20080626

お百姓さん/土の話

「大忙しの田植えが終わって、次から次へと生えてくる草と毎日戦っていました 
ようやく一息つけたところです。 
バタバタとしていて連絡できなかったけど…元気ですか?」 
と、連絡をくれたのは、循環農法に精力的に取り組むHさん。  


              クローバー 


農家さんをまわっている。 
若くて、真剣に農にとりくむ人達。 
彼らは自分達のことを「百姓」と呼び、そう呼ばせたがる。お百姓さん。 
日に焼けた首の裏、がっしりした腕、汗ばんだ肌、爪の間にはいりこんだ土。 
「パソコンの前に一日中座っとるなんていかんに。危険危険。 
外に出て、体を動かして、汗をかかにゃぁ」 
にやっと笑う歯が白い。 

お百姓さんたちから、野菜を買い、卵を買う。 
自然が与え、お百姓さんが紡いだ「いのち」を頂く。 
うまい。うまいなぁ、と思う。 
この野菜が、自分のいのちになる。体になる。命の交歓。体中をめぐる。 
ご飯を食べながら、そんなことを考えると、妙なものは食べられないな と思う。 
今食べているものが、未来の身体をつくる。 
女の身体は自分ひとりのモノじゃない。 
いつか新しい命を宿すための借り物だと思うと、 
自分の身体に無責任なことはできなくなる。 
魚類から人間へ、10億年の進化をたどる母体の中での10ヶ月 
汚れた海で育てたくはない。 
「もぉ、おねぇちゃんは、いちいちオオゲサなんだから」と妹に笑われながら 
それでも大真面目な私は、本屋さんの「食」「生物」のコーナーが最近お気に入りだ。 
(お気に入りコーナーは、コロコロ変わる・笑 
こないだは精神分析学コーナーにどっぷりだった) 

さてさて。話がずれてしまったので、ちょこっと軌道修正。 
そう、今食べている野菜が、自分の身体をつくる。 
その野菜は、土からうまれる。大地。 
つまり、いろいろぶっとばして解釈すると 
自分の身体は大地から出来ていると言えなくもない。 
「身土不二」 
という言葉がある。 
身体と土は、気って切り離すことのできない=二つに分けることのできないものだという。 
(様々な解釈がされており、土を環境とする場合も、土地柄とする場合もある。 
最近流行のマクロビの本なんかでよく目にするが、 
マクロビ人間がこの言葉を使うとき、なぜだか違和感を感じている) 

まぁまぁ、難しいことはさておき 
裸足で、土の上に立って、 
庭の畑で育つ野菜を眺め、もいで、かじってみると実感する。 
「土ー野菜ー飯ーウマーーーーイ」 

六月。もりた家の畑では茄子が実をつけはじめた。 
きゅうり、トマトももうじきだ。 
もりた家には大きな梅の木があり、こちら今年もたっぷりとれた。 
半分は梅干に、半分は梅酒に仕込む。 
今年あけたうちの梅酒は14年ものだ。 
14年前10歳の私が、母を手伝い一緒に漬けた梅酒を今 
24歳になった娘が母と飲む。 
小学生のころの私が書いたラベルの文字、 
慎重な筆運びの「梅酒」に母がいたく感動していた。 

ちょっとあなた太りすぎじゃないのって感じの私の身体 
血圧やら何やらいろいろ調べてみるとびっくり超健康体。 
(あとはお酒さえ気をつければ……) 
「悪いものは食べさせてないよ」と自信を持って母が言う。 
「でも、もちょっと痩せなさいよ」と母は言う。 
痩せる痩せないは今回は置いといて 
私の身体をつくってきた食物の多くがこの土地から生まれたものだ。 
外食のこと、名古屋で暮らしてきた期間を除いて考えなければならないが、 
家でたべる米は全て、この田んぼでとれた米。 
文字通り「身土不二」 


              クローバー 


さて農家さんをめぐっている。お百姓さんをめぐっている。 
畑に行く。土を見る。泥を触る。虫を見る。蛙と目を合わせる。 
いろんな畑がある。いろんな農家さんがいる。いろんな土がある。 

豊橋、田原、渥美、このあたりは酸化鉄を多く含んだ赤土。 
海のほうへ行けばますます赤みが強くなる。 
砂性の土は水はけが良く、果菜類がよく育つのだと教えてくれた。 
水はけが良すぎて、以前は不毛の土地だったのが、豊川用水ができてから 
豊かな農業地域に変貌をとげた。 
山の方、新城、鳳来へ行くと、土は黒くしっとりとしてくる。 
黒土は養分たっぷり。 
粘土質の土は水もち、肥料もちが良いそうだ。 

赤土か黒土か。 
砂か粘土か。 
それぞれ長所短所があり、 
それぞれよく育つ作物と育ちにくい作物があるそうだ。 
海よりと山より、土の色が違い、そだつ野菜がちがうから 
畑の景色は一目見てずいぶん違う。 
おもしろいなーーーとわくわくしながら景色を眺める。 


              クローバー 


いろんな畑がある。 

雑草が一本も生えてないような(まぁ一本もってことはないけど)畑もある。 
虫が見えない、鳥がいない。 
膨らんでいっせいに色づく野菜を見ると、なんだか薄気味悪い。 
収穫時期を揃える為に、ホルモン剤を撒いて成長をコントロールするのだと聞いた。 
違法ではない。「人体に害は無い」と現在の研究上、法律上は安全な野菜だ。 
でも。 
自分の家で、その野菜を食べない農家さんがいる…。 
自分の家庭で食べる野菜は、別につくっていたりする…。 

一方で、まったく極端に草ぼうぼうの畑もある。 
最近徐々にはやってきている「自然農」というやつだ。 
不耕起、無農薬、無肥料。 
畑なんだか荒地なんだか、一見分からない。 
一つの種類の野菜だけを大量につくるから大量に虫が発生したり 
ひとつの病気が流行るのだと彼らはいう。 
少しずつ、いろんな植物を隣り合わせに育てる。草も一緒だ。 
草にまぎれて、ひょろひょろっとのびる野菜。 
「小さな実にはぎゅっと甘みと栄養がつまっているんだよ」 
なるほど。頭では分かったような気になるが、なんとなく腑に落ちない。 
なぜ私は疑問を持っているのだろう? 
自然農の畑では、美味しくて、安全で、栄養価の高い野菜がとれる。 
ごく少量。 
彼ら自身が自給できる分と、少しの現金収入を得られる分だけの野菜量。 

有機農法という方法をとるお百姓さんがいる。 
こちらは、自然農とは少し違い、耕すし、肥料もつかう。 
ただし化学肥料を一切使わず、草葉や糞、時には魚のアラなどでつくった肥料 
をつかうように心がけている。 
1cmの土をつくるのに10年の歳月がかかるのだという。 
10cmなら100年だ。気の遠くなる話。 
土への挑戦ははじまったばかり。 
丁寧に土をつくりはじめて数年。 
農薬は一切使わない。今まで土が含んでしまっていた農薬を浄化させるにも 
時間がかかる。 
過去に畑の隣にゴルフ場の計画が持ち上がったことがある。 
ゴルフ場の芝生を管理するために、大量の薬が撒かれるだろう。 
何年もかけて、育て上げた土は、一瞬にして死んでしまう。 
彼は猛反対した。今ほど理解のない当時、彼は必死に訴え署名を集めた。 
一農家の提言がキッカケでゴルフ場の計画は頓挫した。 


              クローバー 


子供を四人育てている、お茶農家さんがいる。 
農薬を極力減らして、真面目に安全でおいしいお茶づくりに励んでいる。 
何軒かのお茶農家が協力して、それぞれの畑をじゅんにめぐりながら作業する 
その協会からは離れた。協会のきまりよりももっと少ない農薬で、その代わり手間をかける。 
何人かのグループでお茶を摘むとなりの畑を横目に 
夫婦二人だけで作業をする。重労働。 
「儲かりはしないのよ。全然。ほんと贅沢はできないのよ。 
でもこの人がねぇ。どうしてもって、こだわるもんだから」 
と、奥さんは、旦那さんに目をやる。口をへの字に結んだだんなさん。 
「でもねぇ。子供達は『おかぁさん達の何が楽しいかわからん。 
わざわざそんな大変なこと』って。言うじゃんねぇ。分からんって。」 

無農薬にできることならしたいけれど、実際は難しい。 
完全無農薬を目指した一区画では、あやうく全滅しかけた。 
「ねぇ、このまま全滅したら、うちはやっていけないよ。食べていけないよ。 
一度だけ、一度だけでいいから少しだけ薬を撒こう」 
奥さんの必死の訴えで、だんなさんは折れて一度だけ薬を撒いた。 
薬への免疫がなかったせいか、たった一度の散布でおどろくほど効果が出た。 
ほんとにぎりぎりの最低限の農薬の使用で、その畑は持ちこたえた。 
だが、採算は合っていない。 


              クローバー 


おいしくて安全な野菜をつくる。 
理想に燃える若いお百姓さんたちが週に一度集まって、市をひらく。 
出勤前に寄れるようにと、朝はやくから市をたてる。 
おいしくて安全な野菜を求める、食の安全への関心の高い消費者が集まる。 
意外と、若いお母さん方が多い。 
小さな子供を抱いた人や、妊娠中の人。 
これだけ食の安全への信頼がゆらいでいる世の中、 
小さな子供に何を食べさせたらいいのか、必死なのだ。 
それだけ関心が高まっているのだな、と思う。 
市には飲食店を営む料理人達の姿も見かける。 
かれらは気に入った農家さん、畑、野菜をみつけると、 
直接仕入れる契約をするときもある。 

「マクロビオティック」「玄米食」「自然食」「ベジタリアン料理」 
などに傾倒している女の人も増えているようだ。 
否定する気はさらさらないが、意固地に掟を守り抜く戦士達はちょっと苦手だ。 
白米だっていいもんだよ。動物性たんぱく質、食べたいときあるじゃん。 
甘い砂糖のお菓子だって食べたいときあるさぁ。おいしいもん。と思う。 
でも、ま。ひとそれぞれ。信じるものがあるのだ。 
つべこべ言うつもりはない。 

厳格なる菜食主義者にして玄米崇拝者、農薬をこの世の悪と憎む若い女性が 
市をちょろちょろしている私に、あるお百姓さんをプレゼンテーションしてくれた。 
「ほんとにこの方は素晴らしい農家さんなの!儲けを全く考えずに私たちの為に頑張ってくれてる! 
奇特な方なの!もう、この人意外のお茶は飲めないわ! 
やっぱりこれからは無農薬よ無農薬!絶対無農薬!無農薬万歳だわ!」 
生産者のお百姓さんは、ちょっと困った顔をして、小さな声で言った。 
「完全無農薬というわけではないんですよ。でも、極力抑えてはいます。 
大儲けしようとは思ってないけど、大赤字を積み重ねていくわけにも。ね。」 
先ほどの段で説明したお茶農家さんだ。 
慎ましく暮らし、四人の子供を育てている。 
たった一度の農薬散布。他の畑で使う農薬の比ではないけれど… 
そう説明された熱心なマクロビニストの彼女はきょとんとした。 
そして、こう言い切った。 
「農薬はぜったいダメ!農薬を使ったお茶なんて、 
農薬を溶かして飲んでいるようなもんでしょっ!!」 

彼女の目的は「安全な食べ物」なのか「無農薬」という分かりやすいブランド名なのか。 
目的がズレてしまっていないだろうか。 
そう問いかけてみたかったけど、やめた。今の彼女の耳にはたぶん届かない。 

使い込んだシャツにエプロン、泥のついたズボン 
お茶を摘み、運び、子供の体操服をつくろった、小さいけれど、厚い手、 
節ばって、茶色く日焼けした手の爪はきれいに切りそろえられている。 
お百姓のおばさんは、かわいい笑顔を消して、申し訳なさそうに俯いた。 
「絶対無農薬」を語る若い女性の、白く柔らかそうな手には 
キラキラと高価そうな指輪が光っていた。 


              クローバー 


農業のことを考えるのは、難しい。 
単純に、安全でおいしい野菜をお百姓さんが作るには難しい風に 
社会がなっちゃってるみたいだ。 
むむむむ 
と難しい顔をしながら、私には途方も無い問題だわーとぺたんと座りこみ 
土をいじる。 
つちつちつちつち。いのちを生み出す土。 

私はただ、シンプルに、単純に、安全でおいしい野菜を食べていたい。 

いろんなお百姓さんの話を聞くたびに、頭がこんがらがってくる。 
なんてこったい。困ったな。東三河の野菜をどうまとめよう。 
もんもんとしながら、足を動かす。人に会う。 


              クローバー 


Hさん。日記の冒頭で紹介したHさんは、農業に 
信念を持って真面目に取り組む、熱い熱いお百姓さん。 
循環農法という農法を選択している。 
彼は静かに優しく、私に、土の話をしてくれた。 

「土って、すごいんだよ。 
人がわざわざ手を加えなくても、ちゃんとうまいこと回っていくんだよ。 
土は次に何をしたらいいのか自分で分かっているんだ。 
度重なる農薬散布で土が死んだ後、もしくは、大工事で掘り返された後 
土は自然に、自分の力で、命豊かな土にもどしていくんだよ。」 

「どういうことですか?」 

「荒れた土地をほうっておくと草が生えるでしょう。草はなぜ生えるのか。 
草は、その土に不足しているミネラルを作るんだよ。 
カルシウムの足りない所には細い小さな竹が生える。 
そのまま自然に倒れると 
…農地として使うために早く土を作りたいから私達は切り倒すんだけど… 
切り倒すと、ススキが生える。 
そのススキを毎年刈り倒して置くと小さくなり、無くなる。 
そのあとに生えるのはスギナ。 
スギナはケイ酸カルシウムをつくる。 
そして、ナズナ 
カラスノエンドウ、 
オオバコなどの薬草が出てくる。 
イネ科の植物が生えているところは、カルシウム欠乏。 
スギナやナズナは土づくりの主役で、スギナがでてくるのを見つけると 
『土が元気になってきたぞ』ってうれしくなる。 
もし、雑草も生えないような痩せた土地で野菜を育てようと思ったら 
少なくとも一年は、ぼうぼうに雑草をはやせば良い。 
生やしては、刈り込んで、すきこんでを繰り返せば、 
何の肥料を与えなくとも、土は元気になるんだよ。」 

土って、草ってすごい。  

Hさんの話を聞いて素直にそう思った。 
科学的に正しいかどうか、私には断言できるほどの頭も知識も足りないけど 
この話には、素直に素直にうなずける。なぜだろう。 
100%正しいとは思わないにしても、 

すごいよ、土、やるじゃん! 

雑草がぎっしり生えた土地はただの荒地じゃなかった。 
土の治療中だったのかぁ。 
生えてる草を見れば、土の状態がわかるんだ…そう思ってまわりを見回すと 
いままで同じに見えていたただの空き地や荒地がそれぞれ違って見えてきた。 
末期の土。初期段階の土。健康な土。 

高校生のころ、林正道さんという海の男が私に語ってくれた 
あの、海が自分で浄化していく過程ととても似通っている。 
自然ってすごいなぁ、と思う。 
かなわないや。 


              クローバー 


土ってすごいなぁ って感動したところで 
三河の野菜についてを記事にまとめて、このエリアの人に届けよーって 
夢中になってたのに…できなくなった。 
できなくなっちゃったよ。 

っちぇーーーーーーーーーー。 

このテーマも私の切り口も、重すぎるようだ。…否定できないけどさ。 
このエリアのフリーマガジン読者が欲しがっているのは 
安くて大盛りのお店の情報、野菜だったら、野菜が安く沢山買える場所だけなんだよ 
って、そーゆこと?それは肯定しかねる。 

が、まぁ、とにかく、ちぇーーーーーーーーっだ。 
しょんぼりだよ。まったく。さぁ。 
あーーーぁーーーーー。がっかり。 
しょぼくれた顔をしながら、野菜を手に取る。 
いんげんでも買ってかえって茹でてたべようか。 






金曜日の有機朝市で野菜をだしている、 
陽気なジャズメン(自称)のお百姓さんが 
鼻歌まじりにふふ〜んとにこにこ近づいてきて 
底抜けに明るい声で声をかけてきた。 
「おっ!編集者さん元気ィ?だめだよォ。そんな顔してちゃ。 
部屋に閉じこもって仕事しすぎなんじゃないのォ〜?? 
やっぱ外に出て、風にあたって、身体動かさなきゃネッ♪ 
よぉ〜〜〜し、じゃあ、温泉イコウか!温泉! 
いい温泉知っとるんだ〜。山奥の秘湯!天然露天風呂! 
一緒にはいろうか〜〜〜〜」 
「何言ってるんですか。一緒になんて入りませんよ!行きません!」 
って、むぅっとして言いながらも 
かかかかか と笑うその声で元気になっている自分に気がつく。 


「百姓っていうのはさ。百人の女を生き生きさせることができる男のことなんだ」 

だってさ。 
かなわないね・笑 

20080424

空の「あお」と草の「あお」のあいだに


生まれ故郷ではなくとも、好きなまちがあります。 

くねくねと曲がった坂の小道に、生い茂る緑が陰を落とした五月、 
そこかしこで茶香炉がたかれていたその日、 
香ばしいにおいに誘われるように、細い道の奥へ奥へと。 
おそるおそる覗いてまわった工房で、様々な陶芸家さんたちが聞かせてくれた、 
焼き物のこと、窯のなかでおきる物語、炎と色の話がとてもとても魅力的で。 
いつか自分で常滑の茶香炉を買うのだと心に決めたのは 
はじめて訪れた、高校生の頃。 

焼き物のまち、常滑。 

大学生になり行動範囲を広げた私はちょこちょこと常滑に通った。 
初めて買った器は、「深紅(しんしゃ)」の出来損ない。 
その名のとおり、深い紅が美しい器は 
窯を閉じて高温で焼くことで生まれるのだという。 
同じ釉薬を塗った器を、窯をあけて空気をたっぷりおくりこみながら焼き上げると 
紅から一転、織部にみられるような深い緑になるのだと、教えてもらった。 
「これが、紅、こっちが緑。釉薬は同じ。」 
ぽんと手に持たせてくれた、全く違う色の二つの器。 
ふと目を移すと、深く重厚な色の間に 
消え入りそうに透明な「あお」がひとつ。 
「深紅のはずが、紅くならなくてね。かといって緑にもならず。これは失敗」 
といったその器の、ゆるりと薄衣を纏ったかのような気張らなさが気に入って 
私はその器を買った。 

二十歳の初夏。 
また縁あって。 
アメリカからきた何人かの人たちと、常滑を散歩した。 
ゆるゆるとおしゃべりしながらのお散歩は楽しかった。 
一行の中にひとり、フランクロイドライトを敬愛する若い建築家が 
博物館に展示してあるテラコッタの破片を熱心に眺め、あれこれと語ってくれた。 
ライトの旧帝国ホテルの、あの黄褐色のレンガ(縦に筋が細かく入ったあれ)は 
この、常滑で焼かれたものだ。 
彼のつくったモザイク模様(?)を見ながら、なんのかんのと話した。 
私の語学がもう少し堪能であったならばと、悔やまれてならない。 
そして、たどたどしい英語のくせに熱弁をふるう私を 
にこにこと優しくサポートしてくれたのは 
甘い笑顔がかわいい、同じ年の獣医のタマゴ、ジョン! 
常滑はジョンに出会ったまち。 

今年年明け早々に、芸工の先輩に誘われて混じった「新年会」は 
常滑の陶芸家さんを囲むものだったし 
先週もその陶芸家さん主催の「自家製ビールと山車祭を楽しむ会」で 
まったりしてきたところだ。 
このまちの穏やかな空気と、人が好きだ。 
器と、手料理と、酒と、わいわいとした空気が好きな面々が集まるみたい。 
常滑には、日本各地だけでなく、海外からも作家さんが移り住んでいる。 
なんともあたたかな、来るもの拒まないオープンなまち。 



                




そんな常滑で 
窯元や陶芸家のつくった器を集め、ギャラリーに並べて、売る、 
先祖代々「焼き物売り」をしている方の、お宅にお邪魔した。 
「どーもはじめまして。あ、これ、お土産です。うちの庭の夏みかん。」 
「どーもどーも。まま、座って、座って。」 
初対面でもすぐに馴染み、居心地よく感じられるのが良い。嬉しい。 
明るい笑顔の絶えない若夫婦2人の、おいしい手料理をいただきながら 
尽きることのない、おしゃべりが楽しい。 

黒光りする薄い楕円の深皿にザクザクと盛られた新鮮な野菜のサラダに 
同じ皿に品よく収まった鮪の刺身には、魚ダシの醤油を合わせて。 
ぽってりと厚みのある小鉢のツナと玉葱のペーストをクラッカーにのせ、 
日本の南はじの方の窯からやってきた小皿に施された 
細かなヒダは、装飾だけでなく滑り止めになるのだな、と納得しつつ 
その繊細な模様が大胆な手法で描かれることを聞いてほほーと驚き。 
手におさまったときの重さがちょうど心地よい小さなボゥルに盛られた 
ベーコンの旨みがきいた小さなチーズパン(?)(先輩の手作り)は酒のツマミにぴったりで、 
ただ、私のもつ乳白色のコップに注ぐのはお酒でなくお茶…ちょこっと寂しい。 
潮干狩りしてきたとこ、というアサリの酒蒸しに伸びる手が止まらず、 
料理をするだんなさんていいなー、とパスタをつくる男の姿を羨ましく眺めて。 
食後には、先輩の手作り濃厚でしっとりとしたチョコレートバナナタルトに、 
ころっとしたまぁるいフォルムと、ざらっとした手触りが和むコーヒーカップでほっとぬくもる。 

あー美味しい。しあわせだわぁ。 
ふくふく、くふふ…といった心持で 
飲んでもないのにきもちよーくなってゆらゆらしながら器を物色。 
さすが「焼き物売り」を生業にしているだけあって、食器棚には器がたくさん。 
あれこれ手にとって、触って、光にあてて、とんと床に置いてみて… 

「焼き物売り」は「生き方売り」だと言う若旦那が 
すごくイイ顔をして、嬉しそうに愛しそうに、 
ひとつひとつの器のストーリーを語ってくれた。 

「これはOさんという人のつくった器。これが、おもしろい人で(ぷぷっ)(←思い出し笑してる) 
…まぁ、色々あるんだけど若いのに達観しちゃった僧侶みたいな人なんだ。」 
Oさんという人がどんなにおもしろい人なのか、 
伝説になりそうなとんでもない経験をいくつか経たのち、 
物事をどんなふうに捉える様になったのか、 
またそんな彼に相談ごとをしたときの、突拍子の無い返答や 
おちゃめなくせに苦悩して生み出された、アーティストとしての創作物と 
生業としての器作り、そして、今の暮らし方。 
語り口調があまりにおかしくて、笑いながら話に耳を傾けていたが 
かるく語っている話が濃く深く、底が見えない。 
これはOさんに一度、お会いしなくては…と思う。世の中なんと楽しい人がいることだろう。 
「だから、私達は、この器を“Oさんの托鉢”って呼んでるんだよねっ」 
と若奥さんが、ついっっと出してくれたお椀は 
土なのに金属のような、滑らかな光沢をもった、 
うすくて軽いのに重い、漆黒の宇宙のような器だった。 
Oさんの思想の塊のよう。 


                   半月ぴかぴか(新しい) 


「実は作家のつくるもの、よりも、民藝に惹かれとるんだわぁ」 
と、三河弁によく似た方言が落ち着く彼が、ほらほらと見せてくれたのは、 
シマウマのような模様が可愛らしい小皿。 
一枚の値段がなんとたったの三桁。300円。 
陶芸作家が名前を出して売ると、ゼロが、1個2個平気で増えるのに。 
型をとって焼く、工場で大量に生産される器が安く手に入る昨今 
今なお、手仕事で実用のもの、日用品をつくっている窯があるとは。 
そんな仕事が生き残っているとは…と驚き感じ入りながら 
その器の波打つ表面を撫でる。 
「おんた焼き」というのだそうだ。おんたには、今も昔も窯元は10しかない。 
増やさない。減らさない。 
世襲制がしっかりと残っているその村では、長男が跡を継ぐと決まっているのだそうだ。 
来るもの拒まず、だれでも陶芸を始められるオープンな常滑と違い 
この村では外部からの人を受け付けないのだそうだ。 
田舎出身の私としては、田舎独特の閉鎖的で封建的な雰囲気に 
つい、ネガティブなイメージを抱いてしまうが 
「だからこそ、技と質が保たれている。良いものが、きちんとのこり、続いている」 
のだろう。確かに。 

対照的なのが、南の、とある町。 
都会の暮らしに疲れた人がふらっと訪れて癒されるようなまち。 
常滑と同じように、オープンなその窯辺りに訪ねてくる若者は多いようだ。 
「自分探しにきた若者」がそのまま居ついて、 
「なんとなく手づくり風」にわざと素朴っぽくゆがませたりしてつくった器ほど 
見るに耐えないものはない。と思う。(嫌みな言い方になってしまって申し訳ない) 
個人の趣味として楽しむ分にはいいのだけれど、 
そういう「ヘタウマをねらった」ものにかぎって、結構なお値段がついて 
「ぎゃらり〜」にならんでいるから不思議だ。 

焼き物に限らず「手作り雑貨の店」を謳ったお店でも、 
似たような違和感を感じるときがある。あたたかないい仕事に混じって 
高い値段のついた素人の「作品」。うぅ〜〜〜ん。この作りでこの値段… 
「手作り」であれば何でもいいというわけではなかろうに。 
同じことが、書にも当てはまる。 
あいだみつおさんブーム以来、どうも「ヘタウマ」な文字が蔓延しすぎていやしないか。 
ちょっと崩してかけば、それなりにうまそうに見えるだろう、なんて安易な。 
「ほんとに基礎がきちんとしていてきれいに書ける人」が遊んだ文字とは 
一目瞭然、ぜんっぜん違うのに。 
母や妹が書を嗜むのを眺めているだけで、私は書かない、書けないのだから 
偉そうなこと言っちゃいかんのだろうけど…でももう一度繰り返したい 
趣味でやるぶんには全然構わないと思う。仲間内で楽しんだりとか。 
ただそれに、びっくりするよなお値段つけて奉るのはいかがなものかと。 
真剣にその道を極めた、または極めようとしている人に失礼ではないかと思うんです。 

一枚、300円の、おんた焼き の器を手に 
熱くなった話は、止めることがむずかしく、 
夜はどんどん更けていった。 


                   満月ぴかぴか(新しい) 


その日、夜遅くに家に帰った私は、家の食器棚を眺めた。 
まったく高価なものはなく、引き出物や、春のパン祭のお皿などが並ぶが 
しげしげと眺めてみると、和食器、それも焼き物の占める割合が多いことに気がついた。 
手前に陣取っている、普段の食事で良くつかうものはほとんど、焼き物だ。 
ぽってりと少し厚く、重みのあるもので、 
真っ白ではなく、色味のあるもの。 
自分の趣味だと思っていたけど、どうやら、母の趣味が私に染み付いただけみたいだ。 
母がどこからか買ってきた器のなかに、いくつか私の選んだものも混じる。 
「大好きなまちで、あの時あの窯で、あんな顔したひとのつくった器」 
だと思い出すと、きゅんと愛情が溢れてくる。 
それぞれの器に、ストーリーがある。 
それぞれ個性があって、愛い奴らだ。 

「生き方売り」なのだと言っていた人との話を反芻しながら考える。 
インターネットで、たいていなんでも買えちゃう今、 
店頭にものを並べて、人対人で売ることの意味 
窯のある地へ赴き、人対人で器を買うことの意味。 
そこに意味を見出せない店は、時代の流れに押されて消え去っていくだろう。 
潰れる前に、潔く店をたたんで早いとこネットショップに転向するのも手かもしれない。 
一方で、「人対人」の商売を大切に、真摯に仕事をしている店が必ず生き残れる保証は無い。 
ただ器をうるのではなく、その器がうまれる背景や過程、 
しいてはその陶芸家や、窯元の考え方や生き方まで語ってくれるこの人の店は素敵だ。 
今の時代の人には、うっとおしく暑苦しいんだろうか。いや、そんなことない。 
画面越しのやり取りに慣れた人ほど、FACE to FACE のやり取りを 
五感をフルにつかった体験を求めているんじゃないだろうか。 
無意識のうちで。きっと。 

マジメに、いい仕事をする小さな窯元が、つづけられなくなるのはかなしいな、と思う。 
マジメに、いい仕事をしている店がやっていけなくなるのは、さみしいなと、思う。 
真剣で真面目な仕事人は、応援したいなぁ となんとなく思う。 

…ちょっとアツくなってみたりして 
そんな自分に照れながら、キッチンチェック。 

この鍋、なに作ってるのかなーと、台所のお鍋のふたをあけると 
たくさんの筍が、アク抜きされていた。 
「そうか、もう筍の季節か」と蓋を閉め 
となりのお鍋のふたを開けると、 
ふわっといい香が立ち上った。 
たっぷりお鍋のそこには、煮干と鰹節が沈んでいる。 
一晩静かに寝かせると、おいしいおダシがとれるのだ。 
「おぉっと、母さん、コレは本気モードだね。」 
と、にやにやしながら蓋を閉じる。 
丁寧につくられた料理がどんなに美味しいかを知ってしまっている私には 
できあがる味を想像するだけで幸せになれる。次の日の楽しみができた。 


              ぴかぴか(新しい) ぴかぴか(新しい) ぴかぴか(新しい) 


ふと、 
筍の煮物を盛るなら、あの器がぴったりじゃないかな、と思いついた。 
自称「生き方売り」の「焼き物売り」さんのご自宅の食器棚にあったあのお皿。 
わたしの大好きなまち、常滑の陶芸家さんの手によるもの。 
「青という漢字はどうやって出来たか知っている?」の人。 
「空の“あお”と草の“あお”のあいだの色」 
を追い求め、器で表現しようとしているロマンチストさんがつくった 
きもちのよい「あお」の焼き物。 


空のような、草のような、あおの器に 
丁寧に煮付けられた筍の盛られた姿を想像し 
台所で一人、妄想世界にトリップしてしまった私は 
んふふふんふふとしばらく笑いがとまらなかった

20080318

黄と青  遠くヒマラヤ山脈への祈りにかえて菜の花畑

    モンゴル草原で一番高貴な色は 青。 

    天の色だからだ。 






    モンゴル草原を旅したことがある。 
    あまりにも大きな圧倒的な青の下、馬をはしらせると 
    度々「オボ」に出会う。 
    積み上げられた石の山。 
    彼らの信仰の対象、天と地への祈りをささげる場所。 
    「オボ」は布で飾られていることが多い。 
    青い布。   
    白い布と、黄色い布が混ざることもある。 
    白は西方の民の信仰、黄色は南方のヒマラヤ山脈の民の信仰… 
    それぞれの民の「最も高貴な色」なのだと聞いた。 
    離れた場所の同種の民の信仰に敬意を示し 
    彼らへも祈りをささげているのだろうか。 




白人や黒人の赤ちゃんには、蒙古班がでないらしい。 
それどころか、同じ黄色人種の中国人にも、蒙古班はでないらしい。 
蒙古班、赤ちゃんの時におしりに青い痣ができるのは 
黄色人種の中でも”モンゴロイド”とよばれる人達だけらしい。 
そして”モンゴロイド”は世界のあちこちに散らばっているようだ。 


今となっては出所をさっぱり覚えてないアヤフヤな情報なのだが 
(たぶんなにかで読んだのだと思う) 
この話を知ったとき、私はとっても興奮したことを覚えている。 
まずはびっくりした。誰でも赤ちゃんの時ときはできるもんだと思っていたから。 
そしてじわじわなにか湧き上がるものがあった。 
何の意味があるのかきちんと解明されていない赤ちゃんのおしりの痣仲間が 
世界のあちこちにくらしている!? 

赤ちゃんのおしりに蒙古班ができる人を訪ね巡ってみたい。と思った。 
中学生の頃だか、高校生の頃だか、覚えてないけど、そう思った。 
世界のあちこちの赤ちゃんのおしりを追う自分を想像しては 
くふふ と笑っていた。 
大学に入り、友人Kにこの話をしたことがある。 
笑われるかな、とも思ったけど、真面目に聞いてくれた。 
「いいね!」 

長生きする予定の人生のなか 
時間と心とお金の工面がついたら 
(あるいは、時間かお金か…どれかひとつの都合がついたら) 
赤ちゃんのおしりに蒙古班のできる民を順々に訪ねまわってみよう。 
優先順位の低い長期計画の夢。 
真子の裏ライフワークのひとつ。 


愛しい、青痣をもつ仲間たちはどこに暮らしているのだろうか? 




          日本 

          モンゴル 

          ブータン 

          ヴェトナム 

          アメリカ大陸のインディアン 

          氷の世界に住むイヌイット… 





          そしてヒマラヤ山脈に暮らす チベット人 










チベットが(チベット自治区が)荒れている。 
火が放たれ、人々が殺されている。 
チベットで一番高貴な色、黄色の衣服を身にまとった僧侶たちが 
抗議をし、必死に訴えている。 

中国政府のいうことと、僧侶たちの叫び、ダライ・ラマの語ることば 
それぞれ違う。 
組織的な破壊活動なのか、虐殺なのか。 
真実はどこにあるのか。 

私はどうしたって、チベットよりの意見を持ってしまいがちなので 
(おしりの痣の件もあるし、 
Seven Years In Tibet はすごく好きな映画だし、 
なによりダライ・ラマのことばは私の心にしみいる) 
意見を述べるのは控えなくては。 
どうか中立な立場の国際機関が迅速に真実を調べてくれますように。 
そして平和な方法で、解決を…!! 




モンゴル自治区の子どもたちは、中国語で教育を受けていた。 
私と同じくらいの年の女の子は、教育の途中でモンゴル語から中国語に切り替えられた。 
羊飼いのおじぃちゃんたちは中国語を理解できなかった。 
孫娘と話すのに、モンゴル語−中国語の辞書が必要だ。 
「自治区」っていったい何なんだろ? 







草原を発つとき、首にかけてもらった青い布。 
お世話になった遊牧民からの寄せ書きがしてある。 
中国の文字と、モンゴルの文字が混じっている。 

映画Seven Years In Tibetでは、若き日のダライ・ラマが 
ブラッド・ピット演じる登山家ハラーの首に 
黄の布をかけるシーンがあった。 



    


      草原のオボに はためく布を想う。 

      モンゴル草原で一番高貴な色 青色にまじるのは 

      ヒマラヤ山脈で一番高貴な色 黄色。 




      草原の遊牧民たちは今 

      遠く離れたチベットに祈りをささげているだろうか。 




      赤ちゃんの時に、蒙古班を持つ仲間 

      チベットの平和を祈ってやまない。 
       


20080211

三度目のコルゲート



コルゲートパイプという名の、 
鉄パイプに一人棲み続ける花子さんを訪ねるのは 
これで三回目。 

またしても雨。 
どんよりと重い鉛色の空の下 
木々の間からのぞくコルゲートハウス、川合健二邸に 
ぎょっと してしまう。 
三度目だというのに。 

庭のVWビートルの錆は、すこぅし進行したように見え、 
そして、花子さんはまた、すこぅし小さくなったようにも見えた。 

今回は、私のつくりはじめたタウン誌、 
フリーマガジンQUATROを携えての訪問。 
私がこの仕事をするようになったのも、 
このコルゲートパイプの家のおかげだ。 

「まぁーー。あらーーー。不思議な縁ねぇ。」 
とコロコロと笑う花子さんは相変わらず可愛い。 
川合邸を舞台に、個性的な服に身を包んだ、個性的なモデルを撮った 
若者向けファッション誌の表紙、トップ特集を飾るファッション写真を、 
健二さんの遺影に供えながら 
「この人が、この写真みたら何て言うかしらねぇー。」 
と、いたずらっ子のようにくふっと笑う。 

私は花子さんがとても好き。 

薄暗いおおきな鉄の洞窟の底のコタツに入り 
ぬくぬくと暖をとりながら 
花子さんのみかん畑で採れたみかんをいただく。 


芸工の先輩と来た一度目の、初めての訪問では 
この家自体のことや、花子さん健二さん夫婦の話などをきいた。 
ただただ家の迫力に圧倒され、花子さんの頭の回転の良さに驚き 
健二さん、花子さん夫婦の潔い生き方に憧れた。 

建築の伊藤先生(C+A)と、芸工の先輩方との二度目の訪問では 
川合健二さんそのものの話をした。 
建築家として仕事をしてきた先生の生の体験と比較しながら 
川合健二というオトコがどれだけ常識ハズレな稀有なひとなのかを思い知った。 


三度目。 
今回は、ぬくぬくとコタツで暖まりながら 
だるーくゆるーく、おしゃべりをした。 

豊橋のこと、この雑誌のこと。 
デザインのこと。家のこと。 
人の暮らしと、自然のこと。 
女であること。 

私は、前回の訪問の時は聞いてばかり(質問して、答えてもらう)だったような気がする 
けれど、今回は、自分のことも少しお話して聞いてもらった。 
花子さんとお話していると、自分の考えがみるみるすっきりとまとまっていく。 

花子さんと話していると 
豊橋がますます好きになるし 
自分は自分でいいんだな とふっと心が軽くなるし 
女に産まれてよかったな とも思える。 
素直に、正直に、真っ直ぐ生きていけばそれでいいんだと 
ぽんと肩をたたかれているような。 
とにかく元気になる。 

「大学で四年間、真剣にひとつの物事を考え続けてきたっていうのは 
まず、一つの大きな財産よ。 
それはきっと、どこで何をしてもあなたの役に立つから 
まず、自信をもてばいいの。」 

「やりたい仕事とは別の仕事だとしても、 
次のステップではまったく違う方法で問題に取り組むのだとしても 
それでも今やっていることは必ず役に立つ。と、思うのよ。 
一生懸命がんばればね。 
手抜いたり、適当にやっていては全然ダメだけれどもね。 
真剣にそのひとつひとつの仕事に取り組んでいけば 
しっかり幅が広がる。それはきっとあなたの力になるから。」 

泣いたり悩んだり笑ったり 
むーっとなりながら制作していた四年間も 
オムライスを焼いていた時期も 
編集のお仕事している今の時期も 
一生懸命なら無駄じゃない。 
遠回りしてるけど、大丈夫。 

花子さんの言葉には力がある。 

フリーマガジンで頂いた真子企画ページ2ページで 
私がやってみようとしていることを、花子さんにも聞いてもらった。 
このページをつくることで、読者にナニをつたえたいか。 
観念的なことだけじゃなくて具体的に見せながら。 
紙面構成も タイトルも、
つかうイラストの例と写真の雰囲気も取り込んだラフをみせながら。 
例えばで描いた手書き図面と、例えばで書いた文章もある。 
プチエスキス。 

無事花子さんからOKをもらい(笑) 
その真子企画連載の(連載はまだ決まっていない・笑) 
記念すべき第一回に相応しい取材先を紹介してもらった。 
花子さんの口ぞえで、お会いできることになった。 

ありがとうございます。 

この家から、いろんな話がうまれてく。 
つながっていく。 
私にとって、このコルゲートパイプの家は 
とても大きな存在。 

またたっぷりお話して、すっかり長居して 
コルゲートパイプの家から外に出たら、 
雨はいつのまにか雪に変わっていた。 
豊橋に雪が降るのは珍しい。 


花子さんに、素敵ね と言わせるページをつくりたいのだ。 
がんばろっと。 
一生懸命ね。 

20071216

川合邸、アトリエ・ギルドを巡る豊橋の旅

生まれ育った街、豊橋に人が訪れてくれるのって、なんだかすごく嬉しい。 
豊橋っておもしろいね、いいとこだね と言われると、 
自分が褒められたみたいに嬉しくなる。 

12月15日 
コルゲートパイプの家、川合健二邸の再訪とアトリエ・ギルドの仕事を巡る。  
30年〜40年前のアツイ豊橋人の空気を味わう 一日。 

前回初夏に川合健二邸を訪れた三人に、 
今回はコルゲートパイプの家に興味のある人を新に三人加え 
六人のパーティ。 
芸工の建築の先輩達に伊藤センセイも混じる。 
(芸工生じゃない人の為に…C+Aの伊藤恭行さん http://www.c-and-a.co.jp/) 

住宅街と山の接点に在る川合健二邸。 
丘の下、木々の間からちらりと見えるその宇宙船のような建築に 
二度目だというのに、圧倒される。衝撃的。 
洗練された美しさというのとは違うのだけれども、圧倒的な力強さと存在感がある。 
このオーラは何なのだろう。 




                     (先輩の撮られた写真をお借りして)


この家に一人で暮らすおばぁちゃん、花子さん。 
花子さんのみかん畑で収穫されたみかんと、 
花子さん自ら摘んで蒸して煎ってつくったというお茶をいただく。 
様々な質問に間髪入れず、的を得た返しをし、 
時折くしゃっと顔を崩して笑う花子さん 
「すごく魅力的なひと」「あたまの良いひと」と伊藤さんに言わせるほどの女性。 
そんな花子さんは、以前お会いしたときよりも、 
心なしか小さくなっていたような気がした。 
大きな大きなコルゲートの穴蔵の底にちょこんと小さなかげ。 
少し、焦りのようなものを感じ、そう感じてしまったことにかなしくなる。 

川合邸とは別のコルゲート建築の幻庵を訪れたのは2006年の初夏のこと。 
その年の秋に、ご主人、榎本さんは逝ってしまわれた。 
先日、榎本さんの奥様からいただいた手紙を読み、 
私たちが最後の来訪者だったことを知った。 
あの夏の幻のような不思議な時間が持てたことは奇跡のようだ。 
今年の夏の台風で幻庵へ向かう橋が落ちたのだということも知った。 
今では川を渡らない限り、幻庵に行けない。 

建築家として仕事を重ねてきた伊藤さんと 
形容する肩書きを持たず、「ただただ川合健二としかいえない」健二さん。 
伊藤さんの実感のこもったコメントを聞きながら、 
他人の評価を気にせず、野心を持たず 
常に真っ直ぐに、そのとき向かうべき課題に真面目に取り組みつづけた健二さんが 
どれだけ常人離れしているのか、そしてそれがどれほど凄いことなのかを、 
改めて思い知らされた。 

男が惚れ込む男。 

なのだと、嬉しそうに語る花子さん。 
亡き夫を慕い、または憧れ、今でもこの家を訪ねてくる人々に 
その夫の意志や、取り組んできた仕事、人となりを説明する。 
自分が惚れて、添い遂げた男のことを、こんな風に語ることができるだなんて 
極上の幸せではないだろうか。 
花子さんは、健二さんと、健二さんを慕う人々を「侍のような人」だと例えたが、 
花子さんこそ侍のようだ。 
信念が強く、一途で、賢くて、肝が据わっている、 
その上可愛い笑顔をもっているのだから最高、そして最強だ。 
破天荒でパワフルな健二さんと、コルゲートパイプの家川合邸は、 
花子さんなしにはあり得なかったに違いない。 
花子さんは、女が惚れる女だ。 

健二さんの生き様や、夫婦のはなし、この家の話、健二さんを囲む人々の話… 
話は尽きず、またついつい長居をしてしまう。 

幻庵は、榎本さん亡き後、榎本さんの娘さんが引き継いだそうだ。 
幻庵は、姿を変えて、まだしばらく生きていくようだ。 
文化財として保存されるより…幻庵の抜け殻、あるいは屍を保存するより 
ずっといい。 
「きれいなひと。容姿のはなしではなくて、とてもきれいなひと」と花子さんに言わせるようなひとだ。 
幻庵がどうなっていくのか、なんだか少し楽しみである。 













さて、川合邸訪問のこの日に彩りを添えるのは 
アトリエ・ギルドの手がけたお店での食事。 
今、豊橋で、私が気になる人、と話していると度々耳にするのがこの名前。 
アトリエ・ギルドとは30年〜40年程前(60年代後半から70年代にかけて) 
の豊橋で活躍していた 
建築家(彫刻家)×グラフィックデザイナー×写真家  
三人から成るクリエィテブ集団。 
今でこそ、建築やインテリア、ロゴ、音楽など 
トータルで店をプロデュースすることは珍しくないが、 
この時代ではかなり斬新だったのではないか。 
ちょっと一癖ある店々は、固定客を離すことなく、 
今もなお営業を続けているのだそうだ。 

cafe-バロックでランチ。 
不規則な形状をし歪んだ真珠を指すバロック。 
(バロック:ネサンス様式へ大きく反発して生まれた17世紀の芸術の様式。) 
強い激烈な印象を与える変化と対比、劇的な流動性… 
真っ黒な壁に鮮やかな赤い椅子、大胆に傾斜する(途中で傾斜が切り替わる)天井。 
ゆがんだ平面(プラン)に、妙な雰囲気のある声の太い店のおばさん。 
チェンバロが置かれた店内には静かにバロック音楽が流れる。 
先輩方は各々、おもむろにスケッチをはじめ、 
スコヤ(メジャー)を取り出しスケールを確認し、 
三脚をたてて店内を撮影する。 
…変な集団(笑) 
そんな先輩方の発見やら考察をほほぅと聞きつつ、眺めつつ、 
私はミートソースのスパゲッティをいちはやくたいらげ食後の珈琲を飲む。 
添えられた器のなかに、濃厚なフレッシュが泡立てられており、 
それをスプーンですくって珈琲に浮かべる。 
なんとも幸せ。 

夜はまた、別のアトリエ・ギルドのお店へ。 
酒房かるとん。 
一面木製の壁に、文字が彫り込まれている。 
一文字一文字彫刻刀で彫ったのだというその文字のエッジや、影が美しく 
「あぁ、文字って綺麗だなぁ」 
なんて間抜けな感想を吐かずにはいられない。 
そうそうアトリエ・ギルドにはグラフィックデザイナーが居るのだ。 
文字が好きな人はぜひ、ここに飲みにきてほしい。 
”死んだら酒は飲めないじゃないか。生きているなら酒を飲まなくてどうするんだ?” 
個人的にはバロックより、かるとんの方が居心地がよい。 
私はノンアルコールで、先輩方はそれぞれ赤ワインやウィスキーなどを飲み 
牡蠣フライやソーセージをつまむ。旨い。 

店を変えて、JAZZ喫茶grottaにて、 
タイムの効いた(たぶん)の魚貝のトマトリゾットとカレーライス。 
なんだか妙な、マイペースなマスターのいるその店でまた長居。 
豊橋は、洗練されしきってなくて、垢抜けておらず、 
独特な雰囲気のマイペースな人、店が多いとの指摘を受け 
喜んだらいいのか、かなしんだほうがいいのか、反応に困る。 
まぁ、そんな豊橋を好きだと言ってくれるのだから、褒め言葉と受け取ろう。 

本日の締めとして、grottaのブレンドコーヒーを頼もうとしたら先輩に 
「バナナジュースじゃなくていいの?」とメニュー表を指さされる。 
…実は心の中で、心の欲求通りにバナナジュースを頼もうか 
今日の雰囲気を損なわないために珈琲にしたほがいいのかと、 
かなり真剣に葛藤していたんです。私。見抜かれてた?(笑) 
今日は一番年下だし、お言葉に甘えて、 
おこちゃまメニューでも許して下さいと(誰もそんなこと気にしてないだろうに) 
バナナジュースを頼む。 

 んまい♪ 
カレーライスの後のバナナジュースは格別だわ♪ 


川合健二邸、アトリエ・ギルドの手がけたお店 
60年代〜70年代のアツイ豊橋 
…洗練されていないけれど、独特な雰囲気とオーラをもつ豊橋を 
充分に堪能した一日でした。 
やーーーー楽しかった。 
豊橋 って、わりといいとこよ? 
案内するから、おいでよ。

20071212

いのちのかたち

分子生物学者、福岡伸一の「生物と無生物のあいだ」を読んだ。 
時間の都合によりいつもと違う本屋さんへ。 
本屋さんにて左手、てのひらに本を持ち、 
腕に手帳をのせ肘を少し曲げて固定し 
右手でメモをとりながら立ち読みしていたら  
あからさまに不愉快な顔をした店員に怒られた。 
いつもの本屋さんだと怒られないのに……。 
仕方がないので、めずらしく本を買った。 
税別740円の本をレジへ持っていく。 
777円。 
ちょっと嬉しくなった。 

高校で生物を勉強していない超初心者の私が 
初心者なりに(初心者だからこそ?)心動かされた 
いのち のはなし。  




聞いて聞いて、 
 いのちのかたち ってすごいの。 
 きれい。それにロマンに溢れているのよ。(陳腐な言葉だけど…) 

 いのち は 美しい。 
 いのち は 律動している。 


 まずは遺伝情報を担う物質DNAについて。 
 犯人の髪の毛から犯人の指紋を割り出すなど、昨今の犯罪捜査に大活躍の 
 DNA。 
 DNAのかたち。 


DNA。 
遺伝情報の暗号を載せたリボンは螺旋を描く。 
二重螺旋は互いに対構造になっているらしい。 
美しい構造。 

「1953年、科学雑誌『ネイチャー』にわずか千語の論文が掲載された。(中略)多くの人々が、この天啓を目の当たりにしたと同時にその正当性を信じた理由は、構造のゆるぎない美しさにあった」(本文より抜粋) 

美しい構造。 
機能を明示している構造。 
対になっている2本のリボンは意味を持つ。 
ポジとネガ。 
凸と凹。 
ポジがあればネガをつくれる、ネガがあればポジをつくれる。 

片方の鎖の配列が壊れたとしても、 
相補的なもう一方の鎖で簡単に修復できる。 
つまり、「対構造の二重螺旋」は、情報の安定を担保する という意味を持つ。 

ほどけたそれぞれの鎖を鋳型に、それぞれ新しい鎖をつくれば、ツー・ペアの二重螺旋ができる。 
DNAが一本あれば、同じものを自分でつくりだすことができる。 
つまり、「対構造の二重螺旋」は、自己複製システム を意味する。 


  読みながら「ほうっ」と溜め息が出た。 
  きれいだ。 
  かたちには意味がある。 
  構造が機能を体現する。 

  建築でいうのならば、 
  ダイアグラムから導き出されたカタチ 
  そのカタチが即、構造体でも有る そして余分なものはない。 
  三拍子そろった素敵事態。 
  使い古された言葉を使えば 用・強・美 
  (いや、用・強・形→美 のほうがしっくりくる) 
  そんな建築、滅多にない。 
  というか、今、思いつかない。 

   「構造とは合理性が高いほど美しくなる、と確信しています。 
    これは建築などプロダクト全般に言えるだけでなく、 
    仮想空間内、コンピュータ内の環境においても言えると考えています。」 
    (青春STYLEより抜粋:てらくん、言葉をかりました) 

 コンピューター内の空間については疎い私ですけども、 
 合理的なシステムと、それを成立させるだけの削ぎ落とされたカタチは 
 ほんとに溜め息が出ちゃうほど 美しいと思います。 

さて、DNAに話をもどしまして 
 (対構造の意味は分かったけれども…結局、DNAはなぜ螺旋を描くので しょう?私には分からずじまいでした。…だれか教えてください) 
この二重螺旋の示唆するもの、それは 

「生命とは自己複製を行うシステムである。」 

ということ。 
ほら、自分を型にして、もう一組コピーできるから。ね。 
生命=自己複製を行うシステム 
…20世紀の分子生物学の到達した、ひとつの生命観である。 
さて、上に述べた生命観、生命の定義によれば 
生命体はミクロな精密な部品によりなりたっているプラモデルのようなもの 
となろう。デカルトの機械的生命観にも重なる。 

 しかし、生命体と機械は違うもの だと思う。 

 これは直感的に、多くの人々が共有できる感情なのではないだろうか。 
 たしかにDNAの構造はそばらしく美しいけれど 
 すばらしく美しい構造の部品をすばらしく美しく組み上げたとしても 
 それ=生命 とは考えがたい。 
 人間とアシモは違う。どれだけ精巧な動きをしても、機械は機械で人間ではない。 
 馬とバイク(鉄馬)は違う。馬には生命が宿っているから 
 糸みみずと、糸くずは、ぱっと見は似ていても違う。糸くずには生命はない 

 では、生命とは一体何なのか? 
  
 著者福岡真一は、ルドルフシェーンハイマーという科学者と彼の示した 
 「生命とは動的な平衡状態にある」 
 というキーワードを中心に、様々具体的な実験例を説明し、 
 生命論を説いた。 
 具体的な例や詳細説明は本文にまかせ、 
 抽象的になることを覚悟でざっと概要を説明すると 

シェーンハイマーは、自らの実験結果を元にこう述べている 

「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の新の姿である」 

私たち生命体は、たまたまこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」にすぎない 
それ(私たちの身体を構成する分子、パーツ)は高速で入れ替わり… 
なにしろ秩序は守られるために絶え間なく壊され続けられなければならないので 
古株の細胞、パーツは壊され体外に流れ出てゆき 
食べることで外部から分子を取り込み、出て行く分子との収支を合わせ 
動的平衡をとる 

「私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、 
一時、緩くそこのとどまり、次の瞬間には身体から抜け出ていく(中略) 
つまり私たち生命体の身体は 
プラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、 
パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。」(本文抜粋) 

 この流れ自体が「生きている」ことである 
 私という生命体は 流れそのものである。 

  
 新陳代謝という言葉を普段私たちはなにげなく耳にしている 
 水を飲んで汗をかくこと や 
 古い角質を取り除き、つるつるすべすべのお肌を表面にだすこと 
 それから、建築の世界では黒川紀章さんが 
 建築や都市も新陳代謝させるべきだとのメタボリズムを提唱した。 
 (中銀カプセルタワービル:増築、取替えの可能な建築の例) 

 よって、私は著書を読み「新陳代謝」という仕組みに感動したのではなく 
 「新陳代謝」そのものが、生命そのものだと いう考え方に心惹かれたのだ。 
 持続的な変化 それが 生命。 というひとつの生命観。 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 
  淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、 
  久しくとどまりたる例なし。(中略)人とすみかとまた同じ」 
  (方丈記 より抜粋) 

  鴨長明の書き綴った人生観、人生論は 
  そのまままるごと生命観、生命論に置き換えることができるのだ。 
  私は、知る人ぞ知る方丈記ジャンキー、興奮しないはずがありません。 


   


 いのち は単なる精密な部品、構造体ではない 
 いのちを 機械的に操作的に扱うことはむずかしい(本文によると不可能) 
  
 いのち とは流れ 
 いのち とは持続的な変化そのもの 

 生命体、つまり いのちのかたち とは 
 その流れの中で動的な平衡をとるもの 
 The dynamic state of body constituents 


  


 いのち すごいや 

20071117

世界のあちこちを耕すように

先週の火曜日、東京、ヒマラヤスギの樹の上で過ごしたその後の話。 
ツリーハウスを後にした私の次の目的地は早稲田大学。 
スギの幹まわりのテーブルで出会った早大生に案内してもらって 
大隈さんの像のそばの8号館の教室へ。 
目的は公開講義の聴講。 

「現代作家作品論」 という一般公開している授業シリーズ。 
今回のテーマは「世界とランドスケープ」。 
講師は高野ランドスケープ プランニング(株)より、 
高野さん、金清さん、石村さん、樫野さん 
四人のLandscape architects。 

北海道でお世話になったロマンチストで少年のような瞳をもった素敵な社長、高野さん(趣味は馬術 障害飛び越し)に、 
その片腕、凄味のある金清さん(趣味は つり 山菜とり 登山)。 
高野ランドスケープ初期の頃のメンバーにして、現在は台湾に根をおろし活躍している石村さん、マレーシアに事務所を構える樫野さん。。 
私にとっては、とても豪華なメンバーなのです。 

世界のあちこちで仕事をする高野ランドスケーププランニングという会社の 
いままで辿ってきた道、してきた仕事、スタンス等の総集編といった感じの 
聴き応えのある内容でした。 
そして  
メッセージのたっぷり詰まった熱い熱い講演会だったんです。 


高野さんが掲げているモットー 

原寸主義・自力建設・参加型・自然の営力を生かすこと 

高野さん達は、設計においては 手 を何よりも信じている。机上の作業、パソコンの図面、頭の中の整理だけではなく、手を動かすことを最重要視する。体全体で感じることをおろそかにしない。「原寸主義」という考え方だ。1/100、1/50…ランドスケープにおいては常識破りの巨大な模型を用いてデザインを検討する。施工現場に入り、土建屋さんや職人さんとまじりながら仕事をし、手で触って確認をし、最終的な微調整をその場で行う。デザイナーも一緒になってつくる。つまり「自力建設」だ。 

また、誰の為の公園?誰の為の設計?を常に頭に置き、デザインプロセスを非常に重要視する。「参加型」これについては後で補足したい。 
「自然の営力を生かす」についてはまた別の機会に 


満月「耕すように建築するウマ」 

2007年出版のCATの本にあった言葉なのだが、 
これはど高野さんにぴったりの言葉はないと思う。 

土に手を加え、息を吹き込む作業 
ぽんとハコやモノを置くのではなく継続していくもの 
土だけでなく、街や人、考え方までも耕してしまう。 

「耕す」にまつわるエピソードを一つ紹介したい。 
会社が設立してなんとかはしりだした頃の話だ。 
マレーシアの国立公園という巨大プロジェクト。 
世界中から集められた会社やデザイナー達が国王の前でプレゼンテーションをする。 
結果、選ばれたのが 
社長1人、社員3人のたった4人の会社である 
高野ランドスケーププランニング。 
組織力のある大手でなければ国立公園規模の設計は難しい。 
そのうえ実績もなく、経験も浅い若者達の集まりで未知数。 
ではなぜ選ばれたのか? 

「他の会社は、俺がどんなにすごいか、俺の案がどれだけすごいかと、そればかり高々と説明する中で、おまえだけは違っていた。『一緒につくっていきたい。』そう語ったから、一緒にやりたいと思った」 
こう後で聞かされたのだという。 

マレーシアはまだまだ発展途中の国であった。 
ランドスケープデザイナーと呼ばれる人はおらず、 
施工を安心して任せられるような業者も見当たらない。 
高野さんたちは、そんな人(ランドスケープデザイナーと施工者)を育てることを、 
公園の設計と合わせてすすめることを提案した。 
現地マレーシア人をたくさん加えてのプロジェクトだ。 
まずは視察からはじめ、基礎知識をざっとたたき込む。 
設計の舵取りは高野が行うが、どんどん意見を出してもらう。 
時間はかかるが、海外のデザイナーが一方的に押し付けるようなカタチの公園をつくるよりも 
マレーシアの今後にとって、とても意味のあることではないだろうか。 

たった四人で仕事をするには?という苦肉の策からうまれたこの方法だが 
結果的に非常に大きな効果をもたらした。 
そしてそれは、マレーシア国王や、国民とたちまちフレンドリーになり 
みんなを巻き込んでいってしまう高野さんの人柄なくてはありえなかっただろう。 

高野さんは、公園をつくるため、ただ土地を耕し掘り起こしたのではない。 
「人や、街を耕した」と言えるのではないだろうか。 

そして、マレーシアからの信頼を得たランドスケーププランニングは、 
その後もマレーシアの土地を耕し続けている。一方的に「俺すごいだろ?」を押し付けるのではなく。 

樫野氏はその後20年マレーシアに根をおろして耕し続けている。 



満月「人を巻き込む参加型走る人」 

フランスのアルバートカーン庭園を手がけたときのエピソードだ。 
日仏親交の証としてつくられた庭園の大幅改修。 
カーンの人生にちなんだ新しいタイプの日本庭園を提案した。 
マレーシア国立公園とは違い、こちらはデザインは一手に高野ランドスケーププランニングがひきうけ、きっちりとつくりあげた。 
造形的に造園会に衝撃をあたえた芸術性の高い作品だといわれている。 

金清さんを中心に考えあげ練り上げられた図面を実際にカタチにする際 
彼らはダイナミックな案を提案する。 
永く愛される公園としていくために、この庭園工事を交流プログラムとしてとらえた。 
日本の職人、フランスの造園家、のみならず、 
フランスに出稼ぎに来ている労働者に、地元に住んでいる住人、 
ついには各国から訪れているフランスへの観光客、 
バックパッカーの旅行者までをひきこんで、 
みなで施工にあたったのだ。 

「仲をとり持つのに欠かせないのはパーティでして」 
と金清さんは語る。 
日本庭園につかう石を探すためにフランス中を探し回った金清さんは 
同時にワイナリーもめぐっていた。 
フランス人もおどろくようなマイナーなワイナリーの逸品達を 
石と一緒に集めてきていたのだ。 
高野ランドスケーププランニングの皆様は、 
お酒と、人と、楽しいことが大好きなのだ。 

お酒とささやかなおつまみで夜な夜な楽しんでいると 
自然に集まってきたのが、前述した 
フランスに出稼ぎに来ている労働者達だ。 
彼らは母国(アフリカの各地)では家も何もかも自分達でつくっていたため 
繊細な手仕事のできる技術を持っていた。 
しかし、彼らのノウハウは生かされることなく、 
日々単純な肉体作業を繰り返していたのだ。 
しかもフランス国内においてはおどろくほど低賃金で。 
パーティで一緒に飲みながら、そんな話を聞いてて思わず 
「それなら、この庭を一緒につくらないか?」と声をかけたら 
ぞくぞくと集まってきたらしい。 

アフリカからの低所得労働者の可能性、持っている技術を 
フランスの造園関係者ならびにフランスの政府のお役人(日仏親交の庭園なのだとかで、お役人達がからんでいる) 
それから地元にすむひとたちに、知らしめることとなった。 

黄色黒色白色 違う肌の人たちが一緒に 
泥だらけになって石を運んで樹を植えている 
施工途中の写真は笑顔であふれている。 

完成した日には、近所のパン屋さんが庭の模型をパンで焼いてくれたらしい。 
庭のパンをみんなでちぎって食べながら最後のパーティを楽しんだのだそうだ。 



「あのとき、一緒に樹を植えた者です。観光旅行で出かけたはずなのに、すっかり泥んこまみれになっていました。」 
講演会に来ていた中年の女性がそう言った。この人も今では高野ランドスケーププランニングの(高野さんの?)大ファンなのだそうだ。 



満月「そこで幸せになる工夫クローバー」 

マレーシアの街路の植栽計画も頼まれることになった高野ランドスケーププランニングは、ここでもまた、人々の意識を耕した。 

当時のマレーシアで使われていた街路樹は 
ホウオウボク コウエンボク レインツリー等、外来種一辺倒。 
つまり、全て輸入物。 
ジャングルに一歩足を踏み入れればそこには 
多様な豊かな森が広がっていると言うのに。 

高野ランドスケーププランニングはジャングルに生えている樹を使って 
都市の景観をつくることを提案した。 

政府も、見つめていた地域の住民も猛反対した。 
(高野さん達は地域の住民に同行してもらい尋ねながら何度もジャングルに入っては、種をひろい集め育てるなど、怪しげな(!?)行動をしていたため注目されていた。) 
マレーシア。 
彼らにとってジャングルは、未開の土地、ふりかえりたくない過去である。 
危険で粗野なジャングルを切り開きつくられたゴムの樹のプランテーションは、文明の進歩の証である。 
都市部にいたっては、もっともっと進化した景色をつくりたい。 
そこで、すでに発展している国から輸入した樹をつかって景色をつくりはじめていたのだ。 

高野さんたちは、謙虚だけれども頑固だ。 
「自分達の国に、その土地とその土地の育てる樹にもっと自信をもてばいい。ジャングルの樹は決して粗野なものではない。非常に魅力的なものだ。きちんとコントロールすれば都心の風景とジャングルの樹を共存させることが出来る。」 
と、根気よく語り続けた。 
今では、高野さんたちがジャングルで拾ったタネを 
マレーシアのひとたちが苗木として育てた樹木が 
マレーシア各地の街路や公園などあちこちにみられる。 


台湾でも同じようなことがあった。 
高野さん達が台湾入りしたのは1987年戒厳令が解除された直後だ。 

台湾では1947年2月28日に勃発した二・二八事件以降、蒋介石率いる台湾国民政府によって言論弾圧が強化され戒厳令がひかれていた。 
「この島は一時的な滞在場所で、いずれは大陸に戻り中華民国を打ちたてよう」 
といった気運がちょうどひとだんらくしたころだ。 
人々の目が徐々に自分達の足元、この島での生活に向き始めたそのとき、 
高野ランドスケーププランニングは台湾に上陸する。 
「毎日の暮らしを、きもちよく楽しくしていこう。そのお手伝いをしたい。」 
いずれは中華民国を!と今居る場所ではなく先の野望で頭がいっぱいの 
ぎらつく目をもった人がまだ居るその時代の転換期に、 
高野さん達は語り続けた。 

その後、公共事業に力を入れるようになった台湾で 
ランドスケープデザイナーへの仕事が爆発的に増える。 
ここでも高野さんたちは現地台湾人達と仕事をする。 

ここでも、マレーシアと同じように 
発展している国のマネがもてはやされる。 
台湾のお金持ち達は、ローマのれ列柱を多用しヴィーナスの像を置いた 
噴水を中心とした庭を好んだ。 
高野ランドスケーププランニングはその傾向に警告を鳴らした。 
「台湾には台湾のスタイルがあるはずだ。それを一緒に考えてみよう」 

台湾の国中をあるき、森の奥へすすみ、川をさかのぼり 
樹をみて、石をみて、土をみて、原住民とその家、暮らし方をリサーチしながら 
台湾の景色作りを考えた。 
おおいに語り、現地の人たちを巻き込みながら台湾の街路や公園をつくっていった。 
今では台湾の大学には建築学科よりもランドスケープデザイン学科のほうが多いという。高野パワーはすごい。 
高野ランドスケーププランニングは今でも台湾の地を耕し続けている。 

石野氏は、台湾でもう20年も「高野ランドスケーププランニング台湾支所」の看板を背負って熱心に仕事を続けている。今も「その地で幸せに生きること」と提案し続けている。 


「今もっているものだけを使って より幸せになる工夫。それが人類が生き延びるための、ひとつの方法ではないかな と、そう思うんです。」 



満月「そんなわけで高野さんラブハート達(複数ハート)」 

新しい土地で、まずすることはAppreciate/Appreciex なのだという。 
つまり、その国を、あるいは土地を、高く評価し、賞賛するのだ。 
そして正しく認識をすること。 
果たしてそれは真実の魅力なのか?マネだけのはりぼてなのか? 
本当のことを知り、納得するために 
専門家や学者達にアドバイスをもらいながらも 
彼らは自分達で国中を歩き回る。 
土や樹や川に耳を傾け、原住民と仲良くなり教えを乞う。 
石を拾い、現地の酒を飲みながら 
特権階級や有識者、権力者ではない、そこに住む様々な人とも語り合う。 

土と水と樹と、もともとの土地、自然を知り、認め、尊敬する。 
その土地でのシンプルな暮らしをし、土地とともに生きてきた原住民を 
知り、認め、尊敬する。 
そこからはじまるのだ。 

その土地本来の魅力を引き出し、自然の営力を生かしながら設計をすすめる。 
(自然の営力をいかす方法についたは、またの機会に説明したい) 
地域の人を巻き込みながら。 
お祭りのように楽しみながら。 


高野ランドスケーププランニング、設立当初の四人の熱い話を聴いて 
高野ランドスケーププランニングはとても魅力的な会社だなと改めて思った。 

高野さんは、御歳63になる。 
1975年会社を設立してから32年の月日。 
地道に泥臭く、しかしとても魅力的な仕事を続けてきたのだ。 
世界のあちこちを耕して。 


講演会後は、もちろんお酒。 
高野ファミリーで飲んだ。 
高野さんにあつい想いをぶつけて入社してきたひと、 
そこから巣立っていったひと、 
それから、私のようにオープンデスク生としてお世話になった人も何人か混じっていた。 
アツイアツイお酒の席だった。 

「名古屋から東京まで出てきたの?遠かったねぇ。よく来たね。よく来たね。」 
と高野さんは笑って私の頭をなでてくれたのだが、 
愛知なんて近いものだった。 

北海道からはもちろん、 
昨日までパリで仕事をしていて、今日日本に着いたところだ という人や 
カナダで仕事をしていたんだけど帰国してきた という人や 
ドバイへ飛ぼう としている人 
オーストラリアからきた人や 
マレーシアから飛行機代自腹で飛んできた社員さんに 
台湾からやってきた人 

世界のあちこちから集まってきていたのだから、 
愛知からなんて、本当に近い距離だった。 

高野チルドレン達は各地で日々楽しみながら泥まみれで奮闘しているようだ。 
金銭的に豊かそうな人はなぜか見当たらないのだけれども(笑) 
いい笑顔をしている人がわんさかいて、 
それぞれがとってもおもしろいアツイネタを持っている。 

高野さんはそんな高野チルドレンを応援していくのが楽しみなのだと 
うっふっふ と嬉しそうに笑っていった。 
私にもオーストラリアの教授を一人紹介してくれた。 


「高野さんにアツイ想いをぶつけて世界各地へ飛び散っていった高野ファミリーの皆様のますますの発展を願って」 
そんな一本締めで 
お祭りのような 講演会&飲み会は幕を閉じた。 

帰り際、 
高野さんは、下駄箱からひとの靴をさっさっと出して並べるのだ。 
こんなときでも、偉ぶらなくて、ジェントルマン(笑)なんだ。 
そんなわけで、私は高野さんのことが大好きなんです。 
私にとっては史上最高のいい男です。 

…ね、素敵な人でしょ? 












さいごに高野さんに 
「ランドスケープアーキテクトとは?」と尋ねてみる。 
     
「ランドスケープアーキテクトとはね…」と高野さんはこたえる 

      
            「画家の目と 
              科学者の頭と 
               詩人の心を持った 
                専門家のことだよ」