされるとキョトンとしてしまいます。特に留学した大学院での第二言語での勉強はなかなか大変だったけど、それでも自分の今の仕事にかける学び時間に比べれば全然少ないです。


私の日常は、時間もエネルギーもお仕事にずいぶん注いで過ごしてきました。知識を仕入れる勉強も、試行錯誤も、練習、トレーニングも、工夫も、トータルしたら、受験勉強の何十倍になっていることでしょう。それでもまだまだ足りないと思っていて、もっといい絵を描けるようになりたいな、って試行錯誤を続けています。もっといい仕事できるようになりたい。


別に褒めて欲しいわけでないし、がんばってることを認めて欲しいなんて子どもじみたことを言いたいわけでもないんです。だからいつも反論しないんですけども。

ただ、何の意図があり、どう言う目的で「才能があってうらやましい」って言うんだろうか?とよく考えてしまいますね。


とりあえず「もって生まれたものだけに頼ってて、まだまだ努力が足りないから、もっと頑張れよ」っていう指摘をうけたんだな、と脳内変換して、精進する力にすることにしています。

で、練習積めば積むほど、手がさらさら動くようになっていくので、ますます、簡単にひょいひょいやっているように見えちゃうんでしょうね。




ひょいひょい適当にしてそうって思われがちなところがあるかなぁ、

というところで、

他にもう一件よく言われる言葉があります。

「俺は、真子ちゃんみたいに感覚だけでやってないから。ひとつひとつ論理的に仕事してるから。」って言うのがあるんですよ。

年上の男性から言われることが多いんです。で、へぇぇって思って話を聞くんですが、その方の仕事の方法が理論的に素晴らしく組み上がっているかという別にそうでもない。色彩論を勉強し始めた大学一年生が、覚えたての聞き齧りの理論を右から左へ伝言している程度なんですよね。勉強量も浅いようにしか感じられないし、自分の中で練ったり醗酵させたりしてるわけでもない知識を、どうしてそんなに得意げに語れるのかしら…語ってもいいけど私を引き合いに出して下げるようなこと言わなくてもいいのにな‥とモヤっとするんです。


心の中で「同じ土俵にのらない、言い返さない、静まれ私の心」と抑えてます。ちなみに、過去にそういった相手に対し、本気モードで制作についての話をしたところ「かわいくない」って嫌がられることが何度かありコリました。会話を長引かせても面白いことないから早く終わらせよう」です。俺論理的ですげぇんだお前ダメだな話をする人は受け流すにかぎります。


…ちょっと毒づきました。数年分たまってしまった毒がでてしまいました。


研究者の方が論文発表などをする時

「私の勉強不足かもしれないんですけども…」「素人質問で申し訳ないですが」ではじめる質問が一番こわいと伺ったことがあります。だいたいそのあと、めちゃくちゃ専門的で、鋭いツッコミがくるそうです。思慮深い専門家の方ほど、謙虚で、落ち着いたを纏われているのかもしれませんね。私もそういう人を目指そう。


明日もひょうひょうと、ひょいひょいっとした感じでやって行こうと思ってます。